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予知能力の証明

インターネットが普及して、私がかねてから注目していたあることが明らかになった。

それは、予知能力がある人などいないことだ。インターネットが普及する前なら、どこかに予知能力がある人がいても、それを事前に発言したことを証明する方法は極めて限られていた。予知内容をマスコミに送っても相手にされるとは限らないし、マスコミもグルになって「確かに事件の前に予知を受け取った」と口裏合わせをする可能性も考えられる。

しかし、今は誰でもインターネットを使えば自分のブログだろうか他サイトへの書き込みだろうが気軽に予知ができて、しかもいつ書きこんだかもほぼ疑いなく証明できるのだ。

もし自分に本当に予知能力があったら、それを証明するのは簡単なことだ。どこかに書き込めばいいのだ。誰にもじゃまされることはないし、何の問題もない。よく自称・超能力者が「本当に予知できるのならどうしてギャンブルで大儲けしないのか」と聞かれると「私利私欲のためには能力は働かないのです」とごまかすが、そんなもん、儲けたお金を全額どこかに寄付するとか宣言してやればいいだけのことだ。

それでも今のところ、そのような予知で予言を的中させた人は現れていない。すべて事後に「予知していた」と証明不可能な申し出をするだけだ。

これがとりもなおさず、この世に予知能力者などいないということを明確に証明しているのだ。

卓球テレビ放送のコレクション

私が撮りためた卓球に関するテレビ放送のリストを自慢させてもらおう。

「スポーツ大陸」とか「知ってるつもり?荻村伊智朗」とか愛ちゃん特番などの、1時間近い番組はそれぞれ別のDVDに録画してあり、あくまでこれはバラエティやニュースで瞬間的に卓球が出てきたときの映像コレクションだ。ここまでしている人は他にいないのではないだろうか。96年アトランタ五輪の開会式でワルドナーがスウェーデンの旗手として歩いている2分間の映像や、四元が「トリビアの泉」に出た映像もある。まいったか!

しかし仙台はテレビ東京が映らないのでそれはないし、アメリカに行っていたこの3年半は、大きな番組を人に頼んで撮ってもらった以外はほとんど録画できなかった。悔しい。

卓球の的当て

卓球選手がバラエティ番組などに出ると、ときどき、そのコントロールの正確さを表すデモンストレーションとして、相手コートに置いた的に打球を当てるというのがある。

いつもこれで不思議に思うのが、一球だけしかやらないことだ。一球しか映さないのなら、そんなもん、当たるまで何回も撮影すればいいだけなのだから、本当にコントロールがいいかどうかわからないではないか。当てる直前にカメラは切り替わっているので編集も疑われる。もちろん、出演者たちはさも一発で当てたように驚けばいい。

NHKの「アインシュタインの眼」に松下浩二が出たときは、岸川が送ったボールをスマッシュして一発でペットボトルに当てたが、その後、台に置いたピンポン球に対しては、2回外して3回目に当てた。これくらいリアルだと見る気になるのだが、どんなものだろうか。

ちなみに、下の写真は、社内のクラブ紹介用に作ったビデオだが、3番弟子の小室がバックサイドの台の外からコーナーのボールにブチ当てるという、超難易度の高い技の映像だ。当たるまで何回もやらせたことは言うまでもない。やっと当てたはいいが、あまりの嬉しさに笑ってしまった小室にNGを出し「バカ笑うな。さも毎日当ててるような顔をしろ」と厳しく指導したのが思い出される。

超能力捜査官

やっと地上波デジタル放送が見られるようになった。
昨日、9時からの番組で、ナンシーなんとかというインチキ超能力者の番組をやっていた。1982年にある事件の遺体の位置をズバリ当てたそうだが、それから現在までの約30年は何をやっていたのだろう。

いったいどういう人かと思って「ナンシー」で検索したら、以前「テレビのチカラ」に出ていた別のナンシーとジョージ・マクモニーグルについての面白いサイトが見つかった。

「FBI超能力捜査官はアホだ」
http://www.sakusha.net/moromoro/makumoniguru2.htm

明らかにフィクションのドラマに「実在の団体とは関係ありません」などと言わずもがなのことを書くくせに、こんなインチキ番組を何のことわりもなくドキュメンタリー風に放送するとはどういうことだろう。視聴者をだまして視聴率を取ろうという悪意ある意図は明白である。こういう番組のせいでオカルトを信じる人が多くなり、ひいては霊感商法にひっかかったり、間違った信念を持つに至る人がどれだけいることか。

それにしても、身内が殺された人の、藁にもすがる気持ちをいいことにヤラセ番組を作るのが遺族に対する愚弄でなくてなんだろうか。これこそ明白な犯罪行為であろう。こんな蛮行を許しておいて良いのだろうか。いい加減、こういう番組は厳しく取り締まって禁止にしてもらいたいものだ。

長嶋茂雄と江加良

私は、1990年代前半から、テレビのバラエティなどで卓球が取り上げられた映像を細々と撮りためている。そのためにテレビの番組欄は常にチェックしていたし、卓球の文字がなくても可能性がある場合には常にテープに録画しておいて、幸運にも卓球がでてきたら後で別のテープにその部分だけダビングするのだ。

そのようにして撮りためた8枚のDVDの中身を昨日、整理した。
なかなか珍しいものもあって、松下浩二が木ベラで小学生チャンピオンと試合したのなども見つかった。当時は知らないので気がつかなかったが、今みてみると、その小学生チャンピオンとは当時小学5年生の三田村宗明であった。

もっとも貴重なのは、世界丸見えテレビ特捜部で一瞬出てきた、長嶋茂雄と江加良のラリーだ。こんな映像を持っているのは世界広しといえども私ぐらいのものだろう。また、何かの番組で、ソウル五輪決勝の劉南奎と金琦擇のラリーが数秒映ったのもあった。当時、NHKで放送された高いカメラ位置のとは違って、フロアから撮影された超ド迫力映像だ。

誉めてもらいたい。

映画『善人の条件』

『善人の条件』という映画がある。ジェームス三木という有名な脚本家が監督に挑戦した映画なのだが、これはある点で特異な映画である。

写真をご覧いただければそれが分かると思うが、この濃すぎる面々を見て欲しい。
津川雅彦に丹波哲郎、これだけでも「うわ」という濃さなのに、これに小林稔侍、橋爪功が絡むのだからたまらない。写真には写っていないが、イッセー尾形も入っている。
つまりこの映画は、ジェームス三木が、その人脈を使って、普通ではあり得ないような贅沢なキャストで作られた映画なのである。だいたい、小林稔侍と橋爪功という超クセ者を同時に画面に映すなど、自殺行為に等しい。通常、こういう役者は1作品に一人なのだ。この他に柄本明、西岡徳馬、竹中直人を加えて映画を作ったらどうなるだろうか。一度見てみたいものだ。

内容自体は、面白くなくもないのだが、それよりもとにかく俳優陣の濃さに圧倒されて、そればかり強く感じさせられるのだった。

ちなみに、ウィキペディアによれば、ジェームス三木は新人の頃、名前を覚えてもらえず、「ジュース三本」と間違われたことがあるという。

田丸さんの名刺

帰国以来、ごちゃごちゃに本棚につっこんでいた書類をやっと整理し終わった。

その過程でさまざまなものが出てきた。

その中のひとつが、以前雑誌にも書いた田丸諭さんの名刺だ。

なにしろあなた、卓球研究指導家だというのだから凄いではないか。卓球指導研究ならまあよくある話だが、卓球の研究を指導するというのだから、いったいどこにそんなニーズがあるのだろうか。

そして卓球講習会を70回も受講したという肩書きだ。いったい、講習会の受講回数などというものが肩書きたりうるのだろうか。私が田丸さんの記事を書いた後、「自分は受講回数が51回の名刺をもらったことがある」というハガキが編集部に届いたというから、田丸さんはちゃんと受講回数を更新しているらしいのだ。

私がこの名刺をいただいてからすでに3年半経っているから、今頃は何回になったのだろう。全日本でお会いするのが楽しみである。

荘則棟のイラスト

先日、卓球王国編集部に行ったときに『スポーツ上達の力学』という本が目についた。いろいろなスポーツを力学的に分析している本のようだ。

どれどれ、まともなことが書いてあるかなと思って卓球のところを見ると、非常に趣き深いイラストを見つけた。前陣速攻型の打法の紹介なのだが、フォームが荘則棟なのはいいとしても、頭が不自然に禿げ上がっているのだ。

こ、これは・・・引退して20年以上も経ってからの荘則棟ではないか。なぜフォームを説明するイラストで、わざわざ世界選手権を3連覇した選手の、引退後20年もたった姿の、その髪型まで正確に模写する必要があるのだろうか。

もちろん、その理由はわかっている。たまたま手に入れた写真がその写真だったのであり、それが引退してからの姿だと分からない人が描いたからなのだ。そして、この本に関わる誰一人それに気づかなかったのだろう。

まるで、前陣速攻をするためには禿げなくてはならないかのようなイラストで、面白かった。

墓の話つづき

墓の話を読んだ友人から電話が来て、それにまつわることを話した。

その友人は、先日、祖母の7回忌があり、すでに亡くなった父に代わってそれを取り仕切ったという。お坊さんを頼むのは嫌なので、彼が自分で手に入れたお経を棒読みをしたという。参加をしていた親戚たちは「○○らしくていい」と言っていたらしいが、やはり後で方々から不満が声が聞こえてきたらしい。無理もない。素人がお経を棒読みをするくらいならやらない方がマシとも言えよう。

その友人がお坊さんを頼まなかったのには理由がある。もともとその祖母は、あるお寺の檀家だったのだが、亡くなった時には100キロも遠くの家(その友人の叔父の家)に住んでいたこともあって、別の坊さんに葬式を出してもらったのだという。それで亡くなって何回忌だかのときにそのもとの坊さんに頼んだところ、葬式を別のところで出されたのが面白くないらしく「お宅とは縁が切れたと思ってください」と断られたのだという。そんなわけで、その友人は、二度とそんなクソ坊主に頼むものかと思い、今回、自分でお経を上げることにしたのだという。

友人のお経に対して文句を言い出したのは、その祖母を最期まで世話をしていた叔父だという。祖母の生前は、さんざん邪険に祖母を扱い「あの家に帰るぐらいならここで死にたい、殺してくれ」と友人に泣きながら訴えたほどであるのに、死んだ後のくだらない儀式に金を掛けなかったのが不満だというのだから呆れる。

私も友人も、霊魂などないと思っていて、あくまで人間主義なので、そういうまやかしやインチキを人間よりも優先するかのようなバカな話にはとうてい納得できないのだ。