卓球王国のウエブサイトのリニューアルにともなって、このブログのURLも変わってしまったようだ。私もすぐには見つからず、卓球王国のトップページから見つけてここに来た次第だ。まだ見つかってない人もいるらしく、昨日のアクセスは通常の半分くらいだった。といって、読者にお知らせする方法もないので、そのうち見つけてくれることを待つしかない。
無事に見つけてここにたどり着いた方、おめでとうございます。今後ともよろしくお願いします。
卓球王国のウエブサイトのリニューアルにともなって、このブログのURLも変わってしまったようだ。私もすぐには見つからず、卓球王国のトップページから見つけてここに来た次第だ。まだ見つかってない人もいるらしく、昨日のアクセスは通常の半分くらいだった。といって、読者にお知らせする方法もないので、そのうち見つけてくれることを待つしかない。
無事に見つけてここにたどり着いた方、おめでとうございます。今後ともよろしくお願いします。
今朝、起きてみたらいきなり速報ブログができていて驚いた。
もちろん嬉しい驚きだ。
トップメニューの私の速報ブログに、前にこのブログに載せた白黒のゴダール調の写真がうまく使われていた。あえての白黒が面白いし、腕が動くようになっているのも面白い。これに関しては私は一切関与していなくて、編集部(あるいは外部業者かな)が作ってくれたのだが、さすがプロの仕事だ。
いつものことだが、急に緊張してきた。おかしな夢を見ている場合ではない。
私は5/27から現地入りするので、それまではこちらと速報ブログと内容に応じて両方書いていこうと思う。
よく仕事がら、FEDEXという宅急便を利用する。FEDEXではトラッキング・ナンバーという番号を使って、ウエブサイトでその荷物がどこまで進んでいるかを知ることができるようになっている。このトラッキングという言葉、なんとなく荷物を運ぶトラックからきていると漠然と思っていたのだが、よくスペルを見るとtrackであって、荷物を運ぶtruckとは違う単語であることに今さらながら気がついた。trackは追跡するという意味であって、tracking numberとは「追跡番号」という、まさに意味どおりの単語だったのだ。
外にtrackを使う単語では、映画音楽などを意味するsoundtrackというのがある。これがなぜtrackかというと、trackには足跡とかわだちという意味があり、soundtrackとはもともとは、フィルムなどの記録媒体の音声信号の録音帯のことなのだ。そのうち、音楽そのものをもsoundtrackというようになったわけだ。
ところが面白いもので、辞書を見ると、soundtrackとは別にsound truckという単語もある。なんとこれは、音を出すトラックということで、スピーカー付きの宣伝カーの意味なのだ。
何かのレコーディングのときに、カタカナ英語の日本人がアメリカ人のプロデューサーに向かって「サウンドトラック」と言って宣伝カーと間違われる光景を想像し、しばし楽しんだ。
今年も昨年同様、テレビ東京で、世界卓球をテーマにしたCMのコンテストをやったようだ。受賞作品を見たが、どれも楽しかった。しかしやはりグランプリと準グランプリがとても面白かった。いろんなアイディアがあるものだ。
http://www.tv-tokyo.co.jp/takkyu/award.html#sinsa
こういう企画はテレビ局ならではの盛り上げ方で、なんとも心強い。
また、同サイト内には選手のインタビュー映像もあるのだが、吉田、張、二人の帰化選手の映像を見て胸が熱くなった。人情としては日本生まれの選手だけでメダルをとってほしい気持ちはあるが、それとは別に、祖国で将来を見限られ、起死回生を胸に日本に来たこのふたりの心情と覚悟、そしてここまで日本語をマスターした苦労を思うと(無論インタビューでそんなことは語っていない)、感動せざるを得ない。インターハイで勝つために中国から留学生を呼ぶ学校や指導者は少しも尊敬できないが、留学生自身に対してはもう100%の敬意を表する。彼らのインタビューを見て、応援したくならない人はいないだろう。
毎年のことだが、世界選手権の取材が近づくと、選手でもないのに何度もその夢を見る。なんだか知らないがうまくいかない夢ばかりだ。会場に辿りつけなかったり、ついても試合が終わっていたりだ。試合会場で見るのも世界の選手でなくて、村上力さんとか戸田とか仙台の卓球好きのオヤジたちとか20年以上前の知り合いばかりで、なんとももどかしい。やはり新しい記憶は夢には出てきづらいのだろう。
今朝も、実に後味の悪い夢を見た。モスクワに卓球の試合を取材に来ているはずなのに、なぜだか小学校の裏の水をはった水田が会場なのだ。この時点でもう完全におかしいのだが、それでも私は福原と平野を探している(女子だけですまん)。やっと平野がいたと思ったら、それは会社の後輩の谷という男で、ゴーグルをつけてもぐったり顔を出したりしている。まだ私はそれを平野だと思っている。
それで、平野(実は谷)が水面から顔を出すと、なんと体長が20cmほどもあって胴体がソーセージぐらいの太さのバカでかい蚊を両目の上まぶたに2匹づつ合計4匹ぶら下げているのだ。谷は「こうすると免疫の関係で蚊の毒素が薄まっていいんです」ともっともらしい説明をする。私は聞いているうちにもうなんだか面倒くさくなって、適当にあいづちをうったのだった。
あんなバカでかい蚊に顔を刺されたら、免疫どころか即死じゃないか、と目が覚めてから思った。蚊が出てきたのは、先週あたりから妻が蚊に刺されて騒ぎ出し、蚊を退治するクスリを裏庭に撒いたりしたからだろう。だいたいあんな形の蚊いねえし。
結局、小学校の裏の水田で谷が顔に蚊をぶら下げて出てきただけで、卓球も平野もモスクワも見る影もない夢だった。
このごろ、隣の席のマイクが、わざと私の知らないスラングで挨拶をしてくる。そのたびに私はしつこく聞いて意味を確かめ、翌日から使うことにしている。
以下に、その直訳と意訳を紹介する。ただしいずれも私の考えなので間違ってるかもしれない。
「What’s up?」(「サーップ」と聞こえる)
直訳:何か起こったか?
意訳:どうだい調子は?
これに対する返事
「Not much.」
直訳:それほどのことは起こってない。
意訳:まあまあだ。
最近ではWhat’s upの後にdogをつけて
「What’s up dog?」
と言われる。男同士の友達のことをdogと言うのだそうだ。これを知ってからは、アメリカ人同士が会話でしょっちゅうdogと言っていることを発見した。3年住んでいてまったく気がつかなかった。
さらにマイクが教えてくれたのは
「What’s up cod?」
だ。Codというのは辞書を見てもないのだが、マイクによると金玉か金玉の袋か、いずれにしろそんなもんだそうだ。だから直接の意味は「金玉の調子はどうだ?」という挨拶になって、男同士の下品な挨拶として半分ジョークで使われるという。
さっそくやってみると、あわててゲイリーがやってきて物陰に連れていかれ「女性がいるところでは言わないように」と言われた。さすがにそうか。
さらに今日、ベアリーから新しい下品な挨拶を習った。
「How is it hanging?」
と言うのだ。「ぶら下がり具合はどうだ?」という意味で、もちろん、アレのことだ。これに対する正しい答えは「very low」だそうで、ずいぶんと下まで垂れている、つまり長いから「調子がいい」という意味らしい。今朝、この新しい挨拶をされたとき、よく聞こえなかったので、「What’s up?」と言われたんだと思ってあてずっぽうで「Not much」と言ったら大笑いされた。ぶら下がり具合が悪いってことだからだ。
なお、これらに相当する女性同士の挨拶はやっぱりないそうだ。
それにしても、いちいちなーんて下品な挨拶するんだろうか。さすがに日本で玉袋だの垂れ下がり具合だのを挨拶にしたら何だと思われるだろう。
モスクワでツンストロムに「How is it hanging?」つってみるか。スウェーデン人だから通じないかな?
モスクワの大会組織委員会に、テレビ放送の改善案について、テレビ局に転送してくれるようメールを送った。編集部へ提出済みの来月号の原稿には「例によって無視されている」と書いたが、実は今日になって返事が来た。
その返事は「今回のテレビ関係はすべてTMS Internationalという会社に任せているので、そこの責任者であるAnders Thunstromにメールしてくれ」というものだった。http://www.tmsin.com/
さっそく紹介された人とやりとりを始め、資料を送った。ところで、この人の名前を見ていて、なんと読むのだろうかと考えてみた。アンダース・スンストロン?スンストロム?なぬっ?もしかして、ツンストロム?ということは・・・アンダース・ツンストロムとなるではないか。これは、90年代前半のスウェーデン男子チーム黄金時代にチームを率いていた監督と同じ名前だ。しかし、まさか卓球の指導者がテレビ放送関係の会社ってことはないだろう。しかし狭い卓球界で同姓同名っていうのも確率は低い。ともかく、まさかとは思うが、念のために話題づくりにもなるだろうと思って「ところであなたは以前、スウェーデンの監督していませんでしたか?」と聞いてみた。すると「Yes, that is me.」と返事が来たではないか。どひゃあーっ。あのアンダース・ツンストロムだっ。
もうテレビ放送の改善どころではない。すっかり慌てふためいて「モスクワでお話させてください」と書いたら急に返事が来なくなった。クソッ失敗だ。
せっかく巣穴から顔を出していたアライグマを刺激しすぎて、逃げられたような気持ちだ。
やっぱりインチキだったようだ。
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2010&d=0511&f=national_0511_036.shtml
この記事のどこにもインチキだったという結論は書かれていないが、医師団が第三者の検証を拒否したことがすべてを物語っている。70年間、物を食べず水も飲んでいないで生きているという、生物学的どころかほとんど物理学的にも有り得ないような主張をしているのだから、当然、その検証はどんなに厳しい検証をしてもやりすぎということはない。それほどとんでもないことを主張しているのだから。
ところがそれを拒否したというのだから何をかいわんやである。「それでも本当かもしれない」などと考える必要はない。それが常識というものだ。70年間不食というのは、「俺は100mを5秒で走った」と言うよりもはるかに有り得ないことなのだ。そんなことを主張しておいて、測定は関係者以外立ち入り禁止でしかやらないというのだから、本当である可能性を考える必要などないのだ。
医師団の最後のコメント「インチキ以上の神秘がジャニさんにはある」というのも意味が分からない。
しかし、多くのメディアはこの情報を報道しないだろう。不思議なことにはニュース価値があるが、不思議ではないことには価値がないからだ。ヘタすると、最初からこういう情報を知っていてあえて報道しない「消極的ヤラセ」だったのかもしれない。
ちなみに、消極的ヤラセとは、たとえば宇宙人の目撃情報などによく見られる。昔、木曜スペシャルで、ある人物がアメリカ大統領と宇宙人の会見を目撃したと放送されたことがある。後で本を読むと、その人物がそう語ったことは本当だったが、その人物、どうやってその会見を目撃したかというと、リモートビューイング、つまり遠隔透視で見たと言っていたのだ(トホホ)。しかし番組内では肝心の目撃方法については何も語らなかった。積極的にウソはついていないが、その情報の真偽を判定するのに参考になる重要な情報を隠す、こういうのを消極的ヤラセと言う。
こうやって、デタラメな情報が世の中に流布するのである。
記事の最後に「2週間の不食の真偽について、今後も議論が続きそうだ」とあるが、この表現も、今後もなにかとネタにしておきたいという保険の現われだろう。完全にインチキだと確定してしまったら、今後、これ関連の記事を書けなくなるからだ。こんなものを議論を続ける必要はない。それよりも、こんなインチキを平気でする医師団を追求し、その様子を記事にすればよいのにと思う。
インドで70年間、飲食をしていない人が見つかったらしい。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100511-00000044-jij-int
見つかっただけではなくて、医師が15日かけて24時間体制で検査をしたが、たしかに飲食もトイレにも行かなかったという。
いままでこういう奇跡みたいな話はいくらでもあったが、調べてみると必ずインチキか誤解だったものだが、今度は本当なのだろうか。仮に食事以外の方法でエネルギーを得ていたとして(光合成とか熱とか)、もっとも説明が難しいものがある。それは水分だ。人体は約70%が水分でできているのだが、その水分は肌の表面から必ず蒸発していく。行者だろうが超能力者だろうが、水は水である以上、蒸発は避けられない。それが70年間水も飲んでいないでどうやってミイラにならずにいられるというのだろうか。また、もしこれが本当なら、似た体質の人が普通の食事をすればとんでもなく太ることになり、太っている人に「そんなに食うからだよ」と批判したりするのは間違っているということにもなりかねない。
可能性は以下。
1.この人の体は水ではない液体からなっている(その時点でもう地球上の生物じゃないわけだが)
2.空気中の水分を取り込む能力がある
(医学的生物学的にありえないとは思うが、私にはそこまで断言する知識はない)
3.トリック(衣服の一部が食べ物になっていてこっそり食べていたなど)で医師団をごまかした
4.医師団含めてインチキ
残念ながら3の可能性が高いような気がする。トリックだとすればそれはトリックに精通していなくては見抜けない。当然のごとく、医師はトリックになど精通していないのだから、だますのはわけないだろう。
手品師の弟子たちが超能力を研究していた科学者たちを3年間にわたってだまし続けた「プロジェクト・アルファ」という歴史もあるのだ。https://ja.wikipedia.org/wiki/ジェームズ・ランディ#.E3.83.97.E3.83.AD.E3.82.B8.E3.82.A7.E3.82.AF.E3.83.88.E3.83.BB.E3.82.A2.E3.83.AB.E3.83.95.E3.82.A1
不思議な話は簡単に信じてはいけない。そういう話には、当然、その不思議さに見合っただけの厳しい検証が必要だ。じっくりと検証してほしい。
ともかく結末が楽しみだ。