年別アーカイブ: 2007

評論家ウォレン

ウォレンも卓球を教えろというので、教え始めた。ところがコイツ、反論ばかりで話にならない。私が教えようと説明をすると「そんなことわかってる」などとベラベラ話し始め、ぜんぜんこちらの話を聞かない。

ウォレンはカットマンなのだが、問題点ははっきりしている。バックカットのスタンスが異様に平行足で、自分の体が邪魔になってロクなテイクバックができず、ツッツキのようなストロークでカットをしているのだ。だからインパクトのラケットスピードが出ず、安定しない。そこで、もっと左側を向くようにスタンスを変えることをアドバイスしたが、「そんなに横を向いてカットしたら次のボールがフォアに来たときに返せない」と言う。「カットマンは台から離れているし自分の送るカットも遅いので十分にその時間はある」と説明しても納得しない。さらに、ウォレンはバック面に粒高を貼っているのだが、ウォレンは「ジョータは知らないだろうが」と前置きして「粒高は普通に打つとボールが左側に跳ねる性質があるので、それを防ぐためにも体は正面を向くべきだ」と物理的に明らかに間違ったことを言う。だいたい、粒高と裏で左右に飛ぶ方向がズレること自体、彼のインパクトが真上から見てボールに対して垂直ではないことを表していて、それはつまりテイクバックができなくてラケットをフォア側に横に振っていることの証明でもあるわけだが、彼は「いーや、粒高はそういうラバーなんだ」と言ってきかない。相手をしていたチャックは頭はいい男なので「ジョータの言うとおりだ。お前は間違っている」という。

何をアドバイスしても、反論か、もしくは「そんなことは知ってるんだができないんだよ」と勝ち誇ったような顔でいう。どう見ても「知って」もいないのだが。しまいには、自分が19歳だかの若い頃(こいつも年は私とほぼ同じ42,3である)、中国人のコーチの合宿に行って8時間だか指導を受け、知識はバッチリだというのだ。後日そのときの写真がメールで送られてきた。右がウォレンであるが、アメリカ人の場合、歳をとって変わったというよりは、脱皮して変態するといった感じである。

こういう煮ても焼いても食えないような奴なのだが、大会ではものすごくビビって何もかも入らずに負けたりする。私の見たところ、彼は点を取ることを意識しすぎで、ツッツキや攻撃のミスで自滅しているのである。私は大会の前に「お前は打ち抜かれて負けているわけではなくて自滅しているだけだ。点を取ろうと思わずに相手コートの真ん中に安全なボールを送って、日が暮れるまでノーミスで続けるつもりで試合してみろ。打ち抜かれても気にするな。そうすれば自動的にお前は勝てる。もちろん強い奴にはそれでは勝てないが、今のお前の相手はそのやり方で勝てるレベルがほとんどだ」とアドバイスした。ウォレンは「相手もツッツキで粘ってきたらこちらが先にミスするのでますます負ける」と言う。私は「それは考え方が逆だ。もしカットマンのお前が粘りあいで攻撃型に負けると考えているなら、カットマンはやめた方がよい。カット主戦であること自体がローリターンなのだから、ローリスクを前提にしなくては成り立たない。」と言った。ウォレンはこれだけは納得したようで反論はなかった。

後日、大会でその通りにやったら自分でも信じられないくらい勝てて、レーティングがかなり上がったと喜びのメールが来た。そこでチャックのことも書いてきたわけである。アドバイスの効果が出たのは嬉しいが、今後のやりとりを考えると練習に行くのは何か気が重い。

ウォレンとチャック

WGTTCにはこのクラブ専用の練習場がある。メンバーの一人であるキースが倉庫を持っていて、貸しに出しているのだが、借り手が見つかるまでということで只でクラブの練習場として提供してくれているのだ。

床が絨毯なのが違和感があるが、7年前の体育館の自販機の前とくらべれば雲泥の差である。

最近、チャックとウォレンが卓球を教えてくれと言うので教えている。筋肉質なのがチャック、太っているハゲがウォレンである。チャックは見事な肉体をしているのだが、肩の関節だけで卓球をしているので、ひざを使って腰を回転させることと、ボールの位置まで小刻みに動くことを教えると、たちどころに上達しだした。チャックは、指導に対してとても素直で、しかもすぐに完全に理解し、まさに卓球の基本原理に飢えていたという感じで、教えていてとても気持ちがいい。年はほとんど同じだが、こうして卓球の指導を通して師弟関係になると、金色のヒゲが生えている可愛い生徒に見えてくるから不思議である。

ところがチャックには精神的な問題があるのである。8/18に大会があった。私はチャックからその大会に向けて練習をつけてくれと一ヶ月ほど前から頼まれていたのだが、いろいろとあって結局ほとんど練習をしてやれなかった。大会の後、ウォレンからメールが来た。チャックの試合は散々なものだったという。予選の6人のリーグ戦で格下に一回勝ち、その後、格下に2回負けた時点でチャックは残りの試合を放棄したそうである。下のレーティングの選手と試合をすれば、勝ってもレーティングはほとんど上がらないが、負けると下がるから試合をしたくないのだ。そんな身勝手な理由で試合を放棄するなどスポーツマン精神にもとる行為だが、チャックとはしょっちゅう平気でそういうことをする奴なのである。

ウォレンによれば、チャックは「ジョータと練習をしないと自信を取り戻せない」と言って、今や「脱線した列車」のようになっているので、練習に来てほしいという。脱線した列車というのがウォレンのオリジナルなのか慣用句なのかはわからないが気に入った。

チャックに信頼されているのは嬉しいが、こんなスポーツマンシップがない男に教えるのは気が進まない。第一、こういう精神構造では絶対に強くはなれない。まずそこいらへんを指導したいのだが、なにしろアメリカ人だ。理解できるのかどうか不安だが、やってみるしかあるまい。

一方、ウォレンはウォレンで困った奴なのだが、これは明日、書くとしよう。

グルー禁止問題

今日はギャグは抜きにしてまじめな卓球の話である。

日本卓球協会は、国際卓球連盟が来年9月から有機溶剤を含む接着剤(以下グルー)の使用禁止を決定したことを受け、1年早い今年の9月から全面禁止を決定した。これに対して卓球王国の9月号で、国際大会に出場する選手はどうするのかという疑問が出されていた。選手は国内ではグルーが使えないからグルーなしで予選を戦うしかないのだが、国際大会ではどうすればよいのかということだ。もし日本選手だけグルーなしで戦えば明らかに不利であるし、国際大会のときだけグルーを使えば感覚を一定に保てず、そのために調子をくずして国内予選を通らないという自体になりかねない。選手たちはこんな矛盾したことに頭を悩まさなくてはならないのである。

こんなことに議論の余地はない。ルールと言うのは整合性が最重要である。プレーにこれほど影響のあることを国際大会と国内で別のルールを運用することは明白に間違いである。どうしてこんなに簡単明瞭なことがわからないのか不思議だ。

この決定のきっかけになったのは、先のグルー使用による事故だろう。しかし考えてもみよう。この世でもっとも尊いとされるのは人命だが、その人命を毎年何万人も奪う交通事故でさえ、それを確実に防ぐために自動車を全廃しようとか、あるいはすべての自動車の最高速度を時速30kmに規制しようという判断はされない。人命を失うことの重大性とその確率、他のこととのバランスでものごとは判断されるべきだからである。換気の良いところで使用するという使用方法を守らなかった人が不幸にもグルーで被害を受けた、そのことでいきなり禁止するというのはそういうバランス感覚のない短絡した判断である。健康に悪いものを禁止するという善意・正義にもとづくだけにたちの悪い間違いである。

国際連盟に合わせて来年の9月までグルー使用を継続したときのリスク(事故の程度と確率)と、今年の9月から禁止にすることのリスクとどちらが大きいのか。20年も使い続けてきたグルーが今年から急に危険性が増したわけではあるまい。一方、国際連盟よりも1年も早く禁止にしたら代表選手たちが困ることは100%確実で、なおかつそれは人生をかけてやっている選手たちにしてみれば死活問題である。今年しかチャンスが無いかもしれない選手だっているだろう。メーカーだって困るだろう。間接的に精神的健康を損なうことにつながる可能性だってある。どうしても今年廃止するべきだというのなら、どんなことをしてでも国際連盟を含めて今年の9月から禁止にすべきだったろう。

シャララ会長に褒められたのに覆すのは嫌だろうが、所詮は人間が決めた方針、覆せないものなどない。今からでも「やはり国際連盟と同じ来年から禁止」と考え直してほしいものだ。こんなことで心を痛めるのは本当に残念である。

もちろん私はグルー禁止自体は大賛成である。ただしその理由は健康被害の一点。「用具に頼りすぎ」とか「技術の低下を招く」などというのは見当違いである。競技スポーツである以上、勝ちやすい用具にこだわるのは当たり前であり、用具選びも楽しみの一つであり、そもそも卓球とはそういうスポーツである。木ベラから一枚ラバーが登場したとき、一枚ラバーからソフトラバーが登場したとき、ソフトラバーから高性能ラバーが登場したとき、当時の古い人たちはいずれも「用具に頼りすぎ」「技術が低下した」と嘆いた。技術的見地からグルーを批判する人は、今からでも「用具の性能に頼らず」一枚ラバーにでもして本当の技術力とやらを身につけることを主張したらどうだろう。

オチャラケです

私の卓球王国での連載の担当編集者は、野中陽子さんという。原稿もイラストもメールで送っているので、顔を合わせることはほとんどなく、イベントなどで年に1,2回お会いする程度である。

一昨年の全日本マスターズで山口に行ったのだが、野中さんが一人で取材に来ていた。か細い体で重いカメラを何個もぶら下げていて大変そうである。卓球王国は厳しい。せっかくなので、知人と一緒に夕食をご一緒した。

野中さんからは遅い時間にメールが来ることも多いので「若い女性があんな時間まで大変ですね」と労をねぎらった。野中さんは「いえいえ、私の担当はオチャラケの企画ばかりですから」と謙遜をした。「そうですか、オチャラケばかりなんですか。そうですか。オチャラケっていうと、どんなのがありましたっけ?『解体新書』とか『愛ちゃんの絵日記』とかですかね・・・・って、俺のかよ!」と言うと野中さんは「あ、そういう意味じゃないんです」とものすごくあわてて取り繕った。

いいんですよ野中さん。オチャラケで問題ないのです。

山口での楽しい思い出である(試合のことは思い出さないようにしている)。

*ブログを読んだ小室からメールが来た。

「台所で換気扇がありますので、焼肉は決まって卓球台の上でやります。自分の家の卓球台の上での食事は、味も気分も最高です。」

だそうである。完全に手遅れのようである。

そんなに卓球したいのか

卓球台を持つのが夢だった。卓球をはじめた中学生のとき、どうしても家で練習がしたくて、家にあった材木を使って卓球台を作ったが、フロの焚き木用の材木だったのでボールはぜんぜん弾まないし隙間だらけだし、片方の台を作ったところで飽きてやめてしまった。放っておいたら雪が積って潰れてしまい、風呂の焚き木になった。自宅で卓球ができたらどんなに良いだろうと、畳の上でシュルシュルと横回転サービスを出しながら思ったものだ。

結婚して間もなく、どうしても卓球場がほしくなった。家もないのに土地を買って卓球場を作りたいと言うと妻は「気が狂っている」と相手にしない。しかたがないので、まず家を建ててから卓球部屋を作ることにした。中古物件を何件か見に行った。広めの部屋で左右のフットワークをして広さを確かめたりすると不動産屋が怪訝な顔をするが、説明しても無駄なので説明しない。「この柱を取りたい」などというと、まだ住んでいる持ち主の顔が曇った。人間の感情というものを考えなくてはいけない。

何年か後、ついに家を建てて卓球部屋を作り念願が叶った。壁は卓球場らしく木目調のクロスだ。マシンと150ダースのボールも買った。風呂上りに全裸でマシン練習をしたり、寝る直前にふとパジャマ姿でサービスを研究したりして幸福感に浸った。しかしやはり一人練習は面白くない。ほどなくあまり練習をしなくなり、ついには卓球台はたたまれ、卓球部屋は子供たちがドッジボールをしたりエアガンを撃ったりする部屋になってしまった。

私の3番弟子の小室も家に卓球台があるのだが、それがすごい。家が狭いので、なんと卓球台を半分に切って台所に置いてるのだ。しかもマシン付き。ネットまで半分にしているところがいじましい。そんなにまでして卓球したいのかよ、と自分のことを棚に上げて呆れてしまった。しかし考えてみれば、卓球にとってもっとも重要なのは左右のコントロールよりも縦方向、つまりネットとオーバーのコントロールなので、これでも結構役に立つかもしれない。

それにしても台所である。やっぱり小室、卓球台で飯を食べるのだろうか。

生き物の記録

家の周りは自然がいっぱいである。ドーサンという町は中くらいの町なのだが、あちこちに原生林と思われる森がある。おそらくアメリカ全体が土地が広いので、こうなるのだろう。

我が家の裏は林に面しているのだが、そこの大きな木にキツツキが来て穴を掘り始めた。穴はだんだん大きくなり、とうとう全身が入るようになり、メスもやってきた(どっちがメスか知らんが)。こんなに間近で毎日キツツキを見るのはなかなか楽しく、いつしか私は「キツちゃん」などと呼んで見るのを楽しみにしていたのだが、なぜかいなくなってしまった。

道路ではよく車に轢かれて死んだアルマジロが見つかるし、リスはあちこちにいるし、通勤途中に鹿を轢いたので肉屋に寄ってから出勤してきた社員もいた。野生天国である。

3年ぐらい前に、こどもたちにせがまれてカブトムシの幼虫を飼ったことがある。プラスチックの容器二つに5匹ぐらいづつの幼虫を入れて、餌となる腐葉土を入れた。幼虫はほとんど腐葉土にもぐっていて見ることはできないが、小豆のような形の糞をするので生きていることがわかる。めったに見えない幼虫たちにしだいに情がわき、いつしか「カブちゃん」と呼ぶようにまでなっていた。あるとき、どうも生きている気配がしないので、容器をひっくり返してみると、なんと幼虫が一匹もいない。

そこで、何日か前からその容器の近くに土が落ちていたことにハタと気がついた。よく見るとそれは、腐葉土が入った30リットルのビニール袋に向かって点々と続いているではないか。近づいてみるとビニール袋の下から10cmぐらいのところに丸い穴が空いていて、そこから土がこぼれている。一瞬、顔から血の気が引いた。幼虫たちは、ツルツルの容器の壁を登り、何を頼りにしてか知らないが、腐葉土が詰まっているビニール袋めがけて突進し、袋を食い破ってその中に入り込んでいたのである。庭でビニール袋の腐葉土をひっくり返して探すと、案の定、そいつらは全員そこにいた。生命力の旺盛さに驚くとともに、大量の餌に囲まれた彼らがどれだけ興奮したかと想像して嬉しくなった。

何週間かしてたまたま庭をいじっていたら、ひからびた幼虫が一匹見つかった。拾い忘れたようだ。「そんなことしてて、なにがカブちゃんなんだか」と妻は言った。

その後、生き残った幼虫は全員成虫になったが、なぜか死んだりして飽きてきた。最後は、2匹を近くの適当な林に放して無理やりお終いにしてしまった。その林がカブトムシの生息に適していたかどうかは知らない。

ビートルズその2

私のビートルズ熱は大学生になっても冷めることはなかった。音楽はすでに全曲聞いているので、もはやそれ以上聞くものがなくなった。ちょうどその頃、クラスメートが読んでいたロッキングオンというロック雑誌を知り、音楽を語ることの魅力にとりつかれるとともに、文章を読むことが面白いことを知った。特に渋谷陽一と松村雄策がすばらしく、彼らの単行本を買い集めて繰り返し読んだ(今でも読んでいる)。

すこし恥ずかしいが、これが私が読んで面白いと思った初めての文章であった。私はそれまで小説などほとんど読んだことがなく、中学校の教科書に出てきた「山椒魚」や、高校入学時に感想文を書かされたカフカの「変身」には、その無意味さに腹を立てたりしていた。受け手の知識によって芸術の価値が変わるものだということを当時は理解できず、予備知識なしに読んで(あるいは観て、聴いて)つまらないものはダメだと決め付けていたのである。もっとも、それらの作品がなぜ評価されているのかを説明してくれる先生もいなかったことも理由であろう。

話がそれた。大学生になってもビートルズになりたい気持ちは衰えることなく、実家に帰省する毎に腹心の者を集めては写真を撮ってビートルズとなった。この頃になると友人も限られてきて参加者は全員が卓球部員となる。

こんなことをやっていたのでは卓球も上達しなかったわけである。墨でヒゲを書いていながらも本気で表情を作っているところが恥ずかしい。

アメリカの勉強

子供たちの学校の勉強が大変である。このあたりには日本人学校などないのだが、普通の授業の他に、英語を話せない生徒に英語を教える補習をしてくれる私立学校(小学校~中学校)があるので、赴任者の子供たちは強制ではないが結果的に全員そこに通っている。英語の補習といっても、先生は日本語を知っているわけではないので、かなり苦しいが子供たちは1年ぐらいするとわかるようになるようである。

その学校は、学校名に「クリスチャン」とついているぐらいなので、普通の学校よりもキリスト教に関して厳格な学校だと思われる。教科書の訳や宿題を手伝っているのだが、かなり衝撃的である。

たとえば、地理や理科で地形や生物の構造を説明するのだが、いちいち「神様がそう造られた」と枕詞のように説明が入るのである。地理の教科書では、バベルの塔の西側と東側に住んでいた人たちが世界の各地に別れて別の人種になったというぐあいだ。理科の教科書は題名からして「God’s World」だ。ほとんどのことは科学的に説明されるのだが、かなり根源的な部分だけに神様が出てくるようになっていて、信仰と科学が微妙に調和するようになっている。神様の話が出てくると子供たちが「これ、本当なの?」と聞いてくる。私が「デタラメだ」と言うと「退学になるからそんなことを言うのはやめて」と妻が怒る。しかたがないので最近はうつろな目で「本当だ」と言うことにしている。

聖書の授業というのがある。日本で言うと道徳だろうか。その宿題がキツイ。聖書に出てくるだれそれの三人の息子の性格について述べて、それを自分の日常生活に結びつけて意見を書けというのである。もっとも性格と言っても、普通の性格のことではなくて、神様への忠誠心のことである。神の前ではそれ以外の「性格」など無意味なのだ。日本に帰ってからまったく役に立たないことがわかっていることだけに、教えるのがつらい。文法の教科書ともなると、文法さえ合っていれば話は何でもよいとばかりに、クジラに飲み込まれた信者の話やらバンバン出てきてしまう。真に迫っている挿絵が念入りで面白い。

算数の教科書もふるっている。応用問題の例が面白いのだ。「マイクは夏のキャンプに行くために一本5セントで仕入れたペンを売りました・・」とあれば、その次の問題は「ナンシーはパーティーに行くために20冊のノートを仕入れ・・」というように異様に商売の問題が多いのである。うーむ、アメリカらしい。

「初めました」

私が所属している卓球クラブは、このあたり一体の呼び名をとってWiregrass Table Tennis Clubという。メンバーは私を含めて7人くらいである。練習場所は近くの教会だ。教会の敷地内に普通の体育館があるのだ。毎週火曜の夜が練習日だが、ときどき土曜日の午前もやる。そのときには遠くから(車で2時間くらい)何人かが練習しに来ることがある。

あるときスタンという人が来たのだが、その人が奥さんを連れてきた。見れば東洋人である。念のために「Nice to meet you」というと「私、日本人です。郁美と言います」と言われた。この町で私の会社の社員以外の日本人はほとんど見かけないので新鮮であった。スタンは郁美さんから日本語を少しづつ教えてもらっているようで、ところどころ簡単な日本語を話す。帰り際に、スタンが私に手を振りながら「初めました」と言った。どういう間違いなのかと思って考えてみると、これは英語の初対面での別れの挨拶である「It was nice to meet you」の直訳なのであった。

私もよく似たような直訳間違いをする。日本では相手から感謝されたときに「どういたしまして」という。英語ではこれは「You are welcome」だ。ところが日本では相手に謝られたときにも同じく「どいういたしまして」という。わたしはこれをつい直訳して、相手が間違って私にぶつかってきて「I am sorry」と言っているのに対しても「You are welcome」と言ってしまうのである。いくらなんでもぶつかられて「welcome」なはずないのに。「No problem」とでも言えばよいのだろう。

「初めました」といえば思い出すのが、なんでも過去形にしてしまう、日本のファミレスや居酒屋の店員である。「本日、ランチメニューはいかがでしたか?」と過去形で言うのである。「いかがでしたか」も何も、まだ注文すらしてねえっての。もちろんマニュアルどおりなのだろうが、どういう魂胆でこんな言い方を指導するのか本当に不思議である。もっとも、山形の人が「おはようございました」と朝一番から過去形で言うのは、ただの流行ではなくて由緒ある方言なので許す。

なんか止まらなくなってきた。コンビニの店員の「千円からお預かりします」とは何だ。「千円からいただきます」か「千円をお預かりします」ならわかるが、千円から部分的に預かって、いったいいつ返すつもりなのか。私はこれを最大限好意的に解釈し「金は天下の回り物だからいつかは自分のところに返ってくる可能性がある。その意味ですべての金の支払いは『預かっている』と表現しても間違いではないのだ」と自分に言い聞かせて怒りを鎮めるのがやっとである。

本当の理由はわかっている。金をもらうという行為をぼかして表現したいのだ。それが日本人の丁寧ということなのだ。「課長の方から説明します」と、人をよりによって方角で表現するのもそうだ。ものごとの輪郭をぼかすことがなぜ丁寧になるのか、私自身もそう感じるからこそ、不思議である。

フロリダでの川釣り

2002年に出張にきたとき、現地社員のデルレイ(今では同僚だが)という男に誘われて、一緒に出張にきていた部下の三浦と川釣りをしにとなりの州であるフロリダ州に行った。ドーサンはアラバマ州の端なので、車で30分も走ればフロリダ州なのだ。遊んでばかりいるように誤解されそうだが、そうでもない。これくらいの息抜きでもないとやっていられないのだ。

川に行く途中で釣りえさを買ったのだが、面白いことに、その店がとても小さくて狭く、日本の釣り場近くにある釣り餌屋とそっくりなのである。日本との違いばかりが目立つ中で、釣り餌屋だけがひと目でそれとわかるのがなんともおかしかった。そこでデルレイが買ったのが、釣り餌用のコオロギである。イラストのように円筒形の金網に100匹ぐらい入っていて、逆さにして振ると上の口から一匹づつ出てくるようになっている。国が違えば釣り餌も違うのだなあと感心した。

デルレイは、トラックを川辺にバックでつけて、牽引していたボートを切り離して川に浮かべた。川といっても幅が100m以上もあるような川である。コオロギに針を通すのは嫌だったが、すぐに慣れた。デルレイは魚群探知機を見ながら、落ち着きなく頻繁に場所を変えたが、結局私は1匹しか釣れず、デルレイは10匹、三浦はゼロだった。

釣りよりも驚いたのは、川辺にワニがいたことだ。何匹ものワニが、眼と鼻を水面から出しているのだ。デルレイに危険じゃないのかと聞くと、川辺に犬なんか連れて行くと引き込まれることがあるが安全だという。どういう意味だ。彼によると、もっと危険なのはサメだが、この次はサメ釣りに行こうという。胸まである長靴で下半身を覆い、サメを釣るのだそうだ。それこそ危険じゃないのかと聞くと、動物は夜は餌を食べないので夜にやれば安全だという。どこにそんな話があるのか知らんが、はじめて聞く理屈だ。そのあたりではサメに食われて死ぬ人が年に2,3人はいるがその程度なので大丈夫だという。意味がわからない。

私と三浦がショックを受けているとデルレイは喜んで、次の日、鹿がワニに引き込まれているニュース映像をメールで送ってきた。どこまで本気なんだコイツ。なお、ここでもビビカムが大活躍である。