月別アーカイブ: 7月 2008

マジックと超能力

あるとき、松田道弘という人の『超能力のトリック』という本を読んだ。私は小説は読まないが、何かを主張する本は好きで読むのだが、中でも、自分の意見と正反対の意見の本をわざと読んでみたくなる性質がある。それは、その人のロジックに対して自分が対抗できるかどうかという怖いもの見たさだ。もし対抗できなければ転向しなくてはならないが、それも面白かろう。

で、この本のタイトルに反感を抱いて読んでみたわけだ。著者は、超能力というものがあるかどうかは明言せず、ただ超能力と称されるものがすべてマジックでできることばかりであることを淡々と解説していた。さらに、19世紀にイギリスで始まった降霊術が、まさにトリックと密接な関係にあることをも解説していた。

私は超能力や降霊術をある程度信じていたので、非常に不愉快に気持ちになったのだが、どうして自分は信じているのかを考えてみると、単に「その方が楽しい」のと、「ある」という情報を先に知ったからそれを否定されると自分もいっしょに否定されるような気がするだけであることに気がついた。別に自分がそれらの証拠を持っているわけでもないし、経験したわけでもないのに肩入れをしていたわけだった。

松田道弘は大槻教授みたいに「物理的にあり得ない」などとは言わない。ただ、次のような事実を述べるだけだ。

・フーディーニという有名な奇術師が、後半生をかけて、母親の霊と交信しようとして、当時大流行していたイギリス中の霊媒師を回ったが、ひとつ残らずトリックだった。それでもフーディーニは霊の存在の可能性を考え、死に際して秘密の暗号を妻に教えて死んだが、妻がその暗号を霊界から受け取ることはなかった。
・フーディーニがインチキを暴いても、ラップ現象で有名になったフォックス姉妹がそのインチキを告白してもなお、幽霊を信じたい客たちは交霊術を信じ続けた。

さらに他の本を読むと次のような事実がわかってきた。
・ランディというアメリカの奇術師が「本物の超能力を見せることができた人に1億円の賞金を出す」というテレビ番組で、これまで何人もの挑戦者と対戦したが、ひとりの超能力者も見つかっていない。
・ランディが、科学者が組織する超心理学研究所に、弟子の手品師を送り込んで3年間に渡ってトリックによる超能力を演じ続けたが、一人の科学者もそれを見抜けなかった。

超能力や降霊術がインチキだとすれば、それはトリックがあるのだから、トリックに精通していなければ検証は不可能だ。よく「あれは手品では不可能だ」と言う人がいるが、そういう人に限って、手品のトリックを知らない。そもそも不可能に見えることをするのが手品なのだし、タネのわからない手品などいくらでもある。不可能に見えるというだけで信じてくれるのなら詐欺師にとってこんなありがたいことはない。超能力だけは「この目でみたから確かだ」ではなくて、この目で見ても、何度も検証するまでは決して信じてはいけない。それほどトリックの世界は奥が深いのだ。

もちろん、これだけで超能力や霊魂を否定することはできない。それはこれから発見されるかもしれない。でも、発見もされないうちから「あるはずだ」と考える理由は何もない。可能性があることと、事実であることの間には絶望的な距離があるのだ。

少なくとも、これまでの情報では、私は霊魂や超能力を信じるわけにはいかない。検証に耐える事例がただの一つもないからだ。証拠が出てきたら喜んで信じようと思っている。

マジックショー開催

会社にお客さんが20人ほど来て、先ほどその歓迎パーティーに出てきたところだ。そこで、余興として頼まれていたマジックショーをやった。2週間前にドーサンで初めてやって、私のマジック歴で最高にウケて味をしめ、今回が2回目となる。仙台にいたときから忘年会などでやってはいたのだが、イマイチ受けはよくなかった。ところが、ドーサンに来てからはとてもウケがいい。

それは、思い切って、ある方針変更をしたからだ。マジックの途中でわざと間違えたふりをしてタネをばらし、ウケを狙うようにしたのだ。マギー司郎などがよくやる手だが、これが、見ている人にはとても楽しいらしい。これまでは、どうしてもそういう演出には抵抗があったのだが、やってみると楽しい。こんなことならもっと早くやるんだった。

ともあれ、マジックは、言葉がわからなくても楽しんでくれるので、とても便利で心強い。

お客さんの中に博士号を持っている人がいて、ショーが終わった後にすかざすタネを確かめに来たのは可笑しかった。さすが博士。

私が手品に興味を持ったのは父の影響だと思う。小学校のときにいろいろと手品を見せられた。マジックセットを買い与えられたこともある(しかし説明書きが理解できず、ひとつもできなかった)。同時に、マンガなどの影響でオカルトにもはまっていたので、高校ぐらいまでは、それぞれ別のものとして興味を抱いていた。両者が抜き差しならぬ関係にあることが分かってきたのは、恥ずかしながら大学も卒業しようという頃であった。

ブログ一周年

このブログを始めたのは昨年の7/25なので、ほぼ一年が経ったことになる。編集長の今野さんから「何を書いてもいいし好きなときに書けばいい」と言われて始めたのだが、自分の日記代わりにもなり、結構楽しい。

日常経験したことをウソにならない程度になるべく面白く書くようにしているのだが、時事ネタはほとんど一つもないので、実はいつのものを読んでも同じことなのだ。そういうわけで、更新されてないと思ったときは、過去のものでも読んでくれればいいと思っている。昔から読んでいない人は、ぜひとも遡って読んでみてください。

下欄のnextというところをクリックすると少しづつ過去の文章が読めるのだが、一気に遡りたいときには、上に出るURL、http://www.world-tt.com/cgi-bin/weblog/itohjohta.cgi?page=10
などの最後の数字を10の代わりに240などと入れてやれば一気に遡ることができる。お試しあれ。

また送別会

土曜に、4年の刑期を終えて帰任することになったOさんの送別会があった。私が赴任して1年半経つが、その間に見送った人はこれで6人になる。私より後に着任した人は2人いて、まもなくあと2人が来ることになっている。こうして次々と入れ替わっていくわけだ。人生である。

恒例で、二次会ではほとんどの男性がプールに投げ入れられた。どうも私以外は最初からそのつもりで着替えを持ってきていたらしい。プールの水は昼の熱でまるで風呂のように温かかったが、上がった後に続いた飲み会がなんとも寒かった。

写真は、ドーサンの野口五郎、F君と、毎度出たがりの宮根さんだ。宮根さんは、人形俳句写真に関心をよせてくれる奇特な人なので大切にしなけらばならない。宮根さんは関西出身。そこでも宮根というのは珍しい名字であり、なおかつ韓国語で「ミヤネ」は「すみません」という意味なので、韓国のホテルにチェックインしようとすると「いらっしゃいませ」「ミヤネ」「はい、いらっしゃいませ」という調子で話が進まない、というのが彼得意のネタである。

そう思って『冬のソナタ』を見返すと、確かにユジンが「ミヤネ」「ミヤネヨー」などと言っているのを発見して嬉しい。

帰任するOさんは、我が家に卓球をしにきてくれた数少ない一人だ。今回、帰任するにあたって、私に思わぬプレゼントをくれた。なんと、UFO関連のDVD5枚組10時間分だ。最近、複数の人から「宇宙人だろ」などと言われることがあって、何か激しく誤解されているような気がするのだが・・ともかく、ありがとうございます!

人形俳句写真『犬帝』『蟹の唄』

昨日の弁当、夕食、今日の弁当、すべてインドのレトルトカレーだ。いつまで続くのだろうか。8種類買ったので、まだ半分も来てないはずだが・・。でも、結構美味い。今、ダイエットしているのにカロリーが高いのが問題だが、ちょっと腹の調子が悪くなっているのでちょうどいいだろ。

人形俳句写真は、いよいよわけのわからないものを載せてみた。雰囲気を味わってくれればいいです。それにしても義姉、淳子さん、よくもこんなにたくさん創ったもんだ。

人形俳句写真『三十黄金虫』『苔の上』

昨夜の会話

妻「この前買ったインド製のレトルトカレー、全部試してみたけど、どれもこれも変な薬草のような味がしてダメだ」
私「へー、じゃ、全部捨てたのか」
妻「いや、明日から弁当に入れるから」
私「ググッ(言葉にならない音)」

宮根さんから、人形俳句写真に惹きつけられる、とお褒めをいただいたので更にアップする。説明はしない。

きゅうりとトマト

裏庭の野菜が育った。繁殖著しいのはキュウリだ。まるで雑草のように藪の方にまで侵食している。精力旺盛のツルが雑草を縛り上げているのがなんか可笑しい。

収穫したキュウリをさっそく切って食卓に並べた。食べてみると、なんとほんのりとメロンのように甘みがあって感激した。

ここで、かねてからの大きな疑問が沸いてきた。よくグルメマンガなどで、高品質の食材を食べたときの表現として「甘みがある」というのがある。甘みがあればいいのなら、砂糖を使えばいいだけのことだ。また、甘みがあるということが、さも「高品質であること」のように表現されているが、なぜ甘いことが高品質なのか。甘いと言うのはたまたま人間の特に子供が好きな味だというだけのことであって、それ以外に特別な価値はないはずだ。また、甘くては困るメニューだってあるはずなのに、なぜ素材が「甘い」と言って喜ぶのか。

などというしょうもないことを考えながらきゅうりを食べたのだった。

一方、トマトも「屋内で苗を育ててから屋外に植えろ」という指示を守らずに適当に裏庭に蒔いたにもかかわらず、小さな実をつけるまでになった。

どちらも、あんなに手荒く育てたのに、よくこんなに良い子に育ったものだ(誰かのようだ)。

人形俳句写真『正月』『酔いしれる』

好評につき、義姉の人形俳句写真を載せる。

飲み屋街で酔いしれている人形を見ていると、なんだかこれが人形であることを忘れ、「気持ち分かるよ」と言いたくなる。そうなると、この写真がそもそも人形で撮影する必然性がないようにも思うのだが、はやりそうではなく、これが人形だからこそ特別な何かを感じるのだろう。

それにしてもいそうだよなあ、こういう頭の男。義姉はいったい何を見てこんな人形を作るんだろうか。

インド食材屋『リトル・インディア』

『リトル・インディア』というインド食材屋にも行ってきた。

まず『ヒキ蛙の卵のドリンク』である。とういのはウソで、「バジルの種」と書いてある。妻が気持ち悪がるので子供たちが喜んでこれを買ったのだ。

飲もうとしてフタの部分のアルミのタブを引っ張ると、すぐに根元から千切れてしまった。ずいぶんと上の方の目立たないところにおいてあったので、いつからあるのかわからない。ホテルに着いてなんとか空けてもらって飲んだが、さすがの我が子も不味くて飲めず捨てた。バナナの腐ったような香りがした。これが、バジルの種の味なのか、インド人の味付けのせいなのか、はたまた長期保存のために腐った結果なのか、考える元気もなくなった。

さらに、レトルトのカレーのようなものをたっぷりと買った。今までの経験からすると非常に危険な賭けだが、本格的インド料理というのはだいたい口に合うので、食えないと言うことはないだろう。ひとつづつ食べるのが楽しみだ。

ニッシンのカップヌードルもあったので買った。マサラ味とスパイシーベジタブル味だ。さすがインド。こちらはまず安全だろう。楽しみだ。

タラハッシーの雑貨屋

土日に、車で2時間ぐらいのところにある、タラハッシーという町に行ってきた。そこに『ニュー・ソウル・オリエンタル』という韓国雑貨屋があり、なかなかに趣き深い商品を見つけた。

まず、なんだかわからないが妙な日本語が書いてある干し果物だ。もとの日本語のどこをどう間違えてこうなったのか推測すると楽しい。

次に、商品名『ハロハロ』という、なんだか気持ちの悪いデザートのようなものだ。ハロハロだけが日本語で書いてあり、いったいどこで売るための商品なのか、意図が不明だ。もしかして日本語に対する憧れだろうか。

さらに、牛頭牌というインパクトの強いものがあった。なにやら凄そうな旨そうな商品名で、バーベキューソースらしいが、牛の頭蓋骨か角の成分でも入っているのだろうか。事情が許せば、すべて買って食べてみたいがそうもいかないのが残念である。

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