年別アーカイブ: 2011

ついに単行本化!

卓球王国での連載『奇天烈逆も~ション』がついに単行本化されることになった。
電子書籍のみの発行ではあるが、初めての単行本であり、嬉しさもひとしおである。

今野編集長からは、これまでの記事を集めただけでは物足りないので、2、3本の書下ろしを加えて欲しいとのことだ。

さっそく妻に自慢をしようと「卓球王国から単行本を出してくれることになったぞ。まあ、そのためには2本か3本・・」と言いかけると妻が「ダメ!絶対ダメだよ!」と言う。「はぁ?なんでダメなんだよ」と言うと、「2本か3本って、200万か300万出せってことでしょ!絶対ダメだからね!」と言うではないか。

2本、3本って・・・この人はいったい何の業界の人なのだろうか。

偏見

福島からの避難民に対する偏見があるとYahoo!のニュースが報じている。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110413-00000154-mai-soci

タクシーの乗車拒否とか治療拒否とか読んでいるだけで腹が立ってくる。この記事には「思いやりをもって接し、温かく迎える」とか「避難者の不安な気持ちを考え言動に注意する」などという船橋市教委のコメントが紹介されているが、肝心なことが書かれていない。

「福島からの避難してきた人に接しても、第三者に放射線の害など絶対に有り得ない」ということをなぜ書かないのだろうか。インフルエンザのように本当に第三者に感染したり被曝する可能性があるのなら、思いやりも気持ちもクソもない。避けるのが当然である。だから、この問題でもっとも重要なのは、気持ちや心ではなくて本当にそんな被害の可能性があるのかないのかではないか。そして事実は、そんなことは絶対にないのだ。

どうして多くの人が読むこのニュースに、その最重要なことを明確に力強く書いてくれないのだろうか。福島県民に対する風評被害と放射線の脅威の誤解を解くチャンスを手にしていながら、断言するリスクと調査する手間を惜しんで、それを生かさないのが本当に残念である。いくら嘆いてみせても、それをちゃんと正さないで放置したら、このニュース自体も間接的に誤解と不安を広めるのに加担しているようなものではないか。

このようにして根拠のない偏見と差別は広まっていくのである。本当に残念だ。

カゴメとデルモンテ

カゴメとデルモンテが、福島産トマト栽培の今年度の契約をしないと発表した。
カゴメのホームページを見ると、契約しておいて検査して危険だと分かって出荷できない事態になったのではかえって農家に負担がかかるという理由があり、契約農家に対して買い取り予定額の3分の1相当額を経済支援するとあるから、カゴメの誠意は疑えない。買い取り額の3分の1を、栽培しないでもらえるのだから、経費ゼロでこれがそのまま利益となり、農家にとってはかなり助かるのではないだろうか。

さて、カゴメのこの判断に対して、批判と賛同の両方がネットで散見される。しかし、いずれの意見も数値を基にしていないので、私としてはどちらがどうとは言えない。
いくら農家が可哀想でも、本当に危険なら契約しないのは当然だし、危険でないなら危険ではないと消費者を啓蒙するのがメーカーの成すべき事だろう。

前から書いている通り、放射性物質は少しでもあったら毒ということではない。そもそも自然界にもともと放射線があるし、少量なら放射線はむしろ健康によいというデータすらある。また、放射線に限らず、どんなものでも過剰に摂取すれば健康を害する。トマトに含まれるビタミンAでさえ、過剰摂取すれば肝機能障害や奇形の発生を起こすことが知られている。ただしその量は、1日にトマトを30kg食い続ければである。そんなに大量に食べるわけがないので、我々はビタミンAを安全だとしているのだ。放射線だって同じように考えるべきなのである。

どんな測定値を考えるときでも、検出されたかどうかではなく、どれくらい検出されたか、それが害があるのかないのかなのだ。それ抜きにして「通常の100倍」だのと報道されるのでは、いたずらに恐怖心をあおられる。通常の何万倍だろうが、健康被害がなければいいではないか。そういう見積もりなしで、ただ「土壌から放射性セシウム検出」とだけ報道するのは、ただ読者や視聴者を驚かしているだけであり、面白半分に弄んでいるのと同じことであるから、こういう報道はいっさい無視すべきである。

カゴメの誠意は疑えないが、欲を言えば、これから露地栽培をするトマトについて、どれくらいの放射性物質が入り込む可能性があり、それを合計何kg食べればどれくらいの人が癌や白血病になる、だから危険なんだ、という専門家による見積もりがあればよかった。その数値が本当に危険ならば、納得もしよう。

そんな数値の見積もりもぜず、ただ「消費者が心配して売れないだろうから」という理由での判断なら話にならない。数値なしで「念のため」という根拠で話を進めるのでは、無知蒙昧な大衆と同じである。安全な値だけどちょっとでも放射性物質が入っているのは危険だという論調なら、そもそもビタミンAも奇形の原因なのだからトマトジュースなど危険で売れないということになってしまうではないか。

親切な自動販売機

自転車で近所をフラフラ散歩していたら、たいへん親切な自動販売機を見つけた。

そこには、次のように書かれていた。

この自動販売機は毎日売上金を回収しています。
This vending machine collects proceeds every day

これ、誰に何のために書かれているのかといえば、泥棒さんに対して書かれているのだ。毎日売上金を回収していて中にはそれほど大金は入っていないから、泥棒しても効率は良くないですよと言いたいのだ。これを、これみよがしに英語、韓国語、中国語でも書いているところがかなりブラックである。この自販機の他の表示は、HOTとかCOLDなどわずかの英語以外はすべて日本語であり、韓国語と中国語の表記は皆無である。それが、泥棒さん用の注意書きだけは韓国語と中国語がしっかり書いてあるのだ。・・・なんと人種偏見に満ち満ちた親切なのだろうか(笑)。

しかもこの英語、主語が自動販売機になっているので「自動販売機が毎日売上金を集めている」ということになり、大金が入っていないどころか、大金がたんまりありますよという正反対の意味になっている(笑)。もしやと思ってYahoo!の自動翻訳機にかけてみると、見事に一字一句たがわぬ英語が出てきた。英語が分かる人にチェックしてもらう手間さえ惜しんだのだ。しかもピリオドが抜けているので中学の英語も落第である。さすが臆面もない人種差別をするだけのことはある。

このステッカー、並んでいた異なるメーカーの自販機すべてに貼られていたので、自販機のメーカーとは関係なく売られるか配られるかしているのだろう。

「お金がたんまり入っていますよ」という親切な注意書きを見て英語圏の泥棒が大活躍しないければいいのだが・・・。

放射能の脅威

放射線被爆による健康被害を心配する声があちこちから上がっている。ちゃんと計算すれば、福島から離れた関東圏の放射線量など全然問題にならないほどの微量なのに、「検出された」というだけで大騒ぎである。なぜこうなるかといれば、マスコミの習性で、恐怖で人の興味をひきつけようと刺激的な見出しにするからだ。注意深く見れば、見出しは必ず刺激的で恐ろしいことを連想させるものになっていることがわかるだろう。そして読んでみるとたいしたことはない内容であることが多い。

「検出された、検出された」と散々書いておいて、最後の最後に「健康被害の心配はない」である。これでは大衆が恐怖に踊らされるのも当然だ。

ネットでいろいろ調べたところでは、長時間の放射線被曝と発ガン確率で証明されている関係は、総被曝量100ミリシーベルトで発ガン率0.5%ということだ。合計で100ミリシーベルト浴びれば、その後の人生で癌になる人が1000人に5人いるということだ。そして、被曝量と発ガン率は比例するとされている。ただしこれは、100ミリシーベルト以上の被曝者のデータから導き出された関係であり、100ミリシーベルト未満の被曝についてはその影響があまりに微量で検証が難しく、影響があるのかないのか自体が未だに実証されていない。つまり、10ミリシーベルト浴びたら10000人に5人が癌になるかどうかは分かっていないということだ。わからないが、念のため、そのように仮定して被曝限度量などを決めているという。

なぜ実証が難しいかといえば、そもそも人間は放射線がなくてもかなりの確率で癌になるからだ。たとえば日本人は生涯に約40%の人が癌になるのだから、放射線を合計100ミリシーベルト浴びた人が癌になる確率が、浴びない人の約40%に対して0.5%だけ増えることを実証しなくてはならないのだから、バラツキを考えるとほとんど計測不可能であることがわかるだろう。ましてや年間5ミリシーベルトだの10ミリシーベルトだのという量は、それで癌になるためにはいったい何年かかるのかというほどの微量なのである。

こういうことがわかれば、現在、水や食品から検出されている放射能物質がいかに問題にならない量かがわかるだろう。枝野長官も「ただちに健康に影響はない」なんて表現ではなく、「屋外で裸で24時間1000年浴び続けたときに10000人に5人が癌になるかもしれない量です」などと言えば誰も心配しないのにと思う。

週刊誌を見ると、当然のように恐ろしいことばかり書いてある。週刊朝日など、故意か間違いか「年間被曝量限度である1ミリシーベルト浴びると10000人に500人が癌になる」などと1000倍も間違ったことを平気で書いている。おそらくこれは、被曝量と癌発生率の公式な学術見解である「1シーベルトで5%」というのを単位を間違えたものだろう。だいたいこの記事にしたがうと、日本政府は100人に5人も癌になる被曝量を年間被曝量の限度にしていることになり、ムチャクチャである。記事を書いていて自分でおかしいと思わなかったのだろうか。たぶんオモシロ怖ければそれでいいんだろう。

バカな情報を鵜呑みにする大衆も悪いとはいえ、こうまで堂々と書かれたら信用してしまうのも無理もない。こういう報道の詭弁やウソは、もはやクイズをしかけられているようなものだ。ちなみに、このブログのタイトルに「脅威」とあるのはもちろん皮肉である。

他にも「チェルノブイリのように原子炉が爆発すれば」などとそもそも福島原発では有り得ない仮定のもとに「放射性物質が首都圏まで広がる」などと、その量を考えずに恐怖を煽っている。放射性物質が広がるのは当たり前である。昨日のニュースではすでに北半球全体に広がっているという。問題はその量なのだ。健康や自然体系に問題のない量がいくら広がったって何の問題があろうか。

もうひとつ付け足せば、人体に影響があるのは「放射線」であって「放射能」ではない。何かの「能力」が危険だというのは、言葉にこだわる私にとってはなんとも許しがたい表現である。どうしても放射能という言葉を使いたいなら、せいぜい、放射能物質が危険だとでもすべきだろう。「放射能で巨大化した怪獣」などが出てくる映画やドラマなどのために「放射能」という言葉が意味もわからずに使いまわされて定着したせいだろう。まともな学者はみんなきちんと放射線と放射能を使い分けている。なんでもかんでも放射能とだけ表現している記事や発言は、それ自体が素人の証拠であり信用するに値しない。そしていたずらに恐怖を煽っているのは常にそういう人たちであり、それはもはやただのデマと同じなのである。ましてやツイッターだの友達から聞いた話など、話にも何にもならない。

このブログのタイトルに「放射能」とあるのも、もちろん皮肉である。

小室の精神力

3番弟子の小室は私の家よりも海側にあったため、今回の震災で津波が家の二階まで上がり、家には住めない状態である。水が引いてから行ってみると、台所に設置していた自慢の1/2サイズの卓球台が更に半分になっていたという。また、液晶テレビとブルーレイレコーダーはなくなっていたという。

幸い、本人も家族も無事で、しばらくは奥さんの妹の家に避難をしていたのだが、先週めでたくアパートに移った。

家に損害があった場合には市から補助が得られるらしいのだが、全壊と半壊で金額が違うので、中途半端に壊れていたらもっと壊した方がいいかもしれないなどと言っている。

また、小室の家の辺りはどこもひどい有様で、もう誰も住まないだろうから気がねなく卓球場を建ててしまおうなどと言っている。自分たちはアパートを借りて住んでいるのに自分の土地は卓球場にするというのだから、卓球人として素晴らしい心がけである(一般的には完全にイカれた心がけだ)。奥さんは文句がないのだろうかと思ったが、なんとこれは奥さんの考えなのだという。奥さんの卓球熱の方が勝っているのだ。

小室の家の様子を見ようと近くまで行ってみたが、あまりに風景が変わっていて迷ってしまい、結局たどり着けずに、あらぬ方角から通りに出て帰ってきた。

「通れねっちゃ!」

先週の町内の瓦礫撤去作業のとき、また不快な思いをした。

水没した家にたまった漂流物をゴミ捨て場に移動しようと1ヵ所に集めていたところ、作業の途中でその隣の家のおばさんが車に乗って出てきて、運転席から顔を出して我々に向かって叫んだ。

「通れねっちゃ!」

確かにゴミは道路の真ん中に集めていて車は通れないが、我々がそれを置きっぱなしにするとでも思ったのだろうか。トラックが来るまでの10分ほどの仮り置きに決まってるではないか。それに通れないといっても、反対側を回ればどこにだって行けるのだ。

そもそも、この人を含めた、この通りの住人たちのために瓦礫撤去作業をしているのに、この言い草である。

「トラックが来たらすぐによけますから、済みませんが反対側から回ってください」

と言ったが、ボランティアをするということは、こういう人たちにも我慢して相手をしなくてはならないということであり、底知れない忍耐力が必要なものなのだ。私には無理そうである。私はまだ経験していないが、中にはボランティアに助けられるのが当然だと考えていて「もっと早くできねえのか」なんて言う人だっているに違いない。被災者とはいえ特別な人たちではないのだから、一般の人と同じ確率でオカしな人がいるのは当然である(そんなヤツはテレビに映さないことは言うまでもない)。

写真が問題の通り(瓦礫撤去後)。

元気なこどもたち

地震以来、こどもたちは毎日遊び呆けている。

なにしろ学校がないし、風呂が入れないと言っては友達の家に入りに行き、電気が来ないと言ってはロウソクの灯りで非日常を楽しんだりといった具合だ。

町内のゴミを集めた公園では、そのゴミを搬出する業者の横で子供たちが元気に遊んでいた。

再び大地震

昨夜は本震以来、最大の余震が来て驚いた。

普段着で寝ている甲斐があって、地震から1分後には家族5人が軽自動車に定員オーバーでぎっしりと乗って逃げていた。妻は油断してパジャマだったので、パジャマのまま運転をしたのだが、ビールを4本空けた後だったので、危うく壁にぶつかりそうになり、それがもっとも危険であった。地震後に直ぐに停電したため、またもや防災リュックを持たずに飛び出してしまったので、今後は常に車に積んでおくしかないという結論になった。

十分に内陸まで走ってコンビニの駐車場で津波警報が解除されるまで1時間待ち、1時頃に自宅に戻った。今も電気が来ていないので、今晩は電気の来ている妻の実家に泊まることになった。

これで大きな余震は打ち止めにしたいものだ。

和解

妻は最近、例の「こんにちは、おはよう、ありがとう」という挨拶のコマーシャルがすっかり気にならなくなった自分を発見したと、すがすがしい顔で語った。

「何かを乗り越えた」のだそうだ。どうやら和解したようである。