妻が今年のクリスマスカードには4コママンガを描くと言っている。
英語で苦労していると思っていた子供たちがいつの間にか我々よりも聴き取りができるようになっていたという、ほのぼのとしたネタだという。
「未だそんなに上達してないだろ」と言うと、妻は「誇張よ誇張。条太のブログとおんなじ。」と言った。うーん、そんなにウソを書いてるか俺。妻から見るとかなり誇張を書いているように見えるようだ。
*今日の話は間違いなく「誇張なし」だ。
妻が今年のクリスマスカードには4コママンガを描くと言っている。
英語で苦労していると思っていた子供たちがいつの間にか我々よりも聴き取りができるようになっていたという、ほのぼのとしたネタだという。
「未だそんなに上達してないだろ」と言うと、妻は「誇張よ誇張。条太のブログとおんなじ。」と言った。うーん、そんなにウソを書いてるか俺。妻から見るとかなり誇張を書いているように見えるようだ。
*今日の話は間違いなく「誇張なし」だ。
同じく病院の待合室で「少年ジャンプ」を見つけた。こちらでは「SHONEN JUMP」として売られているようだ。値段は「たったの$29.95」とめちゃ高い。日本のように売れないのだから仕方がない。2008年10月号と書いてあったから、月刊なのだろう。
中を見ると、日本と同じようにページもコマも右から左に読むようになっていて、吹き出しの中のセリフだけが横書き英語となっている。目次のページには「この本は右から左に読みます」と注釈が書いてある。
20世紀初めにヨーロッパで日本文化が紹介されたとき「日本人は本を終わりから初めに向かって読みます」と書かれた。単に右から左に読むと書けばよいものを、読者に不思議に思わせようとわざとそんな書き方をしたのだ。いったいどこの国に「終わりから初めに向かって読む」文化があるというのか。どういう脳ミソの構造よ一体、と、この記事を読んだヨーロッパ人は思ったことだろう。
先週は工場の現場に入っていろいろと製造工程を見る機会が多かった。工程を見ながら製造責任者のマイクと神様の話をした。普段、ふざけたジョークを連発する皮肉屋のマイクなら、そうそう神様を信じているわけではないだろうと思ったからだが、甘かった。
まずマイクは、死後の世界はデビッドと同じく1000%信じているという。「どうしてお前は信じられないんだ」というので、「証拠がないからだ」と答えると、「聖書に書いてあるのが証拠だ」とのこと。キリスト教信者のいつもの理屈だ。
するとマイク、「もしかしてお前、進化論も信じてるのか」ときた。「イエス」と答えると、その場にいた製造メンバーを含めた4人が「しょうがないなコイツ」という感じで顔を見合わせて「ハハハ」と笑った。もはや私は完全に哀れな異教徒である。
マイクに言わせると、ビッグバンなどなく、この世は今から4000年前に神様が一度に創ったのだという。科学者が言う、何億年前の証拠も含めて神様が一度に創ったというのだ。どうして神様はわざわざそんな証拠まで創ったのだろうかなどと聞く必要はない。答えはとっくに知っている。「不信心者を試すため」なのだ。これまで何度も繰り返してきた問答だ。もちろん私はこういう議論の危険性をよく知っているので、反論など一切しない。ただ、感心したような顔をして聞き入るだけだ。
これまで何人かの同僚と神様の話をしたが、信じてないという人は一人も見つかっていない。アンケートによれば、アメリカ人の50%ぐらいの人は信じていないはずだから、おそらくこれは南部だからなのだろう。「学校では進化論を教えているし、テレビでも進化論を前提とした番組をやることが多いが、どうしてなんだろう」とわざと聞いてみるとマイクは「科学者たちはいつも声高に主張するからそういう趨勢になるだけのことで、真実を知っている我々はそういうのは聞き流して沈黙しているんだ」とのことだ。
また、興味深かったのは、デビッドもマイクも、自分は信じているが他の人に対しては「うわべだけのクリスチャンが多く、本当に信じていてクリスチャンと呼べるのは半分以下だろう」と言うことだ。彼らの間では信心深いことがモラルになっているので、自分を取り繕うために信じているふりをすることもあるのだ。となると、デビッドもマイクも含め、本当に信じているかどうかわからないということだ。カッコつけるために私の前では信じているふりをしている可能性があるのだ。
ともかくも、なんともありがたい話であった。
先日、子供のローラースケートを買いにトイザラスに行った。ドーサンにもちゃんとトイザラスがあるのだ。私はマジックの道具とかパズルとか、そういったトッリッキーなものが好きで、そういったコーナーをみていたら、面白そうなものが目に入った。
なにやら豚の人形がパッケージされていて、これをどうやって使うのか考えると面白そうだ。しかし説明書きをよく見ると、単に豚の人形をサイコロ替わりに使って遊べというなんとも虚しいものだった。実際に遊ぶと少しは面白いのだろうか。どうみてもつまらなそうだ。なにがMixed Comboだ。
また、ドライブの最中にガソリンスタンドに併設されているコンビニで、殻ごと食べられるように強く揚げたピーナッツが売っていたので買ってみた。初めて見る商品だ。よく尻尾まで食べられるようにカリカリに揚げられた海老があるが、それと同じようなものだ。これは上手そうだと思ったのだが、いくら揚げてもピーナッツの殻のモサモサ感はそのままで(笑)、飲み込みにくく、とても上手いとは言いがたかった。もったいないので、子供には「殻まで食えるんだぞ」と楽しい気持ちにさせて、たらふく食わしてやった。
先日、ネットで面白い写真を見つけた。『ズームレンズ型コーヒーカップ』だ。量産しているわけではなく、一個だけ作ってみただけのものらしいが、なかなか趣き深い。
用具マニア杉浦くんは、卓球用具のみならず、オーディオやカメラにも凝っていて、レンズなど一体何に使うのか分からないが10本以上も持っている。さぞ喜ぶだろうと思ってこの写真を送ったところ、以外にもそっけない返事だった。
彼にとってのレンズの魅力とは「コーティングによって反射が抑えられた深い色のレンズの表面そのものと、そのレンズの鏡筒に対する異様なまでの大きさ、そして金属鏡筒の質感」だそうだ。「見たところこれはキャノンのプラスチック鏡筒なので、まず金属の質感の点で魅力がない。さらに肝心のレンズがないのだから話にならない」そうで、最後に「これでは美人モデルの足の裏や手のひらだけを集めた写真集みたいなものだ」と締めくくった。
そんなこと言われても。彼のようなマニアを満足させるためには、コーヒーカップの底に本物のレンズを使うでもするしかなさそうだ。どうやって使うんだそんなコーヒーカップ。
このブログのゲストブックに、「まさひこ」という友人から卓球王国の写真について質問があった。「このブログは卓球王国のサイトのくせに卓球の話題が少ないので話題を提供してやる」などと書いている。質問は、これらの写真が彼にはあり得ない不自然な格好だというので、いったいどういう理由であんな姿勢になったのかということだ。
まずは馬琳のループドライブの写真だ。ドライブをしているのにどうして膝がこんなに曲がっているのかとのこと。二つ考えられる。ひとつは、ボールのバウンドが思ったより低い、あるいはボールのところまで移動するのが間に合わなかったなどして打点が落ちてしまったため、打点を体に対して相対的に上に来るように膝を曲げたというもの。言うまでもなく、振りの中心は肩なので、あまりに体の下方で打球したらボールを上にこすりあげることはできない。もう一つの可能性は、楽に腕を大きく上に振り上げられるように無意識に体を沈めたというもの。もちろんこの場合は、体を沈めた分だけラケットの上への運動は減殺されるから、効率的ではない(だからこそ楽なわけだが)。一流選手でも疲れてくれば効率的ではないことをすることがあるということだ。左腕が体の後ろに行っているが、これは人間が歩くときの腕の振りと同じなので、それほど不自然には感じない。進化論的に言えば、四足動物が歩くときに前足2本を交互に出すことに由来する由緒正しい動きだ。わずか100年ほどで卓球界が作り上げた「自然なフリーハンドの使い方」などより、よほど自然な使い方だ。
次にフィリモンのスマッシュだが、これはどうみても松下の高いロビングに対してできるだけ高いところで打ち込もうとして飛び上がってスマッシュを打った後の写真だ。ただしちょっと目測を誤って、思ったより体の後ろで打ったもんだから体がそっくり返っている。ジャンピングスマッシュを日常的にしない人からは分かりにくいだろうが、まあ普通の写真だと思う。まさひこもひとつトランポリンでも使ってジャンピングスマッシュを練習してみてほしい。もっともそんなに高いロビングを入れてもらうこと自体、簡単ではないが。
「ジョージ・ハリソン」という名前を書いてしげしげと見つめたら不思議な感覚にとりつかれた。「誰だ?これは」という感じだ。自分の名前や字を何度も見たり書いたりしているとそのうち違和感に取りつかれる、いわゆる「ゲシュタルト崩壊」だ。http://ja.wikipedia.org/wiki/ゲシュタルト崩壊
ジョージ・ハリソンとは、中学2年生のときから慣れ親しんできたビートルズのメンバーの名前である。先日、骨折のため病院に行ったら、待合室においてあった雑誌にどうみても若き日のジョージ・ハリソンと当時の恋人であるパティ・ボイドの写真が載っていた。しかしよく見ると、それはジョージの息子のダニエル・ハリソンだった。あまりにそっくりなので、意識的に似せて撮影しているのだろう。特集のタイトルも、ジョージの名曲「ヒア・カムス・ザ・サン」のSunをSonに変えるというニヤリとさせられる洒落になっている。ジョージは生前、ダニエルに「君は僕よりもジョージ・ハリソンそっくりだね」と言っていたという。何を言ってるんだか。骨折の情けなさを紛らわす小さな楽しみだった。
今週、日本から出張に来ているNさんが高校時代にリンゴ・スターに会った話を聞いた。当時かれは札幌に住んでいたのだが、リンゴがCM撮影のために来日していて、札幌に来たのだという。もちろん極秘にである。ところがあるクラスメートの父親がその撮影の関係者だかで、リンゴが来ることをNさんに漏らしたのだ。Nさんは「絶対に押しかけたりしないからホテルを教えてくれ」と言って教えてもらい、即、別の友人と学校をサボって会いに行ったのだという。Nさんの有無をいわせぬ行動力は高校時代からのものだったようだ。リンゴは気前よく会ってくれて、もって行った手作りのアクセサリーを受け取ってもらったそうだ。うらやましい話だ。
ミュージシャンに会ったのでは、旅行に行ったワルシャワのホテルで、私の前にチェックインしていたのが、トーキング・ヘッズのデビッド・バーンだったことがある。あのデビッド・バーンの後ろに私は並んだのだ! こっちは向こうを良く知っているので、どうしても親しげにチラチラと顔を見て何度も目が合ってしまい、気まずかった。
トーキング・ヘッズは好きだったが、話しかけたりサインをもらったりするほど好きだったわけではないので、相手が有名人だからといってにわかファンになるのはみっともないと思い、結局なにもしなかった。それに、彼から見れば自分は何者でもなく、記憶に全然残らない存在であるのが虚しいという気持ちもあった。相手がジョン・レノンやポール・マッカートニーならそれでもかまわないが、それ以外ではそういうのは嫌だったのだ。やっぱりサインくらいもらっておけばよかったかな。