年別アーカイブ: 2017

デイル・カーネギー『人を動かす』

久保さんは徹底的に自らの存在を隠してきた人だったが、実は久保さんがそうしてきたのは、持って生まれた性格ではなくて、明確な理由があった。

久保さんは東京生まれだが、戦争のため、小学校5年生の時に大阪に疎開をした。そこで東京弁を使ったものだから、文字通り何度も袋叩きに合うほど嫌われたそうだ。

そんなとき、ある本に出合った。デイル・カーネギー著『人を動かす』だ。その本はさまざまなエピソードの寄せ集めからなり、一貫して主張していることは、「主張するな、人を説得しようとするな、それこそがもっとも効果的に人の心を動かす」ということだった。

そこで久保さんは意識的に、自分のことを言わない、自慢話をしないと言ったことを徹底した。最初は意識してそうしていたが、次第にそれが自然に身につき、人格になった。それ以来、他人からの評価が劇的に変わり「話せば話すほど損だ」ということがわかり、その生き方を徹底するようになったという。

私にはとても実践できそうにないが、ともかく私もすぐに『人を動かす』を読んでみようと考えた。読むと言っても、昭和五年生まれの久保さんが十代の頃に読んだ本だ。今も売っているのだろうかと思って本屋に行くと、なんとショーウインドウに通りに向けて10冊以上も並べられているではないか。80年も前に出版されたのに、とんでもないベストセラーである。

直ぐに買ったことは言うまでもない。

ヨネックスの卓球ユニフォーム?

ヤフーニュースを見ていたら、夏目三久というアナウンサーがCMのために卓球をする姿を撮影したとあった。

https://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/others/p81024ea6ec01bdf18337c80eb61bf71b

説明書きを見ると「卓球のユニホームに身を包んだ夏目三久アナ」とあった。

「どれどれ」とよく見ると、なんと胸にはヨネックスのマークが。卓球のユニフォームじゃない(泣)。短パンはちゃんとバタフライだったので、これはスポンサー料を反映してのことと思われる。

ヨネックスの店舗に行って卓球のユニフォームを探す人がいそうだが、それはないのだ。

 

 

現代卓球を創った男

今月の卓球王国に追悼原稿を書いたが、偉大な卓球人が亡くなった。

久保彰太郎、86歳。

卓球マニアでさえこの名を知る人はほとんどいないだろう。私も2003年にお会いするまでまったく知らなかった。

荻村伊智朗著『卓球・勉強・卓球』の77ページに、

「夜中まで練習をして、万年浪人の久保という人を自転車に乗せて帰ると、途中で沖縄ソバにありつける」

というフレーズがあるのを後で見つけたぐらいだ。

また、1990年代に、新しいラケットのアイディアを卓球メーカー各社に送ったところ、タマスからだけ返事があり、試作品まで送られてきて「試作しましたが効果が見られないので製品化はしない判断となりました」と丁寧な手紙が添えてあった。

どこの馬の骨とも知れない私のアイディアを、無視するどころか試作までして返事をくれたタマスの姿勢に感服したものだったが、久保さんとお会いした後で、10年ほど前にいただいたその手紙のことを思い出し、引っ張り出してみたところ、差出人の欄には案の定、久保彰太郎と書いてあった。

よく映画などで「裏で世界を動かす陰の実力者」などが出てくるが、久保さんとお会いしたときに思ったことは「そんなこと、本当にあるんだ」ということだった。

久保さんは、1960年代から1990年代までのタマスの製品のほとんどの開発を手掛けた人物なのだ。世界一のシェアを持つバタフライの歴代製品を開発したということは・・・卓球が用具の影響が大きいスポーツだということを考えれば、それはある意味、現代卓球を創ったいうことだ。しかもその会社生活の後半はタマスの実質的な経営者であり、重要な事業判断を次々と下していた。

そんなとんでもない重要人物が「万年浪人」(ひどい扱いだ)としてしか本に載っていなかったのは、久保さんが徹底的に自らの存在を隠し続けてきたからだった。それは自己顕示欲、自己陶酔といったものを、それが自分の中にもあることを認めるからこそ極端に嫌悪したためだった。

晩年は、ブースター問題の解決に情熱を傾けた。

東京・吉祥寺にある久保さんの自宅で、卓球界の裏話や用具の真髄を聞く至福の時間が、もう二度とないと思うと寂しくてならない。

卓球王国で連載を始めたおかげで久保さんとお会いすることができたのだから、その幸運だけでも感謝しなくてはならないとは思うのだが、やはり失ったものの大きさを実感している。

意地でも「ショット」を使いたいようだ

敵もさるもの、平野早矢香が言ってもいないのに「ショット」を付け加えてる。くうーっ(泣)。勝負あったか。

しかし、卓球を始めて1年半の小学生に卓球を教える企画なのだから、安定してないといえば打球に決まっている(まさか精神的に不安定とか生活が不安定とかと誤解する人はいないだろう)。

平野のセリフそのままで何が不足なのだろか。

と、「ショット」が嫌いな私は思うのであった。

「ショット」はショット悔しい

先日『アスリートの魂』で平野美宇が取り上げられた回を見て感激した。

「ショット」が一度も使われなかったのだ。試合の解説でも「このフォアです」と言っていた。普通のテレビ放送なら間違いなく「このショットです」と言うところだ。

なぜ私がショットを問題視するかといえば、それが卓球人の誰も使っていない言葉だからだ。もちろん、意味としては間違っていない。テニスでもバドミントンでもショットと言うし、卓球だって英語ではshotと言っている。

しかしこれは、意味が間違っているかどうかの問題ではなく、日本でどう定着しているかの問題なのだ。

意味が正しければ良いからと言って、サッカーやバスケットボールの試合実況で「シュート」のかわりに「ショット」と言われたら、ファンはどう思うだろうか。言うまでもなく、動詞であるshootの過去分詞および名詞化がshotだから、ショットもシュートも同じことなのだ。事実、英語圏ではサッカーやバスケットボールでも文法に従ってshootとshotを使い分けている。

しかし、こと日本では、バスケットボールとサッカーは「ショット」ではなく「シュート」で定着しているのだから、違う言い方をしたらファンは黙っていないだろう。

ショットは打つというような意味だから、野球だって「バッティング」と言う代わりに「ショット」と言っても間違いとは言い切れない。しかしそう言ったら野球ファンは暴動を起すだろう。

ところが卓球のテレビ放送では、卓球界で誰も使わない「ショット」が連発されているのだ。卓球はマイナーな期間が長かったから、テレビに映るだけでも嬉しくて、卓球ファンの誰もこれに異を唱えない。この調子だと「メジャースポーツであるテニス様と同じ言葉を使った方がよくね?」なんて言って、卓球ファン自ら「ショット」を使うようになることすら考えられる。

まあ実は、それでも不都合はないのだが(笑)、単に「それじゃ悔しい」というプライドの問題なのだよこれは。

落ちるチキータ

昨日、「ミライ☆モンスター」という番組で張本が取り上げられていたのだが、大笑いさせてもらった。

全日本での勝利を目指す張本が、3種類のチキータを練習していたそうだ。

③の「手前に落ちるチキータ」というのは、あえてネット際に短く遅いチキータをすることで相手のミスを狙う技だ。ここまではいい。

そして迎えた全日本選手権。男子シングルス4回戦で戦った相手は平野友樹。

第一ゲームの1-1。

「張本が練習の成果を見せ、レシーブから落ちるチキータで得点した」場面がコレだ。

落ちるチキータってそれは・・・エッジだっ!

「落ちる」の意味が違うよ〜(笑)

エッジだから平野は飛び跳ねているし張本はラリー後に手を上げて謝っている。

そもそもわざわざ赤い矢印で入れた軌道もエンドライン一杯に入っているのだから、解説にあった「手前に落ちるチキータ」とは正反対ではないか。

ほんの8分前に解説したこと忘れたか(笑)?

まさか相手から見て手前とか。

ところがゲストたちも「落ちるチキータ」と聞いて「うわー」なんて感心してる。

おい! 気づかないのか誰も!!!

せっかくチキータに脚光を浴びせたはいいが、チキータで得点した場面がエッジで入ったこの場面しかなかったのだろう。

ギャグでも何でもなく真顔でこんな放送をするとは、恐るべしテレビ放送。

『ザ・ファイナル2017.1』ただいま編集中

DVD『ザ・ファイナル2017.1』を編集中だが、あらためてプレーのレベルの高さに驚ている。

キャッチコピーは

「もはや、笑うしかない凄さ。参考にならん!」

だ。粗編集で作りかけの画像を貼っておこう。

現場で撮影しているのになぜ今ごろ驚いているのかと言われそうだが、実は意外なようだが、撮影中は撮影に夢中であまりプレーに意識がいかないのだ。自分のプレー(仕事)に余念がないとでも言おうか(笑)。

また、撮影中は自分が撮影しているプレーしか見ていないので(しかもモニターで)、他のカメラでどういう映像が撮れているのかまったくわからないのだ。

撮影が終わるといつも今野編集長から「どう?いいの撮れた?」と聞かれるのだが「まあまあですね」と曖昧に答えながらも内心は「今年はダメかもしれない」などと思う。そしていざ届いた映像を見始めると、とんでもないプレーがあちこちに収められていて急に興奮し始めるというのが毎年なのだ。

そして今年はその度合いがもの凄かった。特に吉村弟、平野友樹、神、木造、酒井、平野美宇、こいつらのプレーがこれまでの全日本を完全に破壊している。これは・・・破壊活動だっ!

いやはや卓球は大変な時代に突入したものだ。これからの編集で、どれをカットすべきか嬉しい悲鳴を上げる夜が続きそうだ。お楽しみに!

「○○打ち」という表現

卓球の打法の表現はややこしい。

「○○打ち」という言葉の名付け方が2種あるのだ。ひとつは、自分がどういう打ち方をするのかに基づいた命名であり、もうひとつは、相手のどういうボールを打つかに基づいた命名だ。

前者は自然なことだが、後者は卓球に特有のものだろう。なぜそういう言い方があるかといえば、卓球ほど相手のボールによって打ち方を大きく変えなくてはならない球技はなく、相手のボールを強く意識しなくてはならないからだ。

あらためて整理してみよう。

フォア打ち:フォアハンドでゆるい前進回転で比較的遅いスピードで打つこと。試合中ではなく練習でラリーを続けることを目的とした場合に使われる。

流し打ち:主にフォアハンドで、自分から見てフォア側に逃げるように打つこと。自分も相手も右利きの場合は、相手のバック側に逃げるようなる。

ミート打ち:死語になりつつあるが、主に下回転に対してフォアで攻撃をする場合に、前進回転よりスピードに比重をおいた打法。「フラットで打つ」とも言う。

ショート打ち:相手のショート(死語になりつつあるが、ペンホルダーのバックブロックのこと)のボールをフォアハンドで打つこと。主に練習に対する表現。使用例:「死ぬほどショート打ちのドライブさせとけ」

カット打ち:相手のカットボールを前進回転にしてゆるく打つこと。決め球ではなくつなぐ場合に使われる。カットに対しては繋ぐことが多いため。使用例:「ドライブマンには朝から晩までカット打ちさせとけ」

ツッツキ打ち:相手のツッツキのボールを打つこと。こちらは決め球の意味合いが強い。

ロビング打ち:相手のロビングをスマッシュすること。

これでは知らない人が間違えるのも無理はない。

惜しい!「卓球練習」と「ロビング」

録画していたスポーツニュースを見たが、非常に惜しい表現があった。

日本テレビの「Going! Sport & News」という番組に平野美宇が出てインタビューされ、強くなった理由として「多球練習」と答えたのだが、なんと字幕は「卓球練習」。

Office Lens 20170124-222800[1]ひーっ。確かに卓球は練習しただろうが・・・それかい!

もっとも、平野は「多球練習」と言うときに若干言葉につまり、実際に「たっきゅうれんしゅう」と発音したので、間違えた気持ちはわかる。もしかして自動翻訳だったのかもしれない。

一方、フジテレビの「スポーツLIFE HERO’S」では、水谷と吉村のラリーを取り上げ「画面向こう側の水谷選手のロビング技術に注目!」と言ったはいいが、その場面の映像がこれだ。

Office Lens 20170124-222944[1]ふふふ。ロビングをしていたのはなんと吉村で、水谷はスマッシュによる「ロビング打ち」をしていたのであった。画面向こうが水谷だと言っているのだから、これはロビングの意味を知らない者の仕業だろう。

長嶋茂雄がホームランを打ったのを指して「見事なピッチング!」と言ったぐらいの間違いだ。

しかし私はこの放送に大きな一歩を見る。「ロビング」という言葉がテレビに出ただけでも大進歩なのだ。これまでは、似た単語としてテニスのロブがあり、卓球にもそれを使われることがままあった。どちらも同じ英単語から来ているのだからどちらでもよさそうなものではあるが、日本卓球界で定着している言葉をわざわざテニスの言葉に置き換えられてしまうのはなんとも寂しい(ちなみに放送で連発される「ショット」も日本卓球界では誰ひとり使わない。これはテニスとゴルフで使う言葉だ)。

「ロビング」を使ってもらった嬉しさで、ロビングとスマッシュの間違いぐらいどうでもよい気持ちでいっぱいだ。

それぐらい可愛いものではないか!むしろロビングを知らないのに使おうとしてくれたその心意気がありがたいほどだ(皮肉ではなく本気で)。これは、彼女が慣れない手つきで初めて作ってくれたはいいが塩と砂糖を間違えてしまった手料理なのだ!どうしてこれを責められよう。

優しく「美味しかった!」と言おう。水谷が打ったのはロビングだったのだ。

あとは「逆モーション」とか「横上」「横下」「ループドライブ」「フリック」「カットブロック」などとなだれ込んでもらいたい。

もう、むっちゃくちゃに間違えられそうだが、それも人生だ。

補足

うーん、伊藤美誠のブログと間違えてこのブログを見る人がいそうでなんとも心苦しいが続けよう(誤解した人がどれだけ驚愕するかと思うと、申し訳ないが可笑しい)。

さて、「ストップの極意」について、若干説明不足のところがあったので、補足したいと思う。

ストップをするのに「打った後にラケットを引くようにするとよく止まる」というのは事実だ。福原だろうがワルドナーだろうが一般愛好者だろうが、極めて小さくボールを止めようとすれば誰もがそのような動きになる。

ちろんそれは、そのように意識することで、結果的に打つ瞬間のラケットの前への動きが小さくなるからだ。つまり、打つ瞬間のラケットの正しい動きを作るための感覚的なコツとして打った後のラケットの動きがあるわけだ。

それを理解した上で「打球後に引くようにして打つのがコツ」と言うのならそれは正しい。

ところが先のテレビ放送の与える印象はそうではない。福原のストップが紹介された後に

「ストップの極意は、ある瞬間のラケットの動きにある。それはどの瞬間か?」

という問題が出され、その選択肢として「A:打つ前」「B:打つ瞬間」「C:打った後」の3つがそれぞれ静止画で提示されたのだ。

コツとか感覚とか一連の動きの話ではない。「瞬間」「ラケットの動き」という言葉によって、いかにも物理的な印象を与える問題として出題されたのだ。

番組の趣旨としても、卓球選手向けのノウハウとしてではなく、一般視聴者へ向けたトリビアの提示であることは明らかだ。だからこそ感覚ではなくて客観的かつ物理的なのだ。

それで正解が「C:打った後」なのだ。

この正解が意味することがお分かりだろうか。3択の正解がこれだということは「打つ瞬間」より「打った後」の方が重要だということなのだ。

これが本末転倒であることは言うまでもない。最大限に擁護する方法があるとすれば、あくまで極意として重要なのが打った後なのであり、打つ瞬間が重要なのは当たり前すぎて極意にならないというものだが、これは無理があるだろう。

そもそも「打った後」の動きが「打つ瞬間」のためにあることを理解していたなら、誤解を避けるためにそれを一言でも解説しないではいられないし、それ以前に、このような問題を出すわけもない。

「打つ瞬間」よりも「打った後」の方が重要だと本気で信じているからこそ、卓球ならではの意外なトリビアとしてこの問題を出せたのだ。

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