学生時代からずっと主張していて、誰の賛同も得られたことのない説を披露しよう。
松田聖子の「Rock’n Rouge」という歌がある。
若い男女の恋愛についての歌なのだが、その中に「キスは嫌と言っても反対の意味よ」というフレーズがある。言葉にこだわる私としては、この歌詞がどうにもひっかかるのだ。もちろん作者の意図はわかる。恥じらっている女性が本当はキスをしたいのにそれが言えず「嫌よ」と反対のことを言っているという状況だろう。それはわかる。
しかし私には「反対の意味よ」というところが、言っていること自体が反対なのではなくて、その背景や理由が反対だと言っているように聞こえるのだ。つまりこうだ。「キスは嫌よ」という言葉自体は本心だ。しかし、その意味するところは、通常ならば「まだそこまで進みたくない」というものだろう。それが反対だということはすなわち「キスなどというヌルいことをしてはいられない、すっ飛ばしてその先に行きたい」と言っているように聞こえるのだ(そんなバカな歌があるかどうかは別にしてだ)。
もしこの歌詞が「キスは嫌と言うのは嘘よ」とか「キスは嫌と言うのは本心じゃないの」とでもいうものなら誤解の余地はなかっただろう。しかし「反対の意味よ」というフレーズがなんとも意味深で、誤解の余地を残すものになっていると私は思うのだ。
私は松田聖子のファンではなくレコードもCDも持ってはいなかったが、カラオケなどに言って誰かがこの曲を歌うたびに、酔った頭で「おっほほ、反対の意味か。それはそれは」などと思っていたものだった。しかしこの説は誰に言っても賛同されたことはなく「どうかしている」と言われるばかりであった。より多くの人に自説を披露する場を得た今、賛同者が少しでも増えないものかと期待している。
また書いてしまいました。大橋先生、ごめんなさい。