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夢のカラオケ大会

昨夜、学生時代からの30年越しの夢であったカラオケを歌ってきた。

私は昔からロックが大好きで歌いたいと思っていたのだが、当時はロックのカラオケを歌う機会はほとんどなかった。まずカラオケボックス自体がなかったし、カラオケボックスが出てきた後でも英語の曲は少なく、ビートルズの曲でさえ超メジャーな曲が数曲、その他のロックとなるとほとんどなかったのだ。だからロックを歌うためには自ら演奏をするしかなかった。こう書くといかにも「だからギターを手に取った」という流れになりそうだが、私の場合はそうではなくて「だから歌わなかった」のだ(ガクッ)。

ところが最近、飲み会でカラオケボックスに行く機会があり、試しに曲を探してみたら歌いたい曲がわんさかあるではないか。ビートルズの曲はほぼ全曲あるし、70年代の名曲は目白押しだし、パンク、ニューウエーブ、80年代のネオアコースティックと揃っている。ピンク・フロイド、デビッド・ボウイ、クラッシュ、スミス、ニューオーダー、XTCのお気に入りの曲を熱唱できるなんて夢のようだ。それなら飲み会ですぐにでも歌えばよさそうなものだが、そうもいかない。こんな曲を職場の飲み会で歌ったところで誰も知らないし、だいたい英語の曲を歌うことだけでも場違いなこと甚だしいのだ。だから私はそういう場ではまず歌わないし、歌えと要求されれば僅かに知っている野口五郎の曲などを控えめに歌うことになる。

それで私はカラオケは嫌いだということにしてなるべく避けていたのだが、先日、ふと思い立ち、この道の同好者である同僚の立花さんと一緒に「好きな曲を思いっきり歌う」ことを企画し、ついに昨夜それを実行したのだ。他人の歌に手拍子をするでもなく、各自黙々と曲を選んで入力して歌うことの繰り返しの2時間であった。店員が飲み物を持ってくるのでさえ邪魔に感じたほどだった(注文しておきながら)。その結果、声は出ないし歌詞はつかえるしで散々だったが、酸欠で吐き気に襲われるほど激しく歌いまくり、とてもよい運動になった。ストレス解消になったかといえばそうでもない。もともとストレスはないし、思ったように歌えないことがかえってストレスになったような気もする。

次回があるかどうかは微妙である。

「真剣交際」

よく芸能ニュースで誰々が真剣交際をしているという話がでる。これを見るたびに何か気まずいような気持ちになる。真剣勝負というなら分かるが、真剣交際である。竹刀や竹光ではなくて本物の刀を持ってどうやって交際するのだろうか、なんて考えてしまうのだ。もちろん「本気で交際している」という意味であることは分かるが「真剣」という言葉の本来の意味と「交際」があまりにもかけ離れているために何か可笑しくなってしまうのだ。あたかも「温厚な人柄では他の追従を許さない」とでも言われているようである。

その意味するところも気になる。真剣交際があるということは、真剣でない交際もあるということだ。では、たとえばそれはどんな交際をいうのだろうか。不純異性交遊といのもあるが、これは未成年のくせに早々といろいろすることを言うのだから、成人の真剣ではない交際とは違う。あるいは、片方が片方を騙して交際していることを言うのだろうか。はたまた結婚するつもりがないのに交際しているとか、好きでもないのに交際しているとかをいうのだろうか。あるいはムチャクチャ乱交しているとか。そもそもそれは交際ではなだろう。いずれにしても、ことあらためて「真剣交際」などといわなくても、ただ「交際している」で良いではないか。

とにかく、二人で刃物を突きつけ合っての交際だけは無理だと思うのだがいかがだろうか。

余談

これまで書いたことすべてが余談のようなものだが、関野さんから聞いた話。

この店にはワルドナーやガシアンも来た事があるという。卓球メーカーの人たちが連れてくるのだという。関野さんはワルドナーのサービスを受けさせてもらう光栄に浴したのだが、なんと店内の客が関野さんの後に並んで列を作ったのだという。ワルドナーなんか知らない素人ねえちゃんたちがストッキングなどを履いたままワルドナーのサービスを受けようと言うのだ。ワルドナーがどんなサービスを出したのかは聞きそびれた。

お客さんは卓球をしに来ているわけではないらしいのだが、いざやりだすと熱くなるものらしく、多くの女の人が壊れたストッキングを打ち捨てていくのだそうだ。

店内が若い女性客で一杯になったときのことだそうだが、二人の卓球経験者がフォア打ちのラリーを始めた途端に、店内の女性客から「すごい」と満場の大歓声が上がったという。すると、その二人は「卓球をしてこんなに誉められたことないです」と頬にダーダーと涙を流して喜んだという。星飛雄馬状態である。酒のためもあったかもしれないが、なんとも微笑ましい話だ(卓球はこれでいいのだろうか?)。

写真左は、私が座ったソファーからの眺めだ。こういう景色を見ながら酒を飲むのはどう考えても楽しい。吉村さんと川嶋さんが「何かから逃避するかのように」入り浸るのもむべなるかなである。

本格的貸し出し用ラケット

マイラケットがない人にはラケットを貸すのだが、そのラインナップがすごい。シュラガーだろうがバーミンガム77だろうが、ハンドソーラケットだろうが、表だろうが裏だろうが何でも揃えているというのだ。ラケットにラバーを貼ればだいたい1万円近くになるので、ラケットだけで30万円近くかかっているという。

さすが日本で最初の卓球バーだけある。これを言うとみんな「他にあるの?(笑)」と意味ありげに言うのだが、関野さんによれば、東京にはすでに100軒ほどあるという。しかしここまでやる店はそうないだろう。

四人で卓球のメジャー化について語りながら酒を飲み、ダブルス対決をしてダラダラと2時まで楽しい時間を過ごしたのであった。

マイラケット、マイシューズ

今回、つれてきてもらった吉村さんには「シューズをもってきた方がいいですよ」と言われたので持って行ったのだが、吉村さんご自身はシューズを店に置いているというつわものであった。

マイラケットを置いている人も何人もいる。これがマイラケットやシューズの置き場だ。

卓球バーの内部

内部に入ってみて感激したのは、それが卓球台の置いてあるバーというよりは、酒を出す練習場といった雰囲気だったことだ。本格的な卓球台と床とセンスのよいライティング、そしてその周りでくつろいでいるお客さんたち。なんとも落ち着いた楽しい店だった。お客さんの9割は卓球経験者ではないが、それでもこの雰囲気が好きでやってくる人が絶えないのだそうだ。実際、何人かが打つことがあったが卓球経験者は我々以外にはいないようだった。

いよいよ卓球バーへ

食事が終わり、関野さんといっしょにいよいよ卓球バーへ向かったのだが、まったく看板がないのに驚いた。住所を調べてここまで来ても諦めるだろう。この自販機の横の暗いところの奥に卓球バーはあるのだ。

そしてそのドアの前まで来ても、はやりどこにも「中目卓球ラウンジ」という表示はない。正確に言えば、あることはあるのだが、それは余りにも小さく、常識的に言えば「ない」のに等しい。

中目卓球ラウンジ

トップ12の後は、かねてから行ってみたいと思っていた中目黒にある『中目卓球ラウンジ』という卓球バーに、そこの常連だという吉村さんと川嶋さんと行ってきた。

卓球バーに行く前に、同じオーナーがやっている近くのレストランで夕食をとった。そのオーナーは関野さんといって、なんとこのブログを開始当時から読んでくれているという偉い方だった。当然、意気投合して卓球談義に花が咲いた。関野さんは私より半世代ほど上なので、71年名古屋大会の話などをされ、羨ましい思いをした。

檻の中の田丸さん?

当然といえば当然だが、田丸さんがここにもいらした。今大会では三脚での撮影が禁止されているのでこの1台だけと不満そうだった。

別の角度から撮ると、なんとなく檻に入っているように見えるから不思議だ。動物園の檻なのか刑務所の檻なのかはわからないが、ともかく暗示的だ。

カメラ位置が・・・

第一試合が始まろうとしている。

藤井寛子と平野美宇の試合にはテレビ局や取材のカメラが何台も群がっている。
そのテレビ局の映像のモニターがなんと私のすぐ隣の席にある。
それを見ると、カメラ位置がとてつもなく高い。せっかく狭い会場なので下から映してくれるかと期待していたが、わざわざやぐらを組んでカメラを設置していた。そして床のカメラでは選手をドアップで追いまくって見難い画面を作っている(どうも平野美宇だけを前後両方のカメラで追っているようだ)。

なんともガッカリである。先日もある知人と話したが、テレビ局の人にカメラ位置を低くした方がよいと進言しても、「素人が何を」という感じで相手にされないのだそうだ。私が演出なら、競技領域の周りを暗くして床から撮影する。これだけで見違えるように面白い画面になる。