復興

黙々と復興に携わっているプロの方々には本当に頭が下がる。
彼らだって被災者なのに、地震の翌日、私たちが会社から脱出して歩いていると、地震からまだ24時間も経っていないのに、すでに重機を使って道路の泥を取り除き、壊れた自動車などを運ぶ作業がどんどん行われていた。

そういえば、まだ危険だとして我々が会社から脱出命令が出る前、数人の工事業者たちが我々が取り残されているビルの周りの深い水をかき分けて自分たちの仕事用のバンのところに行き、窓を割って工具を取り出して持ち帰っていた。

誰も彼もが余震の恐怖を振り払うようにして、あるいはそれを感じるヒマもなく、復興に向けて自分の役割をこなしているのに感動するとともに、ただそれを待っているだけの無力な自分が情けない。

民族の品格

テレビでは津波の惨状しか放送しないので、遠くにいる人はあたかも仙台全体があのような状況だと思っているようで、いろいろと心配をしていただいた。

実際には、地震自体による倒壊などの被害はほとんどなく(そういう家は一軒も見ていない)、津波の被害に合った沿岸以外の人たちは、ガスと水道が止まっている以外は自宅で不自由なく生活をしている。水とガスがないのは不自由だが、亡くなった方々や何もかも失って避難所で寒い思いをしている方々に比べたら何でもないことだ。風呂も入っていないが、ホームレスの人たちや探検隊など何ヶ月も入らないのだから騒ぐほどのことではない。これは前から思っていたのだが、思い込んだように毎日風呂に入るなんてのは単なる趣味のようなもので、なければないで何でもないのだ。

地震から3日めの夜までは電気が止まっていて携帯電話を充電できなかったのだが、近所のある家の人がソーラーの電気を道行く人に分けてくれていて、充電をさせてもらった。「ご自由にお使いください」と貼り紙がしてあり、イスまで置いてあった。

我々日本人は、こういう助け合うことが自然にできる民族なのだなと思った。

ヤフーのニュースで、災害時にも秩序だって冷静に行動している日本人に対して驚きの声が上がっているという。こういう日本人の民族性は、良し悪しではなくて単なる価値観の違いだと相対的に考えていたのだが、他国の人たち、中でも普段日本バッシングが激しい中国人や韓国人までもがちゃんとこれを「学ばなくてはならない」と感嘆の念を隠さないことにむしろ感動した。

なかでも
「英紙インディペンデントは13日付1面全体を日章旗を象徴する白と赤で満たし、英語と日本語で「がんばれ日本、がんばれ東北」と激励のメッセージを入れた。」
という一文に涙が滲んだ。

もうひとつ日本人自慢をさせてもらえば、どの海外メディアも見落としていることだが、我々のこの尊厳ある行動は、なんら宗教的なバックグラウンドに基づいていないことだ。神の法や死後の裁きの恐怖からの行動ではなく、狂信でもなく、あくまで人間が本来持っている良心と知性に基づいてこれだけの秩序を保っているのだ。

以前、アメリカ南部の敬虔なクリスチャンとどうして神が必要なのかを議論したことがある。ジョージア工科大学を卒業して知性あるその彼は「神がいなかったら、目の前で死にそうにしている人がいても助ける理由がない」と言った。私は「我々日本人は知性と良心だけによって助ける。人間に神は要らない。」と言って彼を怒らせたものだった。

また、息子たちの学校の女性教師は「地球温暖化も災害もすべて神の教えを守っていない人間への罰」と語っていた。今回の災害でもお悔やみをもらったが、心の底では「日本人はイエス様を信じていないからだ」と思っているに違いない。そのバカさ加減が悔しい。

被災4

王国編集部には初日の夜から電話を掛け続けていたのだがつながらず、心配をかけた。海から2kmしかない私の住所から考えて、かなり心配をされていると思っていた。

地震から3日め、公衆電話に1時間並んでやっと編集部に電話をし「私の追悼号は不要です」と無事を知らせた。

公衆電話の列に並んでいるときに見ていると、電話をしながら泣き崩れる人が何人かいた。次が私の番というときに、電話をしている人が話し終わって別のところにかけようとしたら後の方に並んでいたオバさんが「ひとり1件までですよ!」と怒鳴った。私は「そんなことありませんよ。複数のところに掛けたい人だっているんですから、手短かにすればいいじゃないですか」と言い、何人かがそれにうなづいたが「他にかけたいんだったらもう1回並んだらいいんですよ」とゆずらない。自分が1ヶ所しかかけたいところがないものだから、他人にはもう1回、1時間並んで掛けろと言うのだ。「みんな待ってるんですからね」とさもそれが公平なように言う。自分が早くかけたいだけなのだ。

無視して私は2ヶ所にかけた(本当は4ヶ所にかけるつもりだったが気まずくなってやめた)。

近所の八百屋でも、普段から自分勝手で有名だというおばさんがレジに横入りしようとして店員に拒否されていた。外国ならこういう人が多いのだろうが、日本ではごく少数だ。

被災3

翌朝、脱出方法について紆余曲折を経た後、昼頃、水の中を徒歩で脱出する方針となり、無事に水のないところにたどり着いた。

会社の前の道路は信じられないような光景で、製油所はまだ燃えていた。

3kmほど歩くと、自宅に水の来ていない同僚の家につき、彼の車で妻の実家に送ってもらい、すでにそこに避難していた妻子と会った。義母が泣いた。

被災2

夕方、近くの製油所が爆発音を立てながら燃え出した。信じられない光景で恐怖に身がすくんだ。爆発音は一晩中断続的に続いた。

他にも町の3ヶ所から火の手が上がり、逃げ出したいが逃げ出せない状況になった。そもそも、逃げるところがあるのかどうかも分からない。

ともかく、地震と津波に関しては比較的新しく大きな今いるビルより安全なところはないと自分に言い聞かせ、机の下に入って一夜を過ごした。途中、どこかから煎餅が支給されて数枚食べたが、緊張で食欲はなく、万が一のときの体力維持のために喉を通した。

このときキャラメルを2個確保し、何日か後にここを脱出して、15kmほどある妻の実家に歩いて向かうときのエネルギー源として取っておこうと決めた(結局その前に食べたが)。

被災1

私の職場は海から最短距離で1.5kmほどのところにある。これは被災後に地図で確認してわかったことであり、普段は直接見えないので意識をしていなかった。

防災班の指示で6階建ての建物に移動をして間もなく、構内にゆっくりと水が流れてきた。ゆっくりではあるが水かさの増し方が見て分かるほどのもので、そのうち、車が流されてきた。上流には社員の駐車場があったので(右の写真)、大半はその車が流れてきたのだが、市道から人が乗ったままの車があったかどうかはわからない。

構内での水位は1.5mぐらいのところで落ち着いた。

とにかく記録するしかないと思い、写真を撮ったのだが、無事に避難してから、その中の一枚に、沈みかけた車にしがみついている老人が映っているのがわかった。位置からして、翌朝、遺体となって発見された方だ。

胸が痛むとしか言えない。

無事でした

運よく死なずに済みました。

会社で地震に会い、社内防災班の指示に従って6階建ての建物に移って間もなく津波が来て1階の8割ぐらいいまで水が来ました。社員は全員が3階以上に避難していて無事でしたが、構内に駐車場から車が流されてきました。

流れが止まっても水は引かず、車の屋根などで助けを呼ぶ人がいて、社員が交代で0℃の水の中を泳いで助けに行き、3人は助けましたが、翌朝、一人が車の屋根の上で亡くなっていました。

家は海岸から1.5kmほど内陸にあるのですが、堤防の効果があって水は玄関の手前で止まりました。川の反対側は1階の半分くらいまで浸水したそうです。

現在はかなり内陸にある妻の実家に身を寄せています。

亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。

素行調査をするそうだ

出張先で見かけた趣きある広告だ。やけにひなびていて広告の内容も内容だけに心に訴えかけるものがある。なんだか懐かしい昭和の臭いがする。なぜか写真が外人なのがキュート(謎だ)。

あんまりこういうのは見たことがないけど、この辺りでは多いのだろうか。

一瞬「盗聴」や「盗撮」によって調査するのかと思ったが、そうではなくて誰かに盗聴や盗撮をされているのを調査するということだろうな。でも、探偵って調査のためには盗撮することもあるなあ。うーん、微妙。

「徹底対抗布告」するそうな

近所のドン・キホーテが、これまた近所にある「イエローハット店様」やら「カインズホーム様」やらに徹底対抗布告するそうだ。対抗するのは勝手なのでわざわざ「布告」するようなもんでもないように思うがどうだろうか。しかも布告すると言っているわりには自分の店に貼っているだけだし(当たり前だがな)。

まあ、「対抗」することを布告されても先方もどうしようもないわな。

そういうことを考えさせられるユーモアあるディスプレイであった。こういうのは面白ければ何でもいいわけでな。