年別アーカイブ: 2013

濁音の規則2

東北弁の濁音についてさらに規則を見つけた。ドラマ制作者は参考にしてほしい(読んでいないかそんな人)。

日本語の濁音は「が行」「ざ行」「だ行」「ば行」「ぎゃ行」「じゃ行」「びゃ行」だが、これらのうち、東北弁として出てくる濁音は「が行」「だ行」に限られることが、書いてみてわかった。「が行」と「だ行」の10音はすべて使われる。例を示そう。

が行: 聞ない、聞ます、聞、聞、聞

だ行: 書い、み(道)、な(夏)、書い、俺

他の規則として

・名詞の頭の音は濁らない。例:影を「げ」とは絶対に言わない。例外:なんてごど言うんだ

・直前の音が「っ」のときは濁らない。例:雨だっ とは言わない。

・直前の音が「ん」のときは濁らない。例:本当を「ほんう」とは言わない。

・直前の音が無声音の場合には濁らない。例:ちい(近い)とは言わない。「ち」が無声音だから。「聞かない」の場合は、標準語では無声音である「き」を有声音にした上で「が」と濁る。

・西洋からの外来語は濁らない。例:ラケットをラットとは言わない。

・歴史が浅い単語は濁らない。例:携帯電話を「けいいでんわ」とは言わない。しかし自転車は「じんしゃ」と言う。

・漢語よりは和語の方が濁ることが多い。漢字で言えば、音読みよりは訓読みの単語の方が濁る場合が多いような気がする。例:「わる」とは言うが「りいする」とは言わない。

今、あまちゃんを見ていたら「緊張感」を「きんちょうん」と言っていた。有り得ない。こういうちょっと堅い単語や専門用語は濁らない。でもまあ、わからないよなあこんなの。自分でも、自分の中の何がこうも確信をもって濁音の有無を断定できるのかわからないんだから。まあちょっとした標準語と東北弁のバイリンガルの風情である。

濁音の規則

さて、東北弁の特徴に濁音がある。濁音は、名詞だろうが動詞だろうが形容詞だろうが、はたまた人の名前だろうがあらゆるところに現われる。当然そこには規則があるのだが、ドラマなどで話される東北弁の濁音はデタラメに入れられることが常である。

しかしこれを責めるのは酷だろう。なぜなら、どういうときに濁音が付くのか東北人自身が説明できないからだ。もちろん規則性はある。人によって違うとか同じ人でも気分次第で違うということではない。どこに濁音がつくのかは完全に固定されているのだが、その規則を一般化して説明できないのだ。もしかすると書いてみれば規則性がわかるかもしれないので書いてみる。初めての試みだ。

まず題材として、ある小説の冒頭を引用しよう(一部変えてある)。

「それで、お金のことはなんとかなったんだね?」と村上と呼ばれる少年は言う。幾分のっそりとした、いつものしゃべりかただ。深い眠りから目覚めたばかりで、口の筋肉が重くてまだうまく動かないときのような。でもそれはそぶりみたいなもので、じっさいには隅から隅まで目覚めている。いつもと同じように。

これを訛ってみる。本気で訛ると母音や単語そのものまで違うので東北人以外にはまったく意味がわからなくなるので、ここでは濁音以外は訛らないことにする。実際にはありえない訛り方だが、濁音の規則性を知るための実験だ。

「それで、おねのごどはなんとなったんだね?」とむら呼ばれる少年は言う。いぶんのっそりした、いっつものしゃべりがだだ。深い眠りら目覚めりで、くの筋にが重くてまだうまないどぎのような。でもそれはそぶりみいなもので、じっさいには隅ら隅まで目覚めいる。いっつも同じように。

我ながらなんたる濁音の多さだろうか。村上という固有名詞まで「むらがみ」と訛るのだ。ここ数日の考察で、ある音の直後の音には濁音が絶対に付かないことを見出した。それは「深い」の「ふ」や「○○していた」の「し」あるいは「来た」の「き」だ。この三つに共通するのは母音を息を抜くように発音すること。このような音の直後に濁音をつけるのが難しいことは発音をしてみればわかだろう。だから「ふい(深い)」とか「○○しいた」とは絶対に言わないのだ(ドラマなどでこのように発音するときは当然、前の音を修正した上で濁音をつけている)。同様に、「行ってきた」などの「っ」の直後の音が濁音になることもないような気がする。理由は同じく発音が難しいからだ。「行っきた」なんて東北弁を聞いて「なんて言いづらい発音なんだ」と思う人もいたかもしれないが、それは我々だって言いづらいのでそうは言わないのだ。あと、外来語は濁音がつかないような気がする。そういう例を見つけられなかったが、例外もあるかもしれない。なにしろ規則を一般化できていないのだから、どんな反例が出てくるかわからない。

今のところはわかったのはこれくらいである。

米さ煮て食った

私は「あまちゃん」はよく見たことがないのでわからないが、ドラマや映画での東北弁のデタラメな使い方にはほとほとうんざりさせられる。代表的なものが助詞の「さ」だ。確かに東北弁では「さ」という助詞をよく使う。しかしそれは、標準語の「に」と「へ」に当たる場合だけだ。

たとえば「学校さ行った」「牛さ餌やれ」という具合だ。この「さ」が印象的なので、東北人はなんでもかんでも助詞を「さ」で済ますと思われているのだ。その結果「米さ煮て食った」などというトンチキな台詞がまかり通る。「まんが日本昔ばなし」などこういう台詞だらけだった。そもそも助詞とは言葉と言葉の関係を示すものだから、なんでもかんでも「さ」で済ましていたら助詞の役割をなさないではないか。

製作者や役者の中に東北出身者はひとりもいないのかといつも思っていたものだった。

「じぇじぇ」の由来

NHKのドラマ「あまちゃん」で、岩手の方言「じぇじぇ」がなにかと話題になっている。私は岩手出身だがかなり南側の奥州市出身なので「じぇじぇ」は知らないが、同類と思われる「じゃじゃ」というのはよく知っている。

子供心にも、大人たちが使うこのいかにも根拠がなさそうなデタラメっぽい方言をユモーラスかつ不思議に感じていたのだが、あるとき、その由来について結論を出した。

これは標準語の「いや」の転訛なのだ。奥州市で「じゃじゃ」を使うときは、たとえば他人の家に遊びに行って思いがけず料理を出されたときなどに「じゃじゃー」と恐れ入ったように言う。あるいはまた、誰かが酒酔い運転で警察に捕まったと聞いたときなど「じゃ、だらしない奴だな」などと言う。そしてこれは子供はあまり使わない、どちらかというと分別臭い大人の言葉である。このときに我々が体感するニュアンスは、標準語の「いや」あるいは「いやいや」にかなり近い。音にも共通点がある。だから私は「じゃ」は「いや」が訛ったものだと結論づけていた。「いや」と同じだから「じゃ」と1回だけのときもあるし「じゃじゃじゃ」と3回言うときもあるし「じゃー」と伸ばすときもある。

もちろん、これまでこんな「学説」を披露する場はなかった。奥州市以外で使われているかどうかもわからない方言の由来を解説する場などあるわけもない。

「あまちゃん」で役者たちが使う「じぇ」の発音の仕方にはとても違和感がある。何の感情もない音をただ発しているのでとってつけた無意味な言葉に聞こえるのだ。「いや」と同じつもりで発音をすればより自然になるものと思われる。標準語で「いや」「いやいや」と言うとき、ちょっとあごを引いて下の前歯を出すように下唇を横に広げ気味にするだろう。音程も少し下げ気味になる。「ゲゲッ?」のように尻上がりに発音することは絶対にない。そういうところも含めて私は「じゃ」が「いや」と同じものであると結論している。

「じぇじぇ」についても同じ起源かどうかは、久慈に知り合いがいないのでなんとも言えないが、さてどうだろうか。

編集者の仕事

卓球王国の私の連載の担当編集者の渡辺友くんにはいつもお世話になっている。自分でもちょっと面白くないけどまあいいか、なんて思って原稿を送ると大抵はちゃんと修正依頼が来る。それで、直すと必ずグッと良くなるのだ。もちろん、直すのは私自身なのだが、やはり自分で書いたものはどこが悪いのかなかなかわからない。

来月号には通常の連載とは別に、世界選手権パリ大会の原稿もあるのだが、そのどちらにも修正依頼が来た。メールの文面を抜粋してみよう。

「真ん中らへんの「たとえばここに~・・・~適ったものではない。」の2段落がサービスの重要性への導入と考えると、なくても良いかなと感じました。最後のほうの「サービスの威力~」と「ところで、」の段落が、両方とも、おだやかな正論という感じで印象に残りにくいのでどちらかに比重を置いて、もう少し乱暴に主張しても良いと思います。あと、全体の「試合に生きる練習をしよう」といったお話は他の人でもちょこちょこ聞く話題なのでもう少し条太さんならではの、さらなる掘り下げがほしいです。」

「まず全体的にちょっと説明的で、間延びした感がありました。いつもより展開に抑揚がないなという印象です。特に序盤で、どれほどマーサンがおかしな人なのかが、伝わりきれてないので、もう少しイメージしやすい描写がほしいです。」

という具合だ。なんと具体的かつ詳細な要求だろうか。私が今回嬉しい賞をいただけたのも、このような指導のおかげである。友くんには私から「もう一人の柳澤太朗賞」でもあげたいほどだ。

なお、以前もブログにこのようなことを書いたところ、友くんから「本当は怒っているのですか?」と心配をするメールが来た。そんなことはないので安心してもらいたい。ただ、今回の直しからちょっとだけ逃避してこのようなことを書いているだけなのだ。

こんな顔してまったくなあ。編集者の役割は大きい。

日本表彰協会から受賞!

なんと私がこの度「日本表彰協会」という団体から「もう一人の荻村伊智朗賞」という賞をいただけることになった。この日本表彰協会というのは、ウエブサイトhttp://ameblo.jp/nihon-hyosyo-kyokai/によると「各界の凄い人たちに勝手に賞を送らせて頂く世界初の協会」だそうだ。協会メンバーには3人の放送作家さんの名が連ねられ、その中の一人が卓球ファンらしく、これまでに表彰した47人のうちに、松下浩二さんと吉田海偉さんが入っているという(笑)、極めて偏った協会のようである。

賞状に書いてある私の表彰理由は「日本最強の卓球コラムニストとして膨大な知識と卓越した思考でファンを楽しませ、更に日本卓球の浮揚にも寄与する数々の提言を放ち、そしてあの劉国梁に『勇敢な屁』までブチかましたその姿へ表彰します」とある。そしてそのウエブサイトには私についての論評がきっちりと書いてあるのだが、それが素晴らしかった。

私はここまで他人に褒められたことは人生で一度もないと思う。また、単に褒めるだけではなく、この論者が私がこれまで書いてきたことを隅から隅まで読んで頭に入れていることに本当に深く感動した。もちろん、放送作家だから、頭に入れているだけではなくてそれを表現できる能力があるからこういう論評になったわけだ。そういう人にも褒められたということも嬉しい。

これからも期待を裏切らないようもっともっと面白いことを書いていきたいと思う。

Let’s Do Japan

先ほど仙台の自宅に帰ってきました。

パリのシャルルドゴール空港の壁に、Let’s Do Japanと書いた宣伝があった。日本へ旅行をすることを勧める宣伝だと思うが、まったくもって絶望的な誤解をされそうな宣伝である。

日本中探しても、こんな服装の奴らはいないと思う。

速報ブログ開設

速報ブログが開設されたのでご覧ください。これから世界選手権が終わる5/20までは速報ブログに書いていきます。

https://world-tt.com/ps_info/ps_report.php?bn=143

ただし速報ブログにはコメントを書く機能がないので、コメントは今ご覧になっているこちらの通常ブログの下の「コメントをどうぞ」のところにご記入をお願いします。ご不便をおかけします。

いよいよパリ

今朝、ヤフーのニュースを見ていたら「愛 新ネイルで出発」と福原選手がパリに発つことが書いてあった。

パリ行きの前でいろいろと忙しくブログが更新できなかったが、いよいよ私も明日、パリに発つ。現地からの速報ブログが間もなくトップページにできると思うので、明日からはそちらからリポートしますのでご期待ください。

温泉卓球大会

知人から楽しい情報が届いた。「おむすび丸しゃもじ温泉卓球大会IN宮城」だそうだ。仙台・宮城観光キャンペーン推進協議会というところが主催していて、一定期間内に宮城県内の温泉の対象旅館に泊まることを条件にして、近くの体育館で卓球大会を開催するという。

ラケットは会場で渡されるしゃもじで、宿泊している旅館の浴衣姿が条件らしい。当然、そのしゃもじに勝手にテナジーなど貼ることは禁止だし、ブースターなどもっての他だ。試合はダブルスのみで、各大会、先着30ペアだそうだ。なんだか映画『卓球温泉』を髣髴とさせる。

もちろん私は見に行ったりはしないが、こういうことに卓球が使われるのは本当に嬉しい。他のスポーツではできない企画だ。参加者が足りなくてホテルの従業員や運転手さんまで駆り出される事態にならないことを願う。

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http://www.sendaimiyagidc.jp/poster/cp2013/syamoji2013.pdf