少なすぎる梅酒

友人たちと恒例の忘年会を行った。

この店、料理は美味しかったのだが気になることがあった。梅酒や焼酎のロックを頼むと、コップにあまりに巨大な球形の氷が入っているために入っている酒の量が少ないのだ。どれくらい少ないか確かめようと、氷だけとなったコップにカクテルを注いで見ると、なんとほんの2cmほどそそいだだけでコップは一杯になってしまった。ムチャクチャな少なさである。写真の赤い円が氷の大きさだ。カクテルに入っている氷もかなり怪しい大きさではあるが。

あまりのことに面白がって写真撮影をする杉浦君であった。

『アビイ・ロード』のB面

注文をしていたジョージ・ハリスンの伝記映画『リビング・イン・ザ・マテリアル・ワールド』のブルーレイが届いた。念のために書いておくと、ジョージ・ハリスンとはビートルズのメンバーだった人で10年ほど前に死んだ人だ。

当然、ビートルズ関係の映像やらエピソードがたくさん出てきて、勢いがついてしまったので、久しぶりにビートルズの曲を聴き込むことになった。

何ヶ月か前にテレビでビートルズの曲名をタイトルにした映画『ゴールデン・スランバー』を見たこともあり、その曲が入っている『アビイ・ロード』のB面(アナログレコード時代の用語だ)を聴いた。

『アビイ・ロード』はビートルズのメンバー間の関係が最悪で、できるだけ顔を会わせないようにして録音した最後のレコードである。発売は『レット・イット・ビー』の方が後だが、録音は『アビイ・ロード』が最後だ。当然、ビートルズ自身もこれが最後かもしれないと思いながら録音したので、曲の内容とか歌詞がそれを意識したものになっている。少なくともファンにはそう聞こえるが、ロックという表現形態を考えれば、バンドの状況を歌にしていたとしても不自然ではない。

『アビイ・ロード』のB面は曲の間の切れ目があまりなく、メドレーになっている。未完成の曲が多かったので、面倒だからつなげてしまえとポールが思いついたと言われている。
メドレーの後半「ゴールデン・スランバー」では「昔、道があった/故郷へと帰る道」という詩で曲は始まり、黄金のまどろみを誘う子守唄が奏でられる。
次の「キャリー・ザット・ウエイト」ではいよいよ「おまえはあの重荷をずっと背負っていくんだ/これからずっと」と繰り返し「僕は君にまくらを渡すわけじゃない/招待状を贈るだけだ/そしてお祝いの真っ最中に/僕は倒れる」といかにも意味深なことを歌う。彼ら自身へなのかファンへ向けてなのかとにかくただならぬ歌詞だ。

そして曲調が変わり「ジ・エンド」へとなだれ込む。冒頭に登場するのは、ビートルズの曲で最初で最後のドラム・ソロだ。かつての無名時代、メンバーがドラマーを探していたとき、ドラム・ソロなんかやる自己顕示欲の強いドラマーは嫌だと思っていたボールは、声をかけたリンゴ・スターに「ドラム・ソロなんてどう?」とわざと聞いて、ドラム・ソロをやりたがらないことを確認したというエピソードを自然に思い出す。メンバーは、最後を迎えるにあたってその花道をリンゴに用意したのだ。
ドラム・ソロが終わると、今度はこれまたビートルズには珍しいギター・ソロだ。ビートルズはテクニカルなバンドではないので、ギターのテクニックを誇るような曲はほとんどないのだが、ここでは憎いことに3人のメンバーが、ポール、ジョージ、ジョンの順で同じ長さづつ思い思いのソロを3回繰り返して弾く。もちろんこれは聞いて分かるわけではなく、そういう説明がされているというだけのことで、本当はこの順ではないのではないかとか、誰かがひとりで弾いているのではないかとか言っている人もいる。

最後のジョンのギター・ソロが終わると同時にそれまで大量の楽器で盛り上がっていた音はすべて消えうせてポールのピアノの単音だけとなり「結局のところ/君の受ける愛は/君が与える愛と同じになるんだ」と歌われ、オーケストラがかぶさり音的にも大団円を迎える。
http://www.youtube.com/watch?v=4HCaBAV4ZTI&feature=related

余りにも見事な構成である。後年、ポールがアビイ・ロードのメドレーをスタジオで再現したとき、エンジニアが感極まって泣き出したという。そりゃ泣くだろ、目の前でポール・マッカートニーにこれをやられたら。

そのようなことを思い出しながら『アビイ・ロード』のメドレーを聴きなおしたのだった。オチがなくてすまん。

善意合戦

正月が近づいて思い出すことは、親戚同士がよくお金を押しつけ合う光景だ。

お互いに遠慮だか礼儀だかを重んじて相手にお金を押し付け合うのだが、この光景がなんとも私には不愉快なのだ。一度や二度のやりとりならわかる。しかし延々とこれを続けるのはどういう神経なのか。

どう考えても相手はお金を渡したがっているのだから、それを突き返すのは礼儀どころか相手のことを考えていない自分勝手な所業である。中には、自分の金を延々と返されることに本気で腹を立てて怒り出すヤツまでいたり、帰り際にこっそりと相手の持ち物に金を忍ばせて勝った気になるヤツまでいる始末だ。こういうのは、礼儀が何のためにあるのか、まるで分かっていない人たちがやることなのだ。礼儀を「善意の勝負」だとでも思っている風である。

私は小さい頃からこういう光景を見せられてきて、そのバカバカしさにほとほとうんざりさせられてきた。小学生だったあるときなど、親戚が余りにも目に余る金の押し付け合いをしているのを見てムラムラと腹が立ってきて、そのお金を横から取り上げ「そんなに要らなかったら俺が捨ててやる」と言って遠くに投げたことがあった。当然、父にしたたかにぶっ叩かれて泣く羽目になったが、私の考えは今も少しも変わらない。

その反動もあってか、私はお金を出しても二度ぐらい遠慮をされたら引っ込めるし、もらうときも同じである。その方が相手は心地よいのだし、こちらは金が儲かるのだから一石二鳥だ。とにかくこのような空疎なやりとりは一刻も早くやめてもらいたいものだ。

愛車コレオス

社内の飲み会で、久しぶりにアメリカで同僚だった宮根さんと会い、震災で車を流された話になった。

震災全体の被害のスケールを考えれば、車を流されたという程度のことは笑い話の範疇だが、その中でも被害の大小はある。私などは29万円のクソマーチが流されただけなのでそのショックは最小の部類だが、おそらく宮根さんはその対極に位置するだろう。

宮根さんいわく「ルノー社初の本格的SUV(スポーツ用多目的車)のコレオスという車で、納車して10日目でした」とのことだ。「ガソリンは入っていました?」と誰かが聞くと「納車のときに満タンにしてもらっていました」と残念そうに語った。車の値段からすればガソリン代などどうでもよさそうなものだが、車を流された人の間では、他に言う事がないこともあり、結構ガソリンの話題で残念がったり笑ったりするのだ。

津波の後で宮根さんは、3台重なった車の一番上に自分の愛車を見つけたという。大事そうにその写真を持ち歩いていた。

地理の問題

中1の息子の地理の問題集を見てつい吹き出してしまった。

「次のうち、人口が集中しているのはどこか2つ選べ」という問題なのだが、その選択肢が

ア 工業の発達した先進国
イ 極地付近
ウ 砂漠地域
エ アジアの稲作地域

というのだ。中1だと分からない生徒もいるのかもしれないが、よりによって「極地」だの「砂漠」だのという選択肢がなんとも可笑しい。“サハラ砂漠の村上”さんつながりというわけではないんだが。

“サハラ砂漠の村上”

村上孝さんはとても珍しい指導者である。なにしろ実技がほとんどできないのだ。柏山さんいわく「カリスマ性はゼロ」だそうだ。

それではどうやって指導をしているのかというと、とにかく勉強熱心なのだ。指導者にありがちな自己顕示欲やプライドが皆無なので、脈絡がないほどにあちこちの指導者や選手を訪れて話を聞くのだ。この日も渋谷氏の話をくらいつくように聞き「私は情報に飢えているので渋谷さんのお話は砂漠に撒いた水のように私に染み込みました。“サハラ砂漠の村上”と呼んで下さい」と語った。

村上さんのもうひとつのネックは、あまりにも訛っているために地元の子供たちにすらときどき話が通じないことだ。私は彼の話はすべてわかるが、とても真似をすることはできない。同じ地域の人と比較しても1世代ぐらい上の訛り具合だと思う。小学生のとき、先生に「訛るな」と言われて頭を黒板にガンガンと叩きつけられたという人なのだ(訛りが個性だなどともてはやされる前の不幸な時代の子である)。

また、どこかでのイベントの酒の席で日本卓球協会の前原正浩専務理事に「名前と顔を覚えてもらうために」わざとからむという、トータルで得なのかどうなのか良く分からないこともする人である(本人は戦略家だと思っているようである)。今回は村上さんのおかげでこの懇親会に入れてもらったのでこれ以上は書かないが、そういうときはくれぐれも私の名前は出さないでもらいたいものだ。

ともあれ、4時間も渋谷五郎氏の話を聞けた、充実した懇親会であった。

柏山節

渋谷五郎氏の貴重な話にときおり割って入って「私の思っていた通りです」と微妙に違う持論をぶちかましていたのが私の恩師である柏山徹郎氏である。

最近では腰を悪くしたとかで杖をついて歩いていて、さらに芝居がかったようなコートまで着ているので、異様な雰囲気であった。クリスチャンが見たら悪魔か何かのように見えるのではないだろうか。

ともかく、卓球狂としての迫力に満ちており、渋谷氏とは別の実績のはっきりしないカリスマ性を発揮していた。

渋谷五郎氏との卓球談義

夜の懇親会では、東京卓球連盟の代表でこられた渋谷五郎氏を囲んでの卓球談義に花が咲いた。渋谷五郎氏は1959年の全日本チャンピオンで、同じく1999年全日本チャンピオンの渋谷浩氏のお父さんである。日本の卓球史において攻撃を重視したカットマンの草分け的存在である。

渋谷氏を囲んだのは、岩手県卓球協会会長の小野豊氏、奥州市卓球協会会長の柏山徹郎氏、同副会長の宍戸時雄氏、岩手県ホープス委員長の村上孝氏である。柏山さんと村上さんは私の高校の先輩であり卓球の恩師である関係で、このような会に入れてもらったというわけである。

渋谷氏の話は、いろいろと奥が深く面白かった。私が知らなかったのは、中国のカットマンは昔は重心が低かったということだ。それが1961年の北京大会で渋谷氏が重心の高いプレーをして以来、それを参考にして中国のカットマンの重心が高くなったのだという。
北京大会では床が滑ったというのが有名だが、その点について聞いてみると、特に被害を受けたのはヨーロッパの選手たちで、遠くからストップを取りに前進してきて止まることができずに、台の下をくぐってそのまま相手の足元まで滑っていく光景がたびたび見られたという。

荻村伊智朗がたびたび語る伝説の名勝負、李富栄との一戦についても聞いてみた。最初、李富栄はバンバン滅茶苦茶にスマッシュをしてきたという。「これじゃこっちももたないけど向こうももたないだろ」と思っていると、案の定、途中からドライブを掛け始めたという。それで2-0とリードをして勝てるかなと思っていると、ツッツキ戦法に転じ、結局は2-3と逆転負けを喫したという。「ドライブ、スマッシュ、ツッツキの3段構えの作戦だった」と、この名勝負を本人の口から聞くことができる光栄に浴した。

現在の選手のプレーに対する苦言もあった。フォアハンドドライブが逆足で打つことが問題だという。これ以上フォアに来ない状況でなら問題ないが、台の中央あたりでも逆足を使うことがあるので、次のボールを更にフォアにふられると動けないのだという。今の選手は、フォアクロス半面で練習をしているときでもフォアに大きく振られてノータッチになる場面があり、動けないことを示しているという。
また、腕に力が入っているので、インパクト直前にコースを変えるといったことが今の選手はできないという。

用具の話としては、スポンジラバーの話があった。とにかく速いし音はしないしで、1980年代中ごろに、日本代表クラスの選手にスポンジで打つとほとんど誰も反応できなかったそうだ。接触時間が短いためにボールが早く相手に届くことが大きな理由だという。当時はすでにスポンジラバーなど売っていないから、ソフトラバーのシートをはがしてスポンジだけ10センチくらいになるように重ねて貼って試したという。
ちなみに村上さんによると、何年か前まで、多球練習の球出し用ラバーとして、卓球用品メーカーから非売品としてスポンジラバーが配られていたという。ボールがものすごく飛ぶのでラケットを振る力が少なくて済むためとても楽なのだという。ぜひとも手に入れて田村にぶちかましてやりたいものだ。

「史上最強の選手は誰だと思いますか」という質問に対しては「やっぱり荘則棟は別格です」と答えた。ボールのスピードが今より速かったそうだ。

未来の一流選手

吉田戦車のトークショーの後は、高校の先輩と酒でも飲もうかと電話をしたら、ちょうどその日は、小中高生の岩手県選抜と東京選抜の合同練習会をやっているのだという。その先輩は、岩手県のホープス委員長をやっているので、その練習会のスタッフなのだ。それで私も合宿を見物に行って、夜はスタッフの懇親会に参加させてもらうことになった。

懇親会の前、東京選抜チームが宿泊しているホテルのロビーで時間を潰していると、ある母娘から声をかけられた。聞けば、卓球王国で私の記事を読んでいてファンだという(「ファンだ」とは言っていなかったが「いつも読んでいます」と言っていたのでファンに決定した)。

お母さんは私が以前書いた『きらめきの季節』という映画についての原稿が面白かったと言い、話が弾んだ。なにしろ、現役時代にこの映画を映画館で卓球部員全員で見たとか見せられたとかで、その原作の小説もマンガも読んだそうだ。とんだマニアもいたものである。

お母さんによると娘さんはあまり強くないらしいのだが、東京選抜で来ているのだから、きっとバカバカしいほど強いのに違いない。将来、彼女が一流選手になったら、有無を言わさぬ知り合い風をふかしてやろうと思う(そんな言い方があるかどうか知らんが)。

吉田戦車トークショー

マンガ家の吉田戦車のトークショーに行ってきた。
新しく発売された子育て実録マンガ『まんが親』の販売促進活動の一環らしい。
http://www.city.oshu.iwate.jp/download.rbz?cmd=50&cd=2335&tg=6&inline=1

トークショーは私の実家の近くで行われたので、ついでに実家に寄りながらの参加となった。

吉田戦車は私と高校で同級生だったが、クラスが一緒になったことはなく、有名になってから卒業アルバムで見たことはあっただけで直接見るのは今回が初めてだ。

観客は見たところ300人ぐらいいて、先着50名のサイン会の整理券も、午前10時から配るのに7時から並んでいた人がいてあっという間に売切れてしまったという。

トークショーでは吉田氏が、アナウンサーが用意した質問に答える形で進み、最後に何人かの会場の参加者からの質問にも答え、約1時間だった。印象に残ったのは「一番尊敬するマンガ家は?」という質問に対して「多すぎて上げられないが、ダントツの存在として水木しげる」と答えたことだ。「あんな飄々としてのほほんとしたマンガが描きたい」と言っていた。水木先生のサイン入りの鬼太郎の色紙は家宝だそうだ。また「マンガを描くときに気をつけていることは?」という質問に対しては「納期を守ること、できればクオリティを落とさずに」と答えた。
「好きなキャラクターは?」という質問に対しては「しいたけ」と即答。カッコいいからだそうだ。
「生まれ変わったらもう一度マンガ家になりたいか?」という質問に対しては「なりたくない」というもので、その理由は「別のことをしたいから」。そもそもマンガ家になるような人は何事にも飽きやすいような人なのであり、誰でもそう答えるのではないかと語った。その他、高校のアニメ研究会の人たちからは、一日に何ページ描くかとか(アイディアからだと2、3ページとのこと)、道具は何を使っているかとかの質問があった。小学生からは「山崎先生は何物ですか」という質問があり「何でしょうか(笑)。あれは教師です」と答えていた。

小さい頃はマンガ家になりたかったが、高校のころはプロのマンガ家のマンガがあまりにも面白くてとても自分には描けないと思い、すっかり諦めていたとのこと。ところが大学を卒業できなそうになったとき、たまたま編集者をやっていた高校の同級生に「お前マンガ描けるんだからマンガ描いたら?」と言われ、そのコネでイラストを描いたのがデビューのきっかけだったという。「吉田戦車」というペンネームもその編集者がつけたので、彼には一生頭が上がらないという。また、小さい頃は石ノ森章太郎に憧れていて、もともとはストーリーマンガを描きたかったという。

あれだけ奇妙なマンガを描く割にはというか、だからこそと言うべきか、極めて常識的な人に見えた。

むしろ非常識な人は質問者の中に見つけられる。私は真っ先に手を上げて変わりばえのしない質問をしたのだが、次に質問をしたご老人がすごかった。

なにしろのっけから「吉田戦車さんのマンガは読んだことがないんですけれども、トークショーがあるというので昨夜読んで見ました」と言うのだから、なんともいえない嫌な予感がするではないか。その予感は的中した。なんとその方は、読んだ感想を述べ始めたのだ。言っておくが質問をしたくて手を上げた人は10人以上もいて、時間は限られているのだ(10分もなかったはずだ)。私だって本当はあと2つ聞きたいことがあったのに我慢をして一つで止めたのだ。ところがこのご老人は、質問をしないで感想を語り始めたのだ。

それは時間にすれば1、2分だったかもしれないが、私の体感時間は5分ぐらいであった。そしてやっと「そこで質問をしたかったのは・・」と始めたので、やっと質問をしてくれるのかと思ったら、なんと「その答えはさきほどアナウンサーの方の質問の中ですでにお答えになっているのでその質問をするのは止めます」と言ったのだ。がひょーっ!や、止める、質問を止めることを言いに手を上げたのか?と思ったら、最後にちゃんと別の質問をして着地をしたのだった。ほっ(もう遅いが)。ちなみにその質問は「マンガの内容は事前に奥さんの了解をもらっているのか」というもので「もらっている」というのがその答えだった。

その後、中学生と小学生が何人か質問をしたところで時間切れになってしまった。本当はあと2、3人は質問できたはずだったと見た。

多様なファン層をアピールするために老若男女に質問をしてもらいたくなるのは自然な心理だが、そこにはこういう地雷があることを主催者は注意しなくてはならないということを学んだ。実に、人生には無駄なことというのはないのだなあ(そう思うことで納得したい)。

1時間のトークショーの後は、サイン会で、整理券を買った50人が色紙にサインをしてもらっていた。サインの他にリクエストに応えて好きなキャラクターを描いていたのだが、その描き方はとても丁寧で、線を引く前に何度もペン先を空振りしてから少しづつ描いており、1枚描くのに2分ぐらいかけていた。そのため、サイン会に1時間半もとっていて、結構な労力であった。

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