古い手紙

赴任前に実家に送った荷物が帰ってきたので中を確かめたら、昔の手紙類が出てきた。

いずれも大学卒業したての、1990年頃にもらったものだ。考えてみると、つい20年前までは電子メールがなかったので、連絡はいちいち手紙を書いていたのだ。お互いにウケようと面白く書く工夫をしていたものだった。

出した手紙のコピーなどとっていないから、書いた本人もまったく覚えがないことだろう。

それにしてもひどい字だ。これが大学を卒業した者の字か。英語の勉強のしすぎなのかなんだか知らないが、日本語なのに奇怪にも単語を分けて書いている。「最近の若者は」と嘆く人が未だにいるが、この手紙の主も20年前には教授から「こんな学生は見たことがない」とムチャクチャに怒られたものだった。結局、いつの時代も同じことなのだ。

これが今では経営コンサルタントなどやっているというのだから、詐欺のようなものである。

テレビのない生活

引越し便がまだアメリカから届いていないので、帰国してからずっとテレビのない生活をしている。テレビを見る時間がない分だけ、さぞいろんなことができるかと思えば、やはりそれでも時間が足りないような気になる。

これでテレビまで見て一日何時間も使ったら大変なことになるような気がする。荷物が届いてもこのままテレビを見れるようにしないでおくか。もちろん子供たちからは非難ごうごうである。

でも、やはり私も面白いテレビ番組があれば見たくなるだろうな。

田中拓氏の話

柏山さんは今回の昔話の中で、興国高校の名指導者・故田中拓氏のことを語った。

私が入学する少し前、柏山さんは田中拓氏を呼んで水沢高校の練習を見てもらったことがあるという。1970年代後半のことだ。そのとき、田中氏は、「インターハイに出るのは簡単ですよ。中学校から有望な選手を集めればいいんです。高校から練習しても120%無理です」と語ったという。

これがプロの指導者の冷徹な意見なのである。選手を集めないで努力して勝つなどというのは、結局はアマチュアの理想論とエクスキューズに過ぎない。

私は卓球王国の記事に、柏山さんをさも希代の卓球狂のように書いたが、それは全然違う。その程度の卓球狂など全国に何百人もいるだろう。たまたま私の恩師だというだけだ。全国でランクに入るような高校の選手や指導者たちはもう全然レベルの違う吉外たちなのだ。朝まで練習するなんてのは当たり前、ガンガンぶん殴って考えられないような指導を行っているのだ。私財を投げ打って卓球場や、はては学校まで作ってしまう人すらいるのだ。

そういう本物たちと比べたら我々は本当に素人なんだ、という話をしみじみとした。

小坂信彦氏

翌日はまた別の卓球狂OBである村上孝さんと飲んだのだが、途中で村上さんに高体連卓球専門部理事長の小坂信彦氏(写真左)から電話が入り、合流した。

小坂さんは現在、岩手県立大野高校の教員だが、数年前まで水沢高校に勤務していた関係で、OBたちとは懇意なのである。私は2年前の世界選手権広州大会で挨拶をしたことがあるだけで、きちんと話をするのは今回が始めてだ。

時間がなく多くは話せなかったが、今後、面白い話がたんまりと聞けそうで楽しみである。

一緒に写っているのは大野高校コーチの細川健治氏、後で転がっているのは岩手県卓球協会審判委員長の滝村民明氏。私は新幹線の最終に間に合うように途中で退席したのだが、滝浦さんはこの後、復活して元気に飲んだそうである。これもまた全国いたるところで見られる心温まる光景だ。

準恩師・渡辺和也さん

原稿には書ききれなかったが、水沢高校指導陣のひとりに渡辺和也さんという人がいた。柏山さんよりは10歳ほど年下だが、やはり柏山さんに洗脳されてとり憑かれたように無理な指導に邁進したOBだ。女子の担当だったので、私にとってはいわば準恩師だ。同じく「やきとり道場」で熱い議論を交わした。

この人の行動力は昔から異常である。今回初めて聞いた話だが、全日本選手権だか東京選手権のとき、教え子のカットマンの参考にするため、8ミリカメラ(ビデオではなくフィルム式の無声カメラだ)をかついで一般入場禁止のフロアに降りていって高島選手の試合を勝手に撮影をしたそうだ。当然のように係員に呼び止められたが、「バタフライです」と言って撮影をしたそうな。「タマス」ではなく「バタフライ」と言ったところが未熟なところだがそれは致し方ない。渡辺さんいわく「不思議なものでな、最初の関門を潜り抜けると本部席の前だろうがフェンスの後だろうが自分でも呆れるほどずうずうしく撮影できるんだよ」とのことだ。「どうしてそんなことができるんですか」と聞くと「恥知らずなのよ」と語った。見習いたい。

他にも私が高校生の頃、渡辺さんはタマスに行って伊藤繁雄と長谷川信彦という両世界チャンピオンを呼んできて、卓球など知らない全校生徒と先生たちの前で両名による模範試合と講演をしてもらったこともある。講演を聴かなかった担任の先生が後で私に「やっぱり勉強との両立なんか話したんだろ?」と言ったが、長谷川信彦は勉強との両立どころか、朝まで練習して授業中は毛布をかぶって寝ていたことを話したのだから話はまったく逆だ。命がけで世界チャンピオンを目指す人が勉強との両立などとトロイことを言うわけがない。卓球の厳しさを全然わかっていない先生が可笑しかった。

渡辺さんは他にも、熊谷商業にアポなしで押しかけて吉田安夫先生に「練習を見学させてください」と迫ったそうだ。吉田先生は快く見せてくれたという。そこで渡辺さんは持参したカセットレコーダーでその練習風景を録音してきて、我々に聞かせた。ビデオカメラなど市販されていない時代だ。斉藤清や渡辺武弘の「ファイトー」という声と「キュキュキュッ」というシューズの摺れる音を県で団体ベスト8にも入れない高校生の私たちは聞かされたのだ。自分のことながら、なんか切なくなるような話だ。渡辺さんは東山高校にもアポなしで突撃し、練習を見学させてもらい、今井先生のカリスマ性に驚いたと語った。

渡辺さんは、二次会のカラオケバーではついに立ち上がり、回り込みの説明をするに至った。背後のモニターでは「海の男にゃヨ~」とカラオケDVDがガナっている。全国いたるところで見られる心温まる風景である。

恩師・柏山徹郎さん

帰国して初めて岩手の実家に帰り、高校時代の恩師と酒を飲んだ。

この人が、卓球王国10月号の原稿「私の高校時代」に書いた柏山徹郎さんである。
原稿では柏山さんについて「還暦をすぎた」と書いたが、私の思い違いであり、実はまだ59歳であった。「冗談じゃないよ」と言われたが、大差ないだろう。

卓球指導にかける情熱は相変わらすで、「やきとり道場」にて熱く語っていた。

小説

以前、小説をあまり面白く読めないと書いたが、聞いてみると田村と杉浦君も同様だった。

杉浦君にいたっては、「教養のために小説を読まないといけない」と思って努力するのだが、なにしろ一冊読むのに1年かかるというのだ。それで、登場人物もストーリーもどんどん忘れてしまって面白くないのだという。よくそれで最後まで読むものだ。まったくもって面白い以前の問題だと思うが。

卓球飲み会

卓球仲間に私の歓迎会を強制的に開かせた。

バックハンドドライブについての議論が白熱し、杉浦君はマヨネーズの容器をラケットに見立てて振るに至った。

また、弾みすぎるラケットでドライブをかけにくいのはなぜか、しなるラケットの意味などを議論した。

必ず折れるグリコ「カプリコ」

子供の頃に、食べたくてもあまり食べられなかったお菓子は、大人になっていくらでも食べられるようになってからも執着してしまう傾向が誰にもあると思う。

それで私も帰国してさっそく町を歩きながらグリコの「カプリコ」を食べた。

このカプリコについて前々から思っていたのが、コーンの先端が必ず折れていることだ。折れていないカプリコは今までほとんど見たことがない。そして、最後に包装を剥いて折れた先っぽを取り出して食べるのもこれまた楽しみのひとつなのだ。

そこまで計算された商品というわけではあるまいが。

『ガシアンのスーパーテクニック』

要らない本を売りに近所のブックオフに行ったら、ビデオのコーナーに、なんと卓球王国から発売された『ガシアンのスーパーテクニック』というビデオが置いてあった。こういう店で卓球のビデオがあるのを見たのは初めてだ。

定価を見ると2巻セットで1万円だが、ここでは各105円で売っていた。いったいいくらで買い取ったのだろうか。きっと空恐ろしくなるような安価であろう。よくて只、下手をすると金を払わされた可能性すら疑われる。

ともかく買ってしまったのは言うまでもない。