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アトランタブレーブスのラケット

普段から卓球、卓球と騒いでる甲斐があって、最近は、卓球に関する情報が集まるようになってきた。

その成果の一つが、写真のアトランタブレーブスのラケットだ。ドーサンの野口五郎F君が、野球観戦にアトランタに行ったとき、私が喜ぶだろうと考えて写真を撮ってきてくれたのだ。写真だけ撮って買わなかったところが、踏み込みが足りないところだ。これが会社だから良いようなものの、卓球の名門校なら正座して丸坊主の上、竹刀で叩かれているところだ。

それにしてもさすが娯楽としての卓球大国・アメリカである。アメリカは意外にも卓球台の消費は世界一なのだ。一方で、競技人口の人口比は日本の1/40と大変に少ない。競技者を探すのは、川底から砂金を探すほど難しい。要するに娯楽としてだけ栄えているのだ。

このラケット、現物を見ないとなんともいえないが、国際ルールから外れていることだけは間違いないだろう。なにしろ、打球面のゴムにペイントしてあるものも普通に売られているくらいなので、おそらくこのラケットもブレーブスのマークがラバーに直接ペイントされているはずである。

空気圧点検

車に乗っていると、タイヤの空気圧が不足しているという警告マークが出たので、近くのガソリンスタンドでチェックをしてみた。

ここいらでは、ガソリンスタンドは基本的にセルフサービスで、給油も空気圧も自分でやることになる。

空気圧のところに行って書いてあることを読むと、まずノズルをタイヤの給気穴にあてて空気圧をチェックし、足りなければ75セントを入れて空気を入れろとある。しかし、みたところどこにも空気圧を表示しそうなメーターがない。まさか指で押すわけでもあるまいし、いったいどうやって空気圧を知るのだろうかと思ったが、「やってみればわかるんだろ」と思ってとにかくノズルをタイヤの給気穴に当てた。すると、ノズルと二股に分かれた棒の先からぴょろりとメモリのついた棒が飛び出したではないか。わたしは「あっ」と声を上げた。

車が好きな人にとっては当たり前のことなんだろうが、私はこの新しい発見にすっかり嬉しくなったのだった。

畑、佳境

いよいよ私の菜園も佳境に入ってきたようだ。

当初、雑草かとあやぶまれたトマトは立派に大きくなり、今や二つの実を成し、赤く熟すときを待っている。ただ、何本も生えているのに成っている実が二つしかないのが残念だ。何か理由があるのだろうが、手荒く育てているので贅沢はいえない。

キュウリはあちこちで次々と大きい実をつけているのだが、半分くらいの確率で中に虫が入っている。子供がとってきたキュウリに小さい穴が空いているのをみて嫌な予感がした妻がそれを半分に折ってみると、中に黄緑色をしたゼリービーンズほどの幼虫がのたくっていたそうだ。いきなり包丁で切らなかったのが幸いだ。虫除けの薬などは使っていないので(健康のためではない。めんどうだからだ)、たまたま虫に食われていないものだけをとって食卓にのせている。

問題は大根だ。どうみても病気だか虫だかにやられていて、異常な状態のままなのだが、枯れもせずに育っている。しかし地中に大根が実っている気配がない。大根が育っているなら、少しは地上にその一部がはみ出ていそうなものだが、さっぱりである。そもそも何ヶ月待って掘り起こせばよいのかも知らないので、そのうち気分に任せて抜いてみようと思っている。なあに、まだ早かったらまた埋めてやればいいだけのことだ。

福岡「殺人教師」事件

里帰りをしたときに買ってきた本を読んだ。福岡「殺人教師」事件の真相のドキュメント「でっちあげ」である。

福岡市のある小学校教師が、生徒に体罰など信じられないひどいイジメ行為を行っていたものとして、両親から訴えられマスコミもこれを糾弾したが、じつはこの両親の言い分がデタラメであり、まったくの冤罪だったという話だ。

その教師がそんなことをしていないことは、クラスの生徒や両親に聞き取り調査をすればすぐにわかったことなのだが、校長や人権派弁護団、マスコミはそれをしないままに正義感でこの教師を「殺人教師」として糾弾し、真実は裁判で明らかになっていく。

私はこの事件について何の知識もないので、この本に書いてあることが本当なのかどうかは知る由がない。試しにネット検索してみると、予想どおりのサイトがみつかった。http://www.geocities.jp/kyouiku_hiroba/03/fukuoka-ijime-kyoshi.html
これは「教育を考える」というサイトで、体罰についていろいろと糾弾したりしているのだが、この本の内容こそが悪質なでっちあげであり、この殺人教師を許すわけにはいかない、と主張している。

どっちが本当だろうか。我々はすべての事件を自分で調査するわけにはいかない以上、結局は、他人の書いたものの内容、情報の信頼性、蓋然性、そして自分の信念で判断しているわけだが、最後の「自分の信念」が判断を誤らせる元なのである。事実と信念は何の関係もないからだ。

巻きタバコ

仕事中、室内が冷房であまりに寒いので、屋外の休憩所に暖を取りにいったら、巻きタバコを吸っていた人がいた。巻き紙とタバコの葉がセットになって売られているようで、自分でクルクルと葉を紙に巻いて、最後に紙をぺろりと舐めて糊をくっつけてタバコを完成させるのだ。普通のタバコよりずっと安いのだという。

「フィルターがついていないので、体に悪いんじゃないか」と、本当はどうでもいいことを言ってみると「いや、フィルターの繊維の方が悪いだろ」と言われた。ほんとかよ。

『犬の心臓』『記憶』

また人形俳句写真。

一句

『ネタ切れに ここぞとばかり 人形俳句』 (字余り)

義姉は、左の写真を地面に這いつくばって撮っていたので、小学生に「死んでる、死んでる」とささやかれたという。

関係ないが、2月の広州の世界選手権のときの速報ブログhttp://www.world-tt.com/cgi-bin/rep0802i/rep0802i.cgiが、その後も1日のアクセスが6月、7月平均で約30件あった。実際には300件の日があったり1件だったりでの平均の結果だが、なぜか0件の日は一日もない。いったい誰がどんな目的で見ているのだろうか。愛ちゃんの写真でも見ているのだろうか。

いずれにしてもありがたいことだ。編集部の連中が記録整理のためにアクセスしているだけではないと思いたい。

マジックと超能力

あるとき、松田道弘という人の『超能力のトリック』という本を読んだ。私は小説は読まないが、何かを主張する本は好きで読むのだが、中でも、自分の意見と正反対の意見の本をわざと読んでみたくなる性質がある。それは、その人のロジックに対して自分が対抗できるかどうかという怖いもの見たさだ。もし対抗できなければ転向しなくてはならないが、それも面白かろう。

で、この本のタイトルに反感を抱いて読んでみたわけだ。著者は、超能力というものがあるかどうかは明言せず、ただ超能力と称されるものがすべてマジックでできることばかりであることを淡々と解説していた。さらに、19世紀にイギリスで始まった降霊術が、まさにトリックと密接な関係にあることをも解説していた。

私は超能力や降霊術をある程度信じていたので、非常に不愉快に気持ちになったのだが、どうして自分は信じているのかを考えてみると、単に「その方が楽しい」のと、「ある」という情報を先に知ったからそれを否定されると自分もいっしょに否定されるような気がするだけであることに気がついた。別に自分がそれらの証拠を持っているわけでもないし、経験したわけでもないのに肩入れをしていたわけだった。

松田道弘は大槻教授みたいに「物理的にあり得ない」などとは言わない。ただ、次のような事実を述べるだけだ。

・フーディーニという有名な奇術師が、後半生をかけて、母親の霊と交信しようとして、当時大流行していたイギリス中の霊媒師を回ったが、ひとつ残らずトリックだった。それでもフーディーニは霊の存在の可能性を考え、死に際して秘密の暗号を妻に教えて死んだが、妻がその暗号を霊界から受け取ることはなかった。
・フーディーニがインチキを暴いても、ラップ現象で有名になったフォックス姉妹がそのインチキを告白してもなお、幽霊を信じたい客たちは交霊術を信じ続けた。

さらに他の本を読むと次のような事実がわかってきた。
・ランディというアメリカの奇術師が「本物の超能力を見せることができた人に1億円の賞金を出す」というテレビ番組で、これまで何人もの挑戦者と対戦したが、ひとりの超能力者も見つかっていない。
・ランディが、科学者が組織する超心理学研究所に、弟子の手品師を送り込んで3年間に渡ってトリックによる超能力を演じ続けたが、一人の科学者もそれを見抜けなかった。

超能力や降霊術がインチキだとすれば、それはトリックがあるのだから、トリックに精通していなければ検証は不可能だ。よく「あれは手品では不可能だ」と言う人がいるが、そういう人に限って、手品のトリックを知らない。そもそも不可能に見えることをするのが手品なのだし、タネのわからない手品などいくらでもある。不可能に見えるというだけで信じてくれるのなら詐欺師にとってこんなありがたいことはない。超能力だけは「この目でみたから確かだ」ではなくて、この目で見ても、何度も検証するまでは決して信じてはいけない。それほどトリックの世界は奥が深いのだ。

もちろん、これだけで超能力や霊魂を否定することはできない。それはこれから発見されるかもしれない。でも、発見もされないうちから「あるはずだ」と考える理由は何もない。可能性があることと、事実であることの間には絶望的な距離があるのだ。

少なくとも、これまでの情報では、私は霊魂や超能力を信じるわけにはいかない。検証に耐える事例がただの一つもないからだ。証拠が出てきたら喜んで信じようと思っている。

マジックショー開催

会社にお客さんが20人ほど来て、先ほどその歓迎パーティーに出てきたところだ。そこで、余興として頼まれていたマジックショーをやった。2週間前にドーサンで初めてやって、私のマジック歴で最高にウケて味をしめ、今回が2回目となる。仙台にいたときから忘年会などでやってはいたのだが、イマイチ受けはよくなかった。ところが、ドーサンに来てからはとてもウケがいい。

それは、思い切って、ある方針変更をしたからだ。マジックの途中でわざと間違えたふりをしてタネをばらし、ウケを狙うようにしたのだ。マギー司郎などがよくやる手だが、これが、見ている人にはとても楽しいらしい。これまでは、どうしてもそういう演出には抵抗があったのだが、やってみると楽しい。こんなことならもっと早くやるんだった。

ともあれ、マジックは、言葉がわからなくても楽しんでくれるので、とても便利で心強い。

お客さんの中に博士号を持っている人がいて、ショーが終わった後にすかざすタネを確かめに来たのは可笑しかった。さすが博士。

私が手品に興味を持ったのは父の影響だと思う。小学校のときにいろいろと手品を見せられた。マジックセットを買い与えられたこともある(しかし説明書きが理解できず、ひとつもできなかった)。同時に、マンガなどの影響でオカルトにもはまっていたので、高校ぐらいまでは、それぞれ別のものとして興味を抱いていた。両者が抜き差しならぬ関係にあることが分かってきたのは、恥ずかしながら大学も卒業しようという頃であった。

ブログ一周年

このブログを始めたのは昨年の7/25なので、ほぼ一年が経ったことになる。編集長の今野さんから「何を書いてもいいし好きなときに書けばいい」と言われて始めたのだが、自分の日記代わりにもなり、結構楽しい。

日常経験したことをウソにならない程度になるべく面白く書くようにしているのだが、時事ネタはほとんど一つもないので、実はいつのものを読んでも同じことなのだ。そういうわけで、更新されてないと思ったときは、過去のものでも読んでくれればいいと思っている。昔から読んでいない人は、ぜひとも遡って読んでみてください。

下欄のnextというところをクリックすると少しづつ過去の文章が読めるのだが、一気に遡りたいときには、上に出るURL、http://www.world-tt.com/cgi-bin/weblog/itohjohta.cgi?page=10
などの最後の数字を10の代わりに240などと入れてやれば一気に遡ることができる。お試しあれ。

また送別会

土曜に、4年の刑期を終えて帰任することになったOさんの送別会があった。私が赴任して1年半経つが、その間に見送った人はこれで6人になる。私より後に着任した人は2人いて、まもなくあと2人が来ることになっている。こうして次々と入れ替わっていくわけだ。人生である。

恒例で、二次会ではほとんどの男性がプールに投げ入れられた。どうも私以外は最初からそのつもりで着替えを持ってきていたらしい。プールの水は昼の熱でまるで風呂のように温かかったが、上がった後に続いた飲み会がなんとも寒かった。

写真は、ドーサンの野口五郎、F君と、毎度出たがりの宮根さんだ。宮根さんは、人形俳句写真に関心をよせてくれる奇特な人なので大切にしなけらばならない。宮根さんは関西出身。そこでも宮根というのは珍しい名字であり、なおかつ韓国語で「ミヤネ」は「すみません」という意味なので、韓国のホテルにチェックインしようとすると「いらっしゃいませ」「ミヤネ」「はい、いらっしゃいませ」という調子で話が進まない、というのが彼得意のネタである。

そう思って『冬のソナタ』を見返すと、確かにユジンが「ミヤネ」「ミヤネヨー」などと言っているのを発見して嬉しい。

帰任するOさんは、我が家に卓球をしにきてくれた数少ない一人だ。今回、帰任するにあたって、私に思わぬプレゼントをくれた。なんと、UFO関連のDVD5枚組10時間分だ。最近、複数の人から「宇宙人だろ」などと言われることがあって、何か激しく誤解されているような気がするのだが・・ともかく、ありがとうございます!