日本初のプロ卓球選手

松下浩二を「日本初のプロ卓球選手」と書いたら、マニアのKOさんからさっそく指摘を受けた。実は私も書くとき、ちょっと迷ったのだ。松下浩二がプロになる1993年をさかのぼることずーーーーっと前に、日本に卓球のプロ選手がいたのだ。藤井則和を筆頭に、卓球のプロとして日本各地を興行したが、利益は上がらず、しまいには誰だったかがお金を持ち逃げしたとかされたとかで、まさに日本卓球史の暗部としてあまり多くを語る人はいないアイテムなのだ。

で、そんなことはなかったかのように松下浩二を「日本初のプロ卓球選手」と紹介してしまえと思った書いたのだが、マニアの眼は厳しかった(笑)。

しかもこのKOさん、藤井則和、河原智、星野展弥、シュルベックらによるプロ卓球興行を当時、実際に見たというのだからゴージャスな話ではないか。さらに、もう一人のマニアである英国の獅子さんは、変則ルールによるプロ卓球のテレビ中継を幼時に見た記憶があるという。その様子をご本人の許可なく転載しよう。

1.プロレスと同じで、必ず日本vs外国勢という組み合わせ
2.主審が両国の国旗を両手に持っていて、1本毎に勝った方の国旗を揚げる
3.最後に挑戦者コーナーというのがあって、プロとアマチュアが対戦する。ハンデとしてアマチュアのコートは幅が狭くできている(テニスのシングルス用コートvsダブルス用コートのイメージ)
4.プロは、11本勝負位で4人勝ち抜いたが、最後にサウスポーの選手に負けた
もしかして、藤井とかバーグマンを私は見たのかもしれない。

ということだ。こちらもなんとも栄養過多な話だ。私がここに書いておかなければ永遠に歴史の彼方に消えるところだったので、書かせてもらった。すべての卓球マニアはこの情報を脳ミソに深く刻み付けるべし。どこかにこの映像はないのだろうか。

TSPの広告

卓球王国のTSPの広告ページに、講習会の宣伝が載っていた。

指導者は、日本が誇る最後の世界チャンピオン、小野誠治、日本初のプロ卓球選手で現TSP社長の松下浩二、そして・・・ラージボールのカリスマ、村上力だ。

今から25年前、一番弟子の戸田といっしょに、村上さんの卓球場で汗を流していたとき、村上さんと小野誠治の写真が一緒に載る日が来るとは夢にも思わなかった。なんとも感慨深い。

もっとも、村上さんの天才性はこの二人には決して劣らないと思う。村上さんは、他人の卓球をほとんど参考にせず、当時の卓球理論のほとんどすべてに背を向けて自分の卓球を完成させた人なのだ。

フォア前を左足前で取るなどという、当時の常識は知りもしなかったし、フリックは指でするものだと当時から言っていた。また、ボールの飛び方で回転量わからないことは、自分がスレイバーを日干しにして作ったアンチラバーを使っていたので、とっくに知っていた。

全日本の混合ダブルスで優勝したとき、村上さんのアンチのツッツキを日本代表クラスの選手たちがドライブをすると、フェンスにダイレクトにオーバーミスしたし、アンチのループドライブをすると、カットマンが台の下にカットミスをしたという。それほど大きな回転の差があれば、ボールの飛び方だって最大限に違ったはずなのに、それでも日本代表クラスの選手たちの誰もそれがわからなかったのだ。

村上さんの卓球は大変な邪道だが、彼の活躍からは、卓球技術を考える上で重要なさまざまな事実が見えてくるのだ。

ピータースのラバー

ピータースはカットマンなので、バック面はツブ高だが、フォア側はスピンアートを使っている。その前はテナジーだったそうだ。何でも過剰なピータースが、この2枚を使わないはずがないよな。

アメリカの鉄道模型

先日、ピータースの鉄道模型について感想をくれた鉄道マニアの知人から、

「魅力がないといいつつ、刺激を受けてアメリカ型を2両も買ってしまった。11万。これで今月の出費は37万だ。責任取ってくれ。」

とメールが来た。自分の欲望を私のせいにされても困る。
日本の狭いアパートに住んでいる彼にそんなに置き場所はないはずだが。

ピータースの家族

書き忘れたが、ここまで読んでピータースに奥さんはいるのだろうかと思った人もいるかもしれない。ちゃんといるのだ。しかも今の奥さんは2人目だ。孫は全部で10人いて、この日も近くに住むキャサリンちゃん(4歳)が来て目を細めていた。

ピータースの着ているTシャツの胸に自分でつけたニックネーム「Dr. Chop」の刺繍が見える。刺繍をするための装置も買ってあって、この刺繍をつけたシャツが20枚くらいあるという。

第1回卓球クリニック終了、そして・・・

結局、2日目は夕方4時まで卓球をした。

帰り際に見送りに出てきたピータースは、例のようにスタンの車に足を上げてひとしきり長話をして別れを惜しみ、我々は帰路についた。私はそのままスタンの家に行って夕飯をご馳走になり、家に向かったのだった。

翌日の月曜は体のあちこちがメキメキと痛い。普段まったく卓球をしていないのに、休み休みとはいえ2日で合計19時間も卓球をしたのだから無理もない。ところが水曜、ピータースからもう次の誘いがきて絶句。今週末にまた来いという。途方もない体力と情熱である(本当に癌なのだろうか)。スタンはすでに泊りがけで行くことに決定しているという。スタンも凄い。さすがに私は辞退させていただいた。

でも、帰国するまでにもう一度くらい行ってもいいかもしれないとは思っている。

郭躍華先生のサイン

729というラバーのパッケージに郭躍華のサインがしてあった。おかしいのは、このサインが郭躍華によって1995年にされたことを誇らしげに説明してあったことだ。郭躍華は1981年、1983年の世界チャンピオンである。その郭躍華先生が1995年にサインをしたことの何がそんなに重要なのだろうか。まさか中国暦かなんかでもないだろうし。

古いラバー

卓球場にはさまざまな古いものがあるのだが、中でもラバーのコレクションがすごい。いや、コレクションをしているつもりはないらしいく、あくまで初心者が使えるかもしれないということで、使用済みのラバーをすべてとってあってファイルしてあるのだ。

中にはバタフライのアンチラバー「スレイバーキラー」なんてのがある。バタフライから出た最初のアンチラバーだと言うからそうとうに古いのだろう。それにしても、初心者が使えるかもしれないからとっておくと言っていたが、オレンジ色の「スレイバーEL」をいったいどんな初心者が使うと言うのだろうか。

そして武器は果てなく・・

武器つながりということで、そのままナイフのコレクションの披露が始った。日本刀まである(もちろんちゃんと切れるやつだ)。私はこういう物騒なものは嫌いなのだが、それでもやはり男の攻撃性が湧き上がり、見ているとある種の魅力を感じるのは否定できない。

話の流れで、小さい多機能折り畳みナイフをもらってしまった。