ラバーウォーマー

先週、ドニックジャパンの方から「新製品の試打を岩手県の富士大学でやるので意見をもらいたい」と連絡があった。ちょうどその日は高校の祝賀会で帰省予定だったので、ついでに行って見てきた。

それは、ゆうのブログでも紹介されていた、ラバーを温めて弾みをよくする「ラバーウォーマー」という製品だった。私も以前からそういうのがあったらいいなと思っていたので聞いた瞬間に「素晴らしい」と思った。

携帯バッテリーの電力で温める方式で、ラバー全面に接した金属面で温める方式だ。誰でも思いつくのは携帯カイロでもいいんじゃないかということだが、ちゃんと実験結果があってそれではダメらしい。携帯カイロだと表面がざらざらした布状なのでまず温度が伝わりにくい。しかもどうしてもラケットの中央付近にしか当てられないので(もちろん4個も敷き詰めれば別だが場所を取る)、中央だけが温まってもすぐに周囲方向に熱が逃げるのだ。

ラバーウォーマーで均一に温めるとラバー表面は50℃ほどになるのに対して、携帯カイロでは40℃ほどにしかならない。しかもその40℃から30℃まで冷めるのにかかる時間どうしを比較しても、ラバーウォーマーで温めた場合は20分かかるのに対して携帯カイロでは10分と半分だった。ポイントは、ラケット中央だけではなくてラバー全体を温めて冷め難いようにすることなのだ。

もともと到達温度が高いことも加わって、結果としてラバーウォーマーで温めたラバーは、携帯カイロとは比較にならないほどの長時間、高温に保たれるというわけだ。

私も持参したラケットを温めて打たせてもらったが、確かに弾んだ。しかし私はどれほど感じようとも自分の感覚は信じないことにしているので、反発係数のデータを取るようお願いをするにとどめた。

もちろん大学生たちは「弾む」と言っていたが、それはそれとしてやはり反発係数を見るべきだろう。

温度によってどれくらい変わるのかが分かれば、冷める過程の影響度がわかる。たとえば0℃と25℃はとんでもなく違うが25℃と50℃はさほど変わらないのか、あるいは同じように違うのかでも効果の考え方がかなり変わってくる。

前者なら、とにかくラバーを一定以上の高温にしてさえおけば安定して弾む状態で使えるわけだが、後者なら冷めるにしたがって弾みが変わっていくので、プレー中に対応しなくてはならない。だとしても徐々に冷めるわけなのでおそらく人間はそれに対応できるものとは思うが。

面白かったのは、実験台になった大学生たちが「一度ウォーマーを使ったラケットは、冷めてしまってからもずっと食い込みが良い気がする」と言っていたことだ。これが錯覚なのか事実なのかも測定が待たれるところだ。

おそらくこれは一度使ったら止められないし、相手が使えば使わないわけにはいかない製品になるだろう。

目から鱗の卓球界を変える製品になる気がする。

不思議な心理

息子たちが妻から車のタイヤ交換を命じられて「今日じゃなくてもいいでしょ」と渋っていた。

私はそれに構わずいつものように「疲れたからマッサージしてくれ」と次男の前にうつ伏せになると、次男が

「すげえ、なんか俺、急にタイヤ交換したくなってきた」

と言った。マッサージの方が楽だろうがおい。

アメトーク

先日、アメトークという番組で、マイナーな部活経験者の芸能人がその部活のウンチクを披露するという企画をやっていた。

その中に、ノンスタイルという漫才コンビの井上という人が卓球部出身ということで出ていた。以前から知っている芸人だったので親近感を持ち「お願いだから間違ったことは言わないでくれ」と思って見ていたら残念ながら間違ったことを言っていた。

促進ルールを紹介したまではよかったのだが、なんと「自分たちのころはなかったが最近はこういうルールができた」と言ったのだ。トホホ。

実際には、促進ルールは1936年の世界選手権でポーランドのエーリッヒとルーマニアのパネスが0-0から1点取るのに2時間15分(所説ある)かかったことから、1937年の大会から適用されて以来、形を変えながら現在まで続いている。もちろん日本の中学生の大会でもだ。

井上が現役時代に促進ルールがなかったと思っていることから次の二つの事実が導かれる。

1.井上は卓球マニアではない

2.井上の周りの誰も促進ルールが適用されるほどラリーが続く技量がなかった。つまりレベルの低い部だった。

「マイナー部活特集」ということだったが、こういうデタラメを平気で放送され、誰にも間違いを指摘されず話題にもならないということが、これすなわちマイナースポーツだということなのである。

井上は、もうひとつのウンチクとして、試合中にタオルを使えるタイミングについて語った。これは正しい説明だったが「理由はわからない」と不思議がっていた。そんなもの、試合時間を長引かせないためと想像がつきそうなものだし、調べればすぐにわかるのになあ。

しかもだ。今の6本毎のタオリングのルールが制定されたのは2001年に卓球が11本制になったときからであり、1980年生まれの井上が卓球をしていたであろう1990年代は21点制のため、チェンジサービスのタイミングである5本毎だったのだ。

だから井上は、促進ルールについてではなくて、タオリングについてこそ「昔は5本毎だったが最近は6本毎になった」と言わなくてはならなかった。そして6本毎である理由も、その前の5本毎に近くてなおかつ今の2本毎のチェンジサービスのタイミングとして選んだのだろうと推測すべきだった。

さらに井上は、卓球では11-0では勝ってはならず1点を上げなくてはならない暗黙のルールがあると語った。もちろんそんなルールはない。やりたい人がやっているだけだ。司会者に「具体的にどうやって1点あげるのか。1点どうぞ、語りかけるのか」と聞かれた井上は「見たことがないから知らない」と語った。

実際にはあからさまなサービスミスかレシーブミスをするわけだが、ときどき間違ってギリギリのところに入ってしまって、逆に完封してしまうことも起きたりして(ちょっと前に福原がやった)そこが面白いわけだが、さすがにそこまで触れることを期待するのは無理か。

まあ、忙しいのだろうから仕方がないか。おかげでブログでこんな文句も書けて楽しかったから良しとしよう。

見事な捏造

私は野球には興味がないのだが、『アンビリバボー』というテレビ番組で、野球に関して見事な捏造をしていて非常に面白かった。

広島カープの黒田というピッチャーが、2006年に他球団へ移籍ができる権利を得たときに、ファンが、試合中の黒田に向けて観客席の横断幕でメッセージを送ったのだという。Office Lens 20161103-234049

その文面は

 我々は共に闘ってきた/今までもこれからも・・・/未来へ輝くその日まで/君が涙を流すなら/君の涙になってやる/Carpのエース黒田博樹

というもので、番組ではこれに

「本当は残留して欲しい。だが、たとえ移籍しても最大限のエールで背中を押してあげたいというファンの切なくも熱い思いだった」

とナレーションが入れられた。それに続いて黒田本人も「こういう経験はなかったので嬉しかった」と回想するシーンが入っている。Office Lens 20161103-234218Office Lens 20161103-234238

この横断幕のメッセージのいったいどこがそう読めるだろうか。

直接的には移籍して良いとも残ってほしいとも書いていないが「これからも共に闘う」とあるのだから、どちらかといえばこれは「残ってほしい」だろう。

これを「移籍しても応援する」と読めるのは考え過ぎの人か頭がオカしい人である。仮に本当はそういう意味だったとしても、この私がわからないようなあいまいなものがメッセージとして機能するわけがない。

ネットで検索してみたら、案の定、これは「残ってほしい」という横断幕だった。

http://blog.goo.ne.jp/radiota/e/5482a9bce757e68b61e38fc14e5ff6d9

書いた当事者である私設応援団連盟会長も、当時これを読んだ黒田本人も残留の願いと捉えている。だから番組内の黒田の回想も、その意味で「嬉しかった」と言っているのをつなげているだけなのだ。

どうせ誰も気がつかないのだから事実などどうでもよいのだろう。調べればすぐに嘘だとわかることでも全然気にしないで放送するのだ。

超メジャーな野球ですらこんなデタラメを放送されるのだから、新参者の卓球などどんな目に合うかわかったものではない。

油断はできないぞと改めて思った次第だ。



 

卓球台がブルーになった原因は?

最近ネットで、卓球台がブルーになった理由が書かれていた。

http://news.aol.jp/2015/09/07/tamori/

あるテレビ番組の内容が紹介されているのだがそれによると「1980年代後半の、『笑っていいとも!』という番組にミュージシャン・織田哲郎が出たときに、タモリが、”あれって根暗だよねー”という一言を言ったのがキッカケで中学生の卓球部に入部する人数が激減するいう事件が起き、そのためにメーカーが台の色を変えた」のだそうだ。

これはかなり事実と違う。

まず、タモリが卓球を暗いと言い出したのは1980年代前半だ。遅くとも1984年には教職を取るために教育実習に行った卓球同好会の同輩が、女子中学生から「なんで先生は卓球なんて暗いスポーツをやってるんですか?」と理不尽な嘲笑を浴びて帰ってきている。

このため1980年代半ばには卓球部員の激減が起こり、その対策として日本卓球協会が「卓球発展計画プロジェクト」を発足し、改革に乗り出したことがテレビで報じられたのが1987年だ。その年の12月の全日本選手権の会場で、オレンジのボールにブルーや白の卓球台が披露されている。

これに対して『笑っていいとも』に織田哲郎が出たのは1988年8月26日。タモリはそこで卓球を暗いと言いつつも、過去に自分がその発言で叱られたことをネタにすると同時に、卓球協会が行っている改革を紹介しているのだ。

よって、テレビで放送された内容のうち「卓球台の色がブルーになったのがタモリのせいだ」というのは本当だが、それ以外の詳細がデタラメなのだ。

私はそれらの関係映像をすべて持っているので間違いない。

ちなみに、卓球台の色についてはもっと面白いウンチクがある。長い間日本の卓球台が暗緑色だったのは、国際ルールの原文にあるdark colourを「暗い色」と誤解したからだ。dark colourは「濃い色」と言う意味で、暗い色ではなかったのだ。だからヨーロッパではやけに明るい緑の卓球台があったのだが、誰もそれには疑問を持たなかったのだ。

日本卓球協会が卓球の改革に乗り出すにあたり、ルールを変えようとして国際卓球連盟の用具委員長ラフォード・ハリソン(ハリソン・フォードじゃないぞ)と話したときに「日本ではなぜもっと明るい色にしないのか」と逆に聞かれて初めて誤訳が明らかになったというエピソードがある。

なお、1902年に日本で初めて発売された卓球の本「ピンポン(伊藤卓夫)」および1924年の「卓球術(鈴木貞雄)」には卓球台の色は「濃緑色」と書かれている。19021924ところが1941年の「卓球その本質と方法(今孝)」では国際ルールとして「無反射暗色」、日本ルールとして「暗色ただし濃緑色を標準とす」となっている。1941

ここから状況を推測すると、この時期にルールの原文dark colourを見た人が、それまでの濃緑色が誤訳だと思い、気を利かせたつもりで暗色と訳し直した。しかし国内ではすでに濃緑色に定着しているので、国内だけは両方の表現を入れた。

当時の国際ルールの英語の表現がどうなっていたかわからないので、確実なことは言えないが、一つの可能性としてこのようなことが考えられるのではないだろうか。

中国制圧計画!!

先週インタビューされた記事が、今日発売の週刊誌に載っていた。

ちょっと成人誌っぽい雑誌なので少年少女の読者もいるここでは誌名は伏せるが(『プレイボール』とかなんとかだ)、意外にも極めて真面目に卓球について特集されているのに感動した。

このブログで力説した台上フォアハンドドライブについても書いてある。

コンビニでも奥の方のちょっと隔離されたコーナーに置いてあったりする場合もある雑誌だが、表紙の右上に「2020年 日本卓球 中国制圧計画!!」と書いてあるのですぐにわかる。

ちなみに、インタビューのあったもう一誌の方は没になったようで、載らなかった。厳しいなあ。センテンス・スプリング!

水谷特需

水谷の活躍によって、これまででは考えられないことが私の身にも起こっている。

先週と今週で、このブログを見たという週刊誌や新聞社の3社から連絡があり、コメントが欲しいとか書評を書いてくれとかの依頼があったのだ。自慢ではないが卓球王国で連載を始めて12年というもの、そんなことはただの一度もなかった(ラジオ出演はあったが)。

中には電話インタビューで「日本が東京五輪で中国に勝つためには何が必要でしょうか?」などという明らかに聞く相手を間違えているような質問もあったが、愉快なので思いっきり答えてやった。

さらには「どうして卓球にはカットマンがいるのか」という小躍りしたくなるような質問もあり、待ってましたとばかり答えたのだった。

今野編集長からは「便乗コラムニスト」と揶揄されているが、卓球のことを説明するのは本当に楽しい。

職場の同僚の奥さんが公営のスポーツ施設でアルバイトをしているらしいが、卓球をする客が激増して忙しくて迷惑しているという。ヒヒヒざまあ見ろ。

これほど卓球が盛り上がったのは1956年の世界選手権東京大会で、男子日本チームが優勝し、男子シングルスで荻村と田中が決勝を争って以来のことではないだろうか(見たようなことを言ってるが私は1964年生まれだ)。

一時的な現象で終わらないよう弾みをつける仕掛けを作りたいものだ。

台上バックハンドドライブの衝撃

卓球に詳しい人ならとっくにわかっていると思うが、ストップの解説のところで書いた「絶対安全ゾーン」は、実は現代では存在しなくなっている。

ネット際の低いボールでも強いドライブをしてしまう技術が登場したからだ。

それが台上バックハンドドライブだ。もともとはチェコのコルベルが開発した横回転の強いチキータが発端だったのだが、それを中国が強いドライブをかける技術に改良してしまったのだ。今ではこの台上バックハンドドライブもまとめてチキータと呼んでいるが、厳密な人は区別している。ただ、台上バックハンドドライブではいかにも長いのでここでは台上をDと略して「DBドライブ」と書く。

なぜこれが可能になったかといえば、ラケットを台にぶつけない制約の中で、上方へのスイング速度を上げる方法として、手首を使って打球前にラケットを180度近く回転させる方法(右利きの場合、ラケットの先端を時計の針の3時から時計回りに9時まで回転させて9時で当てる)を開発したからだ。これは腕の構造上、バックハンドだからこそできるものだ。

そんなことぐらい誰でも思いつきそうなものだが、重要なのは思いつくことだけではない。その先に栄光が約束されているかどうかわからない新しい技術を、才能のある選手が選手生命をかけてやって、実績で証明することが困難なのだ。ちょっと試して善し悪しの結論が出るのなら、スポーツの技術革新などあっという間に最終形態に行きついてしまうだろう。

しかしスポーツはそうではない。およそ100年前に守備全盛で始まった卓球が、攻撃優位になるのに50年かかり(日本の登場)、中国と日本のペンホルダー中心からシェーク攻撃が優位になるのに40年かかっている(中国のシェーク化)のはそのためだ。

そして、1960年以降、世界の卓球の技術革新をリードしてきたのが中国なのだ。1970年代には投げ上げサービス、1980年代にはボディハイドサービス、1990年代にはペン裏面打法、そして2000年代にDBドライブというわけだ。

なぜ中国がこれらの技術革新ができたかといえば、新しい技術を超一流の才能ある選手にやらせることができる人材、システムがあるからだ。日本のコピー選手を育成することが当たり前の中国だからこれができた。

それにしても中国が恐ろしいのは、新しい技術などなくても、その練習の質、筋力が他国を圧倒していて十分に強いのに、さらに技術革新をして勝利を盤石なものにしているということだ。まさに尊敬すべき大国である。

さて、絶対安全ゾーンを無にしてしまったDBドライブだが、実は弱点もある。バックハンドでしかできないことだ。それを得意としている丹羽がフォア側のボールをわざわざ大きく動いてバックハンドで打っているのはそのためだ。

今回、男子中国チームは日本に肉薄され、かなり焦っただろうことは間違いない。調子の悪かった張継科はラストで水谷に負ける可能性があったから、ダブルスをとっていれば日本が勝ったかもしれないのだ。

中国が新しい技術開発に着手しないわけがない。そこで考えられるのがフォア側の短いボールにドライブをかける、台上フォアハンドドライブ、つまりDFドライブだ。どうやるのかはわからないが「それか!」という方法でやってくるのではないだろうか。恐ろしいやら楽しみなやらである。

水谷の反応時間

ストップをするためには相手のボールがネットを越える前にその決断をしなければならないと書いたが、実際にいつ判断しているのかを今回のオリンピックの映像で確かめてみた。

サムソノフのサービスに対して、水谷がいつストップあるいはドライブを決断しているかだ。サムソノフは希に長いサービスがあるのだが、それに対してドライブのテイクバックを始めた時期と、直後の短いサービスに対してストップの動きを始めた時期を確認した。

まずはストップの動きを始めた瞬間だ。基本の構えからわずかにラケットの面が上を向き始めている。このときボールはまだサムソノフのコートにバウンドし、上昇する途中だ。インパクトからの時間は5コマなので0.17秒だ。

次にドライブのテイクバックを始めた瞬間。ラケットの面がドライブに備えて下を向き始めている。なんと、ボールがサムソノフのコートに弾む前!とんでもなく早い。スイングから判断しているのだろう。時間は4コマで0.13秒。

別の場面を見てみよう。

こちらがストップ。やはりボールの上昇途中。サムソノフのサービスがかなり遅く、ここまでで8コマもかかっている。それでも0.27秒。

これがドライブ。ちょっと遅れているがそれでもネットを越えるはるか手前だ。6コマ0.2秒。

ちなみに水谷のプレーを見ていると、これほど早く判断する必要はないようにも見える。なぜなら水谷は、完全にドライブのテイクバックを終えてから判断ミスに気がついてストップに切り替えたり、逆にストップの動きを途中で止めてドライブをする場面もあり、いずれも間に合っているからだ。中には、ストップの動きからドライブに切り替えさらに再度修正してストップという場面さえあった。もしかするとボールに関係なく最初からフェイクとしてセットの動きだったのかもしれないが、そこまでは判断できない。

このような不確定な事情はあるものの、上の2つの組は何のフェイクもない場面で1試合にほんの2、3回しかなかったレシーブドライブの場面とその直後のレシーブストップの場面なので、水谷がボールや打球フォームを見てこのレベルの時間で反応ができていることは間違いないと思われる。

しかも上述のように、仮にその判断が遅れたり外れたりしても、そこから修正できるだけの俊敏かつ精緻な動きができる肉体も備えているわけだ。これだけの二重三重の時間的余裕があるからこそ、レシーブミスはおろか、相手にチャンスボールを与えることすらないのだ。

サービスに必要な精度

今日は非常に楽しい分析をしてみた。

それは、ブツ切りの下回転サービスを出すときに必要な時間的な精度はどれくらいかという分析だ。

方法は簡単だ。卓球王国から発売されているDVD『神のサービス』で、仲村錦治郎のサービスをスーパースローで真横から撮った映像があるので、それを使うのだ。

切るサービスなので、仲村はラケットをほとんど面の方向に振っているため、空振りをしないために必要な時間の幅は、落下するボールの軌道をラケットが端から端まで横切る時間ということになる。

それがこの2枚の写真だ。黒いマジックの線がトスしたボールの落下軌道だ。

この2枚の写真の間には約4コマかかっていた。この撮影では1コマが250分の1秒なので、時間を計算すると0.016秒に相当する。つまりこのサービスを出すのに許されたタイミングのズレは、0.016秒しかないのだ。難しいわけだ。なお、ラケットの横幅を150mmとするとこのときのスイング速度は時速34キロメートルとなる。

ちなみに、同じ仲村によるナックルサービスのときはラケットが横切るのに6コマかかっており、明らかにスイング速度が遅く、時速23キロメートルとなる。

次にバタフライから出ている『水谷隼のサービスレシーブ』というDVDにも同様の場面があったので分析してみた。

こちらは残念ながら撮影条件がわからないため1コマの時間が分からず、速度は計算できなかったが、思わぬ事実がわかった。

インパクト時のラケットはほとんど水平だったが、なんと水谷は、ラケットをボールから逃げるよう斜め下方(面に対して25度)に振っていたのだ。ボールは画面からはみ出るほど高くトスをしていたので、落下速度はかなり速いと思われる。よって、その落下速度の反発力によってボールが高く跳ね上がらないようラケットを下に振りおろしながら回転をかけているものと思われる。

これは、ラケットを水平に振るよりもタイミングのズレの許容時間は小さくなる。詳しくは述べないが、感覚的には、ラケットをボールの落下速度と同じくらいの速度で下方に振ったらほとんど当たるチャンスがないことをイメージしてもらえれば理解できるのではないかと思う。ラケットを斜め上に振り上げればかなり安全にボールに当たるのと逆の現象だ。

今後、選手を真横からスーパースロー撮影して、たとえばカウンタードライブなど高速ボールに対して薄く当てる技術に許された誤差がどれくらいなのか計算していこうと思っている。

0.016秒などという極小時間であれば卓球の凄みを再認識できて、今後いろいろなところで吹聴できるし、意外に長ければ、それらが実戦で有効な理由はそれだ!となるので、どちらにしても楽しい。

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