年別アーカイブ: 2012

金擇洙のラケット

卓球映像クリエーターの仁禮さんに、とてもいい話を聞いた。

仁禮さんは、スーパーサーキットの撮影を担当したことが縁で、金擇洙と個人的に親しいという。それで、なんと金擇洙が2003年パリ大会で使ったラケットをもらったのだという。

その後、撮影で柳承敏に会った時にそのラケットを差し出したところ、柳承敏は握った途端に「これ、テクスさんのだ」と言ったという。仁禮さんが張ってあったラバーを剥がすと、そこには金擇洙のサインが現われた。

なんといい話だろうか。実はこれにはある程度タネがある。なんと柳承敏は自分のラケットを常に金擇洙に削ってもらっていたのだという。上下関係が厳しい韓国だからなのか、柳承敏が異常に金擇洙を尊敬していたからなのか、はたまた金擇洙がラケット削りに異常な能力を有していたのかはわからないが、ともかく、そのために削り方でわかったというのが真相である(左利きの劉南奎が一時コーチをクビになったのは、選手のラケットを無理やり左利き用に削ったからだろうか)。

それにしたっていい話ではないか。ちなみに仁禮さんは、そのラケットはあまりにも重くて、試合をすると1ゲームもたないのでほとんど使わないという。こちらはいい話なのかどうかはよくわからない。

卓球界を牛耳る男

先日、卓球王国の編集長かつ社長である今野さんと食事をした。

中国選手はフォア側のラバーは必ず黒だけど日本選手は赤だとか、卓球雑誌の編集長ならではの、深いんだか浅いんだかわからないウンチクを熱弁してもらった。

こんな話はこれまで誰からも聞いたことはないし本人もそうは思っていないが、この人は世界の卓球界を牛耳っている凄い人だと私は思っている。
卓球界には次の5つの側面がある。

①選手 ②指導者 ③メーカー ④協会 ⑤一般ファン

この5つの側面のすべてにおいて、世界中から信頼を得て人脈を持っているのが今野さんなのだ。選手や指導者とは誌面作りや取材の関係で世界中と交流があるし、主要メーカーの社長たちと個人的な親交がある。日本卓球協会の前原専務理事とは旧知の仲だし、国際卓球連盟とはシャララ会長を初めとして息のかかった者が何人もいる。雑誌を通して一般ファンの信頼を勝ち得ていることは言うまでもない。考えてみると、この5つの側面すべてにおいて信頼を勝ち得ている卓球人というのは他にはいないのだ。「タメ口の今野」と言われるほど率直な物言いと独断的自信に満ちた英会話力、卓球を普及させるというブレない信念のもとに、常に公正な態度をとるところが信頼を得ているところだろう。

そして私にとっての付加価値は、なんといっても、今野さんが、かの荻村伊智朗にいじめ抜かれた人だということだ。荻村伊智朗のもとで卓球をしたはいいが「お前は卓球をする資格がない」「そういう態度のヤツは二度と海外への取材には連れて行かない」「お前はフォアよりバックの方が上手いから試合はオールバックでやれ(ペン角型裏ソフトなのに)」などと、ことあるごとに糞みそに言われたという。脈があるからこそ厳しく接したという言い方もあるが、そういうのは大概は体裁をつくろうためのウソで、単に心底気に入らなかっただけだろう(そもそも脈などないし)。先日文庫化された城島充さんによる荻村伊智朗の伝記『ピンポンさん』では、犬に手を噛まれて荻村に怒られた男としてだけ、今野さんが出てくる(273、336ページ)。そういう形ではあっても、私は今野さんの顔に、私がついに会うことができなかった荻村伊智朗のくっきりとした足跡を見るのだ(踏まれた跡だろうな)。

荻村伊智朗にいじめられた成果かどうかはわからないが、今野さんは今では卓球界を動かす男になったのだ。私も、卓球界で仕事を続ける以上はこの人についていけば何か良いことがあるに違いないという熱い下心のもと「今野チルドレンとして一生ついていきます」と言い続けている。田村が「俺にもおすそ分けくれ」と言うので「いや、お前は俺についてくればいいから」と言って適当にごまかしておいた。何をどうついてくるのか知らんが。

本人によれば今野さんは「短気で根に持つタイプ」だという。私は他人の発言は言葉どおりに受け取ることにしているので、その通りなのだろう。
今野さんは、話が面白くて「短気で根に持つタイプ」で、なおかつ卓球界のドンなのだ(繰り返すが、そう言っている人は私の他には知らない)。こう見えて大変な人なのだこのオヤジは。

若者と卓球

日本卓球協会が今回の全日本選手権をレーティングの対象にすることを決定した。会場で登録推進活動をするのだが、私もそれを手伝うことになった。

私は土日しか行けないのだが、平日の一部を担当することになった浅川くんという仙台大学の学生を卓球協会から紹介され、自宅に来てもらって打ち合わせを行った。

それで、せっかくの縁なので卓球をすることになった。物事を進めるにあたっては、上下関係をはっきりさせておかなくてはならないのだ。その結果、期待していたのとは正反対の上下関係がはっきりしてしまった。さすがレーティング2150だけのことはある(レーティングの正しい使用例)。

早急に卓球以外の勝負をする必要がありそうである。

『東京大学物語』の卓球勝負

泊まったホテルにはマンガや本がおいてある図書室があって、読み放題である。

そこで『東京大学物語』というマンガをパラパラとめくっていたら、なんと主人公たちがかなり多くのページを費やして卓球の勝負をする巻があった(第8巻だ)。

その描写が意外にもしっかりしているのに感心した。後の『ピンポン』にも通じる激しい描写だ。しかし、さすがに著者の卓球研究力にも限界があると見えて、あるコマではシーミラー・グリップなのであった。

なお、このマンガは基本的に男の妄想の結晶のようなマンガなので、読んでみようと思う方はこの点をご理解願いたい。

豚丼屋

夕食は、ホテルの向かいの豚丼屋に入った。

この豚丼屋が、やたらとなんでもかんでもこだわっている店だった。そもそも「こだわる」という言葉はほんの80年代中頃までは「些細なことにとらわれる」という悪い意味しかなかったのだ。それが、グルメブームの影響などがあって、職人の気配りの意味でも使われるようになって今や、どいつもこいつも「こだわり」を競い合ってるかのようでさえある。

豚丼屋のこだわり具合を見て、あらためて本来のネガティブな意味での「こだわり」を思い出し「そんなにこだわるなよ」などと思ってしまった。

ちなみに、豚丼はとても美味しかった。さすがに「こだわらせていただきました」というだけのことはあるということか。

ホテルの外国人たち

仕事で泊まったビジネスホテルの館内に、サービスの案内のポスターが貼ってあったのだが、ベッドメイクをする人がなぜか外国人の顔をしていた。「ご意見・ご要望等、なんなりとお申し付けくださいませ」とあるので、よっぽど「あの外国人はどこにいるのでしょうか」と聞こうかと思った。

ちなみに、部屋でくつろぐ客の写真もこれまた微妙に国籍不明である。

なぜ普通に日本人のモデルを使わないのだろうか。メリットがあるとは思えないのだが。

恐るべき銀行員

アメリカに住んでいたとき、ある銀行が電話で日本語のカスタマーサービスをやっていて便利だったので、そこを使っていた。

何度か電話で手続きをして大抵は問題がなかったのだが、一度だけ強烈な女性に当たったことがある。

「伊藤条太と申します。」
「はいっ?」
「あ、伊藤条太と申します。」
「はいっ?」
「・・・えーっと、私、今そちらに口座を持っているんですけれど・・」
「はいっ?」
「あの、口座を持っているんです」
「はいっ?」

と、ここいらでやっと私は気がついた。この「はいっ?」がこの人の普通の返事の仕方だったのだ。アメリカ暮らしで日本語が破壊され、なおかつすっ頓狂に張り切った気持ちが入ってこんなアクセントになるのだろうか。
日本でも、質問でもないのに語尾上げを連発する、何か神経の配線が逆にでもなってるんじゃないかと思うような人がいるが、それでもまだ流行だから仕方がないと思える。この人は誰の影響でもなく一人でこういう話し方をするのだ。これをやられたら、どんな人でも聞き返されているとしか思えないから、必ず2回づつ答えるはずだ。「みんないつも2回づつ同じことを言うなあ」なんて、自分のせいだとも知らずにこの人は思っているのに違いない。

アクセントひとつでコミュニケーションを完全に粉砕する、まことに恐るべき銀行員であった。レッド・ツェッペリンの『コミュニケーション・ブレイクダウン』という曲が頭の中で鳴り響いた。

荻村伊智朗の日記

このDVDに、荻村伊智朗の日記が映し出される場面がある。
1954年にロンドンでの世界選手権で初優勝した直後の日記だ。

以下に、画面から読み取った文面を書く。漢字などを読みやすいように変えてある。

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日本の卓球が国際スポーツの仲間入りをしてから三人の名選手が出た。
今、藤井、佐藤の三君がそれだ。
しかし、実際に日本の卓球に影響を及ぼしたのは今、藤井の両君だ。
そして、第三の創造的プレイヤーが荻村だ。
今はその守備を主体としてゆるい正確なplacementによる攻撃をもって、第一期のオールラウンド時代を築いた。
藤井は、強力な決定球を、自己中心的に駆使して、後年、守備としてのショート、カットを併用して、第二期のオールラウンド時代を築いた。
これまでは、卓球の研究方法が、もっぱら技術を受け継ぐ方法を採り、今、藤井それぞれ世に何らの科学的、理論的“技術”を残さずに終わった。
真の近代スポーツは科学に立脚した研究方法また練習方法を持つ。
荻村の卓球における使命は、卓球をして、近代スポーツの仲間入りさせることにある。彼の理論は近代科学に立脚せねばならない。いかなるスポーツに比しても、遜色なき理論的科学的“技術”及び“技術の修得法”を創成するのが彼の使命である。
彼は自ら範となってそれを示す。
彼の卓球史における役割は、過去の何人よりも大きい。
1954.9.30

フォームの一角を形成するスウィングは大抵の場合、練習したようにできることが多いが、身体はまず理想的な体型とは程遠いと思わなくてはならない。
だから、身体が崩れただけスウィングを変化させて、初めてひとつのまとまったフォームである。
格に入りて格を出でざるは悪しく
格に入りて格を出づるは良し
1954.10.9

負けてから発奮するくらいなら今から発奮しろ。
負けるのを待つな。今、負けたと思え。
(日付読み取れず)

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こんな日記を21歳の彼は書いていたのだ。単に志が高いとかいうのではなくて、病的というか化け物というか、とにかく、モノが違うという感じがする。荻村伊智朗は、ハナっから常人ではなかったということがよくわかる。誰の相手にもならんだろこれは。相手にしたくないというか。

大会記録集

すごいのはこの大会記録集だ。

国内の試合は準々決勝からゲームカウントまで載っているし、準決勝からはスコアまで載っているのだ。

そして世界選手権は予選リーグからスコアまで載っているのだ。

その筋のマニアの方なら必携の書物である。
ぜひとも日本卓球協会のホームページからお買い求めいただきたい。
http://www.jtta.or.jp/
価格は2冊セットで6,000円だ。

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