年別アーカイブ: 2007

デイブの独白

ポーラさんの夫であるデイブさんは今は高校で聖書の先生をしているが(あるのだ、そういう授業が)、かつて宣教師として合計7年も日本に住んでいたという。日本語も片言で話し、自己紹介のとき「デブじゃなくてデイブです」という台詞を2回も言っていた。得意のジョークなのだろう。
家の中は日本人と同じように靴を脱いでいる。家族で日本食がとても好きで、昨日もお好み焼きを作って食べたと言う。日本にいるときは一度もアメリカ料理を恋しく思ったことがないそうで、今は日本食が食べたくて仕方がないという。日本食をほめられて嬉しい気持ちになった。

どうして日本に行ったのか聞いたところ、とても興味深い話をしてくれた。
もともと彼は両親といっしょに教会に行ってはいたが、両親とも神様は信じておらず、彼も次第に教会には行かなくなっていた。10代にはロックに夢中になり(好きなバンドはオールマンプラザーズ)、20代半ばにしてプロのロックミュージシャンとして大きな成功を収めたという(バンドではキーボードを担当していたそうだ)。その結果、好きなものは何でも買えてやりたいことはなんでもできる身分になり、夜毎乱痴気パーティーに明け暮れていたのだという。

ところがそういう楽しいはずの生活をづつけるほど心の中は空虚になり、次第に「こんなもの何の意味もない」と思うようになっていった。その虚しさを埋めるかのように更に酒の量は増していき、ある時本当に死にそうになった。そのときに初めて心の中で「神様、本当にあなたがいるなら、私を助けてください」と祈ったのだという。そうすると姿こそ見えなかったが、神様が手を差し伸べてくれて助けてくれたのがはっきりとわかったという。

それ以来、教会に行くようになった。デイブは「神様の存在を世に知らしめるのが自分の使命」と悟り、8年かけて宣教師のライセンス(のようなもの)を取得し、キリスト教があまり広まっていない日本に行くことにしたのだという。
なんか一見いい話のようだが、神様となるとそうでもないような、なんとも複雑な感じだ。

彼によると、アメリカのクリスチャンで本当にイエスを神の子だと信じているのはたぶん30%ぐらいだろうという。その他の70%は日本人が仏教徒だというのと同じで単なる文化としてそう答えるだけだという。彼いわく、ほとんどのクリスチャンは「ただのクラブ活動ですよ」とのことだ。しかしその根拠を聞くと「聖書のことをよく理解していない」などと言っているので、どうも彼の要求が高すぎるための判断のようにも思える。

職場のアメリカ人にそのあたりをじっくりと聞いてみよう。

サンクスギビング

11月22日はサンクスギビング(Thanks Giving)という休日であった。サンクスギビングとは1620年に上陸したイギリスの清教徒にまつわる休日だ。現地のインディアンが清教徒に、生きるための色々な技術を教え、清教徒がそのお礼に、夕食にインディアンを招いたのがその由来である。その時に出した夕食の主なメニュー、特に七面鳥の丸焼きが今に伝わっているそうだ。 今では本来の由来を超えて食物や、家族、その他あらゆる物に感謝する日となっていて、主に親族が集る日のようである。日本でいうとお盆か正月のようなものだろう。

さて、私の妻が知り合いのポーラにサンクスギビングがどんなものか知りたいと言ったところパーティにお招きいただくこととなった。結婚したばかりの娘夫婦も遠方より来るというのに混ぜてもらうのは心苦しいが、またとない機会なので家族で行って来た。

7kgもある大きな七面鳥の腹にパンや野菜を入れて、4時間かけて焼いたものをその場で切り出してご馳走された。七面鳥の腹に入れて蒸すことで美味しくなるのだという。これが「鍋で蒸しても同じ」ではつまらない。あくまで七面鳥の腹に詰めて七面鳥ごと蒸さなくては出ない味だ、ということであってほしいものだ。

写真に写っているのは末っ子のジョーダン君8歳。ぜんぜん笑わない子なのに、カメラを向けると突然、笑顔を作ったのに驚いた。日本人でこういう子供はいないような気がする。口だけで無理やり笑っていることが写真からもわかると思う。

娘の夫のカールは軍隊に入ったばかりで、7kg痩せたという。どっかの山奥に連れて行かれて、食料も与えられずとにかく一週間だか二週間だか「生きろ」という訓練があったりするのだそうだ。私が「映画の『フルメタルジャケット』みたいですか」と聞くと、さすがにあんなのはないという。逆に「『ラストサムライ』の日本人は本当なんですか」と聞かれたので、「いくら日本人でもあんなに簡単に切腹しないと思う」と答えた。カールはイラクに行くかもしれないのだと言っていた。

食事の時間になるとデイブが、ひとりづつ自分の感謝するものに声を出して感謝を述べなさいと言う。さらにサンクスギビングにまつわる話や、クイズなどが出されて、なんかやけに熱心な人だなあと思っていたら、彼の職業は宣教師なのだという。プロだったのだ。これで話はいっきに面白くなってきたわけだった(山際淳司風)。

アーバン大学とアラバマ大学

ここいらでもっともファンに人気のあるスポーツはアメリカンフットボールである。各大学がチームを持っており、中でもアラバマ州のファンを二分するのがアラバマ大学とアーバン大学だ。人々はこの二つの大学のどちらかのファンであり、いたるところでそれを競っている。ゲイリーはアラバマのファンなものだから「アーバンのファンは昼から酒を飲んで暴れるようなやつばかりだ」などという。

道路を走っていると、ときどき車の後ろにしっぽをつけている車が目につく。流行しているアクセサリーなんだろうと思っていたら、実はこれが『アーバン・タイガー』といわれる、アーバン大学のフットボールチームのマスコットを模しているのだそうだ。自分がアーバンのファンだということを誇示しているわけだ。アラバマ大学のマスコットは象なのだが、牙や耳をつけるわけではないようだ。どちらのファンも、車の屋根に旗を2本立てて走っているのだが、しっぽをつけるのはアーバンのファンだけだそうだ。とはいえ、さすがに車にしっぽをつけてまでファンを誇示する人はそう多くはなく、そういう車はときどき見かける程度である。

それとは関係ない話だが、日曜に文房具屋に行った。そこの駐車場で、みすぼらしい車がトナカイのアクセサリーをつけていた。クリスマスが近いからだろう。子供を喜ばせようと、このさえない車を飾った貧しい父親(勝手に貧しいことにした)の気持ちを思って、少し切ない気持ちになった。

バーミングハムに行ってきた

こちらは11/22,23とサンクスギビングという祝日で土日あわせて4連休なので、家族でバーミングハムというところに一泊してきた。バーミングハムは州都ではないがアラバマ州で一番大きな都市である。ちなみに先日行ってきたアトランタは隣のジョージア州の州都だ。バーミングハムってなんかずっと前から聞いたことがある名前だなあと思っていたら、これはイギリスのバーミンガム(Birmingham)と同じ綴りなのだ。バーミンガムといえば、河野満が77年に世界チャンピオンになったところじゃないか!『バーミンガム77』というラケットまで売っている。不意打ちされたので、こんなに重要なことをすぐには思い出せなかったのだ。いかんいかん。

バーミングハムまでは車で4時間ぐらい。アメリカでは町と町の間は信号のないまっすぐな高速道路が走っていて、日本と違って無料だ。これらは国道で、南北が奇数、東西が偶数の番号がついていて、標識には今どちらに向かって走っているかドライバーからわかるように表示されている。たとえばドーサンからバーミンハムに行くときは「231 North」と書いた標識を見ながら走る。モンゴメリーに着いたら「80 West」に入って「31 North」を走るとバーミングハムに着くという具合だ。だいたいの方向がわかるので大きな間違いはしないようになっていて便利だ。

バーミングハムについてすぐにあらかじめ調べてあったインド料理屋に行った。インド料理のバイキング形式は初めてであり、とてもよかった。

その後、今回の主目的である「ポンペイ遺跡の展示会」を見に行った。ポンペイとは紀元79年にベスビオ火山の噴火で一夜にして全滅したイタリアの町だ。そのときに降り積もった火山灰の中に、犠牲となった人たちの体の形の空洞が残っており、そこに石膏を流し込んで型をとり、犠牲者達の姿を再現したものだ。もちろん展示されているのはその複製品だ。感心したのは入館時に全員に渡された説明用のレコーダーだ。展示品に書いてある番号を押すとその説明が音声で流れるようになっていて、各自が耳に当てて聞くので何度でも聞けるし、まわりがうるさくても聞き逃すこともないのだ(いや、英語がわかればの話だが)。これを全員に配っていたので200個以上はあるようだった。

ホテルはBest Westというところで、5人で120ドル。アメリカでは人数ではなくて部屋数で値段が決まるので、多人数の場合は日本よりずっと安い。子供たちの目的はホテルの室内プールだったのだが、なんとその部屋が外と同じ気温で物凄く寒い。水は少し暖かかったが部屋の暖房はしていないという。どうりで寂れているわけだ。

夕食は日本食レストラン「石水」に行った。バーミングハムは大きな町なので日本企業も多いし日本人も沢山住んでいる。そのため、まともな日本食が食べられるのだ。店の入り口でいきなり職場の同僚一家に会った。日本人の世界は狭い。
さっそくラーメン3種類を頼んだ。日本で食べたら普通の特徴のないラーメンなのだが、なんと美味しいこと。ラーメンだというだけで、まさにそれだけで美味かった。これに寿司を頼み、5人でハイエナのようにつっついて食べた。

翌日は、「TOKYO」という韓国人が経営している日本食材屋に行っていろいろと買った。次に、今は稼動していないSLOSSという会社の溶鉱炉跡を見に行った。バーミングハムはかつては「鉄の町」と呼ばれていたのだ。さびれた溶鉱炉跡にかつての栄華を偲んだ。朽ち果てた鉄クズや水の腐水のたまった下水道なんかを見ているとなんだかタルコフスキーの映画の中に入ったようだった。

ホテルの朝食のバイキングを食いすぎ、さらに日本食材屋で缶コーヒーにスルメや酢だこ、お菓子などを買って車内でひっきりなしに食べたため食欲がなく(変な表現だが)、昼食も食べないまま夕方ドーサンに帰ってきたのだった。

サンドペーパーラケット

一晃さんに紹介されたサイトで、サンドペーパーラケットを注文したらすぐに届いた。一本だけ3ドルくらいで買ったつもりだったのだが2本買ったことになっており送料を含めると9ドルくらいになってしまった。注文が一度でうまくいかず2回ほど操作をしてしまったためだろう。

本当に紙やすりであった。

こんなもの2本もいらないのだが。さっそくボールを突いてみたが、木と同じようにしか思えない。しかしおそらく木よりは衝撃を吸収するのだろう。そのために貼るのだろうか。回転はまったくかからない。それにしてもなぜサンドペーパーなのだろうか。

ジョンの話

昨日、ジョンが床屋に行ってきた。ジョンは日本に2年ぐらい長期出張していたのだが、日本の床屋のサービスが大のお気に入りだ。何人も人がいてタオルをもってきたりマッサージをしたり耳かきをしたり、顔を剃るときにシェービングクリームを顔全面に塗られて目と眉の間まで剃られるんだと言ったら、デビッドが「本当か!?信じられない!」と驚いていた。
ジョンは「頭を洗ってもらっているときに必ず何か聞かれるんだが、彼らは英語は絶対に話さないので、未だに何を言われていたのか分からない」と言う。私が「カユイトコロナイデスカだろ?」と言うと「それだ!」と言った。アメリカ人には到底思いつかないサービスだろう。なにしろ襟足に髪の毛の切りクズを無数につけて平気で仕事をしているんだから。

床屋が英語を絶対に話さないことから、ジョンが経験した最悪の話になった。日本にいるときに、ある同僚の日本人がジョンを休日に食事に誘ったのだという。ところが当日ジョンはひどい風邪をひいてしまい、具合が悪いので今日は止めたいと言ったという。その日本人は、一見、ジョンの話を理解したように聞いているのだが、実はまったく理解しておらず、「そうかそうか。さて行きましょうか」という調子でまったくジョンの言いたいことが伝わっていない。ジョンは日本語で「カゼ」とも何度も言ったのだがその男は天気のことだと思って空を見て怪訝な顔をしたりしている。ジョンは具合が悪いことを示そうと顔を覆ったり表情で示したりもしたが、文化の違いからか、それすら伝わらない。「風が怖いんだな」と思われて陽気に笑ったりしているのだという。ジョンは仕事のつきあいもあるし、彼がその日のためにレストランを予約したりいろいろと準備をしたいたらしいことを知っているので、力づくで断るわけにも行かない。
結局、手を引かれてむりやり車に乗せられて1時間以上ドライブしてイタリアレストランに連れて行かれ、何かを食べて帰ってきたそうだ。車の中ではあまりに具外が悪くて意識が朦朧としていたという。
ジョンいわく、「カゼ」「ゴーホーム」「テリブル」と百回以上言ったがついにわかってもらえなかったという。人生最悪の経験だったそうだ。なんとも気の毒だが可笑しい話だ。

紛らわしいマーク

日曜に、昼食を食べに隣町の中華レストランに行ってきた。レストランの名前は忘れたが、普通に美味しかった。いつも6皿食べる妻が調子が悪いといって4皿ぐらいで止めていたのが少し心配だ。

帰りの道を走っていると、道端に卓球のラケットのマークの看板が目に入った。卓球大会の開催にともない、ちょうどラケットを買おうと思っていたところだった。やはり私ぐらいの世代だと、好きなラケット選ばせるとペンを選ぶ人が多いのだが、我が家にはまともなペンがない。それで通販で日本から買おうと思っていたのだ。

卓球選手が6人しかいない町に卓球専門店があるはずがないのだが、どうみても卓球のラケットのマークだ。それで車をUターンし、看板のところまで戻って書いてある字を読むと、どうやら住宅関係の業者のようだ。どうして住宅関係の業者が卓球のラケットなど看板に描いているのかと思ってよく見て愕然とした。

木の絵だったのだ。家より大きく描くなよ。

他の人はこれは木に見えるのだろうか。卓球のラケットに見えた私は病気なのだろうか。

日本にいるときは、卓球関係のテレビ番組を絶対に見逃すまいと、毎朝テレビ欄を速読していた。いつも目が止まって紛らわしいのが江川卓の「卓」という字と森本卓郎の「卓」だ。卓越、などという単語にもいつもトラップされる。こんなことで困っているのは私だけなのだろうか。

もっとも、何の予告もなしに貴重な映像が流れることもときどきある。それで、いつ卓球が始まっても良いように録画の準備は怠らないのだが、あるバラエティー番組を見ていたときのことだ。ガウンを着た東洋人が出てきて、その人の素性を当てるというクイズだった。なんとその男が史上最強とも言われる伝説の卓球選手、郭躍華だったのには驚いた。つい昨年の話だ。さらに陳新華まで出てきてラリーを始めるにいたっては私はもうとんでもなく興奮してテレビの前で「ウオーッ」と大声を上げていた。彼らはロビング対スマッシュで台を入れ替わるお馴染みの芸をスタジオの卓球台でこともなげに成功させたのだった。すばらしい。現在の郭躍華の映像を日本のバラエティーで見れるとは思わなかった。なんという日だろうか。

それを録画したHDを翌日、妻に消されたときはショックでしばらく立ち直ることができなかった。なんとか入手しようと、テレビ局のサイトなどを当たったが、局も番組名も時間も覚えておらず、未だにどういう番組だったのかわからない。

ゴルフをやってみた

日本人赴任者のほとんどはゴルフをやっている。15人中、やっていないのは私と宮根さんだけだ。ドーサンは娯楽が少なく、しかもゴルフは安いので(日本に比べればだ)ほとんどの人がやっている。

卓球との対抗意識上、私は野球やゴルフなどというメジャーなスポーツには敵意を抱いているのだが、やれば面白いことは頭では理解している。当然、面白いからみんながやるのだろう。
赴任してから、2回だけコースをみんなと回っていたが、確かに面白かった。これで少しづつ上達でもした日には、どれだけ面白いか分からないだろう。卓球に通じる魅力もある。

しかし残念ながら今のところやはりやる気にはならない。それは時間配分の問題だ。もし今と同じように他の余暇を楽しみつつゴルフもやるくらい時間があるなら喜んでやる。なにしろコースを回ると4時間半もかかるのだ。これでは残念ながらやれない。
そこで、打ちっ放しなら短時間で好きなようにできるので面白いだろうと思い、子供たちを連れて行ったらとても面白かった。ボールにはなかなか当たらないが、徐々に当たるようにもなってきた。金も時間もあまりかからない。これならやれる。今後もちょくちょく行こうと思う。

第1回ドーサンオープン開催

金曜に、我が家のガレージで第1回ドーサンオープン卓球大会を開催した。会社の日本人赴任者15人にメールで案内を出したのだが、「医者に止められている」藤原君はともかく、奥さんを含め総勢5名の参加があり(私と妻も含めてだ)、まずまずの出だしであった。もし誰も来なかったらひとりで大会をやって写真を撮るつもりだったので望外の喜びである。

最初ということもあり、きちんとした大会形式はとらず、適当に交代で乱打やゲームを楽しんだ。「小学校のクラブで卓球をやっていた」という大場さんの実力はかなりのもので、さすがMIKATAの前でフォームが良かっただけのことはあった。驚いたのは、素人なのに、フォアハンド横回転サービスはもちろん、なんとYGサービス(Young Generation Service)まで操ることだった(上回転系だけではあるが)。さすが学生時代、バドミントンで全国大会に行っただけのことはある(高専なので最初から全国大会だが)。

夫妻で参加の田口家は、試合をすると奥さんが圧倒的に強かったのだが、その原因はブツ切りの下回転サービスであった。彼女は試合中に夫に「変な回転をかけないでちょうだい」と注文をつけるのだが、自分はブツ切りの下回転サービス。私は冗談を言っているのかと思っていたのだが、しばらくし話していると、なんと無意識だったことが判明。そのメカニズムはこうだ。ラリーと違い、サービスは第1バウンドを自分のコートに落とさなくてはならない。このことが彼女にラケットの上から下への激しい動きをさせていたのだ。加えて、中学のときに軟式テニスの経験があるので、そのセカンドサービスのスライスの癖があり、それらが偶然作用してブツ切り下回転サービスとなっているのである。これを夫の田口君はほぼ100%ネットにかけるので奥さんが勝つのだった。卓球は面白い。

私の妻もやったのだが、なんかヤジりながら試合をするバッドマナーであった。性格が出るなあ。

最後のほうには私自慢の卓球マシンを出したところ大場さんがこれを気に入って、体力の限界に挑戦するかのような連続強打を続けていた(そういえば昨年の今頃、2番弟子の田村に海外赴任が決まったことをメールで伝えたら、その返事は「卓球マシンは持って行くのですか。持っていかないなら貸してください」だった。他に言うことはないのだろうか)。

結局、7時半くらいから始めて、止めたのは11時だった。ちょっとやりすぎたか。

SAKURAオープン!

先週、ドーサンに新しい日本食レストランが開店した。その名もSAKURAだ。店名が日本の都市名ではないだけでも期待させるものがある(アトランタの回転寿司FUNEの例もあるので油断はできないが)。さっそく日曜に家族で行ってみたが、寿司は美味しいし、とんかつ、焼きソバなどもあり、間違いなくドーサンで一番の日本食レストランである(比較対象がMIKATAとKYOTOだが)。

奥さんと子供が日本に帰ってしまって単身赴任状態の遠藤さんなど、月曜から水曜までに4回も食べに行ったという。私も昨日、2回目を行ってきたが、店員の格好が面白いので写真を撮らせてもらった。

なにしろいきなり「神風」の鉢巻である。意味を聞くと「Wind of God」だと言う。その背景までわかっていまいと思って聞くと、「第二次世界大戦のときに日本軍が特攻をしたりするときに使った言葉だ」と完璧な知識があるのに驚いた。聞くと、日本から来た女性に教えられたのだという。そこまで分かっていて寿司屋でこの格好かよ。アメリカ生れのフィリピン人だという。

このサクラは、料理が美味しいだけではなくて、内装もいかにも日本の居酒屋風で凝っている。そのくせ外にはジャパニーズ・カフェと書いているのが楽しい。写真に写っている暖簾もいい感じだが、何かがおかしいのにお気づきだろうか。そう、わざわざ「日本料理」と書いてある暖簾など日本にはあり得ないのだ。アメリカにはこういう、アメリカ人に売るための日本製もどきの商品が売っているんだろう。

噂によると、そのうち、KYOTOのすぐ近くにKOBEというもうひとつの日本食レストランができるという。こちらも楽しみであるが、店名からはあまり期待できなさそうだ。

一晃さんからさっそくサンドペーパーラケットを売っているサイトが報告されてきた。http://www.amazon.com/Economy-Sand-Paper-Face-Paddle/dp/B0000BYRYU/ref=pd_sim_sg
まさかこんなものを今も平気で売っているとは。いや、オモチャなんだから何でもいいと言えばなんでもいいのだが、それなら他にも材料があるはずである。わざわざ100年以上も前にスタンダードだったものを延々と売っているところが面白いのだ。もしかすると思わぬ製造ノウハウがあって大変な工芸品なのかもしれない(ルール違反だがな)。絶対に買わなくては。