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『ウィー・アー・ザ・ワールド』

80年代中頃、ロックによるチャリティーイベントが大流行した。もともとロックによるチャリティーはあったが、80年代の流行は、ボブ・ゲルドフというロック・ミュージシャンがアフリカの飢餓を救おうということでヨーロッパのミュージシャンを集めて『バンド・エイド』というプロジェクトを結成したのがきっかけだ。その後、アメリカにも飛び火してUSAフォーアフリカというプロジェクトができ、「ウィー・アー・ザ・ワールド」という曲を発表してヒットさせたり、「ライブ・エイド」という、イギリスとアメリカで同時チャリティーライブ中継をやったりした。私もポールマッカートニーが出るのを待って徹夜をしたものだ。ザ・フーの出番で、せっかく伝説的なカリスマ、ピート・タウンゼントが出てきてギターのチューニングをしているのに「まだ曲が始まらないようです」などといってカメラが切り替えられ、スタジオの南こうせつの解説を延々と映されたときには本当に腹が立った。当時は、ロック・ファンのニーズを日本のテレビ局はまったくわかっていなかったのだ。

まあ、どっちにしても私はこういうロックによるチャリティーもそれに参加している大半のミュージシャンにも発表された曲にも興味がなく、極めて否定的なのだが、イベントの大きさには感心し、例によって物まね写真を撮った。

場所は、大学の授業が終わった後の教室だ。いかにも楽しそうに歌ったり踊ったりしているように見えるが、すべて写真のための演技だ。何も歌ってなどいない。そして問題は、ここに写っている人たちの大半と私は特に親しくもないということだ。日ごろから「色が黒くてライオネルリッチーに似てるな」(右端の助教授)とか、「あごが長くてスプリングスティーンに似てるな」などと思って目をつけていた奴らをあちこちからひっぱってきて、適当なことを言って撮影をしただけなのだ。もちろん、その写真をどうにかするわけではない。ただ私のアルバムに貼っただけだ。

当時は今にもまして分別のつかない無駄きわまりない情熱があり、今ならとてもやる気になれない勝手な振る舞いをしていた。思い出すのも恥ずかしい。

目、光りすぎ

よくカメラでフラッシュを焚くと、目が赤く光ることがあるが、Tくんの光り具合は少し異常だ。その光量といい、頻度といい、鮮やかさといい、赴任者の中では随一だ。色も赤だけではなくて黄色とか緑のこともある。特別目が大きいわけでもないしカメラのほうを向いているわけでもないのに、いつも明らかに他の人より異様に光るのだ。

瞳孔が開きっぱなしなのか、網膜の反射率が他の人と違うんだと思う。この特殊な能力を活かせることはないものだろうか(どうみてもなさそうだが)。

どこがアメリカだ?

2,3日前、隣町のエンタープライズというところにある、韓国人が経営する農園に行ってきた妻が興奮して帰ってきた。「条太の実家そっくりだったよ!」とのこと。

いくら農園だといってもここはアメリカだ。岩手の農家と同じわけがないと思ったが、写真を見るとたしかにそっくりだ。農機具、ビニールハウスなどそっくりで、あきれたことに作業している人の服装まで私の母と瓜ふたつではないか。
妻が興奮して帰ってきたのもわかる。

そこでは、セリ、ニラ、葱、トマト、春菊、大根、日本風のきゅうりや茄子、しそ、生で食べられる卵(アメリカでは珍しい)、秋には甘柿、栗などが直売されているとのこと。
ドーサンから車で一時間近くもかかるのだけが残念だ。

新旧交代

先週、また新しい赴任者が日本から来た。Kくんといって、まだ20代の若者だ。さっそくみんなで空港に迎えにいって、その足で「ホワイトハウス」と呼んでいる会社の宿泊所で宴会を開いた。このホワイトハスス、幽霊が出るので近所の人も知っているほど有名なのだが、その話はおいておく。

立って挨拶をしているのがKくんで、その左隣が、5年の勤めを終えて来週帰任することになっているEさんだ。Eさんは以前も7年もここに赴任したことがあり、合計で12年もドーサンに住んだつわものである。どうしても顔を写して欲しいといって不自然にこちらを見ているのがビートルズ(ビーチボーイズも)狂の宮根さんだ。

宴会の様子を見るとまるで運動部の合宿のようだが、まさに赴任とはそういう感じだ。ぞれぞれに日本から使命を与えられて来ているのだが、仕事がいつも上手くいくわけもなく、さまざまな辛酸をなめながら互いに励ましあう、いわば戦友のようなものだ。もちろん日本も恋しいがドーサンにも愛着がわく。みんな帰任するときには嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになるのだ。

宴会では、何の話からか忘れたが、納豆の話になった。納豆など話にも何もならないと思うとそうでもない。実にいろいろな考えがあった。
まず、岩手県花巻出身で家中で納豆を食べていたのになぜか自分だけは納豆が嫌いだという人がいた。一方で、宮根さんは関西出身だが、入社して東京に住んでから納豆を食べられるようになったという。またある人は、納豆を食べるときにご飯茶わんが汚れるのが嫌で、ご飯の中央にだけ納豆をのせて決して納豆が茶碗に触れないように巧妙な箸使いをして食べるのだという。別に洗う都合を考えてのことではなく、ただ嫌なだけだという。かと思うと、納豆を決してご飯と混ぜず、器から直接食べるという人もいた。口の中でご飯と混ぜるのだという。理由は、納豆を使った箸が他の食物に触れるのが嫌なためだという。さすがに、ご飯を食べずに納豆だけ食べるという人はいなかった。
私はそんなこだわりは何もないが、ただ納豆が口のまわりについて痒くなるのが嫌だと思うくらいだ。

学生時代、研究室の先輩に変なこだわりのある人がいた(9/15の耳クソ鼻クソを食う先輩とは別)。いろんな味が口の中で混じるのが嫌で、おかずは必ず順番にひとつづつ食べ切ってから次のおかずを食べるのだと言って、しきりにそれを主張していた。さらに、ご飯と比較しておかずを多く採ることを推奨していたのだが、その理由が「ご飯なんか食ったってクソが出るだけだ」と言うものだった。「どういう意味ですか」と聞く気にはとてもなれなかったこの名セリフが今でも心に残っている。

レット・イット・ビー

今日は、日本でもっとも売れたビートルズのアルバム『レット・イット・ビ』を紹介しよう。録音は『アビイ・ロード』より先なのだが、あまりに出来が悪くて一度ボツになって後から発売されたためにラストアルバムとなった。

ビートルズファンの間では、企画アルバムを除いてもっとも評価の低いアルバムだが、日本では「レット・イット・ビー」が入っているためにもっとも売れたアルバムとなった。「レット・イット・ビー」「ゲット・バック」「アクロス・ザ・ユニバース」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」といった名曲が4曲も入っているのにもっとも評価が低いアルバムなのだから、考えてみれば贅沢な話だ。

アルバムジャケットも一般にはかっこよくないとされているが、私はこれをかっこいいと思い、高校時代にノートの端にボールペンと色鉛筆を使って描いた。例によって、リンゴ・スターだけはクラスメートの似顔絵にしてある。どれもこれもふにゃふにゃに構図が歪んでいるところに、我ながら味がある。

せっかく描いたのに、あるとき電車の中におき忘れて失くしてしまい、たまたま白黒フィルムで撮影してあったこの写真だけが残された(日本盤レコードの帯まで作ったのに・・)。

トロフィー

職場の日本人たちのゴルフ大会のため、担当の人がトロフィーを用意している。トロフィーの専門店がドーサンにもあり、そのカタログを見ていたので、卓球のトロフィーが載っているかどうか見てみた。あまりにもかっこいいのがあった場合、もちろん買う。「トロフィーをもらうのではなくて買うのか」と言われそうだが、それが趣味というものだ。

それで見たのだが、ページをめくれどもめくれどもアメリカンフットボールと野球ばかりで、卓球のたの字も出てこない。「卓球のトロフィーは売っていないのか」とあきらめかけたころに、たったひとつトロフィーを見つけた。なんともひどいフォームだ。ラケットの形もウチワみたいでおかしいし握り方もおかしい。こんなボーリングの球を投げるような格好からいったいどこにどんなボールを打とうというのか。試合で勝った報酬がこれとは情けなくて泣きたくなる。

しかも同じページに載っているスポーツは、ダーツ、釣り、馬術、卒業(!)などという目も当てられないマイナーな競技ばかりだ。だいたいEagleってなによ。鷹匠がアメリカにもあるとでもいうのか?

このカタログにはトロフィーの他にメダルも載っていた。卓球のメダルならこれは欲しい!それでドキドキしながら探したが、チアリーディング、ポーカー、料理まであるのに、卓球のメダルはなかった。

悔しくて屁も出ねえ。

(このセリフ、意味がわからないんだが、小学校のころ隣の家の兄ちゃんがよく使っていてお気に入りなのだ)。

KOBE

何ヶ月か前に、ドーサンに新たな日本食レストランKOBEがオープンした。KOBEといっても、神戸牛があるわけではなく、よくある寿司をメインとしたレストランだ。アメリカ生まれの日本人が店長らしく、「日本の味を大切にします」などとしきりに挨拶をしてくる。この店長、ちょっと話すと普通の日本語なのだが、宮根さんは帰り際に深々とおじぎをされて「じゃあね」と言われたらしい。

写真はこの店のカクテルのメニューだ。ブラッディ・マリーとかシンガポール・スリングなどという普通のカクテルもあるのだが、中には「ブルー・ニンジャ」「トーキョー・ティ」「カミカゼ」などといった、いかにも怪しいカクテルがある。この店のオリジナルなのか、意外とアメリカでは定着しているのかは不明だ。

学生時代に山形のスキー場近くに珍しい名前のカクテルばかり出す店があった。ためしにみんなで注文してみると、どれもこれも駄洒落のようなものであった。たとえば「オリンピック」というカクテルには、スライスしたレモンが5枚、オリンピックのマークの形にグラスに貼られていたし、「ラスト・キッス」というカクテルは、サクランボがグラスの底に沈んでいて、酒を飲み終わる間際に口元に転がってくるという寸法だ。

右の写真は今回KOBEで私が注文したカクテルだが、何だかおわかりだろうか。

また畑づくり

先週植えた大根だが、日曜に植えて木曜の朝にはもう芽が出た。あまりに早いので最初、雑草かと思ったが、後の成長を見て、それが植えた大根の芽だったことがわかった。植えたことで満足していつ芽が出るなどとは考えていなかったのだが、こんなに早く結果が見れるのならやりがいがある。

こうなると面白くなり、日曜に例の大木の反対側のやぶも開拓して畑をつくってしまった。慣れない農作業で立ちくらみがして目の前が真っ暗になること2、3度。こちらにも大木の根があちこちに張り巡らされていて、地中の栄養の取り合いが心配だが、肥料を買ってきて撒いたのでなんとかなるだろう。

トマト、茄子、にんじん、きゅうりの種を買ってきて植えたが、今日木曜の朝、やはり小さな芽が出ていた。私の実家は家の前が畑だらけだったが、興味を持ったことなど一度もない。やはり自分でやると違うものだ。私と子供たちはかなり畑に入れ込んで朝晩見に行っているのだが、かかわっていない妻はさっぱり興味がないのも仕方があるまい(このブログの読者も興味がないだろうとは思うが許してほしい)。

シェイヴド・フィッシュ

私がカキ氷の看板「Shaved Ice」を見て電子辞書を引いたのにはわけがある。

ジョン・レノンが生前に発売した唯一のベストアルバムに『ジョンレノンの軌跡』(75年発売)というのがあるが、その原題を『Shaved Fish』という。このタイトル、ジョンレノンの曲にも何にも関係がなく、唯一、アルバムジャケットの裏にShaved Fishと書かれたカツオ節の箱が描かれているだけである。なぜジョンレノンが自分のベストアルバムのタイトルに『カツオ節』などとつけて、その箱までジャケットにあしらったのか、長い間わからずにいた。

後年、伊丹十三のエッセイ集を読んでいると、興味深い話に出くわした。彼のイギリス人の友人が、「Shaved Fish」と書かれたカツオ節の箱を見て「これは何だ?」と聞いたという。伊丹が意味を説明すると、その友人は気が狂ったように笑い出し、「だってこれ、ヒゲを剃った魚って書いてあるぜ」と言ったのだそうだ。その友人はshaved fishという単語がとても気に入って、伊丹に床屋で魚がヒゲを剃っている画を描くようせがんだという。伊丹はついでに猫の理容師も描いてやったという。伊丹によると、英語圏の人にはshaved fishといわれればあくまでヒゲを剃った魚しか思いつかないとのことで、カツオ節ならfish shavingとでもすべきだろうとのことだ。ちなみに、辞書で調べてみるとdried bonito shavingsと書いてあった。

この話から推測するに、日本人を妻に持つジョンレノンは、あるときたまたまカツオ節の箱を目にし、そこに「Shaved Fish」つまり「ヒゲを剃った魚」という文字を見たのだろう。そしてなんともユーモラスなものをそこに感じ、ついにはアルバムのジャケットにしてしまったのだ。だからそこに深遠な意味などあるわけもなく、ただ面白いので使っただけなのだ。つまりギャグだったのだ。

それで私はShaved Iceという看板を見て反応したのだ。電子辞書でカキ氷を調べてみると確かにShaved Iceと書いてあった。Shaved Iceが「ヒゲを剃った氷」じゃなくて「かき氷」として通用するんなら、カツオ節だってShaved Fishでそんなにおかしくないではないか。

ためしにマイクに聞いてみると「確かにヒゲを剃った魚と最初は思うけど、たぶんスライスした魚の料理かなんかなんだろ?」と言われた。別におかしくもなんともないという様子だ。がっかりだ。

ボートレース

よく「ドーサンは何も遊ぶところがない」と社内の日本人が言うのを聞く。私も漠然とそう思っていた。でも、じゃあ仙台でそんなに面白いものがあるだろうかと考えてみると、それほど思い浮かばない。もちろん食べ物は違うが、他にドーサンにないものといえば、パチンコ、温泉、マンガ喫茶、カラオケボックスといったところだろうか。結局、ドーサンで不足を感じるのは友達などがいなくてヒマに感じるということではないだろうか。

土曜に、隣町の湖でボートレースがあるというので見に行ってきた。コーナーリングでボートがひっくり返ったりする激しいものを期待していたのだが、400mぐらいの直線だけの競争であまり見ごたえがなかった。しかもほとんどがスタートで差がついてそのまま勝負が決まる。面白くないので1時間半ほどいて帰ってしまった。

観戦中、カキ氷屋の看板にShaved Iceと書いてあったのを見て思うところがあり、電子辞書で調べようとしたが、画面が真っ暗でさっぱり見えない。明るい屋外で電子辞書を使ったことがないので気がつかなかったが、これほど明るいと液晶のコントラストなど見えないんだなと思った。それで明るさ・コントラスト調整をしたが、ほとんど何も見えない。先に使っていた妻に「見えないよな」と聞くと「気がつかなかった」という。こんなに見えないのに気がつかないということがあるかよ、と思ってハッとした。もしかしてこのサングラスか?そう思ってサングラスを取ったら案の定はっきりくっきりと見えるではないか。それにしてもいくらサングラスをつけたからといって見えなすぎだ。もしやと思い、サングラスを画面にかざして90度回すと、徐々に画面が見えてきた。そういえば液晶画面は偏光、そしてこのサングラスも偏光だったのだ!学校で習った知識が実生活で役に立った珍しい例だ(前もって気がつかなかったのだから役には立たなかったのだが)。

電子辞書の注意書きに『偏光の入ったサングラスをしながらは使えません』と書けと訴える奴、いないだろうか。