出張のときに泊まるホテルでは、チェックインのときに「当ホテルのご利用は初めてでしょうか?」と聞かれる。このホテルでは歯ブラシやガウンといった備品が、各部屋ではなくてフロントの近くに置いてあるので、その説明をしてくれるのだ。
ところが私は、この1年半というもの毎週のように東京に出張していて、同じホテルに泊まっているのだ。当然、こちらはフロント係の全員の顔を覚えているのだが、いまだに「当ホテルのご利用は・・・」と聞かれる。
いったいいつになったら覚えてくれるのだろうか。
昨夜、いきつけの飲み屋で、以前、このブログ(2015年4月8日)で紹介した花屋の清水さんという方と話した。
清水さんは、私がこのブログに書いたご自身の半生がよくまとまっていると気に入ってくれ、ぜひ私ともう一度話したいということで、昨夜は他の店を含め4時から酒を飲んで待っていたという(私は一昨日もこの店に行ったので、昨夜も来ることは店主がわかっていた)。私が店に行ったのは9時前だからすでに5時間飲んでいたことになる。
というわけで、昨夜はさらに踏み込んだ話を聞いたのだった。
清水さんは30代で独身だが、実は10代に一度、花屋の同僚と結婚し、ほどなく離婚した経験があるという。岐阜と東京の別居状態になったことがきっかけで喧嘩になり、若気の至りで離婚してしまったという。
娘もひとりいるのだが、生後9ヶ月で会ったのが最後で「当然かわいかった」そうだ。その後は前妻と連絡がつかなくなり会う方法もない。娘は順調に育っていれば今16歳ぐらいだ。会える見込みはないものの、万が一娘が会いに来ても会えないような惨めな状況だけは脱しなければと必死で働いた日々だったという。
独立して最初の3年間は年商が500万円程度で利益はわずか数万円だった。貯金を取り崩しても家賃も払えなくなって事務所兼住居を転々とした。どういうツテなのか弁当屋に住まわせてもらったこともある。
その苦しい時を脱し、なんとか利益が出るようになってこうして飲み屋で酒が飲めるようになったが、それでも清水さんは「起業なんてするもんじゃない」という考えに変わりはなく「花屋での実績を認めてもらって誰かが雇ってくれないか」と今も本気で思っているという。
そのためにも「勉強して大学には行っておけ」と若者には言いたいという。
売り上げと信用を維持するためには365日注文を受けざるを得ず、基本的に休日はない。土日が休みでキャンプに行ったりするという、勤め人が当たり前にできることが自分には一生できないと考えると本当に絶望的な気持ちになるそうだ。毎週土日に卓球をしては「入らない」と悩んでいる我々は幸せなのだろう。
清水さんにはひと回り下の妹がいるのだが、昨年、子供ができて結婚したという。相手は職場の同僚で、なんと20歳も年上で、したがって清水さんより10歳ほど上だという。お父さんはすでに亡くなっているので、兄である自分が妹の保護者のような気持でいるのだが、結婚前に子供まで作っておいて挨拶にも来なかったのが不満だという。
もっとも、清水さんは兄弟の中で最もデキがわるく普通ではない生活をしており、妹は清水さんが電話をしても「さっぱり出ない」というから、全然保護者だと思われていないのだろうとも語った。
そういう話をしているときに清水さんの携帯電話が鳴った。なんと妹夫婦からで、二人目の子供ができたという報告だった。
清水さんはひときわ嬉しそうに笑った。
台湾で泊まったホテルのフロントに、とても大きな絵画が飾ってあったのだが、その異様さが嫌がうえにも目を引いた。
明るい日差しの中で家族だか友人だかがピクニックをしている絵なのだが、さっぱり楽しそうではないのだ。楽しそうではないどころかむしろ悲しそうである。
写実的でもないし細かく描き込んでいるわけでもなく、楽しくも美しくもない。手前の犬など色が人物のズボンと同じ色で見づらいし、女性の胸の膨らみの陰の黒味もなんだか汚い感じで陰に見えない。
といって、私は絵画を見る眼があるわけではないのでこの絵が素人のデタラメなものなのか、プロの傑作なのかを判断する力はない。
そこでフロントの人に聞いてみた。
「これは何の絵ですか?」
「ピクニックです」
「それはわかりますが、なぜこんなに悲しそうなのですか」
「わかりません」
「これは、有名な画家の絵なのですか?」
「はい。台湾の有名なリという人の作品です」
とのことだ。
ピクニックと言えば、楽しいことがほとんどだろう。ネットで「ピクニック」「絵画」で検索をすると、下のような楽しげな絵ばかりが出てくる。
今週も台湾に行って来た。台湾赴任の人と夕食を食べたとき、その人は、いかに台湾の果物が美味いかを力説した。たとえばバナナであれば、日本で食べられるバナナは青い状態でもいで、輸送中に黄色くなるのに対して、台湾では熟れた状態でもぐので恐ろしく美味いという。
また、マンゴーなど他の果物についても同様で、彼は日本に帰るときにスーツケースにたくさんの果物を詰め込んで空港で果物犬(そういうのがいるらしい)につかまったことがあるほどだという。農作物の勝手な輸入は禁止されているのだ。
そのときは、枝がついたままのライチをバッグに入れており、空港の人に「枝がついてますが」と言われて「いやこれ、味が全然違うんです」と無意味な言い訳をしたという。「あいつら絶対後で食ったはずだ」と悔しさを隠せないようである。
私は泊まっているホテルの部屋においてあったバナナはすでに食べてみたのだが、美味いことは美味いが驚くほどではなかったと言うと「それはフィリピンから輸入した物に違いない」と言う。
そこまで言われては台湾バナナを食べてみないわけにはいかない。レストランで腹いっぱい食べてホテルに帰った後、ひとりで夜の町に繰り出し、ホテルの人に聞いた「頂好Welcome」というスーパーで、間違いなく台湾産のバナナとマンゴーとキウイを買ってきた。
結果、たしかにべらぼうに甘くて美味かった。こんなものが自然になっていたら人間がダメになるだろうと思った。バナナは普通だったが、マンゴーとキウイはとても柔らかく、ナイフで切っている最中から蜜が皿にたまるほどで、両手と顔を果汁でべちゃべちゃにしながらかぶりついたのであった。
しかし私は、こういうものは日本で売っているものでも十分に美味いので、空港で違法行為をしたり高い金を出したりするほどのことではないと思った。
スーパーでは一番安いものを買ったが、2倍以上もの値段のものもあったので、どれだけ甘いのか次回試してみようと思う。意外と虜になってしまったりして。糖尿病にならないかが心配だ。
先日、あるマンガ家の方から「近々卓球マンガの連載をするので卓球の話を聞かせてほしい」とメールがあり、さっそく卓球バーで実演を交えながら「講義」をしたのであった。
この方、卓球経験はないがとても勉強熱心で、連載のために昨年から卓球教室に二つも通っており、卓球の指導書やら読み物やらマンガやらを古本を含めてほとんど読破しているという偉い方であった。『卓球・勉強・卓球』『ワルドナー伝説』『ダブルス』まで目を通していると言えば、その熱心さはわかる人にはわかるはずだ。
とはいえ、そこから得られる情報は限られているので「これでもか」というほどの卓球の真髄をたっぷりと5時間かけて食べる暇もなく披露したのであった。
私は卓球を解説するのが好きで仕方がないのだが、なにしろ日常生活でそういう機会はほとんどないから常に満たされない状態であったのだ。
そこに「聞かせてほしい」という人が向こうからやって来たのだからこれはもう飛んで火にいる夏の虫である。
名刺代わりに単行本をいただいたが、リアルなタッチの素晴らしいマンガであった。
卓球の連載発表前なので、マンガ家の名前などがわからないよう、部分的な引用にとどめてある。
卓球をどのように料理してもらえるのか今から楽しみであるし、できればヒットして欲しいものだ。
私が出演した『日曜天国』の音源がさっそくYoutubeに載っている。
「伊藤条太」で検索をすると複数出てくるので、お聴き逃しの方はどうぞ。
今回、関係会社のディランという若者と仕事をした。ディランといっても台湾人で、Dylan Huangという。台湾人とかシンガポール人は、自分の名前をアルファベットで書くときにはファーストネームだけは英語名のあだ名を名乗るのが普通で、名刺も含め、外国人とのコミュニケーションはこれで通すのだ。
英語名は高校時代に決めるらしく、Dylanの場合は英語の先生が「あなたは水泳が得意だからもともと泳ぎを意味するDylanがいいね」と言われ、それ以来Dylanと名乗っているという。
そのディランに、レトロな台北の街並みをとても気に入ったことを伝えた。しかし彼に言わせると、台湾人はそれを良いとは思っていなくて、近代化を望んでいるという。
「豊かで便利な暮らしを望むのは当然だけど、イタリアみたいにあくまでアートとして今の猥雑な街並みを維持しながら近代化するようにしたら良いのに」と言うと「それは無理だよ」と言われた。
確かにこんな風景を残しながら近代化しろといってもそりゃ無理だわな。