あるとき、松田道弘という人の『超能力のトリック』という本を読んだ。私は小説は読まないが、何かを主張する本は好きで読むのだが、中でも、自分の意見と正反対の意見の本をわざと読んでみたくなる性質がある。それは、その人のロジックに対して自分が対抗できるかどうかという怖いもの見たさだ。もし対抗できなければ転向しなくてはならないが、それも面白かろう。
で、この本のタイトルに反感を抱いて読んでみたわけだ。著者は、超能力というものがあるかどうかは明言せず、ただ超能力と称されるものがすべてマジックでできることばかりであることを淡々と解説していた。さらに、19世紀にイギリスで始まった降霊術が、まさにトリックと密接な関係にあることをも解説していた。
私は超能力や降霊術をある程度信じていたので、非常に不愉快に気持ちになったのだが、どうして自分は信じているのかを考えてみると、単に「その方が楽しい」のと、「ある」という情報を先に知ったからそれを否定されると自分もいっしょに否定されるような気がするだけであることに気がついた。別に自分がそれらの証拠を持っているわけでもないし、経験したわけでもないのに肩入れをしていたわけだった。
松田道弘は大槻教授みたいに「物理的にあり得ない」などとは言わない。ただ、次のような事実を述べるだけだ。
・フーディーニという有名な奇術師が、後半生をかけて、母親の霊と交信しようとして、当時大流行していたイギリス中の霊媒師を回ったが、ひとつ残らずトリックだった。それでもフーディーニは霊の存在の可能性を考え、死に際して秘密の暗号を妻に教えて死んだが、妻がその暗号を霊界から受け取ることはなかった。
・フーディーニがインチキを暴いても、ラップ現象で有名になったフォックス姉妹がそのインチキを告白してもなお、幽霊を信じたい客たちは交霊術を信じ続けた。
さらに他の本を読むと次のような事実がわかってきた。
・ランディというアメリカの奇術師が「本物の超能力を見せることができた人に1億円の賞金を出す」というテレビ番組で、これまで何人もの挑戦者と対戦したが、ひとりの超能力者も見つかっていない。
・ランディが、科学者が組織する超心理学研究所に、弟子の手品師を送り込んで3年間に渡ってトリックによる超能力を演じ続けたが、一人の科学者もそれを見抜けなかった。
超能力や降霊術がインチキだとすれば、それはトリックがあるのだから、トリックに精通していなければ検証は不可能だ。よく「あれは手品では不可能だ」と言う人がいるが、そういう人に限って、手品のトリックを知らない。そもそも不可能に見えることをするのが手品なのだし、タネのわからない手品などいくらでもある。不可能に見えるというだけで信じてくれるのなら詐欺師にとってこんなありがたいことはない。超能力だけは「この目でみたから確かだ」ではなくて、この目で見ても、何度も検証するまでは決して信じてはいけない。それほどトリックの世界は奥が深いのだ。
もちろん、これだけで超能力や霊魂を否定することはできない。それはこれから発見されるかもしれない。でも、発見もされないうちから「あるはずだ」と考える理由は何もない。可能性があることと、事実であることの間には絶望的な距離があるのだ。
少なくとも、これまでの情報では、私は霊魂や超能力を信じるわけにはいかない。検証に耐える事例がただの一つもないからだ。証拠が出てきたら喜んで信じようと思っている。