先のテレビ番組で、マンガとは別に、戦型についての解説があった。
それによると、イオニスが「カットマン」なのは良いとして、許 昕と福原愛が「前陣速攻型」、水谷と松平健太が「現在主流のオールラウンド型」だそうな。
誰に聞いたそんなこと(笑)。
確かに卓球の戦型は分け方がいろいろある。前陣速攻とは文字通りには台の近くに陣取って早く攻撃する戦型ということになるが、歴史的には、中国で主流だった、ペン表ソフトを使った攻撃選手を指している。対して裏ソフトを使った攻撃選手はほとんどがドライブを主用するのでドライブ主戦と呼ばれ、これが現在の主流で、男子においては95%以上の印象だ。水谷も松平もドライブ主戦だ。
要するに、実質的には表ソフトを使った攻撃選手が前陣速攻型、裏ソフトを使った攻撃選手がドライブ型なのだ。他には、前進回転ボールに対してカットを多様するのがカット型、台の近くに陣取りツブ高またはアンチを多様するのが異質型だ。分け方が打法だったり用具だったり位置だったりして統一感がないが、これから外れるケースがないので十分なのだ。前陣カットマンやツブ高ドライブ型、裏ソフトなのにドライブをしない攻撃選手はいないのだ(弱くてもいいならいるだろうが、それはいるうちに入らないことは言うまでもない)。
福原はバック面に表ソフトを貼っているので、バック側は前陣速攻、フォア側はドライブ主戦であり、これをひとことで言う戦型は確立していない。あえていえば異質攻撃型とでも言おうか。あるいは「バック表」とかなんとか言っているわけだ。とはいえ福原は台から離れないので戦型を字義どおりにとらえれば前陣速攻と言っても間違いとは言えず、目的に応じて好きなように言えば良いだろう。
これに対して許 昕は、両面とも裏ソフトであり、台の近くどころかアホみたいに台から離れて空恐ろしいドライブを放つわけだから、まかり間違っても前陣速攻ではない。今どき珍しいほどの純粋なドライブ型だ。許 昕がドライブ型ではないのなら、この世にドライブ型は存在しない。それくらいのクドいほどのドライブ型なのだ。クドいのは俺か。
番組では、はっきりと許 昕を前陣速攻だと言ったわけではないが、前陣速攻の説明をしながら許 昕の映像を流したのだからそう言っているのと同じである。ネットプレーを映したところが頭を使ったところだ。さすがに中陣からドライブを打つ場面は使えまい。ペンの中国人なら誰でもよかったのだろう。許 昕もナメられたものである。もっとも、現代の世界の男子には前陣速攻などいないも同然なので、そもそも探すこと自体が無理なのだ。
それはいいとして、問題はオールラウンド型だ。字義通りには何でもやれる戦型ということだが、歴史的には、ある特定のスタイルを意味していた。
それは昭和17年に発行された福士敏光の『卓球』という本に詳しく書かれている。
卓球は明治35年に日本に伝来したが、それから20年ほどの間に日本では3つの打法が確立した。フォアハンドによるトップスピンを意味する「ロング」、現在のブロックを意味する「ショート」、そして現在と同じ意味の「カット」の3つだ。
当時の日本卓球界では、一技完成主義の民族性のためか、この3つの打法のうち1種類だけを使って試合をするのが理想とされていた。今から考えると冗談にしか思えないが、まだラバーがなくて木のラケットで打球をしていた時代だったからそれが可能だったのだ。
かくして、カットマンは延々とカットをし、ショートマンは延々とショートをし、ロングマンは延々とフォアロングをしていたわけだ(軟式のためボールが遅く台の幅も狭かったのでオールフォアが可能だった)。
オールラウンドという戦型は、そういう一技完成主義の対立概念として生まれた。
つまり、ロングマンのくせにときどきショートをしたりツッツキをしたりバックハンドを使ったりすることが「オールラウンド」と言われたのだ。
ちなみに、娯楽段階においてはいろいろな打法を併用するのが自然だが、それはオールラウンドとは言わない。ただの遊びだ。
「何でもできる」ということは、あるレベルを前提とした場合には「何もできない」と同じ意味なのだ。「オールラウンド」という言葉はそういう重みをもつ。
そういう考えに立って福士は、一種類の打法だけで試合ができる技術を習得した上で他の打法も使って試合をする戦型を「純正オールラウンド」、一つも極めないで複数の打法を使って試合をすることを「不純正オールラウンド」として、後者を「昨今の選手の傾向」として徹底的に批判している。
その理由として、技術に深みがないとか、思想上の誤謬があるとか、信念の欠如とか、無茶苦茶に書かれていて実に味わい深い。さすが東大法学部卒だ。
それで、この福士自身の卓球がどういうものかというと、
これだ。
さすが東大法学部卒(笑)。
話が長くなったが、卓球界で明確に定義されたことのあるオールラウンドとはこういうことであり、その意味では現在のすべての卓球選手はオールラウンドなのだ。もちろん福士の嫌いな「不純正オールラウンド」であることは言うまでもない。
すべての卓球選手にあてはまるのだから、ある選手をオールラウンドと言うことに意味はない。
もしも現代において「オールラウンド」という言葉を意味のあるものとして使うなら、それは、カットと攻撃を半々にできる選手がいた場合だろう。ショート(ブロック)は誰でもやるが、カットと攻撃は、用具と立ち位置が互いに対極にあって両立が困難なものだからだ。
カット型は攻撃を抑えるために弾みを抑えて面積の大きいラケットを持ち、台から離れて構える。攻撃型はその反対だ。
試合ごとにラケットも立ち位置も変えて戦うことは理屈の上では有り得るが、高度に専門化された現代卓球ではそういう選手は存在しない。世界一攻撃が上手なカット型、朱世赫(韓国)でさえやはりカット型なのだ(どうしても誰かをオールラウンドと呼ぶ必要があるのなら彼こそその第一候補だ)。
オールランドはあまりに難しいため存在しないのだ。キャッチャーミットを持って外野を守ることが無理であること、あるいはもっと広く、プロ野球の選手でありながらマラソンの世界記録保持者であることが困難であることと同種の難しさなのだ。
いずれにしても、どのような意味であれ水谷と松平健太がオールラウンド型だという話は卓球界のどこにも存在しない。
NHK、いった誰にこんなことを吹き込まれたのだろう。気の毒なことだ(笑)。
ちなみに、1952年ボンベイ大会の説明のところで流れていた映像は明らかにボンベイ大会のものではない。なにしろアナタ、画面に映っている荻村伊智朗、村上輝夫、江口冨士枝、松崎キミ代のうち、ボンベイ大会に出た者はひとりもいないのだから一目瞭然だ。この映像は江口と松崎の両方が出た唯一の世界選手権、1959年ドルトムント大会のものだ。
まあ、ボンベイ大会の映像などないのだろうからこれは仕方がない。