月別アーカイブ: 8月 2007

洗う順番

レストランで、阿部さんがココアバターローションでひどい目にあった話を披露すると、そこから話は意外な広がりを見せた。

「だいたい、どうして股間から洗うんだよ」という意見がまず出された。「普通は顔からだろ」という者があれば「自分はわきの下で泡を立ててから全身を洗います」という者もある。中には股間にて泡を立ててしかるのちにその泡で全身を洗うという技巧派もいた。私の場合は、泡の清潔度と重力の方向を考慮して必ず上から下に順番に洗うことに何十年も努めている。まず頭を洗う。今は頭髪がほとんどないので、シャンプーなどという虚しいものは使わず石鹸である。そのまま顔、上半身と泡の効力が続く限り洗うのだ。股間が先だなどとんでもない話である。「そんなところの泡で他を洗うなど、臭くて洗えたものではない」と言うと、「お前のはどうしてそんなに臭いのか」とくる。知るものか。

いつのころからか私は口臭もきついらしい。歯医者に行くと「臭くないですよ。気にしすぎです。」と言われた。口を洗ってから言ったのがまずかったらしい。この歯医者は私を自臭病という精神病にしようと図っているのだ。車を運転していて私が話し出すと後ろの席に乗っている妻や子供たちが「お父さん臭い」と言って窓を開ける、これのいったいどこが気のせいだというのか。この次は寝起きにそのまま歯医者に行ってやれ。

話がそれた。考えてみれば、普通、風呂で体を洗う順番を話し合う機会などない。それぞれが確固たる信念のもとに順番を決めてやっているのだということがわかり、人間ウォッチャーの私としてはとても面白かったというわけである。

「俺は気分次第で日によっていろんなところから洗い始めるよ」などというイカれた奴がいなかったことは幸いであった。それにしても「俺は足の裏からだ」と言う人は日本に6人ぐらいはいるのだろうか。

悪夢のボディソープ

日本から阿部さん(仮名:名前は困るが顔写真は出してもいいという太っ腹の人である)という人が出張に来た。空港に着くなり、体を洗う石鹸がないというので近くのスーパーに一緒に行った。

普通の石鹸を使えばいいのに、ボディソープを使いたいなどと似合わぬことを言う。それらしい売り場はすぐに見つかった。ボディソープらしい製品がいろいろと並んでいるのだが、その容器には、南国のフルーツやココナッツ、はてはキュウリだのメロンだの、どれもこれも目を疑うような物が描かれている。キュウリの匂いを体から発散させたいという人の気持ちがわからないが、大量に売っているところを見ると、アメリカではこれがポピュラーなのだろう。
「長い人生、こういうものを使ってみるのもアメリカ出張の記念にいいんじゃないですか」という私の無責任な勧めに従い、阿部さんは最終的にココアバター風味のボディソープを買って宿舎に帰ったのだった。

翌朝、阿部さんは重い口を開いた。「あれ、ローションでした・・・」

阿部さんは、宿舎に帰るなりフライトでベトついた体を清めようと風呂に直行したそうである。いつもの手順でまず股間を洗い始めたのだが、洗えど洗えど泡が出ない。それどころかヌメリ具合は増す一方であった。
かくして阿部さんは、股間を取り返しのつかないココアバター風味でべとべと(ナメクジ状態ですな)にしたまま寝たのだという。

太っ腹の阿部さんにとっても、アメリカ出張の記念としては少々限度を超える出来事だったようである。

町の様子

ブログの読者から「どんな町に住んでいるのか、町並みをアップして欲しい」とメールがあった。たしかにそうだ。ひとくちにアメリカといっても、ニューヨークのようなところもあればアラスカのようなところもあるわけだ。

そこで今日はバカ話はやめにして、住んでいる町並みをアップしようと思う。私の住んでいるドーサンという町は、かつてはその中心地が栄えていたのだが、だんだんと皆が車を持つようになると中心から離れたところに住むようになり、中心に残ったのは貧しい人たちだけになったという。

そういうわけで、現在町の中心にはかつての繁栄の跡として空家になった建物や公共施設があるばかりだ。このさびれた感じが私にはなんとも言えなくいいのだ。わびさびを感じるのである。下の左の写真がその町の中心部だ。

右の写真はこの町の典型的な道路の様子。中央分離帯が日本に比べると異常に広く、なおかつ人が歩くような歩道はない。基本的に人は道路を歩かないのである。すべて車である。もちろん横断歩道などもない。

私の会社は事務所ではなくて工場なので、右下の写真のような道路際にどかんと建てられている。

郵便受けの謎

庭の芝生を刈っていると、ふと郵便受けに、なにやら赤い可動部分があることに気がついた。90度回転するようになっている。よく見ると隣の家もその隣の家も同じようなものがついているではないか。

これはなにかあるに違いないと思い、さっそくインターネットで「郵便受け」で検索してみた。それで謎は解けた。なんとアメリカでは、自宅の郵便受けから郵便物を出すことができ、赤い旗を立てておくのはその標しなのである。

これはよい発見をしたと思って、その夜の日本人の宴会でその話をしたところ、全員が「えーっ!」と驚きの声を上げた。私の発見にではない。私が6ヶ月間もそれを知らないでいたことにである。

ちょっとショックだったが、新しい発見をした小さな喜びを味わったのでかえって良かったのだと思うことにした。

「ハゲだけじゃない」説

昨年の春、10年ぶりぐらいで大学時代の研究室の集まりがあった。私はめまぐるしくハゲていたので、みんなから「変わったな」と言われた。宴会は進み、ひとりづづのスピーチとなった。それでは「平成元年卒業の伊藤条太君」と司会者が言って私がスピーチを始めると、遅れてきて私の隣に座っていた元秘書の山田さんがテーブルに伏して笑い始めた。スピーチが終わってから席につくなり事情がわかった。こやつ、私が誰なのかがどうしてもわからず、私と話している間、「目の前で親しげに自分との思い出話をする男がいったい誰なのか」を思い出そうと冷や汗をかきながら必死になっていたというのだ。それも30分間もである。バカにした話だ。だいたい彼女の勤務年数はわずか4年ぐらいで、その間に世話をした学生など10人ぐらいしかいなかったのだから「誰なのか」もクソもあるまいに。しかも「条太くんは来ないのかな」とも思っていたというのだから呆れるではないか。

彼女のボケぐあいは特別だが、実は私はこれと似た経験はあちこちでしているのだ。これに対して妻は言う。「これは絶対ハゲだけじゃないよ。骨格変わったって。別人だもの。」

そうだろうか。そこで91年当時と現在の写真を並べてみた。91年当時の髪型をそのまま現在の写真に貼ったらそんなに変わってないはずだ。と、どうなるか試してみた。カツラのシミュレーションにもなって丁度いいだろう。

結果が下である。骨格どうのこうの以前に、とにかく気味の悪いカツラ男が登場してしまい、検証不能になってしまった。これも人生であることよなあ。
8歳の息子が描いたプロフィールの似顔絵が結構似ていることもわかった。

ハゲの損害賠償

母方の祖父はツルッパゲだったし、母の弟はかなり若いときからハゲていた。彼によると、ハゲる前の30代の一時期、とにかく猛烈に頭がかゆくなったのだという。私が「掻いたからハゲたの?」と聞くと「いや、あれはハゲようとしてかゆかったんだ(方言:いや、あいづぁハゲんぺってかいがったのだ)」と語気を強くした。まだハゲていなかった私はその表現が面白いなあと他人事のように聞いた記憶がある。

私は見事にその血を受け継ぎ、30代半ばから急速にハゲだした。実家に帰るたびにどんどんハゲていく私を見て父は「うちにはハゲている人はいないから、お前はお母さん方の血でハゲたんだな。お母さんの実家にハゲの損害賠償してもらえ」とバカにした。

父も結構面白いことを言うもんだと思った。

どうしてこうもバカでかい?

昨夜は近くのアップルビーズというファミリーレストランで飲み会だった。私は甘い酒が好きなのでさっそくわけのわからないカクテルを注文した。メニューを見るとワイングラスぐらいの大きさに見えたのだが、実際はバカでかかった。どうしてこうもデカいのか。

なるほど、メニューの写真で、浮かんでいる金柑みたいなのがじつは普通の大きさのライムだったわけだ。

そういえば初めてアメリカに来て頼んだカクテルは、グラスのふちに塩がついているように見えたが、なめてみると砂糖だったのには驚いた。いちいち過剰である。

痒くないのかデビッド!

昨日の午後、急にデビッドの髪が短くなった。何事かと思って聞くと、仕事の合間に床屋に行ってきたという。たったの15分ぐらいの間である。まるでトイレに行くようなつもりで床屋に行ってきたのである。

こちらに来てから床屋に行ったことがあるが、ひどい目にあった。一応からだにケープをかぶせるのだが、密着性が悪く、ろくに掃除もしないので、首から肩にかけて髪の毛だらけになるのだ。矢も立てもたまらず、家に帰って大急ぎで頭を洗い、シャツについた毛を取るのに苦労したものである。

デビッドの首を見たら、やはり髪の毛だらけだった。「痒くないのか?」と聞くと、「パウダーをつけてくれるので痒くない」と平気な顔である。信じられない。効くかよそんなもの。「アメリカ人の実態を記録したいので写真を撮らせてくれ」と言うと、パソコンの前でうなじを露出したまま動きを止めてじっとしていてくれたデビッドはいい人である。ちなみに写真の下のほうにある毛は、下からせり上がってきている背毛がはみ出して見えているのであって、切った髪の毛ではない。念のため。

デビッドは首筋に髪の毛を大量につけたまま、9時まで仕事をして帰っていった。

蜂退治

家の周りに蜂がいる。家のある部分になぜかいつも蜂が数匹いて、こわくて芝生刈りもままならない。巣があるようでもないのだがいるのだ。

そこでふっと思いついた。蜂蜜業者のような完全防備にして退治しよう。さっそくインターネットで参考写真を見る。さすが、プロ用はまるで宇宙服のような厚手の服でヘルメットまでしている。

できるだけそれを真似るように、ゴム長靴+ジーパン+ジャンパー+帽子+ゴム手袋に、店の生地コーナーから網状の布を買ってきて頭からかぶり、胸のところで紐でしばってもらった。

これで完璧だ、と思って外に出るとそういえば40℃だった。なぜか蜂もいない。そこで、蜂がいて芝刈りができなかったあたりの芝を刈ることにした。ところが暑くて5分ともたない。妻も、「それでなくても東洋人で白い目で見られているのに(青い目だ)、そんな格好をしてこれ以上異常なことはやめてほしい」と懇願され、止めた。

かっ飛ばしてつかまった

アメリカに来てしばらくしてのこと。メールで卓球の練習をさそわれたので、車で230kmの道のりを走った。意外なことにアメリカは卓球台の消費が世界一だと以前卓球レポートで読んだことがある。その情報どおり、家に卓球台を持っている人は普通にいるのだ。家が広いこともその理由だろう。やはり卓球は娯楽の王様なのである。

ただし競技としてやっている人はまったくといっていいほどいない。人数あたりの比率は日本の1/40である。だからまともな相手を探そうと思ったら車で1時間、2時間走るのは当たり前なのである。逆に言えば、そういう状況でも競技卓球をやっている人は、みんな異常な情熱を持っているのである。それは後で書くとして、車である。

アメリカで、気持ちのよい日に新しい車に乗って卓球をしに行く、そのあまりの幸福感に私はすっかり平常心を失っていた。どんどんアクセルを踏んでいって、最後に時速180kmまで行くと、アクセルを踏んでいるのに突然減速しだした。多分自動ロックが働いたんだと思う。
それからもずっと時速140kmぐらいで走っていると、物陰からパトカーが出てきてつかまってしまった。

私はそのとき初めて「スピード違反をしたらつかまる」ということを思い出したのである。警察はいないだろうとか、つかまらないだろうではなくて、本当に思いつかなかったのである。楽しすぎると私は正常な判断力がなくなるのだなあと思った。

つかまったときの速度は時速140kmで、罰金は200ドルであった。あとで同僚に聞くと、もし時速180kmでつかまっていたら刑務所行きだったのだという。それで、「むしろ俺は運がいいんだ」と思うことにした。

警察は切符を切った後、「テイク・ケアー」といって去っていった。悔しい。

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