年別アーカイブ: 2010

素振り

卓球人なら誰でも、日常生活で卓球の素振りをしてしまうことだろう。私も歩くときなどほとんど無意識で素振りをする。素振りといっても、実技向上のための素振りではなくて、ただ、インパクトの感じを想像して楽しむだけのものだ。

私はシェークの両面表なので実戦ではドライブなどしないのだが、やはり素振りとなるとドライブをしたくなる。ペンのバックハンドとかフリックもやる。自分の戦型とちがう素振りをしたくなるのはよくあることで、学生時代の仲間も、ペンのやつにかぎってシェークに持ち替えて奇妙な素振りをしていたし、シェークのやつもペンに持ち替えてあらぬ素振りをしていた。

そういうわけで私も、ここ最近は高島さんの切り下ろすカットに凝っていて、カットマンでもないのにときどきズバッと切り下ろしている。先日これを仕事中にやってしまったところ、私が何か重要なものを見つけて床を指差したと思われ、注目されてしまった。あらためてそのときの格好を検証してみると、たしかにこれはまずい。どう考えても床を指差しているようにしか見えない。しかもカットとしても中途半端でダメだ。だいたい、グリップが誤解のもとだ。もっとも、ペンだとOKサインか金銭、あるいは大仏様と誤解されるだろうから、それよりはマシだ。

どうせなら膝が床につくくらいにすれば誤解を生むこともなく良かったかも知れない。

カットマンの風貌

ペンサコーラで試合に出たときに見た選手の写真だ。

神経質そうな痩せ型で、ヒゲは濃く銀縁メガネをかけている。試合中はほとんど声を発せず、表情も変えない。私も実際に対戦したが、ついに彼の肉声を聞くことはできなかった。彼はカットマンである。私はこういうタイプのカットマンをこれまで数え切れないくらい見てきたが、これでペン表ソフトとかドライブマンという人は見たことがない。いったいどうしてカットマンにはこういう人が多いのだろうか。

もともとこういう人はカットマンになりたがるのか、あるいはカットマンという職業柄こういう人になってしまうのかどちらだろう。たぶん前者だろうな。

卓球は面白い。

別の似顔絵

昨日は水族館に行ったが、またそこで下の息子と似顔絵を描いてもらった。なんだか全然似ていないし面白くもない。昔テレビでよく見た個性派俳優みたいで、いったいどこのオヤジよという感じだ。

息子は似ているような気がする。

ベリーピストル

セントオーガスティンでは、古い牢屋も見学した。
牢屋の中にはいろんな銃が飾ってあったのだが、そのうちの一つにVery Pistolと書いてあるものがあった。veryといえば「とても」という意味と「まさに」という意味があるから、これはピストルの中のピストルなのかと思い、辞書を調べて驚いた。ベリーという人が開発した「ベリー式信号ピストル」とちゃんと書いてあった。こんなもん、いくら頭をひねって考えたって知らなければわかるわけがない。辞書は見るものだ。

リプリー博物館4

博物館の最後の見世物は、実は人間である。マジックミラーごしに、展示物を見ている観客を観察できるようになっているのだ。観客はマジックミラーの向こうで、あごを外すことのできるいわゆるクシャおじさんの映像を見ているので、中には顔マネをする人もいるのだろう。それをこちらから見て楽しむわけである。なかなかよく考えられていると思う。

せっかくセントオーガスティンに行ったので町並みも載せておこう。スペイン風の楽しげな町だった。

リプリー博物館3

次は世界一小さい男。なんと、鳥篭に入っている(笑)。これはもちろん蝋人形だが、本当にいたのかこんな奴。

あと、頭に蝋燭が生えているオヤジ。なんでも、頭蓋骨が削ってあって蝋燭が立つようになっていたのだという。蝋燭よりもこのオヤジの表情が可笑しい。

あと、頭で階段を降りることができる紳士。この写真がその証拠のようだ。想像しただけで痛そうだ。頭蓋骨骨折に頚椎骨折、死ぬだけでは済まなそうな荒業だ。

リプリー博物館2

しばらくリプリー博物館ネタを続けたい。

次に入った部屋に、大きな自由の女神の写真が展示されていた。何だと思ってよく説明を見ると、「ジャンプの世界チャンピオンはノミだ」と書いてあった。ノミは自分の体長の300倍もの高さにジャンプするので、これを人間にたとえれば自由の女神までジャンプできることに相当するというのだ。それだけのために自由の女神をバーンと飾っているのだ。しかもネタは単なるノミ。

さらに、チェンソーが飾ってあって、何かと思ってみると、チェンソーの下に鉛筆が飾ってある。これはチェンソーの操作技術大会で優勝した作品で、チェンソーで鉛筆の背にアルファベットを書いたのだという。でも全然なんて書いてあるのか分からない。こんなのを3時間かかって書いたと言われても。

さらに、「世界一偉大な偽者」という題でなんか見たことがあるミイラみたいなヤツが飾ってあった。さすがにこれは偽者と白状したか。

でも「これ以外はさも本物だ」とでも言いたげなのがまた可笑しい。

リプリー博物館

ジャクソンビルの隣のセントオーガスティンという町にも行ってきた。この町はなんとアメリカに現存する最古の町だそうで、当然のこと昔はインディアンが住んでいて、イギリスやスペインに占領されたり皆殺しにされたりした複雑な歴史を持つ。町並みはスペインらしさを残していたが、なにしろ観光地なので、自然に残ったのか無理やりそれらしく後で作ったのかは判然としない。

それはよいとして、この町にあった「Believe it or not!(信じようと信じまいと)」という博物館に入ってみた。これは、ロバート・リプリーという珍しいもの好きな人がその半生をかけて世界中から集めたものを紹介していると言う触れ込みで、実は世界中にあるチェーン店のような見世物小屋なのだ。なにもセントオーガスティンで入らなくてもよさそうなものだが、いつかは入ってみたいと思っていたので、思い切って入った。妻は「どうせ魚の体にサルの頭をつけて人魚だなんてやってるインチキだろ」と入らなかったが、私はそういうのが好きなので子供たちと入ってみた。

予想通り面白かった。なにしろ、ゲートを入って最初に置いてあったのが「全身に毛の生えた魚」だ。この博物館がどういうところなのかを高らかに宣言している素晴らしい展示物である。

さらに、赤ん坊が風呂がわりに使える大きな貝殻だそうだ。それがどうしたと言いたくなる素晴らしさだ。あと、人間の歯を持つ犬の写真。いやー、そんなこと言われたって(どっからどう生えているかわからないんですが)。・・とにかくがんばってほしい。

似顔絵

フロリダ州のジャクソンビルというところに来ている。記念に、デパートの一角にあった似顔絵屋で似顔絵を描いてもらった。初めてのことだ。私は小学生の頃から似顔絵を描くのは得意で、先生やクラスメートの顔を描いてみんなを喜ばせていたが、プロの似顔絵師に対しては並々ならぬ尊敬の念を抱いていた。

どうしてかというと、プロの似顔絵というのは、似ているだけではダメで、本人の気に入られるように、その人の良い部分を捉えて似せるという高等技術が要求されるからだ。人の顔の特徴をとらえて極端に描けばたいていは滑稽な顔になる。突出した部分を強調するのだからこれは当然のなりゆきだ。似ていてなおかつ印象の良い似顔絵というのは、私には想像もつかない高等テクニックなのだ。

そういうことを考えつつ、似顔絵を描いてもらったのだが、この出来映えはどうしたことだろう。ただただ滑稽ではないか。これがアメリカのやり方なのだろう。それにしてもこの絵描き、多いときは3秒に一回ぐらいこちらを見ながら描いていただけあって、非常に細かいところを見ていることに感心した。息子は左目尻がわずかに垂れているのだが、ちゃんとそれを捉えている。また、本人も気づかないような小さなホクロまで見つけて描いていた。私の顔はさっぱり似てないと思うのだが、まあ面白いからよしとしよう。息子と二人で22ドルだった。

似顔絵師が描き始めるとすぐに通行人が集まりだし、多いときは15人ほどに囲まれた。描かれている最中は自分では絵は見えないのだが、見物人たちからは見えている。みんなで絵と私を見比べてニヤニヤしているのだから、あまり気分が良いものではない。中には「本物より髪が多いな」なんて言う奴もいる。見物人の中から二組が次の予約をしていた。似顔絵描きなんて裕福なはずはないだろうから、彼に儲けさせてやってよかったなとちょっと嬉しくなった。