カテゴリー別アーカイブ: 未分類

インフルエンザ

床屋に行ったのが原因というわけではなかろうが、月曜の夕方から熱が上がり始め、夜には39度2分になった。結局、木曜まで38度の熱が下がらず、やっと今朝から平熱に戻り出社することができている。他の人にうつさないようにと、会社では個室に閉じこもって仕事をしているが、隣の席だったマイクは今朝から熱を出して休んでいるという。そういえば月曜の夕方に話した相手がマイクだった。悪いことをした。

ブログを始めて以来、5日も書かなかったのは初めてだが、逆にアクセスが増加したのは興味深かった。考えてみれば当然で、毎日書いていれば読む方は1日1回しかアクセスしないが、更新していなければ、まだかまだかと何回もアクセスするので、実は書かないほうがアクセス数は増加するのだ。あまりに書かないとそのうち減るんだろうが、今回ぐらいのブランクだといつもの10%増ぐらいのアクセスだった。

それにしても高熱はきつかった。特に最初の夜がひどく、頭と体が痛くて寝られなかった。幸い消化器系は大丈夫だったので吐き気はなかったのだが、それでも辛かった。いつもわたしはこういう場合、もっと酷い思いをしたであろう人たちのことを想像して我慢することにしている。いつも考えるのは太平洋戦争で飢えとマラリアで死んで行った日本軍兵士たちのことだ。薬どころか食料も家もなく、高熱を発しながら雨に打たれて死んで行った人たちだ。こんなに温かい布団に入って食料もあってどう長くたって1週間も我慢すれば死ぬことはないという環境なのだから、彼らが経験した苦痛と恐怖に比べればこんなものは冗談にもならない程度のものだ、と言い聞かせるのだ。
消化器系が良好なため、熱にうなされながらも夜中に「バフォーッ」と大きな屁をした。すると、同じく風邪のため私と同じ部屋に寝かされていた12歳の次男が「ん?なに?」と言った。熱にうなされながら私の屁に返事をしたのだ。

そこで一句。

『 父の屁に 応えしわが子 虫の息 』    季語:屁(夏)

床屋に行ってみた

いつもは妻に髪を切ってもらっているのだが、月末には広州に行くので、床屋に行くことにした。愛ちゃんに会えるかもしれないのにあんまりみっともない格好では行けない。そこで、デビッドの真似をして、会社の昼休みに床屋に行ってみた。ここいらの床屋は、髪の毛の掃除も適当で首筋に毛の切りクズがついたままになるのだが、そのまま仕事をして痒がってみるのも面白かろうと思い、あえて挑戦してみた。

以前の赴任者の話で、床屋に言って「1インチ(2.54cm)だけ切ってくれ」と頼んだつもりが、1インチにされた人がいるというから油断はできない。

行ったのは、会社の近くにあるコスト・カッターズという、いかにも安そう名前の店だ(いったいどんなアコギなコストカットをしているのだろうか)。店内は日本の床屋とほとんど同じで、順番待ちで座るイスのところにおいてある雑誌まで日本の床屋と同じで、私のまったく興味のもてないモデルの雑誌ばかりだった。どうして床屋の雑誌はああつまらないのだろうか。

切り方はそう日本の床屋との違いには気づかなかったが、眉毛をスペーサー付きのバリカンでバリバリと刈られたのは人生で初めての経験だった。耳掃除や肩叩きなどはしない。首筋の毛を払って最後にデビッドのようにパウダーをつけられて終わりだ。かかった時間は20分弱で、値段は14.9ドル。後で聞くと宮根さんがいつも行っているところは10ドル以下だという。損した。何がコストカッターズだ。

それにしても、もみ上げの処理のなんとデタラメなこと。これが床屋に行った直後のもみ上げだろうか。やはり首筋には大量の毛がついていたが、そのまま仕事をしても痒くなかった。考えてみれば、毛がついて痒いのは、それが衣服の内側について肌に向かって突き出すからで、むき出しの首に毛がいくらついていたところで、それだけでは痒くはないのだ。何事も経験してみるものだ。

英語の表現

赴任して車を買うときに、店員にオーセブンとかオーシックスと言われて分からなかったが、これは07年とか06年という意味だった。「覚えなきゃダメよ」とやさしいお姉さん(おばさん)に言われた。これは車に限らず、普段の会話で西暦年を言うときには誰もトゥーサウザンドとかゼロセブンとか言わず、みんなオーセブンと言うのだ。知ればそれだけのことだが、なかなか教科書や英会話教室の学習ではわからないことがあるものだ。

電子レンジのことはみんなマイクロという。microwave ovenなんだが後を省略してるのだ。マイクロとは小さいという意味だから、誤解を生みそうなものだが、一般人がマイクロと言う機会は電子レンジについて話すぐらいしかないのだろう。日本人の携帯(電話)、天然(ボケ)と同じだ。

車屋の店員が自動車のことをカーとは言わず、みんなvehicleヴィヒクルというのも面白かった。カーよりも正式、丁寧な印象を与えるかららしい。「クルマ」と「自動車」のようなものだろう。

写真がないと寂しいのでまたまたビートルズのジャケットのパロディを載せた。『リボルバー』だ。これもノートに描いたもので、ひとりだけクラスメートの似顔絵にしてある。この根気と熱意を何か他のことに使えなかったものか。

ペンサコーラ卓球クラブ

昨年の春、ペンサコーラというところに卓球をしにいって帰りにスピード違反でつかまった話は何度も書いた。そのときのようすが下の写真だ。クラブの中心人物は左端のJJという人なのだが(もちろんこれはあだ名なのだが、どこでもそう名乗るので本名は知らない)この人、とても過激な人で、練習でもいきなりバックハンドスマッシュをオールコートにぶっぱなすのだ。試合になるとなんだか憑かれたように打ってくる(全部入ったら世界チャンピオンだ)。後で聞くとこの人は、空軍の戦闘機のパイロットをやっていた人で、F16に乗っていたそうだ。それじゃ過激なはずだ。目つきもなんか怖い。

一方、右端の人はデイブといって根はいい人らしいのだが、いつも不機嫌な顔をしている。練習中も試合中も試合後もいつでも怒ったような顔で、あまり話さない。この写真でも見事に「笑ってない」。先日の大会で当たったのだが、そのとき、転がったボールが誰かのバッグに入っているのを見つけたときに初めて彼の笑った顔を見た。試合は私が勝ったのだが、試合後の握手のときに握手のかわりに拳を突き出された。悔しいのだ。本当に優しいのだろうか。この人も軍に勤めているという。

この人たちが日帰りでドーサンまで練習に来るわけだが、短気な人たちなので、3時間のところをぶっ飛ばして2時間くらいで来るんだろう。

会場にはトロフィーがおいてあったが、どいつもこいつも不思議なくらいフォームが悪い(ぜんぶ同じ像だが)。こんな悪いフォームを大勢ならべていったい何をしようというのかという気分だ。トロフィー製作者が卓球に興味がないのだ。ラケット持たせて大げさな格好させればいいと思ったのだろう。卓球をやっている人なら、このフォームのどこが悪いか言えるようにしたいものだ。

関係ないが、急に日本に荷物を送らなくてはならなくなった今朝、デビッドが「条太、NASAに電話してスペースシャトルで送ってもらったらいくらかかるか聞いてみろ。仙台上空でパラシュートで落としてもらえばいい」と言った。デビッドは、こういうことをわざとまじめぶって眉間にシワをよせて顔をかしげて言うのだ。困るなあこういうジョーク。

トルネード

隣のテネシー州等で集団発生したトルネードと呼ばれる竜巻が、相当な被害を出している。4州ですでに48人が死んだそうだ。

このあたりにはしょっちゅうトルネードが来る。トルネードが来ても、地面と繋がるいわゆるタッチ・ダウンがなければ、暴風雨だけで被害はそれほどでもないが、タッチダウンしたトルネードに直撃されると相当な被害を受ける。家も車も木も飛ばされるのだからとんでもないエネルギーだ。

つい昨年もエンタープライズという隣町にトルネードが来て、それがたまたま高校を通り、そこに非難していた生徒のうち13人が死んだ。

聞いてみると、なんと同僚のグレッグも10年ほど前にトルネードに家を直撃され、屋根を飛ばされたそうだ。家族全員でバスタブに入って助かったのだという。トルネードが来たときは家の中でバスタブの中に隠れるのがもっとも安全(というか、それしかない)と言われている。

グレッグは保険に入っていたおかげで、家の補修、家具など、すべての損害について全額保証されたという。隣で聞いていたマイクが「髪の毛以外な」と言った。そうか・・あれはトルネードで持ってかれたのか。

日本で最初の卓球本

卓球に興味のない人には申し訳ないが(本当はそういう読者が間違ってるのだが)、今日は卓球本コレクションの紹介だ。我が家には、あちこちで集めに集めた卓球関係の単行本があるのだが(日本で発売された単行本のほとんどを持っていると思う)、その中でもっとも貴重なのは、なんといっても、日本最初の卓球本、『ピンポン』(伊東卓夫著、明治35年)である。

東京高等師範学校(現・筑波大学)の坪井弦道が英国留学から卓球セットを持ち帰ったのが、日本への卓球の伝来であるが、その同じ年に、すでにこの本が発行されている。題名が卓球ではなくて『ピンポン』なのは、まだ卓球という呼称が存在していなかったからだ。卓球という単語が考え出されたのは大正7年で、卓球が伝わってから16年後のことだ。「卓越」にも通じるよい呼称だというのでこれに決めたらしい(だからこの本の著者の名前に『卓』の字が入っているのは偶然である)。

サーブのときに、なんとボールを手で直接ラケットに押し付けて回転をかける方法が紹介されていて面白い。ラバーもない時代の話だ。そういえば私の祖母もやっていた。なお、私の持っている本は大正時代の改版である。いつか本物を見たいものだ。

ペンサコーラの祭り

土曜に、ペンサコーラという町の祭りに行ってきた。町の通りを封鎖して、さまざまに仮装をした何台もの山車がパレードをする。その山車に乗っている人たちが、沿道に集った観客にビーズなどを投げるのだ。プラスチック製の見るからに粗悪なビーズなど只でも要らないものなのだが、いざ投げられると不思議なもので、欲しくなるのだ。ときどき5本ぐらいが束になったまま飛んでくることがあり、それを捕るととても得をしたような気になる。要らないのに。パレードは2時間も続き、我が家5人で捕ったビーズは写真の通りだ。いったいどれだけのビーズが用意されたのか見当もつかない。Tシャツも捕った。

これだけの量になるととても重いのだが、子供たちは交代でひとりが全部をまとめて首にかけていて、マサイの首長族のようになっていた。

なぜビースなのかとか、ビーズを捕ると幸せになるとか、何か由来があるのかもしれないが、とりあえずは知らない。

座談会テープ

昨年、ドーサンに赴任する直前、2番弟子の田村と杉浦くんに私の送別会をしてもらった(文字通りさせたのだ)。会場は田村にまかせたら、やはり食い放題の店だった。しかしさすがにミルキーウエイのサラダバーということではなくて、どっかのビルの4階ぐらいに入っている洒落た店だった。

田村も杉浦君も学生時代からの卓球関係の友人なので、卓球を中心に語らった。田村がテーブルにi-podみたいなのを置いているので手にとって見ようとすると「触るな」という。どうして触ってはいけないのか、なかなか口を割らなかったのだが、とうとう、送別会の記念に会話を録音しているのだと白状した。それで赴任してから5時間分のデータが送られてきた。

そんなもの聞くヒマあるかよと思っていたら、その機会は意外と早く訪れた。昨年の夏ごろ、カゼで熱を出して2日ぐらい寝込んだ。そのときに寝ながらヘッドフォンで5時間分を2回聞いた。さすがに自分たちの会話だけに内輪受けの極致であり、熱があるのに面白くて寝られなった。しかも本人だけあっていちいち言うことに納得がいく。随所に忘れていた話題もあり、田村の仕事に感謝したい。

バカ話を録音するなど、ちょっと異常な感じに思えるかもしれないが、そうでもない。大学4年のとき、大学院の入試に落ちた。クラスで22人が受けて落ちたのは私と友人の2人だけだったのでさすがに落ち込んだ。するとたまたま東京の大学に通っている高校時代のクラスメートである小原から一本のカセットテープが送られてきた。聞いてみると、それは小原ともうひとりのクラスメートである佐々木が、酒を飲みながら高校時代のクラスメートや先生の悪口やら矢追純一のUFOやらノストラダムスの大予言やらを琵琶のようなギターをポロポロと弾きながら語っている愚劣なテープだった。落ち込んでいた私にとってこれは本当に楽しく、何度も何度も聞いたものだった。

私は友人に感謝したり、ましてやそれを公言することなどないが、このときばかりは本当にありがたかった。私がお返しのテープを送ると、その後も何度かテープが送られてきた(私には高校時代の卓球部以外の友人はこの二人しかいない。3年間、クラス替えどころか席替えさえなかったので、入学時の50音順の席で隣と斜め後だった小原と佐々木は3年間そのままだったのだ。姓名が友人を決めた珍しい例である。席替えはやった方がいいと思う)。記念に、送られてきた封筒をカセットのラベルにして大切に保管してある。

それ以降、私は録音を目的に自宅にマイクを2本備え付け、人を集めて数時間会話を録音して一本のテープに編集し、参加者に配ることを趣味としていた。座談会や討論会といってもすべてバカ話なので(寝る奴がいたらそいつの寝息を録音したり、悪口を言ってやったりだ)、一般的には何の役にもたたないクソテープであるが、20年も前の自分の声と頭の中が分かるテープなので、私にとってはこれほど貴重なものはない。

まだ若い皆さんにお勧めの遊びである。

サナギの缶詰

例の韓国雑貨店でめずらしい缶詰を見つけた。缶に印刷されてある写真を見ると、どう見ても何かのサナギのようだ。書かれていた英語を辞書で引いてみるとやはりサナギだった。私はサナギは食べたことがないが、写真を見ると、なにかイカの燻製のような色合いで、食べなくても味が想像できる。美味いに決まっている。鍋に入れて湯気を立てている写真が念入りで楽しい。

こういうものは気の持ちようである。海老などまるっきり昆虫と同じだし、蛙だって鶏肉と変わらない味だった。わたしはいわゆる青虫などは嫌いだが、蚕(かいこ)はきらいどころか可愛いと思う。小学校の頃、実家で養蚕をやっていた時期があるのだ。金になると思うと、気持ち悪いどころか「がんばってくれよ」というような気持ちになって、何匹もまとめて掌にのせてなでていたりした(ひんやりしていたな)。蚕を飼っている部屋に入ると、何万匹もの蚕が桑を食べる音が「ザーッ」と部屋中に響き渡るのが、当たり前とはいえ凄いと思った。

繭を作る時期になると、4cm四方ぐらいの格子が10×10ぐらいならんだ紙製の枠に蚕を一掴み置く。するとうまい具合に格子に一匹づつ蚕が入って、体を反らしながら口から糸を吐いて繭を作り始める。何日かすると完全に真っ白な繭ができ、あとはそれを棒で抜いて出荷するのだ。中のサナギはどうなったのか覚えていない。煮ていたような気もするし、繭を裂いていたような気もする。

毛虫と蚕の違いといえば毛だが、一概に毛があるから気持ちが悪いというわけでもない。杉崎君は何年か前の年賀状に「俺の可愛さランキング」というのを書いてきた。それによると、「猫>子供>ハムスター>亀」だそうだ。当時は息子が生れたばかりで情が移っていなかったようだが、さすがに今では一番だという。毛が生えている点で猫に軍配が上がったそうだ。

シャララ会長との邂逅!

1月12日にペンサコーラというところで卓球の試合に出てきた。そのあたりのことはまた雑誌に書くが、まさか国際卓球連盟のシャララ会長と試合をするとは思わなかった。まあ、ヒゲが似ているだけだと思うが(右が本物)。