ボルは皇帝なのでオフチャロフが英雄でも問題ありませんでした。
コメントくださった皆様、ありがとうございます。
ボルは皇帝なのでオフチャロフが英雄でも問題ありませんでした。
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丹羽がオフチャロフに勝ったことがテレビで報じられているが、いずれもオフチャロフを「ドイツの英雄」と言っている。
いつからオフチャロフがドイツの英雄になったのだろうか。
ボルはどうする。
英雄を使ってしまったらボル様を何と言う気だ。
今から心配だ。
丹羽がついにやった。オフチャロフロフを破ってベスト8に入ったのだ。
監督に声を出せと言われても出さなかった丹羽が、最後にガッツポーズをしたようだが、あくまで丹羽らしくやってほしい。やる気がないのかと批判されてもまったく気にせず蛙の面に小便というのが丹羽の真骨頂なのだ。
それほどの心臓だからこそオフチャロフのドライブをオールフォアでカウンター(成立するのかそんな戦術!)できるのだ。
今後も声を出せとかガッツポーズをしろとか寝言を言われると思うが、そんなものはガン無視してやってほしい。丹羽が声を出したらそれは超絶カウンターができなくなったときであり、終わりのときなのだ。
テレビ東京のネット配信では、解説者が「丹羽の卓球は6次元卓球だ」と面白いことを言っていた。何が6次元かと言うと、前後左右上下で6次元だそうだ。
これはまいった。左右を2次元分に数えてしまうとは、凄まじい個性である。コロンブスの卵的発想といおうか瓢箪から駒といおうか、馬耳東風といおうか、とにかく驚愕させられた。
テレビを見ていたら、平野が丁寧のドライブを前陣でカウンターする様子を横方向から映した画像が流れた。
コマ送りをしてみると、ラケットの角度、ボールの軌跡、スイングの方向がうまいぐあいにわかるような画像だったので、測定してみた。
すると、ラケットの角度はボールの軌道に対して43.5度、スイング方向は46度だった。つまり、飛んでくるボールに対して約45度の方向にほとんど面の方向にスイングしているのだ。
これはとんでもなく困難なことだ。
どういうことか。この映像はスロー再生だったし露出時間もわからないのでスイングの速さは正確にはわからないが、これまでの他の測定からだいたい時速30km程度だと思われる。これは秒速8.3mだ。ということは、0.01秒間に8cmの速さでボールの軌道を45度の角度で横切る打ち方をしていることになる。
ラケットの幅は約15cmだから、約0.02秒の誤差しか許されない正確さでスイングしなくてはラケットに当たらないということなのだ。当たるといっても、端に当たったのでは入らないのだから、実際にはその半分程度の誤差しか許されないだろう。
なぜ普通に真っ直ぐ当てないで、こんな空振りスレスレの打ち方をするかといえば、回転をかけたいからだ。激しい前進回転がボールの軌道を丸め、ネットを越した後に台に入ることに役立つからだ。遅いボールなら回転などかけなくても重力で落ちてくれるので台に入るが、なにしろ丁寧の反応時間を破るほどのスピードのボールを打たねばならないのだから、回転をかけなかったらボールは真っ直ぐに飛んでいって台に入ってくれない。
速いボールを台に入れるために激しい前進回転がどうしても必要なのだ。
どこにくるかわからない相手のボールのコースと回転量を判断してラケットの角度を出して0.02秒の誤差で振り抜く。そんなこと人間にできるのだろうか。
できるから平野はやっているわけだ。そして、ひとりができてそれが可能であることを示すと、他の選手もどんどんできるようになるのがスポーツの常だ。
まったく凄い世界だ。
ちなみに、面の方向とスイングの方向が2.5度違っているわけだが、その影響も考慮して許容誤差時間を真面目に計算すると、0.020秒となった。なお、ボールの速さは時速30km、ラケットの幅は152mmとした。
説明は省略するが、暇な人は眺めて見てほしい。
そのうち、きちんとスーパースローカメラで真横から撮影して正確な測定をしてみたいものだ。ああ面白い。
48年ぶりではない。52年ぶりなのだ。もしも平野が丁寧に勝って優勝すれば。
それは、日本選手が「中国選手を破って」優勝するのが52年ぶりと言う意味だ。
たしかに日本人の優勝は48年ぶりだが、48年前に小和田敏子がミュンヘンで優勝した1969年は実は中国は文化大革命のため世界選手権に参加していない。その前の1967年ストックホルム大会も同様だ。
日本選手が世界選手権で中国選手を倒して優勝したのは、1965年リュブリアナ大会の深津尚子が決勝であの林慧卿を3-2でぶっ倒したのが最後なのだ。ゆえに52年ぶりとなる。ちなみにリュブリアナで深津が倒した林慧卿と鄭敏之は、それから6年後の1971年名古屋大会の女子シングルスで決勝を争っている(林慧卿の勝ち)。文化大革命によるブランクがあってもこの実力なのだ。深津の偉大さがわかろうというものだ。もっとも1971年名古屋大会の団体では小和田、大関、大場の3人で上記両名を屠って優勝しているわけだが。
それにしても丁寧は徹底していた。女子では世界で平野が最高であろうライジングカウンターバックドライブ(男子ではボルが世界一だろう)を、バックサイドから打たせなかった。徹底的にミドルにボールを集めた。平野がそれをやろうとすると、ミドルからのバッククロスはわずかにコースが短いためオーバーミスとなったし、入っても鋭角さが足りないため得点にならなかった。
また、丁寧のドライブの回転量が平野の想定をわずかに上回り、オーバーミスにつながった。
よって、丁寧の平野対策は、
・絶対に平野のバックサイドにドライブを打たないこと
・ドライブの回転量を増すこと
の2点だったと思われる。
もともとアジア選手権でも逆転で最終ゲームのギリギリで勝ったわけだから、今回、平野が勝っても負けても何も不思議なことはないわけだが、それにしても惜しかった。事実上の決勝戦だっただろう。
今後の平野の強化方針は、男子とやって回転量の多いボールを打つことと、ミドルに来たボールを「はいそうですか」とフォアハンドで打ち抜けるよう球威を増すことだろう(打法、用具を問わずだ)。まあ、当たり前のことではあるが。
·同じく『直撃LIVE グッディ!』で、非常に惜しい解説があった。
ネット際に高く上がった水谷のロビングを張本が打ちこんで得点した場面だ。
解説では「張本が打ちこんでくると思って警戒して構えていた水谷に対して、張本は空いているコースに打ちこんで得点した」というのだ。
張本は、一度ストップ、つまりネット際に落とすかのようなフェイントをかけているのだ。それが上の写真の場面だ。ラケットが完全に静止している。
これを見て前に突っ込んできた水谷に対して、そのままラケットを引かずに押し込むようにして打ちこんだからこそ、水谷は逆を突かれて反応できなかったのだ。
つまり張本がやったことは、スマッシュをするふりをしてストップするふりをして実はスマッシュをするという二段回のフェイントなのだ。こんなことまで身につけている恐るべき13歳だ。
こんなに解説しがいのある場面をなんともったいないことだろうか。
野球やサッカーのように観戦する文化が根付いていれば誰かが気がついたはずだが、卓球は急にバブルのように取り上げられているので、卓球を見る眼が追いついていないのだ。それにしてももったいない。
正しく解説すれば卓球ぐらい見て面白いスポーツもないのに。
言い過ぎか。
張本が水谷に勝ったことがいろいろな番組で取り上げられている。水谷の気持ちを思うといたたまれないが、水谷のコメントは王者の風格があったし、ともかく男子の卓球が取り上げられることは、卓球ファンとしては嬉しい限りだ。
数年前までのことを思えば本当に夢のようだ。
中には、卓球の技術的な解説をしようと頑張る番組もあって微笑ましいが、残念ながらまともな解説はほとんど見られない。
昨日のフジテレビの『直撃LIVE グッディ!』という番組では、張本のチキータと水谷のチキータの差を解説していたのだが、なんとも面白い放送だった。
張本と水谷のチキータの映像を並べて比べて画面に赤丸を表示して、その打点の違いに注目してほしいなどと言っている。「張本のチキータの方がネットの近くで打つ」というのだ。
ところがだ。その赤丸の位置は水谷の方がネットに近いではないか(笑)。
打球点も写真からはどちがネットに近いかは判断しがたい。
そもそも、テニスやバドミントンじゃあるまいし、卓球は台に弾んでからしか打てないのだし、チキータはその性質上、頂点付近でしか打ち得ないので、実質的に打球点は相手のボールで決まるのだ(バウンド直後にチキータ打てる奴がいたら連れてこい!)。
そして、そして、そもそもこの映像で張本がやっているのは、チキータではなく、普通のバックハンドなのだ!
以上、二重三重の間違いが凝縮された、非の打ちどころのない間違った解説であった。
卓球は確かに難しいが、これは・・・誰かに聞けばよかったのではないだろうか。
いや、そもそも打点の違いなどという発想がマニアックな卓球人の発想だから、恐らくこれは、卓球人から聞いた話を参考に、映像から該当しそうな部分を見つけて解説したものだろう。
したがって、聞かなかったのではなく「中途半端に聞いた」のが敗因とみた。
当然ある。
今回のアジア優勝で特筆すべきは、平野のプレースタイルが、ドライブによるローリスクな卓球だったことだ。これまでも希に日本選手が中国選手といい勝負をしたり勝ったりしたことはあったが、それらは往々にして、低いボールでも強引にスマッシュしたり、間違いとしか思えないようなカウンターによるハイリスクな卓球によってだった。だから勝ち続けることはできなかった。
そういう無理な卓球でなければチャンスがないほど実力差があったのだ。
ファインプレーというのは、その場では素晴らしいことだが、長期的観点からは実は褒められたことではない。ファインプレーをしなくても勝てるほどのローリスクの卓球を身につけるのが理想なのだ。それを実行しているのが中国だ。中国は昔から一貫して弧線を重視するローリスク卓球だ。低いボールをフラットにスマッシュするような選手は建国以来いない。前陣速攻の荘則棟、江加良でさえそうだった。
これは世界的にも同じで、低いボールをフラットでスマッシュを連発して世界チャンピオンになったのは、93年の玄静和(韓国)だけであり、1960年以降の近代卓球では、そういう卓球は成立しないことを示している。
今回の平野の卓球は、打球点が早いというリスクはあるが、基本、ボールに強いドライブをかけて安定を図るローリスクな卓球だ。これで中国選手3人を破ったということは、これが一時的なものではない「本物」だということを意味している。戦術とか意外性によってではなく、純然たる力比べで勝ったということなのだ。
平野がデュッセルドルフで世界チャンピオンになったとしても少しも不思議ではない。
ちなみにこれまで、アジアと世界の両方で優勝した選手は、丁寧、張怡寧、喬紅、鄧亞萍、何智麗、曹燕華、小和田敏子、松崎キミ代という、卓球史に燦然と輝く錚々たる面々である。
一方、世界でだけ優勝したのは、李暁霞、王楠、郭躍、玄静和、童玲、葛新愛、パク・ヨンスン、胡玉蘭、林慧卿、森沢幸子、深津尚子、邸鐘恵、江口冨士枝、大川とみとなり、超名選手が含まれてはいるが、総じて知名度が落ちることは否めない。荻村伊智朗が言うところの「強い世界チャンピオンもあるかと思えば弱い世界チャンピオンもあります」(『笑いを忘れた日』)というところか(それにしてもなんたる言い草だ)。
さらに、アジアでだけ優勝した選手となると、朱雨玲、劉詩雯、郭焱、林菱、牛剣鋒、李菊、唐薇依、斎宝香、張立、枝野とみえ、李莉、大関行江、尹基淑、関正子、伊藤和子、崔京子となり、さらに知名度が落ちる。
やはり大会のステイタスの違いから、アジア大会への準備が世界選手権よりは若干おろそかになるためだろう。大会への準備はそれだけ重要であり、それによって勝敗は逆転しうることを意味している。
それにしてもデュッセルドルフの結果が楽しみである。私は今回は行かないが、日本から手に汗握ろうと思う。
平野がアジア選手権の女子シングルスで優勝した。
報道では、日本女子として21年ぶりの優勝とあるが、21年前に優勝した「小山ちれ」とは、中国名「何智麗」であり、アジア選手権を1984年から3連覇しかつ1987年世界チャンピオンになったバケモノであり、中国で現役引退後は日本に帰化して「小山ちれ」となり、30歳でアジア競技大会で中国の不動のエース鄧亞萍をいてこまして優勝し、あげくに31歳でアジア選手権を制したという「やっぱりバケモノだった」というとんでもない選手なのだ。
よって、それはこの際カウントしてはならない。小山ちれを除くと、その前に日本人がアジア選手権に優勝したのは1974年の枝野とみえまで遡る。
ふふふ・・・43年ぶりだ。2倍以上の43年ぶりなのだ。わかるかこの意味が。
ちなみにその時の男子シングルスのチャンピオンは長谷川信彦だ。あの長谷川信彦がまだ現役のときなのだ! とんでもない昔だ。
卓球女子のアジアチャンピオンといったらあんた、世界チャンピオンと同じである。なぜそう言えるのかって?それはだなあ・・・現在は世界の女子卓球界は圧倒的にアジア勢優位なのであり、1955年世界チャンピオンのロゼアヌ(ルーマニア)が1956年世界選手権東京大会で田坂清子に負けて以来、62年もの間、世界チャンピオンはひとり残らずアジア人(日本、中国、韓国、北朝鮮)なのだ。
もっとも、アジア選手権で優勝してかつ世界選手権でも優勝するのは、これまたごく限られた選手だけなので(それだけ競争が激しい)、世界チャンピオンになる実力があるとは言えても、実際になるかどうかは別問題だ。
ちなみに、今のところ日本女子最後の世界チャンピオンは、1969年の小和田敏子だから、平野がデュッセルドルフで優勝したりすると48年ぶりのとーんでもない快挙となる。
ただし、史上最年少優勝にはならない。
1936年にアメリカのアーロンズが16歳で優勝しているし、1937年にはそのアーロンズとオーストリアのプリッツィが、ともに17歳で優勝しているからだ(制限時間内に勝負がつかず両者優勝)。さらに1975年には北朝鮮のパク・ヨンスンも17歳で優勝している。
ちなみに、女子世界チャンピオンの最年長は、1955年のロゼアヌの33歳だ。偉大なりロゼアヌ。
これは、私が歴代の世界選手権の開催日と全個人種目の優勝者全員の生年月日を調べ上げて作ったオリジナル資料だ。
ともかくだ。凄い。凄すぎるぞ平野美宇。
ああ、どんな言葉でも足りない。どう書いても今回の偉業を表現できないことがもどかしい。
卓球を始めて以来、こういう瞬間をいつかいつかと夢見て、結局生きている間に見ることなく亡くなっていった日本の卓球人がどれだけいたことか。1990年代前半に日本チームの監督だった野平孝雄が、インタビューで「世界選手権で日本人同士の決勝を見れたらその瞬間に俺は死んでもいい」と言っていたのが忘れられない。その野平も2013年に亡くなった。
43年とはそういう時間だ。
卓球関連の知人から面白い話を聞いた。
息子がこの春、高校に入ったのだが、その入学式で校長が卓球に触れたという。
そこで語られたことが素晴らしい。
「リオ五輪に出られなかった平野早矢香選手が、その悔しさをバネにして世界チャンピオンになった」
と言ったのだという。なんと面白い間違いだろうか。
いっそのこと、リオ五輪ではなくてサラエボ五輪とか言ってくれると最高だった。卓球がまだ五輪に参加する前の、しかも冬季五輪なのだから、もう非の打ちどころのない間違いだったといえよう。