今日は久しぶりに卓球王国編集部に来ている。
見慣れない青年がいるので挨拶をすると「僕も伊藤です」ときた。アルバイトだという。
そして
「最近、逆も~ションのブログが更新されていないので寂しいです。いつか僕も載せて欲しいです」
と続けた。
先日のバスケットボールファンの方は、テレビ放送でバスケットのシュートが入ったときにアナウンサーが「ゴール~っ!」と言うことに腹が立つのだそうだ。
「バスケにゴールなんかねえ、それはサッカーだっ!」
と憤りを隠さない。わかる、わかるぞその気持ち。
私も卓球のテレビ放送で「ショット」と言われると「それはテニスだっ」と思ってしまうのだ。
ところが先週買った卓球指導書ではなんと、卓球人自らが堂々と「ショット」を連発しているではないか。この調子で「ショット」が定着してしまったら嫌だ。
もっともその本は「裏ソフトは球離れが遅いので、初速が遅く、だんだん速くなるように感じる」とか、「ラケットの両面を異色にしなくてはならないルールなので赤と黒にするのが主流」と書いているほどの本なので「ショット」以上に危険な香りがするのだが。
先日、ちょっとした仕事で熱烈なバスケットボールファンとお会いした。
卓球から見れば、バスケットボールはいわゆるスクールカーストの上の方に位置し、さぞかし楽しい人生を送っているに違いないと思いきや、彼に言わせれば、バスケットボールファンは、かなりのルサンチマン(憤り・怨念)を抱えているという。
たとえば、サッカーのワールドカップでの日本の活躍に日本中が沸いたが、実はほぼ同じ期間に、バスケットボールのワールドカップのアジア地区一次予選が行われており、日本代表がオーストラリアに奇跡の勝利を収めたのに、何の報道もされない。
「卓球の方が注目されていて羨ましい」
とまで言う。
嬉しくて笑うのを堪えるのが大変であった(いや、笑ったかもしれない)。ずっと上だと思っていたバスケットボールがよりによって卓球を羨ましいだなんて。
「でも、バスケットにはスラムダンクとかの影響でカッコいいイメージがあるし、背の高い男子も入るし、卓球からしたら羨ましいですけどね」
と一応、謙遜してみると(この場合、私自身が卓球と同化しているので謙遜なのだ)
「それはそうかもしれませんが、いつまでマンガの話をしてるのかってことですよ」
と、あくまで被害者意識を崩さない。
熱烈なバスケットボールファンと話したのは恐らく人生で初めてだが、人は誰でもコンプレックスや僻みがあるものなのだなあと思った。
そういえば、女性はどんな美女でも、やれ鼻が高すぎるだの耳が出っ張ってるだのと些細な気に入らないところを見つけてはくよくよしているものだとファインマンの本に書いてあったことを思い出した。
とにかく今、卓球はイケてるらしいので、そう思い込んでおくことにしよう。どう考えても40年遅いが。
かねてから私が「不愉快な奇跡」と呼んでいる現象がある。
偶然にしてはあまりにもできすぎた不愉快な現象のことだ。
たとえば部屋で歩いていると天井からぶら下がっている電灯のヒモがメガネのレンズとツルの間に偶然にもすっぽり入り、歩いただけでメガネが吹っ飛んでしまうとかだ。そんなこと、わざとやるとしたら相当に大変なことで、どれだけ時間がかかるかわからない。
足の甲の毛が靴下で擦れて、いつのまにか団子結びになっていて痛くて悲鳴を上げたこともある。よじれていただけではなく、本当に結ばれていたのだ。こんなこと、あるか!
今日、またひとつ「不愉快な奇跡」が起こった。
自動車から降りるときに、助手席に置いていたリュックを取ろうとしたら、ベルトが何かにひっかかって取れない。よく見ると、ベルトの穴にドリンクホルダーの端が入っているではないか。
畜生、よくもこんなところに入ったものだと腹を立てながら抜くと、まだリュックがひっかかる。よく見ると、もう片方のベルトの穴に、シートレバーがすっぽりと入っているではないか。
ふ、ふざけるなっ!
こんな、わざとやろうとしたら何千回、何万回かかるかわからないようなことが、なぜよりによって今日、起きたのだ?
神様だの運命だのは私は全否定だが、これが偶然だとはどうしても思えない。まあ、自然淘汰によって人類ができたことを思えばどうってこともないが。
明日の朝の日本テレビの「シューイチ」という番組用に、ジャパンオープンにちなんで伊藤美誠、平野美宇、張本智和選手の解説をする収録が今終わった。
さて、どういう放送になることやら。
先週の土曜に、いつも中学生に卓球を教えている近所のコミュニティーセンターに、昨年まで教えていた卒業生が顔を出した。今春、高校に入ったのだが、嬉しいことに高校でも卓球部に入ったという。ところが顧問の先生と合わず、なんだかんだと不満を口にした。
ついにはその容姿にまで言及し「河童のようにハゲたオヤジなんです」と、うっかり口走ったものだから、その場にいた全員が私を見て笑った。私も河童のようなものだからだ。
そこまではよかったが、今年入ったばかりの怖いもの知らずの1年生が「伊藤さん、会いに行ったらどうなんですか?」と言ったのには笑った。
いかなる理由で私がその河童に挨拶しに行かにゃならんのだ。河童どうし話が合うとか、はたまた種が同じだから一緒にいるべきだとでも思ったのだろうか。
中学生を教えていると、こういう思いもよらぬ発言に出くわすのが面白い。ついこの前まで小学生だったという、半分神様のような存在なので、人間には予想がつかないようなことを言うのだ。
練習の後、中学生を家に送っている車の中で、翌日練習に来ない予定だというのでその理由を聞くと「めんどくさいからです」と答えられたことがあったし、大会で勝った生徒が「それほど勝ちたくもなかったけど審判をするのが嫌だから頑張りました」と言ったこともあった。
とにかく面白い。