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大谷アキラ『ニッペン!』連載開始

今週発売の週刊少年サンデーに卓球のマンガが始まった。大谷アキラ『ニッペン!』で一挙に68ページの掲載だ。

私に卓球の話を聞かせてほしいと取材に来てくれた方の連載がついに始まったのだ(6/27のブログ参照)。大谷さんは卓球経験はないが、この連載のために昨秋から卓球教室に複数に通っている勉強家だ(もちろん日ペン)。

取材に来てくれたときは「ネットインサービスを連続することによって、促進ルールで封印されたはずの2時間超えの試合が理論的には可能」とか「卓球選手はボールの飛び方で回転をわかる人はほとんどいない」ことなどを証拠を挙げて力説した。まあ、こんな話が役に立つとは思えないが「初めて聞く話ばかりです」と喜んでくれたものだった。

主人公の少年の名前はなんと「荻村朝日」。荻村伊智朗が朝日新聞に寄稿していたこととはおそらく関係あるまい。即座に「藤井読売」「長谷川毎日」「河野日経」という名前が浮かんだのは私だけだろうか。

荻村朝日は、時代遅れと言われる日本式ペンホルダーで勝とうとするが、それには想像を絶する脚力が必要となる。テーマとしては卓球王国のマンガ『ダブルス』と似ている。当然、大谷さんは『ダブルス』も目を通しているし、松本大洋『ピンポン』も熟読している。

そればかりか私が松崎キミ代『卓球やらせて』、DVD『アウトオブコントロール』『スウェーデン時代』を推薦しておいたほどだ。何が「ほど」だかわからんが。

ともかく、卓球技術としてはこれまでのどの卓球マンガより本格的なものになっている。あとはそれがマンガとして面白いかどうかだ。私は卓球のマンガだというだけで面白くて仕方がないので冷静な判断はとてもできないのだが、この連載第1回で思いっきり鳥肌が立ったことを告白しておく。

どう考えても面白いだろこれ。

試合会場に棲む魔物

仙台のワールドカップの最終日を観戦してきた。

よく卓球王国の記事で『全日本には魔物が棲んでいる』と書かれることがあるが、私は別の意味で試合会場には魔物が棲んでいると思う。

それは、観客の応援や拍手が終わって選手がサービスを出そうとして会場が静寂につつまれた瞬間に「がんばれっ!」と怒鳴るオヤジだ。本人は応援しているつもりだろうが、全然応援になっていないばかりか、間違いなく選手の集中力を乱している。

がんばれなどと言われるまでもなく頑張っているに決まっているのに「頑張れ」と、まるで勉強しろと言われても勉強しないグズな子供を叱るような調子で怒鳴るのだから不愉快極まりない。しかも、相手が外国人の場合、言葉がわかる日本選手だけが集中力を乱されるのだから、これはもう応援ではなくて明確に妨害である。

得点したときに喜んで怒鳴るのならまだしも、リードされていて苦しいときに「挽回!」とか「しっかり!」などと叱咤されるのだからたまったものではない。

ちなみに、石川と劉の決勝のとき、会場で一人だけ劉が得点したときに大声で中国語で叫んでいる太った男が観客席にいた。仙台在住の生きの良い中国人だろうと思って双眼鏡で見たら、なんと馬琳だった。ガクッ。蘇州での劉に対する粗相の埋め合わせだろうか(卓球王国7月号『劉詩雯涙の真実』参照)。

ともかく、選手に不利になるような独りよがりの叱咤は止めてほしい。本人は「俺の応援のおかげで勝った」ぐらいに思っているだろうから余計始末に負えない(そう思っていなくてはあんな応援はできない)。

もっとも、金を払って試合を見に来ているのだから選手が迷惑だろうが何だろうがストレス解消のために好きなように怒鳴るのだ、応援の形を借りた自己顕示欲の発露の場として卓球の大会を利用するのだ、ということなら仕方がない。プロ野球やサッカーの試合会場にいるどうしようもない観客と同じように、卓球にもそういう扱いが難しい観客がいるということであり、選手はネットやエッジ、あるいは会場に鳥や虫が迷い込んだのと同様に、避けられないアクシデントとして受け入れるしかないのだろう。

なんたる気の毒なことだろう。誰か近くの席の人、退治してくれないものだろうか。サービスを出すタイミング毎に親し気に話しかけるとか。「それにしてもアレですなあ、近年の日本女子は強いですなあ」などとどうでもよいことを試合中ずーっと。

県大会

近所の中学校の卓球部の外部コーチをして数年になるが、2週間ほど前の新人戦の女子団体でぎりぎり県大会の出場権を得た。といってもトーナメントで2回勝っただけで7校中2位になっただけだが、指導を始めて以来、初の県大会である。ちなみに決勝で負けた相手は今野啓先生の学校だ。ひーっ。

指導といっても、直接指導ができるのは土曜の夜3時間だけで、平日は部活の練習メニューを作って顧問の先生に渡し、実行してもらっているだけである。

7月からは卓球王国の連載も休んでいるのでエネルギーが余り、日曜も3時間指導を始めたが、いずれにしても毎日何時間も指導をしている方々から見れば問題にならない指導時間だ。

この指導体制では、県大会に出場できれば十分であり、それ以上は望んでいなかったのが正直なところだ。ところがいざ県大会出場となると、急に欲が出てくるのだから困ったものだ。県で勝てばさらに全国で勝ちたくなるのだろう。卓球地獄である。

今野編集長に報告すると「そのエネルギーで原稿書かないと」なんて言われた。だいたいこの編集長、連載中断を言い渡した翌月にはもう「何本書き溜めたの?まだ2本?ダメだなー。たるんでるんじゃないの?」と聞いてくる始末だ。

疲れて連載を休んだというのに、連載中以上のペースで書き溜めることを期待するとはどういうことだろうか。まったくせっかちな編集長である。

そういうわけで、しばらくは指導を満喫するつもりである(と言いながら実は書き溜めている)。

いびき対策

妻から私のいびきが大きくて寝られないと苦情を受けたので、さっそく薬局に行っていびき対策のグッズを買ってきた。

店員に紹介された3つの商品を問答無用で買った。こんなものはどうせそうそう効くわけがないから、可能性があるのはすべて試そうと思ったのだ。

1つは、なにやら喉の奥にスプレーするもので、ビタミンEが入っているという。商品名と絵と使用例が如何にもいびきを連想させるのに、効能書きのどこにも「いびき」と書いていない。意地でも書いていない。一言も書いていない。よほど効果に自信がないものと思われる。

それにこの製品名だと「いびきをかく人」という意味にとれなくもない。 次はマウスピースのようなもので、上下の奥歯をロックすることで口を開けないようにしていびきを防ぐものだという。歯科技工士が開発したもので特許も出願中だという。こんなシリコンで歯の側面を押さえつけるだけで口を開けられないほど歯がロックされるとはとても信じられないと思ったが、使ってみるとその印象通りの商品であった(笑)。

最後はもっと直接的に、唇に粘着テープを貼って口を開かなくするというものだ。店員に「これって、ガムテープ貼っても同じですよね?」と聞くと困ったような対応をしていた。私はヒゲも生えているし汗もかくのに、一晩中剥がれないでいられるものだろうか。

半信半疑でつけて寝てみたが、接着力は強力で、ちゃんと朝までくっついたままなのであった。

ともかく、喉奥スプレー、マウスピース、唇シールを3つとも実行して寝てみたのだが、肝心のいびきはどうだったのかというと、「かいてたよ」とのことだ。がっくり。

耳栓をしてもらうのが一番だという結論に落ち着いた。

若者は言葉をぼかす傾向があるのか?

何日か前のニュースで、最近の若者の言葉について「わたし的には・・・」などという言い回しが多く、断定することを避ける風潮が広がっているなどと解説していた。文化庁による国語に関する世論調査の結果だという。

若者に限らず、日本人はどの世代も断定を避けるのは同じである。「課長の方から」などと無意味な方角をつけるし、組織を代表する発言のわけがないのに「個人的にはこの味が好きですね」と言う。そんなものに個人的ではない発言があるのかと聞きたい。

仕事の場ではちょっと前まで「部分」が大流行りだった。「明日の会議では時間厳守といった部分で発表していただき、そう言った部分で・・・」などと、もう部分集合がひどく、まことに目に余る(耳にか?)状態だった。

最近では「ところで」がこれに変わり「明日の会議では時間厳守といったところで発表していただき、そういったところで・・・」と、ところところと、もはやところてん状態である。

こうやって、会話の中に余計な単語を挟んで意味をどんどん薄めてボカしていく。ボカすのは映像作品だけにしてもらいたい。

コンビニの店員が「1万円からお預かりします」と言うのも「いただく」と正直に言うのが嫌でボカしているからだ。1万円から一部を預かってさも後で返すとでも言わんばかりだが、もちろん返すようではその店員はクビだ。「1万円からいただきます」または「1万円をお預かりします」なら正しい。

以上のように、断定を避け、意味をボカしたいのはどの世代も共通であり、ただ世代によって流行が違うだけのことなのだ。新しい言葉を取り上げては、もっともらしい分析をして見せ、それらに違和感を持つ古い世代の溜飲を下げるわけだ。この手口もいつの時代もまったく変わらない。

恐るべき記憶力

長男が、大学の実習でかまぼこ工場に行ってきたのだが、そのレポートを書かなくてはならないという。

授業の内容と、工場見学で分かったことを4,000字程度にまとめるのだ。

ところが、工場見学について、どう書いたらよいさっぱりかわからず、しかたなく授業の内容とネットで調べたことだけでなんとか4,000字にしようと頑張っていた。

「働いている人の人数とか、服装とか使っている機械の大きさとか、見たことを何でも書けばいいじゃないか」と言っても何も思い出せないという。

我が子ながらなんとも情けない話だ。ところが、レポートを2,000字ほど書いたところで息子が「あっそうか!」と言った。

「その日は製造終わってて見れなかったんだ!そうだ、そうだった!」

・・・それじゃ思い出せないはずだ。

見ていないことすら忘れていたわけだ。なんとも恐ろしい記憶力である。

舌の根も乾かぬうちに執筆

休筆宣言をした舌の根も乾かぬうちに、今月発売の卓球王国で記事を書いてしまった(だって編集長が書けって言うんだもーん)。

以前このブログで書いた今野啓さんが全中を成功させるまでの経緯を、しつこくインタビューして書いたものだ。

今野さんといえば、卓球王国の編集長と同じ名字で紛らわしいので、私は彼を啓(けい)さんと呼んでいる。そのため、記事でもどうしても今野とは書きづらく、啓と表現している。まったくこちらの都合なのだが、かえって対象と筆者の距離が近いことを表現できてよかったのではないかと思っている。

本誌で採用されなかった関連写真を掲載しておく。この写真の意味は本誌をお楽しみに。

下の集合写真は写っているご本人たちのどなたの承諾も得ずに掲載していますので、困る方がいらしたらコメント欄にコメントください。すぐに削除します。

逆足の悲劇

またまた大友君の話だ。

大友くんは中学校のときはカットマンだったが、好きな選手はガシアンだった。卓球王国でガシアンの逆足のフォアハンドを見た大友くんは、カットマンだからちょうど良いとばかり、カットをしたまま常に逆足で思いっきり上体を捻って攻撃を繰り返し、入らなかったのはもちろんのこと、すっかり背筋を痛めたという。

その後、クレアンガ、カラカセビッチと大友くんのアイドルは変わり、今も背中が痛いという。カラカセビッチはともかく、クレアンガじゃなあ・・・。

中途半端な知識が生んだ悲劇である。

船乗りの人

出張のとき、毎晩のように同じ店に通っている。小さい店でいつも常連で埋まっており、ほとんどの人と顔見知りだが、必ずしも話すわけではなく、名前を知らない人も多い。

そういう常連客のひとりであるTさんと先日はじめてじっくりと話し、身の上話を聞いた。

Tさんは東京湾内で業者を運ぶ船乗りだという。船乗りも最近は厳しくて飲酒運転ができないが、つい6年ほど前まではおかまいなしだったという。本当だろうか。

ともかく、最近は厳しいし平日はあまり量を飲まないようにしていると言いながら、今日開けたという700mlの焼酎がすでに空っぽで、2本目を開けていた。この調子で毎晩飲んでいるとう。天候が悪ければ船は出せないので、そのあたりも計算に入れて、仕事がなさそうなときには思いっきり飲むらしい。

お父さんも船乗りで、あちこちで漁をしては各地の漁港に下す「モノホンの船乗り」で頭が上がらない。今まで3回遭難していて仲間は全員死んでいるのに助かった強者だという、なんだか恐ろしい話をサラッと語った。

お父さんも酒好きかと聞くと「まったくの下戸で、そのかわりコッチ専門」と言って小指を立てて見せた。船の上にはもちろんコッチなどいないわけだから、港や料理屋や宿屋のあたりでどうにかなるという話だ。

私から見ると、こういう言葉遣いや素ぶりがいかにも船乗りという感じで新鮮だった。

新幹線のアナウンス

ほぼ毎週東北新幹線に乗っているのだが、社内の英語でのアナウンスがとても気になる。駅名を言うときに、いかにも英語圏の人が言うように英語訛で言うのだ。そうした方が英語圏の人の耳に聞きやすいためだと思うが、そこまでサービスをする必要はないだろう。

そもそもサービスになっているかどうかさえも怪しい。日本に来る英語圏の人は、中途半端な西洋式のものよりもいかにも日本風のものを求めるものだ。西洋風のホテルよりは古い旅館を好むし、ロックよりは演歌や民謡を聞きたがるのだ。自分たちが外国に行った時のことを考えれば当然だろう。

純然たる日本語である駅名くらい普通に日本語で発音したらどうだろうか。

加えて、日本への旅行者は桁違いに韓国、中華圏の人が多いのだ。
http://www.jnto.go.jp/jpn/reference/tourism_data/visitor_trends/

もしサービスするなら「センタイ、センタイ」というように韓国訛あるいは中国訛にすべきだろう(ただし、表記はこれらの国々にとっても英語が共通のスタンダードになっているから英語でよい)。

ともかく、アナウンスで日本語を訛る必要はない。

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