タクシー・ドライバー

私の好きな映画の中に『タクシー・ドライバー』というのがある。

それとは関係がないが、最近乗ったタクシーの運転手が変わっていた。こちらが「次を右に曲がってください」などと道案内をすると、曲がるたびに「はい、右に曲がりましたー」と言うのだ。何の確認のつもりか知らないが、こちらが泥酔しているわけでもないのにいちいち状況を説明するのだ。私はこういう、口癖のようなものがとても気になるタイプなのでもう二度と聞きたくない気持ちになった。それで、家の近くに来て立て続けに曲がる場所にきたとき、「はい曲がりましたー」と言わせないように矢継ぎ早に指示を出してそれを防ぐことに成功した。

しかし最後に止めてもらったとき「はい街灯の下です」と言われてしまった。くそー。

不必要な確認といえば、コンビニの店員だ。支払いをしようとカードを出すと「カードからでよろしかったですか」ときたもんだ。カードを出しておいて実は紙幣で払いたいなどという可能性があると思っているのだろうか。

今野編集長の災難

今野さんから気の毒な話を聞いた。大阪で行われていた世界選手権代表選考会の帰り、男子ナショナルチーム監督の倉嶋洋介氏を乗せて車で東京まで帰ってきたらしいのだが、車中、倉嶋氏が「フライデー読みましたよ」と言ったという。

「何のこと?」と今野さん。「とぼけないでくださいよ。アレ、今野さんでしょ?」と倉嶋氏。詳しく聞いてみると、12/20発売の写真週刊誌フライデーに、ユース五輪の選考をめぐる揉め事の記事が載っていて、その中に「卓球専門誌記者」のコメントが出てくるのだという。それがかなり協会に批判的なコメントなのだが、卓球王国のウエブや雑誌で今野さんがこの問題を何度か書いていることから、これは今野さんだと思われているというのだ。

思い返してみると、今回の取材中、協会の人たちがどことなくよそよそしかったという。なんとも気の毒な話だが、正直、面白い。卓球専門誌といえばメーカー誌以外には卓球王国ぐらいしかないのだから「この記事を読んだら自分でも俺だと思うよな」と今野さん。「卓球界の90%以上はこれ今野さんだと思ってますよ」と倉嶋氏。

実際は、今野さんは、週刊誌の取材はすべて断っているという。昔は、何か有名になるような気がして喜んで取材を受けていたのだが、結局、悪い発言ばかり取り上げられてロクなことがないことがわかったので、断ることにしているという(しかも名前も「金野」などと間違われる始末らしい)。

それにしても、取材を受けた「卓球専門誌記者」とは誰なのだろう。といって、それほどひどいコメントをしているわけでもないので、まあ騒ぐほどのことでもない。

ただ、今野さんは「俺じゃないって!」ということなので、代わりに私がこんなところでひっそりと書いてあげる次第だ。

キラ星の如く

先日、NHKで和食関係の番組を見ていたらとても興味深い場面に出くわした。

登場した料理人が、尊敬する人たちのことを「キラ星のような人たち」と表現をした。これは誤用である。世の中にキラ星などというものはない。キラとは綺羅、つまり綺麗な衣装のことなのだ。綺麗な衣装をまとった人たちが星のように大勢いる様が「綺羅、星の如し」である。この誤用はもはや誤用とは言えないほどに定着しているので、料理人が間違えるのは仕方がない。

面白かったのは、料理人がこの誤用をしたちょっと後に、ナレーターがまったく正しい用法で「綺羅、星の如し」と言ったことだ。これは「スタッフはちゃんとわかってるよ」というNHKの表明であるに違いない。さすがに料理人に「それ、誤用なので言い直してください」とは言えないし、かといって放置すれば、うるさい視聴者(私はやりません)から「間違った日本語を放送するな!」と苦情が来るかもしれない。これを巧妙に回避するために文脈上不要なのに、わざわざこの台詞を使ったのだ。

いろいろと気をつかっているなあとニヤリとさせられた。

花巻のキクちゃん

先週は出張で、羽田の東横インに泊まった。仕事は品川だったのだが、わざわざ羽田のホテルに泊まったのは、その近くにある居酒屋に行きたかったからだ。8月に羽田から飛行機に乗る仕事があり、そのときに同じホテルに泊まり、近くの小さな居酒屋に入って楽しい思いをしたので、論理的ではないが、なんとなくまた楽しいことがあるような気がして今回も行ったのだ。

前回入ったとき、最初は「失敗した」と思った。地味だが旨い料理に地酒を取り揃えてあるような店を期待して入ったのだが、そのどちらでもなかった。料理は焼きそばや冷奴、フライドポテトに枝豆と種類が異様に少ないし、酒はコンビニで買えるようなものばかりで、夢も希望もない店だった。しかもママさんともう一人の店員は、どちらも客席に座りっぱなしで客と話すのに忙しく、私が焼きそばを注文してもさっぱり作らない。しかもその話の内容は「PTAの会長とお母さん方がデキているのは常識」とか頭の痛くなるような話だった。

私が入るとすぐにママさんから「東横インの方でしょう?」と言われ、ちょっと感心したのだが、今回も同じことを言われ、よく考えると顔見知りの客以外は近くのホテルに泊まっているに決まっていることに気がつき興覚めであった。ママさんは「90%は当たる」と言った。羽田というと飛行場の印象しかないが、周りには会社や住宅地があり、この店には出張者ではなくて近所の住人が来ているというわけだ。

自分以外は全員知り合いの店というのは気持ちが良いものではないから、入ってすぐに帰りたくなったのだが、そういうわけにもいかず飲み始めたら、隣に座った私よりちょっと年配の気の良い男性の身の上話が面白く、引き込まれた。この近くの会社に勤めていて、昔は月に3週間は韓国と台湾に出張していて、それに関連した苦労話や武勇伝とかそんな話だ。韓国に行くと珍しいものを食べさせようと犬を食わせる客がいるが、もう飽きていて珍しくなくても驚いたふりをしなくてはならないとか言っていた。なるほどなあ。

それが妙に面白かったので、その人がいるとは限らないのに、今回もその居酒屋に入った。その男性「クラさん」は前日に来ていたそうだが、その日はいなかった。しかし今回隣に座った男はそれ以上に面白い男だった。

キクちゃんと呼ばれるその男は、37歳で、なんと私と近い花巻の出身だという。とにかく気の良い男で、いろいろと身の上話を聞いたのだが、高校生のとき「何も悪いことをしていないのに警察に4回捕まり、指紋をとられ四方八方から写真を撮られた」そうだ。具体的に聞くと、友達が盗んできたバイクをばらして改造してあげる商売をしていただけだという。家に溶接の道具があったので無免許で溶接もしていたそうだ。また、近所で痴漢が出たときには真っ先に疑われやはり警察に引っぱって行かれたという。学校でテスト中に警察が来たこともあるという。カンニングもしていないのに何かと思ったら(カンニングで警察が来るか)、つきあっていた彼女が車の無免許運転をしたので、両親のいない彼女の身元引受人として呼ばれたのだという。「何も悪いことをしていない」というのは「殺人も窃盗もしていない」ということなんだと思う。

当然のように暴走族にも入っていたそうだ。暴走族は勝手に作ってはいけなくて、ちゃんとヤクザの組に申請をしないといけないのだという。あるときヤクザの人の家に行くと、昼間っから「仁義なき戦い」のビデオを見ていたという。「あ、やっぱり見るんだ!」と思ったそうだ。

腕にやけに大きな白い腕時計をしていたのでどういうものかと尋ねると、シャネルの偽物だという。本物なら70万円もするが、これは偽物なので5万円だったという。何年か前に東京に出てくるときに弟からはなむけにもらったそうで、心のよりどころだそうだ。そんな偽物がどこで売っているのかと聞くと、ヤクザが売りに来るのだそうだ。ジップロックなんかに入っているが、望めば保証書や箱もつけてくれるという(要らない・・・)。

 

キクちゃんによると、本物は一目でわかるそうだ。というのは、以前、ロレックスの50万円の腕時計を持っていたのだが、金属の光沢などが全く違うのだそうだ。あと、本物は日付が零時きっかりに変わるのに対して、偽物は少しづつ変わるのだという。50万円もするロレックスは、博打で負けて取られたそうだ。よくそんな高い時計を買えましたねと言うと「ローンをすれば誰でも買えますよ」とのこと。

キクちゃんは4人兄弟の長男で、最近、妹が結婚をしたいという男を実家に連れてきたという。その男は貯金もなく借金があるのだそうで「そんな男はダメだ」と反対をしているそうだ。キクちゃん自身は、花巻にいたときに彼女がいたのだが東京に出てくるときに別れ、今は酒とパチンコに絞って一生独身と決めて、週に3日はこの店に通っているそうだ。

ちなみに、キクちゃんの隣に座っていた「班長」と呼ばれる人も独身で週に5日この店に通っているそうだ。近距離のトラック運転手で仕事では実際に班長なのだという。この方も何とも言えない味のある方で、九州出身だが「東京は暖かくて良い」と言っていた。彼によれば、九州も東京も緯度はほとんど違わず(初めて聞いた)その他のファクターの方が支配的なのだそうだ。

とても人には勧められないが、なんとも不思議な店である。次回の出張の時にも行ってみようと思う。

『卓球本悦楽主義』eBook発売!

ついに私の記事が電子書籍化された。『卓球本悦楽主義』だ。これは私の初めての雑誌連載であり、2004年1月号から2年間にわたって続いたものだ。

https://world-tt.com/ps_book/ebook.php?lst=2&sbct=D&dis=1&mcd=DZ005

連載までのいきさつはeBookの最後の「発刊にあたって」に詳しく書いたが、連載の第1回の号が書店に並んだ時のことはついこの前のことのように覚えている。2003年11月のことだからちょうど10年前だ。この連載のきっかけを作ってくれた故・藤井基男さんの出版記念パーティーに呼ばれて東京に行く日が発売日で、仙台駅の書店で手に取ったのだった。ティモ・ボルが表紙のかっこいい号だ。自分の名前が雑誌の執筆者のところに印刷されているのが信じられず、目次やら表紙やら何度も何度も眺めた。それまでの人生で嬉しかったことをいくつか思い出してみて、それらのどれよりも嬉しいことを確認した。「あ、これは一番だ」と思った。数時間後にもらえることがわかっているのにその場で買った。我慢できるわけがない。今もその書店に行くとそのときのことを思い出す。

この連載は、あろうことか卓球の指導書を一冊づつ紹介するという連載である。もちろんただの紹介ではない。わざと変なところだけを取り上げて皮肉交じりに論評をするという、マイナーにもほどがある連載だ。卓球の指導書は200冊以上もっているし、幸いにも卓球の指導書というのは「変なところ」だらけなので、ネタには困らずなんとも楽しい夢のような2年間だった。マニアックな内容なので、卓球に詳しくない人にはキツイかもしれないが、卓球マニアのハートをがっしりと鷲づかみにする内容になっていると自負している。自分では今の連載『奇天烈!逆も〜ション』よりも面白いと思っているくらいだ。

『卓球本悦楽主義』の連載を始めて2年が経った頃、担当の野中さんから次のようなメールが来た(原文)。

「卓球本悦楽主義の連載は、10月発売の12月号(24回目)をもって、一旦終了でお願いします。ただ、かなり人気の高いコーナーだったので、様子を見て、また違う形などでお願いするかもしれません。その時は、またご協力をお願いします。」

「ああ。これで夢の時間が終わる」と目の前が真っ暗になった。人気があるなら終わるはずがないし「違う形でのお願い」などあるわけがない。社交辞令なのだ。と落ち込んでいると、2週間後に今野編集長から

「さて、2年にわたり連載していただいた卓球本悦楽主義も終わりに近づいてきましたが、ひとつお願いがあります。卓球コラムニストとして、その時の世相や、卓球界のホットな話題、などを取り上げながら、伊藤さんの独特のタッチで新たなコラムをお願いできませんか。」

とメールが来たではないか(原文)。ひゃっほーう!本当だったんだ!と今度は有頂天になる、まったく起伏の激しい2週間だった(仕事どころではない)。もっとも、いざ書いてみたら「面白くないので書き直してください」と言われる一幕はあったものの、こうして2006年1月号から始まったのが今の『奇天烈!逆も〜ション』なのである。そちらは8年も経ってしまった。もはやライフワークのつもりで書かせてもらっている。次はこちらの書籍化が目標だ。

ポール・マッカートニーのライブ

11月21日に、ポール・マッカートニーのライブを見に東京ドームに行ってきた。中学生のころから慣れ親しんできたポール・マッカートニーをついに生で見る時がきた。

水道橋駅に降りると、道路のあちこちにポール・マッカートニーの文字が躍っていた。さすがポール、道端にまでバカでかい看板がある、と思っていたらトラックだった。クルーのトラックだろうか。こんなギリギリに会場入りするわけがないから宣伝カーだろうか。よくわからない。

かと思えば、これからポール・マッカートニーを見に行こうとしている私に「来月のエリック・クラプトンとディープ・パープルはいかがですかー」などと声をかけてくるバカ者がいる。なななな、なにがクラプトンだ!こっちは今からポールに会いに行くのだっ!ポールだっ!

東京ドームには初めて行ったのだが、ドームに近づくと、当日券を買う人たちの列が何重にもなっていてさっぱりドームにたどり着けなかった。おまけに、係員たちが「最後尾の方々は開演までに入れないかもしれませーん」などと脅しのような言い訳のようなことを言っていた。

会場に入るときに、係員からポールヘのサプライズだということで折ると赤く光る棒を渡された。アンコールで歌われる「イエスタディ」のときに振って会場を赤く染めてほしいという。なるほど。コンサートではこうやってみんな棒を振らされているのか。今や私がその仲間入りするわけだ。何とも言えない違和感がムラムラと湧いてくる。ムラムラ感の理由を考えてみると、私にとってのビートルズは、そういう聞き方をするものではないからだ。

席はステージから遠い2階席だった。チケットが公開になってすぐに買ったのにこの席だ。どうやったら近くの席にできたのか聞きたい。

初めて見る東京ドームは意外に小さく感じた。こんな中で野球ができるのかと思うほどだが、やっているのだからできるのだろう。野球の芝生のところ全面にカーペットが敷いてある。気が遠くなるような作業だ。私は裏方の人たちの苦労に感謝しようという魂胆でこう思うのではない。単純に自分だったらこんなことやるの嫌だなあと半ば恐怖心で思うだけだ。

20分ほどじらされたあと、ついにポールがステージに登場した。遠すぎて肉眼ではほぼ見えないので、ステージの両脇に表示されたモニターを見た。一曲目は「エイト・デイズ・ア・ウイーク」だ。やはり鳥肌が立つ。曲は忘れたが、次々とビートルズの初期の曲をやる。やっぱり良い。「夢の人」までやる。「アナザー・デイ」までやる。「ラヴリー・リタ」までやる。「エリナー・リグビー」までやる。くそーっ(涙)。

良いがしかし、CDやDVDでの感動と大きくは違わない。ボールが肉眼で見えないことと、会場の盛り上がりがそれほどでもないことで、コンサートならではの部分が少なかったからだろう。私の見える範囲では立って踊っている人が一人いただけで、あとはおとなしく座って聞いていた。

ポールの声はとても70歳とは思えない伸びだった。20年ほど前の日本公演のCDとまったく何も変わっていない感じがした。「オール・マイ・ラヴィング」のときに、ちょっとキーが低いように感じたので、私も歌ってみたがまったくでないほどの高音だった。いくら70とはいえ、プロとでは勝負にならなかった。「温泉卓球しかしたことのない素人が70歳の木村興治に卓球を挑んだようなものだな」というフレーズを思いついて満足した。

亡きジョン・レノンに捧げた「ヒア・トゥデイ」ではやはり激しく感動して全身に鳥肌が立った。その鳥肌があまりにも強烈で、いつまでも胸のところがジンジンすると思ったら携帯電話が震えていた。卓球王国編集長の今野さんからだ。昨夜「明日はポールのライブに行きます」と言っておいたのにもう忘れている。着信ボタンを押して無言で携帯電話をボールの方に向けてやった。満足してくれたことと思う。

私の隣には明らかに20代前半の青年が座っていて、ほぼ全曲に合わせて首を振っていた。こんな未来ある青年がポールなんかに熱中していていいのかと少し心配になった。

それにしても、アンコールからの選曲がたまらなかった。「デイ・トリッパー」「ハイ・ハイ・ハイ」「ゲット・バック」ときた。そしてこれが終わって帰ろうとするポールとそれを引き止めて説得するメンバーのジェスチャーの末に始まったのが、「イエスタデイ」「ヘルター・スケルター」「ゴールデンスランバー〜キャリー・ザット・ウエイト〜ジ・エンド メドレー」だ。

「イエスタデイ」では渡された棒をバキッと折って赤く光らせて私も嫌な集団の一員と化した。こんなの嫌だよなポール、嫌だと言ってくれ。くそーっ(泣)。

などということや、どこかに話のネタはないかとか、いろいろなことを考えすぎて楽しめなかった感があるのでぜひもう一回見たいが、それは無理なのだろうな。こんなことなら会社を辞めて毎日東京公演に行くのだった。くそっ。

バーコード付きアメリカ人

先週の金曜、元同僚の就職が決まったというので、お祝い会を開いた。その同僚の奥さんが二次会から参加をしたのだが、そこに連れてきた英会話教室の講師というアメリカ人が面白かった。なにしろ腕にバーコードの入れ墨をしているのだ。シールを貼っているだけではなくて本当の入れ墨だという。彼は生涯このバーコードとともに暮らしていくのだ。銭湯で入浴を断られるリスクを冒してでもこの冗談を貫きたかったということだろう。

彼は仙台にもう8年も住んでいて、日本をかなり気に入っているそうだ。「日本の女性が好きなんでしょう」というと、彼は待ってましたとばかりに解説をし出した。彼も日本に来たばかりのころは日本の女性がとてつもなく魅力的に見えて舞い上がってしまったという。英語ではこれを「イエロー・フィーバー」と言うのだそうだ。ところがそれは最初だけで、いざつきあってみると日本人の女性は「トテモ、メンドクサイ」とここだけ日本語で語った。

アメリカ人の女性もかなりいろいろと主義主張があってめんどうな部分があるが、彼女らは明確にそれを伝えてくるのだそうだ。いわば最初にルールブックが与えられるので、こちらはそれを守っていればよいので楽なのだという。ところが日本女性は決してルールブックを与えてはくれない。「なんでもいいよ」と言いながら決してなんでもよくはなく、しかもそれを彼に伝えないのでさっぱりわからないのだそうだ。だからわけもわからず不機嫌になられ、大変に難しいのだという。

うーむ。それでなくても難しいのに、バーコードの入れ墨ではなあ・・・。

日本の良いところを聞くと、多くの外国人が言うように、安全なところだという。たとえば仙台の国分町のような繁華街なら、アメリカだったら90%以上の確率で銃をつきつけれられて金を脅し取られるが、日本だと自分が外国人なのでむしろみんなが避けてくれるという(これ、良いことだろうか)。

嫌なところもあって、外国人であることがいちいち目立つことだという(やっぱりか)。友人に店に連れて行かれたりすると店の人などから「アメリカ人の友達がいるんですか?かっこいいー!」などという展開になり、そういうのはもううんざりだという。自分が単なるマスコットとして扱われているような感じがするそうだ。

実はこの夜、マスコットどころか彼は思わぬ本領を発揮することになる。

昔の手紙

先日、学生時代の友人と久しぶりに会った。彼とは大学を卒業してしばらくして2回ほど会っただけだから、まともに遊んだのは卒業して以来であり、28年ぶりということになる。

久しぶりに会うにあたって、お土産として、昔彼からもらった手紙をすべてコピーして持って行った。こいつは私の名前をいつも間違えて「丈太」と手紙にまで書いてくるのだ。

電子メールがなかったあの時代には、重要なことはもっぱら手紙でやり取りをしていた。こういうものが形で残っているのは楽しい。なにしろ肉筆はその人の肉体と精神が反映されたものだから、その情報量は到底電子メールのおよぶところではない。

この悪意を感じさせるほどの乱雑な文字と、愚劣の極みともいえるどうでもいい内容が、彼の人となりを物語っている。

なぜだか全文が英語の手紙をもらったこともある。もちろん日本に住んでいるのにだ。さすがにこのときばかりは気が狂ったのかと思ったものだった。英語とはいえ書いている人間の頭の中身は同じなので、その内容は”CATCH GIRLS”などという単語が散見される愚劣な物であることには変わりがない。おまけに夥しい数のスペルミスがあり、最後の段落の3行目からは突然、”SOREKARA HISABISANI KING CRIMSON GA KIKITAI”などとローマ字になっている。ここで急に力尽きたのだ(笑)。なんたる根気のなさ。なんたる計画性のなさ。そしてこんな不完全なものを友に送り付けて「良し」とする大らかさ。大物だ。

学生時代は教授に「君みたいな学生は見たことがない!」と罵倒され、およそまともなことは何もしなかった彼だが、卒業後はヨーロッパや南アフリカを転々とし、今では私の2倍以上もの高給取りだ。

つくづく、大物は学業の枠には収まらないのだなあと思う。

仮処分

高3の次男がテレビのニュースを見ながら「俺も仮処分すっかな」と言った。「何の仮処分よ?」と言うと、「いや、なんだかわからないけどカッコよくね?仮処分って」だと。ダメだ。いよいよ本格的だ。

これを聞いた双子の長男は「わかるわかる。カッコいい。お父さんわからない?」だって。ブルータス、お前もか!

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