今年も世界選手権の速報をすることになった。
タイトルは「世界卓球東京チキータ 伊藤条太のそんなバナナに私はなりたい速報」だ。
https://world-tt.com/ps_info/ps_report.php?bn=152
ま、タイトルなどどうでもよいが、楽しみにしていて欲しい。速報にはコメント機能がないので、コメントはこちらにお願いします。
今年も世界選手権の速報をすることになった。
タイトルは「世界卓球東京チキータ 伊藤条太のそんなバナナに私はなりたい速報」だ。
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科学の歴史の汚点のひとつにN線事件がある。
ある科学者が新しい放射線としてN線を発見したのだ。これをある条件で火花に当てると輝きが増すのだという。当時はその輝きを測定する方法がなかったので、人間が目で見て判断をしていた。それが発表されると「自分も確認した」という科学者が続出し、300もの論文が書かれたが、ある科学者がどうしても再現できず、N線の発見者のところに出向いて実験をしてもらった。そこで実験者に内緒でN線の通り道に障害物を置いたり外したりしたところ、実験者が感じる火花の輝きは、まったくの思い込みによるものであることがわかったのだという。その公表によってN線は存在しないことがわかり、人間の思い込みの危険さが記憶されることになった。しかし当の発見者だけは生涯N線の存在を信じ続けたという。
現代でも、新薬を評価するときには患者の半数に偽の薬を与え、患者にも診断をする医者にもどの患者が偽の薬が与えられたかがわからないようにする二重盲検法によって薬の効果を判断する。思い込みによる影響を排除するためだ。
科学者や医者でさえそうなのだから、オカルトがかった芸術家たちが思い込みの影響を受けないわけがない。受けるに決まっているのだ。その思い込みは300年以上という時間と高額な金をも費やすほどだ。ブランドテストによって差がないと証明された後でもなおストラデイバリウスの価値が揺らいでいないことがそれを証明している。論理的思考をする科学者ならこういう証明をされたら考えを変えるが、芸術家は論理よりは思い込みの方が勝って、信念が変わらないのだろう。また、それほどの思い込みがなくては一流になどなれないのだ。スポーツ選手も同じである。
なので、我々外野は、社会や自分自身に無害な思い込みは放っておいて、害が及ぶときだけ「それは思い込みだから違う」と指摘するしかないのだろう。
昨夜は、会社を辞める人を卓球部として送る送別会だった。
当然、卓球の話ばかりだったのだが、例によって3番弟子の小室が卓球狂ぶりを発揮していた。一人暮らしをしている後輩を気遣って「飯はどうしてるの?」と質問をしたのだが、その時の彼の手はしっかりとペンのバックショートの形をしており、話の内容とまったく一致していないのであった。あまりに面白かったので、その場で再現をしてもらった。とても食事の用意について質問をしているようには見えない。
他に面白かった話題は、他のチームの選手で、サービスの時に奇妙な儀式をする人がいるという話だ。私もその人は見たことがないのだが、聞いたところによるとその儀式はざっと次のようなものだ。
まずボールを拾ってくるのだが、一度そのボールは短パンの左ポケットに入れるらしい。そしてコートにつくとまず左手を台の表面にこすって汗をぬぐう。このためにボールはポケットに入れてあるのだ。それでボールをポケットから取り出して構えに入るのだが、ボールを手に乗せたままなぜか手を体に近づけたり遠ざけたりを何往復かするのだという。次に手を顔の高さまで上げていよいよトスするのかと思いきや、また台の高さにまで下げてそこからトスをしてやっと打球するのだという。これを一度や二度ではなく1ゲームに10回、それを5ゲームも続けられた日にはたまらなくイライラして、それだけで精神が乱されて負けてしまうこともしばしばだという。最初は「奇妙だな」と思うだけなのだが、試合が進行するにつれてその動作は念入りに遅くなっていくように感じられ、とても我慢できるものではないそうだ。しかもレシーブの構えの時にはお尻をクイックイッと左右に振るのだそうだから、その不愉快さたるや想像するに余りある。
あまりに面白い話なので、今度試合を見に行こうと思っている。
ちなみにその人はわざと相手をイライラさせようとしてそんな儀式をやっているのではないそうだ。そんなことをしなさそうな、とっても良い人なのだそうな。卓球界は広い。