待ちに待ったDVDが送られてきた。
パッケージがなんともカッコいい。
オリジナルのドイツ版より明らかにカッコいい。
宣伝バナーから注文できるようになっている。絶対に損はしないので買ってみてほしい。
あまちゃんをときどき見ているが、話の面白さとは別に、どうしても方言のことを意識せずには見ていられない。東京を「どうぎょう」、回復を「がいふぐ」などと有り得ない言い方をされると、気にしないではいられない。現場に東北出身の渡辺えりなどがいながらどうして共演者たちに注意できない?と思ってしまう。あれなら訛っていない方がまだ自然だ。東北人だって状況によっては訛らない場合もあるのだから。
方言の巧拙とは別に、主人公の天野アキが東京であれほどまでに訛るということにも違和感を覚える。現代の若者は誰でも標準語を知っているので、意識をすれば言葉としての標準語を話せないということはない。言葉は訛らないが、微妙な母音のズレとアクセントを強制することこそが至難の業であり、それが残るのだ。ところがアキの方言はあまりにも言葉そのものが訛っていて、明らかに相手に一泡ふかせてやろうとか目にもの見せてくれようと「わざと」訛っている者の訛り方である(実際そうなわけだが)。ましてもともと東京に住んでいてちょっと岩手に住んであっというまに東北弁を身に着けたほどの音感の持ち主が、なぜ東京に戻ってかつての標準語を思い出せないのかも謎だ。これではまるで東北弁が一度かかったら一生治らない不治の病かなにかのようではないか。実際はあっというまに標準語になってしまって、岩手に戻っても方言が話せずにみんなから白い目で見られる、というのがあるべき姿である。
さて、役者たちの方言だが、ゆいちゃんのお兄さん役をやっている若者が、なかなか上手い。本物ではないことがわかるだけに、あそこまで上手に訛るのはかなり研究をしているのだろう。
一方で、役者の中にときどき「本物」がいるから面白い。渡辺えりはもちろんだが、今朝見た話では、突然「明らかな本物」が出てきて吹き出してしまった。役名は知らないが、母音の一音一音とアクセントが細部に渡って完璧であり、完全に本物で地元民と区別がつかない状態である。「うわ、本物が混じってる」と大笑いすると、家人によるとこれは役者だという。それでは東北出身の役者なのだろう。もしあれが演技なら天才である。
ついに「アウト・オブ・コントロール」のダイジェスト映像がアップされたので、トップページの広告で見てほしい。
いやはや、とんでもなくかっこいい。字幕を入れるために数週間というものほとんど毎日映像を見たのに、あきれたことに今でも一日に一回は部分的にとはいえ見ないではいられない。そして見れば見るほど惹きつけられる。申し訳ないが(誰に申し訳ないのかわからないが)、おそらく今後これ以上の卓球の映像作品は現れないだろう。この作品に込められたアイディア、労力、そして制作者の才能、こういったものはもう二度と期待はできないからだ。
いやはやとんでもない。ところでこのダイジェスト映像は私の編集によるものだが、「いいところ」で終わっているのはわざとである。ダイジェストなのでボルの部分しか映っていないが、実際にはヒールシャーと半々のドキュメンタリーだし、ゴルフをしている場面やらテレビ出演の場面やらボルが床屋にいって将来の奥さんと偶然会うところなど、全編みどころだらけである。92分の作品なので、ちょっと長いから60分に縮めて発売してもらおうとも思ったが、カットできる場面がなかったのだ。
くわえてこの作品は、ドイツのテレビ賞でベストドキュメンタリー賞を受賞している。卓球ファンだけではなく一般視聴者や評論家をも魅了した作品なのだ。当然、内容もそのように作られている。
これは見るしかないだろう。みなさん、買ってちょうだい。
昨日だったか、テレビを見ていたらあるタレントが「書道が上手になったら料理も上手になった」というようなことを言っていた。どういう関係があるのかと聞き手が驚くとそのタレントは「書道はバランスが大切で、料理でも栄養とか見た目とか味のバランスが大切だから共通するものがあるんです」と言った。そして聞き手たちは「なるほど」と感心し、例の「ウワーッ」というニセモノの歓声の効果音が流れた。
なんとも面白いことを言うものだ。一体全体、世の中にバランスが大切ではないものがどこにあるというのだろうか。それこそ大学受験から立小便まで、バランスと無縁のものなどこの世にはないのだから、このタレントの説明は何の説明にもなっていないのだ。
こういう「AだからBだ」というようなもっともらしい理屈の中にはデタラメなものが多いので気をつけなければならない。簡単な判別方法としては「Aだから」という部分を別のものにしたらBにならないかかどうかを考えてみるとわかる場合がある。
たとえば私が実際に聞いたものでは「ヒゲは一日のうちで午前中に一番よく伸びるので、朝剃るのが効率がよい」というのがあった。ほう。それではもし午後、あるいは夜中に一番伸びるとしたら夕方とか寝る前に剃った方がよいという結論になるだろうか。ならない。いつ伸びようとも、ヒゲは朝に剃るべきなのだ。他人に会う日中の時間帯の身だしなみを整えておくためには朝に剃るしか選択肢はないのであり、ヒゲがいつ伸びるかとは何の関係もないのだ。もし時間帯に関係なく一日のうちのヒゲが短い時間を長くしたいなら、一番伸びた後に剃るのが良いわけだから、午前中に一番伸びるのならその後、つまり正午か午後に剃るのがよいはずなのだ。だから先の理屈は、不要な上にしかもそもそも間違っているわけである。因果関係のないことをそれらしく結び付けたデタラメの理屈だから間違っていることさえわかりにくくなっていたわけだ。
そしてこういう理屈は卓球にも多いのだ。
ネットの記事にはいつもながら笑わせられる。「ウソをついている人の特徴」は以下のようなものだそうだ。
■挙動不審になる
■おかしなことを言い始める
■落ち着きをなくす
■威嚇してくる
なるほどなあ。それにしても・・・教えてもらわなくてもわかるよなあコレ・・・。
昨日発売の卓球王国に新しいDVD『アウト・オブ・コントロール』の宣伝が載っている。発売までの経緯も宣伝ページの隣に書いたのでそちらを読んでほしいが、このDVDはもともとドイツで作られたもので、それの日本語字幕を私が担当したのだ。これが楽しくもなかなかやっかいな仕事であった。なにしろ登場人物は全員がドイツ語で話しているのだ。私はドイツ語はわからないので、ドイツで発売されていたDVDの英語字幕を日本語に訳したのだ。ところが私の英語の理解が怪しいので、微妙に意味が分からないところが続出したのだ。
そこで制作者のドイツ人であるヨルグ・アドルフという人にいちいちメールで質問をして内容を確認したのだが、このアドルフも実は英語が苦手だという。つまりお互いに怪しい英語を駆使しての内容確認作業になったのだった。疑問点をすべて解消して字幕が完成したのが昨日である。アドルフに出したメールを数えてみたら全部で60通にもなっていた。当初から「別の仕事でとても忙しい」と釘をさされていたのにもかかわらず、特に面倒くさそうでもなく丁寧に怪しい英語で説明をしてくれた。
そんなわけで力作なので、みなさんご期待を!
私のギャグが高校生の息子たちにウケることはまずないのだが、今日は珍しくウケたので紹介する。
どこかのラストランで、アルバイトの人が冷凍庫に寝そべった姿をネットに投稿し、店が閉店に追い込まれた事件に関連してだ。
「閉店するほどのことはないのになあ。本当はそこまでしなくてもよいのに、腹を立てた店側がわざと閉店することにしたのではないか。これが本当の店閉めだな」(田村が喜びそうなギャグだ)
私は常々、気の使いすぎはかえって他人の迷惑になることが多いなあと思っている。エレベーターに乗るとなぜかエレベーターガールになってしまう女性がそれだ。全員が降りる間に扉が閉まってしまうほど大人数が乗ったのならともかく、2,3人しか乗っていないのになぜかボタンの前に陣取って「開」のボタンを押して「どうぞ」などと言って他の人を降ろしてから自分が降りようとする。
一見、気が利いているようだが話はまったく逆だ。こんなことをされるとこちらが「あ、どうも」などと、本来まったく不必要な「感謝の気持ち」を礼儀として表現しなくてはらならなくなる。黙って扉の前で開くのを待ち、開いたらまっすぐ正面に歩いて降りればよいだけのなんとも安堵に満ちた気楽な瞬間が、無意味な親切の押し売りのおかげで不愉快極まりないものとなる。
そもそも一体何の親切のつもりなのだろうか。そんなエレベーターガールの真似事などしなくていいから、乗ったら足を止めずに速やかに一番奥まで歩いて行き、降りるときは普通に順番を守って真っ直ぐに歩いて降りる。このようにして欲しいものだ。
今回の下ネタを考えるにあたって、念頭にあったのはひとつのギャグマンガだ。それはかつてビックコミックスピリッツで連載された『サルでも描けるまんが教室』というマンガで、私のバイブルである。私はこれまでこれほど笑ったマンガはない。連載当時、会社の売店でスピリッツを立ち読みして堪え切れずに声を出して笑ったほどだ。
このマンガは「まんが教室」という体裁を備えてはいるが、実はマンガ全体のパロディーになっているのだ。そして私と同世代である作者(二人組み)が影響を受けた数々のマンガのエッセンスが随所にちりばめられている。そして実はその中に重要な真実までが含まれているというなんとも奥の深いマンガなのだ。しかも作中のマンガ家があろうことか作品内で連載を始めてしまい、そのマンガまで載せるという途方もない展開になってしまい、その作品も可笑しいのだ。
毎週これほどのアイディアを生み出すのは並大抵の努力ではないだろうと思い、読んでいてスリリングな気持ちになったほどだ。後に知ったところによれば、原作の竹熊健太郎はこの連載のために相原コージの近くに引越し、ほぼ合宿状態だったという。毎週、締切りでやっと原稿を出した後の打ち合わせは、最低でも8時間、多い時では12時間3日連続ということもあったという。本人たちも「あんな連載は二度とできない」というマンガだったのだ。