方言

徳川宗賢の「日本の方言地図」(中央新書)という本がある。これは、国立国語研究所の研究員が全国2400箇所に赴いて方言の聞き取り調査を行ったものを、徳川が簡約化して文庫化したものである。言語地理学には柳田国男の「方言周圏論」というのがあるらしい。方言の中には、近畿地方を中心として同心円状に分布しているものがあり、これは、昔の都だったところから時間をかけて言葉が池の波紋のように伝わったためだというのである。その伝播速度は平均して1年に600m程度だという(もちろんマスメディアが発達していない前近代の話である)。なるほど、私の祖父母が話していた方言のなかに、それらしい言葉があったわけである。ヒマなことを「トゼンだ」と言っていたがこれは「徒然」だったわけで、千年以上前の京の都の言葉なのである。

柳田が周圏論を見出すきっかけになったのが全国に広がるカタツムリの呼称の分布である。周圏論に従えば、カタツムリの呼称は、古い順にナメクジ→ツブリ→カタツムリ→マイマイ→デンデンムシと近畿地方で変化してきたのであり、これが時間をかけて全国に伝わったのだということを現在の方言の分布は示しているのだという。もっとも新しいのがデンデンムシというわけである。こういうことを知ると、言葉に関して何が正しいかなどという議論には限界があることがよくわかる。

もちろん方言はそのようなものばかりではない。たとえばサツマイモだ。サツマイモのことを九州ではカライモ、中国地方ではリューキューイモ、近畿以北ではサツマイモと言う。これはサツマイモが日本には沖縄(琉球)→九州→本州という順で伝わったことをそのまま表しているのだという。薩摩(九州)の人はサツマイモとは言わないのだ(ただし調査対象は1903年以前に生まれた男性)。

ところで面白かったのは、この方言の調査の方法である。質問に答えてもらう方法なのだが、たとえば「おんな」という言い方を聞くのに「婦人代議士の”婦人”のことを普通の言葉ではどのように言いますか」が原案だったと言う。どうしてこういう聞き方をするかというと、調査対象の人たちが標準語を知らなかったり別の意味で使っていたりすると困るし、また質問に標準語を入れるとその表現に回答がひきずられる可能性があるためである。それにしてもこの原案はひどい。結局これは「獣や鳥については”おす・めす”という区別があります。でもこのことばは人間には使いません。人間についてはそれぞれ何と言いますか」となったという。他にも「恐ろしい」という意味を聞くのに「大きな犬が何匹もほえかかって、いまにもかみつきそうになる。そんなときの感じをどんなだと言いますか」と質問したのだという。これはいかがなものだろうか。難しいものである。

何年か前にマスターズの試合で沖縄に行った。那覇市は町中が観光地で、いたるところに「沖縄ソバ」の看板があった。「沖縄の人がわざわざ『沖縄ソバ』と言うだろうか」と疑問に思い、タクシーに乗ったときに運転手さんに聞いてみた。すると「ソバといえばあのソバに決まっていますから誰も『沖縄ソバ』なんて言いません」とのことである。やっぱり。それでは我々が普通『ソバ』と呼ぶ、あの黒い麺は何と呼ぶのだろうか。彼の答えは明快であった。「あれは『内地ソバ』言います」。聞いてみるものである。言葉は面白い。

情けない奴

私はヒゲが濃い。ジョン・レノンがヒゲをはやした写真を見て、自分もヒゲをのばせるようになればいいなと高校生の頃に思っていたのだが、だんだんと濃くなてきて、二十歳を過ぎたころにはどうやら自分はヒゲが十分に濃いようだとわかり、心底嬉しくなったものである。世の中には、ヒゲを伸ばしたくても薄くてどうにもならない人がいるわけで、この点では私は良い体に生まれたと喜んでいる。

問題はヒゲと髪の毛の関係である。ヒゲというのはなにやらとてつもなく硬い。だいたい、手の甲が痒いときなどアゴに当ててこすれば掻けるし(どうしてわざわざアゴで掻くのか、と思うかもしれないが、もう一方の手を使う必要がないので便利なのだ)、そのとき手の甲には無数の白い掻き傷ができるほどである。これだけ硬くて濃いヒゲを何かの役に立てられないものかと思う。

ヒゲが硬いと感じるのは確かだが、本当に髪の毛にくらべて硬いだろうか。短いために硬く感じるとか、生える角度によってそう感じるなどということはないだろうか。人間は錯覚をする動物であるから、こういうことは客観的に確認しなくてはならない。

そこで確認した。アメリカに来たばかりの頃、英語の会議があまりにもわからないので、ふと思いつき、ノートに毛を並べてデジカメで接写してその太さを比べてみたのだ。写真左から順に?ヒゲ、?髪の毛の濃い部分、?髪の毛のハゲている部分、である。結論。毛の太さの関係は、日常感じている通りであった。ヒゲは間違いなく直径が太い。本当に髪の毛より太いのである。それにひきかえ、ハゲ部分の毛の細いこと。われながら情けない奴である。ヒゲの太さの1/3ぐらいしかない。これは断面積、曲げ剛性にしたら1/9ということである。しかも長さも密度も少ないのだろうからこれでは薄く見えるのも道理である。ハゲるわけだよこれじゃ。

アメリカの単位

子供の学校の勉強で、もっとも簡単なのは算数である。数字はすでに知っているので英語がわからなくても見当がつくからだ。しかし困ったのが単位である。

こちらではいまだに長さはインチとかヤードが主流で、体積はリットルよりはガロンである。驚いたのは、長さの単位であるインチとフィートとヤードの関係が10の倍数ではないことだ。1インチが2.54cmと半端なのは仕方がないとして、12インチ=1フィート、3フィート=1ヤード、そして1760ヤード=1マイルだってんだからあきれるではないか。

重さもこの調子で、1オンスが28.35gだが、なんと16オンス=1ポンドなのである。12ならまだしも、16ってどういうことよ。体積もなぜか液体用と固体用と別になっていて、ピンツだのクオートだのペックだのブッシェルだのわけのわからない単位が目白押しである。3ティースプーン=1テーブルスプーン なんてことを覚えても日本に帰ったら何の役にも立たないことが分かりきっているだけに、覚えさせるのが不憫でならない。

ちなみに私の免許証には身長が5.06フィート、体重が163ポンドなどと書いている。ボクサーにでもなったようで新鮮である。

温度も日本ではセルシウスが考案した摂氏(℃)が主流であるが、こちらではファーレンハイトが考案した華氏(F)が主流である。℃は水の凍る温度を0度、沸騰する温度を100度にしてその間を100等分して決めたものである。ファーレンハイトには諸説あり、当時測定できた最低気温を0度、人間の体温を100度ぐらいにしてその間を100等分して決めたらしく、あまり物理的ではなさそうである。「今日は100度を超える暑さだ」などと言っているのを聞くと、私はいまだにちょっと違和感があるのである。

自動車の話

私は自動車には興味がないのだが、世の中には結構興味のある人がいるようで、「どんな車に乗ってるんだ?やっぱりアメ車か?」などというメールが知り合いから来る。そこで今日は車の話である。

まず、家族用にトヨタのシエナというバンを新車で買った。次に、私の通勤用に小回りのきく車がほしいと思い、先に赴任していた日本人が乗っている車を見て同じものを買うことに決めた。クライスラー社のPTクルーザーという車である。これは中古で買うことに決め、あちこち中古屋を回った。こちらでは、使ってもあまり値段が落ちず、かなり高く売れるので、みんな結構平気で車を買う。

この町の人たちは商売熱心ではないので、信じられないことに日曜は車屋はすべて休みである。なお、売れているレストランも日曜は休みである。これは日曜は教会に行く日と決まっていることが関係しているのだと思う。

そういうわけで、PTクルーザーを探して中古屋を回ったのだが、置いてあるところは少なく、レンタカー落ちで比較的新しい車を売っているOUTLETというところでやっと見つけた。そこの店員がものすごく怪しい感じで、近づいてくるなり「お前は友達だ。普段は17,000ドルのところを特別に14,500ドルにしてやる」などと言ってくる。車に積んでいたブライアン・ウイルソンのCDを見つけると勝手に手に取り「俺もこれは好きだ」などという。ウソつけ。

とにかくてんで信用できないので、もっと安いに決まっていると思い、翌週行ってみると別の店員が出てきて「13,500ドルだ」という。喜ぶどころか、こうなるとますます信用できない。結局、「諸費用込みで13,000ドルにしないと帰る」と言ったら、それで売ってくれたので良しとした。

帰り際に店員が、他の日本人を紹介してくれと言う。私は正直に「この店は他の店と違って展示している車に値段が書いていなくて、いちいち聞かなくてはならず、そのつど10分も20分も待たされるので紹介できない。どうして値段を書かないのか。」と聞いた。すると店員は「じゃ、たとえばだ、この車に17,000ドルと書いてあったとしてだ、お前、この値段で買うか?」ときた。「高いので買わない」と答えると「だろ?どうせ値段交渉して買いたいと思う値段じゃないと買う気がないんだろ?だったら値段書いても意味ないじゃないか」と言った。

うーむ。なにかが激しく間違っている。まちがって高く買ってくれる客がいることをあてにしているのだ。とにかくそういう方針の店なのだ。さすがにこういう店はこの町ではここだけであり、他の店はこんなではない。

このPTクルーザー、アメリカの車だなあと思うできごとがあった。あるとき、構内で急に雨が降り出したので、上司のジョンと同僚を後の席に乗せた。走行中、すごい雨が降っているのに後の窓がガーッと開き始めた。ジョンは何かと気難しいやつなので、車内の空気が悪いとかいって雨でも構わず開けようってんだな、と思って黙っているとジョンが「ジョータサン、マド・・」と困ったように言う。私が開けたと思っているのだ。しかし開けた覚えはない。そこでハッと気がついた。この車にはパワーウィンドウのスイッチがドアではなくて中央に寄ってついているのだ。後の席に座ったジョンが大きなカバンをもっていて、そのカバンで気づかぬうちに写真右中央の黒いスイッチを押していたのである。なお、前の席の中央上部に4つ見えているのもパワーウィンドウのスイッチである。どうみてもカーステレオのスイッチに見えるがこれがパワーウィンドウのスイッチなのだ。車などという近代的なものにも文化の壁があるのだなあと思った瞬間であった。なお、写真の車にナンバープレートがついていないのは、アラバマ州ではナンバープレートは後にだけつけるからである。

評論家ウォレン

ウォレンも卓球を教えろというので、教え始めた。ところがコイツ、反論ばかりで話にならない。私が教えようと説明をすると「そんなことわかってる」などとベラベラ話し始め、ぜんぜんこちらの話を聞かない。

ウォレンはカットマンなのだが、問題点ははっきりしている。バックカットのスタンスが異様に平行足で、自分の体が邪魔になってロクなテイクバックができず、ツッツキのようなストロークでカットをしているのだ。だからインパクトのラケットスピードが出ず、安定しない。そこで、もっと左側を向くようにスタンスを変えることをアドバイスしたが、「そんなに横を向いてカットしたら次のボールがフォアに来たときに返せない」と言う。「カットマンは台から離れているし自分の送るカットも遅いので十分にその時間はある」と説明しても納得しない。さらに、ウォレンはバック面に粒高を貼っているのだが、ウォレンは「ジョータは知らないだろうが」と前置きして「粒高は普通に打つとボールが左側に跳ねる性質があるので、それを防ぐためにも体は正面を向くべきだ」と物理的に明らかに間違ったことを言う。だいたい、粒高と裏で左右に飛ぶ方向がズレること自体、彼のインパクトが真上から見てボールに対して垂直ではないことを表していて、それはつまりテイクバックができなくてラケットをフォア側に横に振っていることの証明でもあるわけだが、彼は「いーや、粒高はそういうラバーなんだ」と言ってきかない。相手をしていたチャックは頭はいい男なので「ジョータの言うとおりだ。お前は間違っている」という。

何をアドバイスしても、反論か、もしくは「そんなことは知ってるんだができないんだよ」と勝ち誇ったような顔でいう。どう見ても「知って」もいないのだが。しまいには、自分が19歳だかの若い頃(こいつも年は私とほぼ同じ42,3である)、中国人のコーチの合宿に行って8時間だか指導を受け、知識はバッチリだというのだ。後日そのときの写真がメールで送られてきた。右がウォレンであるが、アメリカ人の場合、歳をとって変わったというよりは、脱皮して変態するといった感じである。

こういう煮ても焼いても食えないような奴なのだが、大会ではものすごくビビって何もかも入らずに負けたりする。私の見たところ、彼は点を取ることを意識しすぎで、ツッツキや攻撃のミスで自滅しているのである。私は大会の前に「お前は打ち抜かれて負けているわけではなくて自滅しているだけだ。点を取ろうと思わずに相手コートの真ん中に安全なボールを送って、日が暮れるまでノーミスで続けるつもりで試合してみろ。打ち抜かれても気にするな。そうすれば自動的にお前は勝てる。もちろん強い奴にはそれでは勝てないが、今のお前の相手はそのやり方で勝てるレベルがほとんどだ」とアドバイスした。ウォレンは「相手もツッツキで粘ってきたらこちらが先にミスするのでますます負ける」と言う。私は「それは考え方が逆だ。もしカットマンのお前が粘りあいで攻撃型に負けると考えているなら、カットマンはやめた方がよい。カット主戦であること自体がローリターンなのだから、ローリスクを前提にしなくては成り立たない。」と言った。ウォレンはこれだけは納得したようで反論はなかった。

後日、大会でその通りにやったら自分でも信じられないくらい勝てて、レーティングがかなり上がったと喜びのメールが来た。そこでチャックのことも書いてきたわけである。アドバイスの効果が出たのは嬉しいが、今後のやりとりを考えると練習に行くのは何か気が重い。

ウォレンとチャック

WGTTCにはこのクラブ専用の練習場がある。メンバーの一人であるキースが倉庫を持っていて、貸しに出しているのだが、借り手が見つかるまでということで只でクラブの練習場として提供してくれているのだ。

床が絨毯なのが違和感があるが、7年前の体育館の自販機の前とくらべれば雲泥の差である。

最近、チャックとウォレンが卓球を教えてくれと言うので教えている。筋肉質なのがチャック、太っているハゲがウォレンである。チャックは見事な肉体をしているのだが、肩の関節だけで卓球をしているので、ひざを使って腰を回転させることと、ボールの位置まで小刻みに動くことを教えると、たちどころに上達しだした。チャックは、指導に対してとても素直で、しかもすぐに完全に理解し、まさに卓球の基本原理に飢えていたという感じで、教えていてとても気持ちがいい。年はほとんど同じだが、こうして卓球の指導を通して師弟関係になると、金色のヒゲが生えている可愛い生徒に見えてくるから不思議である。

ところがチャックには精神的な問題があるのである。8/18に大会があった。私はチャックからその大会に向けて練習をつけてくれと一ヶ月ほど前から頼まれていたのだが、いろいろとあって結局ほとんど練習をしてやれなかった。大会の後、ウォレンからメールが来た。チャックの試合は散々なものだったという。予選の6人のリーグ戦で格下に一回勝ち、その後、格下に2回負けた時点でチャックは残りの試合を放棄したそうである。下のレーティングの選手と試合をすれば、勝ってもレーティングはほとんど上がらないが、負けると下がるから試合をしたくないのだ。そんな身勝手な理由で試合を放棄するなどスポーツマン精神にもとる行為だが、チャックとはしょっちゅう平気でそういうことをする奴なのである。

ウォレンによれば、チャックは「ジョータと練習をしないと自信を取り戻せない」と言って、今や「脱線した列車」のようになっているので、練習に来てほしいという。脱線した列車というのがウォレンのオリジナルなのか慣用句なのかはわからないが気に入った。

チャックに信頼されているのは嬉しいが、こんなスポーツマンシップがない男に教えるのは気が進まない。第一、こういう精神構造では絶対に強くはなれない。まずそこいらへんを指導したいのだが、なにしろアメリカ人だ。理解できるのかどうか不安だが、やってみるしかあるまい。

一方、ウォレンはウォレンで困った奴なのだが、これは明日、書くとしよう。

グルー禁止問題

今日はギャグは抜きにしてまじめな卓球の話である。

日本卓球協会は、国際卓球連盟が来年9月から有機溶剤を含む接着剤(以下グルー)の使用禁止を決定したことを受け、1年早い今年の9月から全面禁止を決定した。これに対して卓球王国の9月号で、国際大会に出場する選手はどうするのかという疑問が出されていた。選手は国内ではグルーが使えないからグルーなしで予選を戦うしかないのだが、国際大会ではどうすればよいのかということだ。もし日本選手だけグルーなしで戦えば明らかに不利であるし、国際大会のときだけグルーを使えば感覚を一定に保てず、そのために調子をくずして国内予選を通らないという自体になりかねない。選手たちはこんな矛盾したことに頭を悩まさなくてはならないのである。

こんなことに議論の余地はない。ルールと言うのは整合性が最重要である。プレーにこれほど影響のあることを国際大会と国内で別のルールを運用することは明白に間違いである。どうしてこんなに簡単明瞭なことがわからないのか不思議だ。

この決定のきっかけになったのは、先のグルー使用による事故だろう。しかし考えてもみよう。この世でもっとも尊いとされるのは人命だが、その人命を毎年何万人も奪う交通事故でさえ、それを確実に防ぐために自動車を全廃しようとか、あるいはすべての自動車の最高速度を時速30kmに規制しようという判断はされない。人命を失うことの重大性とその確率、他のこととのバランスでものごとは判断されるべきだからである。換気の良いところで使用するという使用方法を守らなかった人が不幸にもグルーで被害を受けた、そのことでいきなり禁止するというのはそういうバランス感覚のない短絡した判断である。健康に悪いものを禁止するという善意・正義にもとづくだけにたちの悪い間違いである。

国際連盟に合わせて来年の9月までグルー使用を継続したときのリスク(事故の程度と確率)と、今年の9月から禁止にすることのリスクとどちらが大きいのか。20年も使い続けてきたグルーが今年から急に危険性が増したわけではあるまい。一方、国際連盟よりも1年も早く禁止にしたら代表選手たちが困ることは100%確実で、なおかつそれは人生をかけてやっている選手たちにしてみれば死活問題である。今年しかチャンスが無いかもしれない選手だっているだろう。メーカーだって困るだろう。間接的に精神的健康を損なうことにつながる可能性だってある。どうしても今年廃止するべきだというのなら、どんなことをしてでも国際連盟を含めて今年の9月から禁止にすべきだったろう。

シャララ会長に褒められたのに覆すのは嫌だろうが、所詮は人間が決めた方針、覆せないものなどない。今からでも「やはり国際連盟と同じ来年から禁止」と考え直してほしいものだ。こんなことで心を痛めるのは本当に残念である。

もちろん私はグルー禁止自体は大賛成である。ただしその理由は健康被害の一点。「用具に頼りすぎ」とか「技術の低下を招く」などというのは見当違いである。競技スポーツである以上、勝ちやすい用具にこだわるのは当たり前であり、用具選びも楽しみの一つであり、そもそも卓球とはそういうスポーツである。木ベラから一枚ラバーが登場したとき、一枚ラバーからソフトラバーが登場したとき、ソフトラバーから高性能ラバーが登場したとき、当時の古い人たちはいずれも「用具に頼りすぎ」「技術が低下した」と嘆いた。技術的見地からグルーを批判する人は、今からでも「用具の性能に頼らず」一枚ラバーにでもして本当の技術力とやらを身につけることを主張したらどうだろう。

オチャラケです

私の卓球王国での連載の担当編集者は、野中陽子さんという。原稿もイラストもメールで送っているので、顔を合わせることはほとんどなく、イベントなどで年に1,2回お会いする程度である。

一昨年の全日本マスターズで山口に行ったのだが、野中さんが一人で取材に来ていた。か細い体で重いカメラを何個もぶら下げていて大変そうである。卓球王国は厳しい。せっかくなので、知人と一緒に夕食をご一緒した。

野中さんからは遅い時間にメールが来ることも多いので「若い女性があんな時間まで大変ですね」と労をねぎらった。野中さんは「いえいえ、私の担当はオチャラケの企画ばかりですから」と謙遜をした。「そうですか、オチャラケばかりなんですか。そうですか。オチャラケっていうと、どんなのがありましたっけ?『解体新書』とか『愛ちゃんの絵日記』とかですかね・・・・って、俺のかよ!」と言うと野中さんは「あ、そういう意味じゃないんです」とものすごくあわてて取り繕った。

いいんですよ野中さん。オチャラケで問題ないのです。

山口での楽しい思い出である(試合のことは思い出さないようにしている)。

*ブログを読んだ小室からメールが来た。

「台所で換気扇がありますので、焼肉は決まって卓球台の上でやります。自分の家の卓球台の上での食事は、味も気分も最高です。」

だそうである。完全に手遅れのようである。

そんなに卓球したいのか

卓球台を持つのが夢だった。卓球をはじめた中学生のとき、どうしても家で練習がしたくて、家にあった材木を使って卓球台を作ったが、フロの焚き木用の材木だったのでボールはぜんぜん弾まないし隙間だらけだし、片方の台を作ったところで飽きてやめてしまった。放っておいたら雪が積って潰れてしまい、風呂の焚き木になった。自宅で卓球ができたらどんなに良いだろうと、畳の上でシュルシュルと横回転サービスを出しながら思ったものだ。

結婚して間もなく、どうしても卓球場がほしくなった。家もないのに土地を買って卓球場を作りたいと言うと妻は「気が狂っている」と相手にしない。しかたがないので、まず家を建ててから卓球部屋を作ることにした。中古物件を何件か見に行った。広めの部屋で左右のフットワークをして広さを確かめたりすると不動産屋が怪訝な顔をするが、説明しても無駄なので説明しない。「この柱を取りたい」などというと、まだ住んでいる持ち主の顔が曇った。人間の感情というものを考えなくてはいけない。

何年か後、ついに家を建てて卓球部屋を作り念願が叶った。壁は卓球場らしく木目調のクロスだ。マシンと150ダースのボールも買った。風呂上りに全裸でマシン練習をしたり、寝る直前にふとパジャマ姿でサービスを研究したりして幸福感に浸った。しかしやはり一人練習は面白くない。ほどなくあまり練習をしなくなり、ついには卓球台はたたまれ、卓球部屋は子供たちがドッジボールをしたりエアガンを撃ったりする部屋になってしまった。

私の3番弟子の小室も家に卓球台があるのだが、それがすごい。家が狭いので、なんと卓球台を半分に切って台所に置いてるのだ。しかもマシン付き。ネットまで半分にしているところがいじましい。そんなにまでして卓球したいのかよ、と自分のことを棚に上げて呆れてしまった。しかし考えてみれば、卓球にとってもっとも重要なのは左右のコントロールよりも縦方向、つまりネットとオーバーのコントロールなので、これでも結構役に立つかもしれない。

それにしても台所である。やっぱり小室、卓球台で飯を食べるのだろうか。

生き物の記録

家の周りは自然がいっぱいである。ドーサンという町は中くらいの町なのだが、あちこちに原生林と思われる森がある。おそらくアメリカ全体が土地が広いので、こうなるのだろう。

我が家の裏は林に面しているのだが、そこの大きな木にキツツキが来て穴を掘り始めた。穴はだんだん大きくなり、とうとう全身が入るようになり、メスもやってきた(どっちがメスか知らんが)。こんなに間近で毎日キツツキを見るのはなかなか楽しく、いつしか私は「キツちゃん」などと呼んで見るのを楽しみにしていたのだが、なぜかいなくなってしまった。

道路ではよく車に轢かれて死んだアルマジロが見つかるし、リスはあちこちにいるし、通勤途中に鹿を轢いたので肉屋に寄ってから出勤してきた社員もいた。野生天国である。

3年ぐらい前に、こどもたちにせがまれてカブトムシの幼虫を飼ったことがある。プラスチックの容器二つに5匹ぐらいづつの幼虫を入れて、餌となる腐葉土を入れた。幼虫はほとんど腐葉土にもぐっていて見ることはできないが、小豆のような形の糞をするので生きていることがわかる。めったに見えない幼虫たちにしだいに情がわき、いつしか「カブちゃん」と呼ぶようにまでなっていた。あるとき、どうも生きている気配がしないので、容器をひっくり返してみると、なんと幼虫が一匹もいない。

そこで、何日か前からその容器の近くに土が落ちていたことにハタと気がついた。よく見るとそれは、腐葉土が入った30リットルのビニール袋に向かって点々と続いているではないか。近づいてみるとビニール袋の下から10cmぐらいのところに丸い穴が空いていて、そこから土がこぼれている。一瞬、顔から血の気が引いた。幼虫たちは、ツルツルの容器の壁を登り、何を頼りにしてか知らないが、腐葉土が詰まっているビニール袋めがけて突進し、袋を食い破ってその中に入り込んでいたのである。庭でビニール袋の腐葉土をひっくり返して探すと、案の定、そいつらは全員そこにいた。生命力の旺盛さに驚くとともに、大量の餌に囲まれた彼らがどれだけ興奮したかと想像して嬉しくなった。

何週間かしてたまたま庭をいじっていたら、ひからびた幼虫が一匹見つかった。拾い忘れたようだ。「そんなことしてて、なにがカブちゃんなんだか」と妻は言った。

その後、生き残った幼虫は全員成虫になったが、なぜか死んだりして飽きてきた。最後は、2匹を近くの適当な林に放して無理やりお終いにしてしまった。その林がカブトムシの生息に適していたかどうかは知らない。