月別アーカイブ: 4月 2008

マイクの逆襲

その後、マイクは、りんごをかじった悪友の席に行って、本人のいない間に紙袋の中にドーナッツをがぶりとかじってやったそうだ。

人のものをかじるということで思い出すのは杉浦くんのことだ。杉浦君は、基本的にはとても真面目で誠実で、全面的に信頼できる人物だ。その真面目な杉浦くんの前で、私は安心してハチャメチャをやったり言ったりして、楽しんでいたわけだったが、どうしたわけか、杉浦くんはときどき、妙にハメをはずすことがある。

学生時代に、男女4,5人でスキーに行ったときのことだ。昼食のレストランで、ある女性が注文したラーメンが来たのだが、手前にいた杉浦くんは店員から受け取りざまにそのラーメンの汁をズズッとすすってから「ハイおまちどう」と女性に手渡したのだ。当然、その女性は「信じられなーい、なんてことすんのよ」とむくれた。杉浦くんとその女性は、親しいには親しい間柄だったが、そんな親しさはない。真面目な杉浦くんが、加減がわからずにハメをはずした楽しい思い出だ。

りんご事件

今朝、同僚のマイクが、机においていたりんごの向こう側が何者かによってかじり取られていたことを発見した。変色の具合からして「今朝だな」ということになった。もちろん、こんないたずらをするのは、マイクの悪友であるもう一人のマイクに決まっている。さっそくマイクはそいつに電話をして「りんごをかじった犯人をつきとめるのでDNA検査に協力しろ」と言った。やはりそいつが犯人だった。

この二人、以前から、スルメをキーボードの下に隠して匂わせたりいろいろといたずらをやりあっている。

もっとも大掛かりな例では、声を知られていないパート新人女性に、企業を装った電話をかけさせ、「懸賞のボートが当たったから取りに来い」と言って信じ込ませるというものがあった。このときのマイクは大喜びで、ウソだとわかったときの落胆は大変なものだったらしい。

また、買ったばかりの車の下にオイルを撒いて、故障に見せかけたこともあったらしい。レストランに入ったときにわざと車の故障についていろいろと話して故障の恐ろしさを植えつけ、その間に別の仲間が車の下にオイルを撒いたのだという。レストランから出たマイクは大騒ぎをしたのだが、ウソだとわかると、ブチ切れてネクタイを引きちぎったという。「あれは頭にきた」と今でも言っているのだが、それでも仲のよい二人なのだ。そこまで腹を立てても嫌いにならないのだからたいしたものだ。

書き文字の話

15年くらい前にイランに旅行に行ったときに知ったのだが、ペルシャ語は、横書きなのだが、右から左に書く。その中にときどき英単語が混じっているのだが、当然それだけは左から右に綴られている。つまり、書く人も読む人も、そこで一回戻るような動きを強いられるわけだ。なんとも不都合な文字もあったものだと思って我が日本語を振り返ってみると、縦書きの文章に、あろうことか90度横倒しになった英単語さえみることができるではないか。視線が戻るどころか、顔や本を横倒しにしなくてはならないわけだから、ペルシャ語よりよっぽど不便だ。

ところで英語などの横書きは左から右なのに、日本語の縦書きはどうして右から左なのだろうか。こんなことは研究者による結論はとっくに出ているんだろうが、あえてそういうことを調べず、考えてみた。

これは文字を書く道具に由来するのではないか。英語はペンで書くが、当然、右利きの人が書いた文字を手でこすらないように左から右なのが自然だ。一方、日本や中国は何で書いていたか。筆だ。そもそも手を紙につけないで書く文字なのだ。しかも何に書いたか。巻物である。右利きの人が、巻いた巻物を少しづつほどきながら書く場合、当然、その巻物を広げていく作業は左手にさせることになる。これが、日本語が右から左に書く理由だと見る。おそらく、ペルシャ語にも理由があるはずだ。左利きの人が多かったとか、裏返しにして読む言語だとか(あるかそんなの)。

世界に名だたる日本のマンガは右から左に読む。ページもそうだし、コマの読み方もそうだし、コマの中の時間の流れすら右から左だ。これらはすべて、コマの中のセリフが縦書きであり、右から左に読むことに起因している(ちなみに、マンガを知らない人が描いたマンガが読みづらいのは、読むときにはだれもが無意識に従っているこのルールに気づかず、無視することが多いからだ)。

小学校のときに購読していた科学と学習シリーズの『科学』に連載されていたマンガが左から右に読むマンガであることにしばらくしてから気づいて愕然としたものだった。うまく読めなかったからではない。逆だ。読む順序が普通と逆のマンガなのに、何の違和感もなく何号か読んでいたからだ。どうしてページすら逆に進行するうこのマンガを自然に読めたのか考えてみると、吹き出しのセリフが横書きだったからだ。それが無意識のうちに時間の流れを規定していたのだ。もっとも雑誌自体もすべて横書きで、左から右にめくっていく雑誌だったことも自然に読めた理由ではある。

当然、日本のマンガを欧米に翻訳して輸出する際には、すべての画像を左右逆に反転して印刷しているわけだ。吹き出しの中のセリフが左から右へ読む横書きだからだ。

ここでもうひとつウンチクが入り込む隙が生じる。マンガの絵というのは、いつも見慣れている角度の顔を見ていると、デッサンの狂いに気づかないものだが、反転させるとデッサンの狂いがよくわかる(漫画家が原稿を透かして見てデッサンをチェックするのはそのためだ)。だから、デッサンに自信のない漫画家は、左右反転が必須となる翻訳版を出したがらないのだ。

宛名書きと文法の関係

アメリカと日本では手紙を書くときの住所の書き方が違う。

日本でなら
宮城県仙台市若林区大和町3丁目5-6
伊藤条太さま

などとなるところが、アメリカ式では
Jota Ito
3-5-6 Yamatomachi Wakabayashi-ku, Sendai-shi, Miyagi-ken

という具合になる。徹底的に順番が逆なのだ。どうして逆なのか考えてみて、ひとつの仮説に達した。これは文法に起因しているのではないか。
日本語でたとえば「男の声」というのを英語では「Voice of Man」と書く。つまり修飾される語と修飾する語の順番が逆なのだ。日本の住所の文脈は
「宮城県の仙台市の若林区の大和町の伊藤家の条太」であるが、英語の文脈では
Jota of Ito of Yamato-machi of Wakabayashi of Sendaishi of Miyagiken
なのだ。だから完璧に逆なのだ。とはいえ、アメリカ人でも実際に配達するときには、書いた順序にJotaから見るわけではなく、当然、最初に何州かを見て、次に何市かを見て、最後に番地を見るはずである。最初に番地を見て配達できる人などいまい(最初に番地ごとに手紙を分けても配達の役に立つどころか妨げにしかなるまい)。
また、人の名前でも、いつもはDavid Hallと苗字を後ろに書いていても、電話帳などの名前のリストではHall,Davidという具合に苗字を最初に持ってくる。これは名前だとDavidだのJohnだのMikeだのあまりに同じ人が多くて検索の要を成さないこともあるだろうが、この点でも、アメリカの通常の書き方はやはり実用的ではないと思う。

文法の違いは、そのまま個と集団の関係に対する意識の違いから来ているのではないか、というのは考えすぎだろうか。

ところで、アメリカから日本に手紙を出すときに、なぜか日本の住所や氏名までアルファベットで書く人がいるが、そんな必要はない。それを読むのが郵便局員や配達人などの日本人であることを考えれば、日本語の方がよいに決まっている。むしろアルファベットなどで書かれたら迷惑千万なはずだ。アメリカ人がアルファベットで住所や名前を書くのは、日本語を書けないからしかたがないだけのことであって、我々がわざわざそんなことをする必要はないのだ(私もそれがルールだと思い込んでしばらくやっていたので大きなことは言えない)。もっとも、アメリカから出しているという雰囲気を出すためにこれみよがしにやるというならそれもよかろう。

食い放題の思い出

アメリカではいつも注文が面倒なのでバイキングスタイル、つまり食い放題の店に行っているが、日本での食い放題の店の思い出を書こう。

今では食い放題などめずらしくもないが、20年くらい前にはそんなにはなかった。だからときどき『食い放題』と聞くと「元を取らないと」という決意をして臨んだものだ。客がこういう考えなので、店側も採算を維持するために、ある程度値段を高くするのが普通なのだが、だんだんと、コストを下げた安い食い放題の店が出てくるようになった。

最初に経験した安い食い放題の店は仙台の郊外にあって、『焼肉パビリオン』といった。880円という値段で食い放題なのだから狂喜して行った。ところが、おいてある肉の形の異様なこと。しかもご丁寧にも「肉に関するご質問にはお答えできません」と書いてあった。半年ぐらいでつぶれた。

その後、あちこちに似たような「安い食い放題の店」ができたが、史上最悪の店が会社のすぐ近くにできた『花子』だった。この店、焼肉、寿司、ギョーザ、麺類など、なにからなにまであって食い放題なのだが、驚いたことにすべて不味いのだ。私は農家の生まれだが、自慢ではないがご飯の味などわからないし、会社の食堂のラーメンとカレーが大好きな、客観的には味のわからない男(自分ではそう思わないんだが)なのだ。その私が不味いのだからものすごく不味いのだ。ここまで不味くするには、かえってコストがかかるのではないかと思うほどだった。いったいどこであんな材料を売っているのだろうか。寿司の醤油くらいは普通なのだろうかと思ってなめてみると、しょぱいのだが味が薄く、まるで塩水のようだった。

ただでも食べたいものがないのだ。私が行ったのは開店直後で、店内は客にあふれていた。その中である客が、「あー、水が一番うまい」と大声で言いながら水を飲んだ。その日は暑い日で店内もちょっと暑かったから、その客が、本当に水というものの美味さに素直に感嘆の声を上げたのか、それとも不味い店の料理に対する皮肉として言ったのかわからず、なんとも可笑しかった(確かに水は普通だったのだ)。

その店は今まで見たこともないスピードでつぶれた。もう一ヶ月くらいでなくなった印象だ。すごい店もあったものだ。子供までつかった家族総出の店でかわいそうだったが、しかたがない。

今でも「水が美味い」などと聞くと、あの『花子』の暑い日を思い出して可笑しいような悲しいような気持ちになる。

アニストン・オープン その3

会場について、参加者のレーティングを見ると、われわれのチーム「Junk Factory」は2位で、レーティングどおりなら決勝までは残らなくては恥ずかしい。チーム名は、ジャンク・ラバーからとった。こちらでは、通常の裏ソフト以外のラバーは、いかがわしいラバーという思いを込めてジャンク・ラバーと呼ぶ。わがチームは3人ともジャンク・ラバーを使っているので(チャックとウォレンは粒高、私は表)、ウォレンがこの名前で登録をしたのだ。ちなみに昨年は「King of Wet」で、ラリー中のエッジやネットの総称であるwetからとっている。もともとは、ラバーが汗でぬれたことによるミスを言っていたのだが、いまではネットやエッジのこともひっくるめてwetというんだとウォレンが説明してくれたが、どうもアラバマ州内でも他の地域の人たちは知らない様子だ。方言なのかもしれない。

結局試合は、準決勝で日本人二人のチーム「Space Samurai」に負けた。南くん、秋山くんの二人組み(右の写真)で、North Alabama Universityの学生だ。南くんは高校時代に団体でインターハイに出たそうだが、個人戦では二人とも県でベスト8が最高だそうで、ちょうど私と同じくらいの実力で、面白いくらいに競って、楽しめた。

準決勝を前にして、チャックとウォレンがそれまでの試合とはうって変わって自分たちが多く出たいと言い出した。レーティングが高い相手に勝ってレーティングを上げるチャンスがほしいというのだ。チームが勝つためには私が多く出た方がいいにきまっているのだが、自分のレーティングが上がるチャンスが欲しいというのだ。結局、あの相手ではウォレンは勝つ見込みがないと私が判断して、私とチャックだけで出ることにした。

試合は、私が2敗し、ダブルスとチャックの1点で2-3で負けた。私は出た3試合がすべてフルゲームまでもつれて合計15ゲームもしたので、フラフラだった。後で聞くと、彼らも試合後は立っているのがやっとで、決勝では「Mr. Sushi」に1-3で負けてしまったそうだ。Mr.Sushiはたぶん昨年も優勝していて、アメリカ生まれの日系ブラジル人の河本さんという人と、その教え子のデビッドという少年のチームだ。

チャックが南くんと試合をしているとき、ベンチで私とウォレンが口論になった。私が、「チャックはリスクをおかして攻撃しないと勝ち目がないので攻撃すべきだ」というと、ウォレンは「違う」という。両者のレーティングは同じくらいなので、普通にやって五分五分だという。「南の実力はレーティング以上だ」と私が説明しても、「レーティングがすべてを物語っている、事実を見ろ」と私に言うのだ(自分の方がチャックよりレーティングが高いことも根にあるのだろう)。バカ。この期におよんでレーティングなど関係あるか、目の前で行われている試合を見ろよ、南が攻撃するとミスをほとんどしないしチャックは一本も返せてないので、80%が南の得点になっている、チャックが唯一得点できているのは、チャックが攻撃したときだけだ、だから勝つには攻撃する以外にないんだと力説した。二人で声を荒げたので、前の席に座っていた秋山くんが振り返った。

結局、ウォレンを説得するのはあきらめてチャックに直接アドバイスし、最後にはチャックが勝ったのだった。
こういう明らかなことでも、いちいち抗弁されるので疲れる。さすがディベートの国だ。

アニストン・オープン その2

アニストンへの行き帰りに、何度か食事をしたのだが、マクドナルド以外には一度も入らなかった。他にもファーストフード店はバーガーキング、チェッカーズ、アービス、ハーディスとたくさんあるのに、この人たちはマクドナルドが大好きなのだ。しかも昨年アニストンに行ったときとまったく同じ店だという。

そういえば、初めてチャックと待ち合わせをしたのもマクドナルドの駐車場だった。ウォレンが電話でマクドナルドと言っていたのだが、どう聞いても「モッドーノー」としか聞こえず何を言っているのかさっぱりわからなかったものだ。このあたりの人は口をあまり開けないんだかなんだかわからないが、とにかくこういう訛り方をしているのだ。ドーサンには、町を取り囲むように円状の道路が走っていて、通常これをサークルと呼んでいるのだが、これもウォレンが電話で言うのを聞くと「ソーコー」としか聞こえない。しきりに「お前、ソーコー知ってるだろ?その近くのモッドーノーの駐車場に来い」といわれて本当に困ったものだ。

話がそれた。まず1日め、2時ころに昼食にマックに入った。マックにはいろいろと趣向を凝らしたハンバーガーがあったのだが、チャックもウォレンも迷わずオーソドックスなチーズバーガーだけを頼んだ。私がプレミアムチキンバーガーを一つ食べ終わる前にウォレンはチーズバーガーを3個、チャックは2個を平らげた。チャックは2時間前に食事をしてきたばかりだと言う。私が驚いていると、「なんでそんなにゆっくり食べるんだ?」と言った。

夕食もマックだったのだが、ウォレンはダイエットのためにチーズバーガーを2個だけにしたと言ってウインクをした。チャックはチーズバーガーを2個。

翌日の夕食ももちろんマック。ウォレンもチャックもやはりチーズバーガーを2個づつ食べ、カップにコーラをなみなみと注いで店を出た。やはり日本にはいないよなあ、こういう人たち。

アニストン・オープン その1

土曜に、アニストンという町に行って試合に出てきた。この大会は団体戦なのだが、メンバーは最低二人いればよくて、4シングルス1ダブルスを戦う。昨年もチャック、ウォレンと参加して18チーム中、3位だったので、今年は2位以上を狙って同じメンバーで参加した。

アニストンまでは400kmくらいあるので、金曜の午後にアニストンに移動して泊りがけでの参加だ。アニストンに行く途中で、アラバマ州最大の都市であるバーミングハムの卓球ショップに寄るのが、恒例となっている。その卓球ショップはモールの中にあり、卓球とビリヤードの専門店で、名前をBumper Netという。Bumperとはビリヤード台の部品の名前で、つまり卓球とビリヤードの部品から単語を一個づつとって店名にしているわけだ。店内には卓球台が3台おいてあり、毎週金曜の夜に卓球大会を開いているので、それに参加して肩慣らしをするというわけだ。こんなに卓球人口が少ないアメリカで、バタフライやドニックの製品を眺めるのは本当に嬉しい。

狭い店内で、11点1ゲームだけのトーナメントで参加料は5ドル。一回戦を負けた人だけのトーナメントも組まれていて、なかなか楽しい。参加者は今年は32人で、私は昨年も今年も優勝して30ドルの商品券をもらった。優勝するのも当たり前で、参加者はほとんど全員が素人(日本の卓球人の基準では)なのだ。実際、準決勝の相手はチャックだったし、決勝の相手はウォレンだった。素人に混じってやるのは居心地が悪いが、店側も観客も喜んでくれるし、いい気持ちになるので、それなりに楽しい。

私が強いとわかると観客の何人かがやってきて、ラケットを見せろと言う。他の大会でもそうだが、彼らはどうも私のラケットに秘密があると思うようで、球を突いてみたりしている。中にはラバーの知識がないやつもいて、私のラケットのイボを見て「これで回転がかかるんだな」などと言ったりする。

ウォレンとの決勝が終わると、ひとりのインド人の観客が寄ってきて「お前が本気を出したのは最後の決勝だけと見たが、その通りだな?」などと聞いてくる。「いや、準決勝のときから本気だ」と正直に答えた。するとそのインド人、私が日本人だと知ると、1956年の東京大会で活躍したオギムラとタナカを知ってるかと聞いてくる。たまたま私だから知ってたものの、そんなこと聞かれても普通はわかるまい。どうやら彼がいいたかったのは、そのときに活躍したインド人選手がいて、その人が田中利明に負けたということらしい。

さらに、日本は強かったが60年代からは中国に負けてさっぱりで、田中の後は世界チャンピオンいないだろなどと言う。私が「いるよ」というと、「いつ、誰が優勝した?」と聞いてくる。1967年ストックホルム大会の長谷川、1969年ミュンヘン大会で伊藤、1977年バーミンガム・・と言っている途中に彼は「ああそうか」と興味をなくし、話を終わらせられた。それにしてもこのインド人、いくら年寄りとはいえ、50年前より新しいことを知らないなんて話が古すぎるだろ。

店の外の大きなスクリーンには王励勤と柳承敏のブレーメン大会の死闘が無音で映し出されていた。こうして楽しいバーミングハムの夜は更けていったのだった。

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