年別アーカイブ: 2017

テレビ局も恐るべし!

自宅に帰って録画されていたテレビ番組を見て驚いた。

日本テレビの「Going! Sports&News」という番組で、平野美宇の躍進の理由がチキータだとされていたことは良いとして、なんとそのチキータが単なるバックハンドドライブにされているのだ。

それ、全然チキータじゃないからーっ(笑)。

Office Lens 20170122-234411チキータの解説で紹介された丹羽の映像は確かにチキータだが、その解説から「台上」という最も重要な単語が抜け落ちたためにこういうことになったものと思われる。おいたわしやチキータ様。

Office Lens 20170122-234617Office Lens 20170123-203002

バックドライブなら誰でもやっているので、なぜチキータが「女子では平野しかやれる人がいないほど難しい(と解説されている)」のかわからなくなるではないか。

チキータが難しいのは、台とボールの間のわずか16センチ強しかない空間でボールを擦り上げるほどのラケットの速度を生み出さなくてはならないことだ。台上だからこそ難しいのだ。

卓球の100年以上もの歴史の中で、訓練すればそれが実用になるとわかったのが2000年の半ばだ。これに気がつくのに実に100年以上もかかった革命的な技術なのだ。

それをただのバックドライブ。ふひーっ。恐ろしやテレビ放送。

しかし同じ番組でもっと恐ろしい「技術解説」があった。福原愛のストップの秘密が、なんと打球後にラケットを引くことでボールの勢いを吸収することだと言うのだ。打球後だぞ打球後。聞き間違いではない。Office Lens 20170122-234848Office Lens 20170122-235036

わざわざクイズ形式にして「打つ直前」「打つ瞬間」「打った後」のうち、どの瞬間のラケットの動きに秘密があるのか?と出題しているのだ(出題の段階で悪~い予感がした)。

それで「正解は打った後」!!!

トホホ。オーイオイオイ(泣)。

それは気のせいだーっ!大丈夫かーっ!

打つ瞬間以外のラケットの動きがボールに影響を与えらえるわけがないではないか。

ちなみに、この福原のストップの技術解説は福原自身がしたものではないし、テレビ局が独自にしたものでもない。解説をしたのは元日本代表・・・止めておこう。

 

全日本を見て卓球に興味を持ってくださった新しい卓球ファンの皆様、卓球の技術に関して「不思議な話もあるものだなあ」と疑問に思うことがありましたら、だいたいその話は間違っています。あなたの疑問は正しい。そういうオカルトが多い世界なのです。

「ラケットにボールが当たった感触で回転量を判断してとっさにラケットの角度を変えてボールを入れる」などということをナショナルチームの監督が真顔で言う世界なのです。ボールがラケットに当たっている時間は千分の一秒ですから、手に響いた感触が電気信号となって神経を5センチメートル進んだところでボールはラケットから離れてしまうのにです(笑)。

スポーツ新聞、恐るべし

今日の試合で平野美宇が石川佳純を破って全日本チャンピオンに輝いたわけだが、昨日の時点で、記者室の壁に貼ってあったスポーツ新聞には、何やら怪しげな見出しが躍っていた。DSC_0946勝つとか負けるではなくて「佳純を食べちゃう!!」というのだから穏やかではない。

これで買いたくなるオヤジたちがいるとでも思っているのだろうか。

そういう私も、数ある新聞記事の中からこれだけを選んでブログに載せているのだからまんまとやられたということなのだろう。むむむ、スポーツ新聞恐るべし。

 

手に汗握る水谷vs平野

最終日はコートサイドでカメラ係をしている。せっかく超人たちの間近にいるのに、なんとマッチ箱ほどの大きさの液晶モニターを見続けているのだから間抜けではないか。しかも姿勢の関係でモニターにピッタリ近づいているので眼鏡を外す有り様だ。当然、モニター以外は何も見えない。

コンサート会場で巨大モニターを見ているよりヒドいもったいなさだ。

それにしても水谷と平野の準決勝は手に汗握った。

「手に汗握る」「口を酸っぱくして言う」「手ぐすね引いて待つ」など、表現はいろいろあれど「手に汗握る」だけは文字通り、比喩ではなくそのままだな、などと思いながら手に汗握った。興奮してくると冷静になろうとして自然とそういうことを呪文のように反芻したくなるのだが、他の人も同じだろうか。

撮影していて一番絵になるのはなんといっても吉田海偉だ。残念ながら吉村弟に負けた。奥さんの旧姓・小西杏とベンチで抱き合う姿をもう一度見たかった。この夫婦、試合中はずっと中国語だ。日本人に聞かれないためか自然なのかわからない。家庭でもそうなのだろうか。

吉村強し。ボクサーのような髪型もかっこいい。決勝で何か大変なことをやらかしてほしいものだ。

 

 

審判の戦い

今年もDVD『ザ・ファイナル』の撮影のため、木曜から全日本の会場に来ている。

昨夜は、審判のために中学校の仕事を休んで来ている今野啓さんと夕飯をご一緒し、いろいろと審判と選手の戦いについて聞かせてもらった。DSC_0945[1]

審判と選手の戦いでもっともポピュラーなのが違反サービスで、その中でもよくあるのが、YGサービスを台の中で打つことだという。台の中で打つとよく切れるのか小さく出しやすいのかわからないが、とにかく選手たちは中に入れてくるという。

注意をしないと、審判を試すようにどんどん中に入れてくるので、1本目に注意をして自分の基準を示すことが重要だという。途中から注意をすると「さっきまでOKだったのに」と抗議をしてくるので、選手も100%わかってやっているという。全日本に出てくるぐらいの選手なのだから当然なのだ。

台上ドライブならぬ「台上YG」として要注意事項だ。

自分との戦いで一番ビビるのが、促進に関わる部分だという。昨日の女子シングルスで、佐藤瞳と牛島星羅の試合は、促進に入る直前のツッツキ合いが8分間続いた。当然、どちらも促進に入ることを覚悟したラリーだ。これだけ続くと、どちらがサービスだったのか覚えているのが大変で、心の中で「佐藤佐藤佐藤佐藤佐藤・・・」と唱え続けたりもするという。

それを思うと、何年か前に全日本の女子シングルスの決勝で平野早矢香と王輝が促進に入った試合を裁いた人はさぞかし緊張したことと思う。

さて、審判の判断で難しいのがエッジとサイドだが、迷ったときは、主審と副審の間のアイコンタクトで「そうだよね?」という感じで確かめて意を強くしたりするのだという。アイコンタクトでどうやってエッジかサイドかを伝えるのかと聞くと、なんと審判のルールブックにジェスチャーが書いてあるのだ。

片腕を上げるとサイドで、台を指さすとエッジだという。

DSC_0939ところがこのジェスチャーは秘密というわけではないのだが、選手も一般人も知らないので、片腕を上げるとそちらの点が入ったという意味に誤解されて大変に紛らわしい。

そう言うと、啓さんは審判の名札を付けたままの恰好で片腕を上げて見せた。店員が寄ってきたことは言うまでもない。DSC_0936啓さんはとにかく審判が好きで、ルールブックを読むのが楽しくて仕方がないという。明日は男女シングルスの決勝があるわけだが、それを誰が裁くことになるのかは当日の朝まで本人たちにも知らされない。さて、啓さん、明日は登場するのだろうか。DSC_0943

 

不純正オールラウンド

先のテレビ番組で、マンガとは別に、戦型についての解説があった。

それによると、イオニスが「カットマン」なのは良いとして、許 昕と福原愛が「前陣速攻型」、水谷と松平健太が「現在主流のオールラウンド型」だそうな。

誰に聞いたそんなこと(笑)。

確かに卓球の戦型は分け方がいろいろある。前陣速攻とは文字通りには台の近くに陣取って早く攻撃する戦型ということになるが、歴史的には、中国で主流だった、ペン表ソフトを使った攻撃選手を指している。対して裏ソフトを使った攻撃選手はほとんどがドライブを主用するのでドライブ主戦と呼ばれ、これが現在の主流で、男子においては95%以上の印象だ。水谷も松平もドライブ主戦だ。

要するに、実質的には表ソフトを使った攻撃選手が前陣速攻型、裏ソフトを使った攻撃選手がドライブ型なのだ。他には、前進回転ボールに対してカットを多様するのがカット型、台の近くに陣取りツブ高またはアンチを多様するのが異質型だ。分け方が打法だったり用具だったり位置だったりして統一感がないが、これから外れるケースがないので十分なのだ。前陣カットマンやツブ高ドライブ型、裏ソフトなのにドライブをしない攻撃選手はいないのだ(弱くてもいいならいるだろうが、それはいるうちに入らないことは言うまでもない)。

福原はバック面に表ソフトを貼っているので、バック側は前陣速攻、フォア側はドライブ主戦であり、これをひとことで言う戦型は確立していない。あえていえば異質攻撃型とでも言おうか。あるいは「バック表」とかなんとか言っているわけだ。とはいえ福原は台から離れないので戦型を字義どおりにとらえれば前陣速攻と言っても間違いとは言えず、目的に応じて好きなように言えば良いだろう。

これに対して許 昕は、両面とも裏ソフトであり、台の近くどころかアホみたいに台から離れて空恐ろしいドライブを放つわけだから、まかり間違っても前陣速攻ではない。今どき珍しいほどの純粋なドライブ型だ。許 昕がドライブ型ではないのなら、この世にドライブ型は存在しない。それくらいのクドいほどのドライブ型なのだ。クドいのは俺か。

番組では、はっきりと許 昕を前陣速攻だと言ったわけではないが、前陣速攻の説明をしながら許 昕の映像を流したのだからそう言っているのと同じである。ネットプレーを映したところが頭を使ったところだ。さすがに中陣からドライブを打つ場面は使えまい。ペンの中国人なら誰でもよかったのだろう。許 昕もナメられたものである。もっとも、現代の世界の男子には前陣速攻などいないも同然なので、そもそも探すこと自体が無理なのだ。

それはいいとして、問題はオールラウンド型だ。字義通りには何でもやれる戦型ということだが、歴史的には、ある特定のスタイルを意味していた。

それは昭和17年に発行された福士敏光の『卓球』という本に詳しく書かれている。

卓球は明治35年に日本に伝来したが、それから20年ほどの間に日本では3つの打法が確立した。フォアハンドによるトップスピンを意味する「ロング」、現在のブロックを意味する「ショート」、そして現在と同じ意味の「カット」の3つだ。

当時の日本卓球界では、一技完成主義の民族性のためか、この3つの打法のうち1種類だけを使って試合をするのが理想とされていた。今から考えると冗談にしか思えないが、まだラバーがなくて木のラケットで打球をしていた時代だったからそれが可能だったのだ。

かくして、カットマンは延々とカットをし、ショートマンは延々とショートをし、ロングマンは延々とフォアロングをしていたわけだ(軟式のためボールが遅く台の幅も狭かったのでオールフォアが可能だった)。

オールラウンドという戦型は、そういう一技完成主義の対立概念として生まれた。

つまり、ロングマンのくせにときどきショートをしたりツッツキをしたりバックハンドを使ったりすることが「オールラウンド」と言われたのだ。

ちなみに、娯楽段階においてはいろいろな打法を併用するのが自然だが、それはオールラウンドとは言わない。ただの遊びだ。

「何でもできる」ということは、あるレベルを前提とした場合には「何もできない」と同じ意味なのだ。「オールラウンド」という言葉はそういう重みをもつ。

そういう考えに立って福士は、一種類の打法だけで試合ができる技術を習得した上で他の打法も使って試合をする戦型を「純正オールラウンド」、一つも極めないで複数の打法を使って試合をすることを「不純正オールラウンド」として、後者を「昨今の選手の傾向」として徹底的に批判している。

不純性

その理由として、技術に深みがないとか、思想上の誤謬があるとか、信念の欠如とか、無茶苦茶に書かれていて実に味わい深い。さすが東大法学部卒だ。

思想技術作戦信念

それで、この福士自身の卓球がどういうものかというと、

 

これだ。

プッシュ カーブロング

さすが東大法学部卒(笑)。

話が長くなったが、卓球界で明確に定義されたことのあるオールラウンドとはこういうことであり、その意味では現在のすべての卓球選手はオールラウンドなのだ。もちろん福士の嫌いな「不純正オールラウンド」であることは言うまでもない。

すべての卓球選手にあてはまるのだから、ある選手をオールラウンドと言うことに意味はない。

もしも現代において「オールラウンド」という言葉を意味のあるものとして使うなら、それは、カットと攻撃を半々にできる選手がいた場合だろう。ショート(ブロック)は誰でもやるが、カットと攻撃は、用具と立ち位置が互いに対極にあって両立が困難なものだからだ。

カット型は攻撃を抑えるために弾みを抑えて面積の大きいラケットを持ち、台から離れて構える。攻撃型はその反対だ。

試合ごとにラケットも立ち位置も変えて戦うことは理屈の上では有り得るが、高度に専門化された現代卓球ではそういう選手は存在しない。世界一攻撃が上手なカット型、朱世赫(韓国)でさえやはりカット型なのだ(どうしても誰かをオールラウンドと呼ぶ必要があるのなら彼こそその第一候補だ)。

オールランドはあまりに難しいため存在しないのだ。キャッチャーミットを持って外野を守ることが無理であること、あるいはもっと広く、プロ野球の選手でありながらマラソンの世界記録保持者であることが困難であることと同種の難しさなのだ。

いずれにしても、どのような意味であれ水谷と松平健太がオールラウンド型だという話は卓球界のどこにも存在しない。

NHK、いった誰にこんなことを吹き込まれたのだろう。気の毒なことだ(笑)。

ちなみに、1952年ボンベイ大会の説明のところで流れていた映像は明らかにボンベイ大会のものではない。松崎優勝なにしろアナタ、画面に映っている荻村伊智朗、村上輝夫、江口冨士枝、松崎キミ代のうち、ボンベイ大会に出た者はひとりもいないのだから一目瞭然だ。この映像は江口と松崎の両方が出た唯一の世界選手権、1959年ドルトムント大会のものだ。

まあ、ボンベイ大会の映像などないのだろうからこれは仕方がない。

マンガ『ピンポン』

NHKで松本大洋のマンガ『ピンポン』を取り上げた番組「ぼくらはマンガで強くなった」を見て、久しぶりにこのマンガのことを思い出した。

私はこのマンガにそれほど入れ込んでいたわけではないが、他ならぬ卓球が取り上げられていることが嬉しく、常に興味を持って見ていた。

リアルなところも良いが、なんといっても極端にデフォルメされた画が素晴らしかった。

たとえばこんなコマだ。1484447779512

この中段の版画みたいなタッチでかつ無茶苦茶に歪んだ画が筆舌に尽くしがたく素晴らしい。こんなコマを描けるマンガ家など松本大洋以外には考えられない。

ちなみにこのフォアクロスのカーブドライブに飛びついた風間は、なんと強烈なバックハンドを見舞って得点する(笑)。右利きなのに。

それを見た観客が1484450389133なんてつぶやいてるわけだが、強引とかそういう問題ではない。

「フォアクロスに来たカーブドライブに飛びついて強烈なバックハンド」

である。マンガだから無理なのはよいとして、そもそも意味のない行為なので、どちらかとえばコミカルな行動だと思うのだがどうだろうか。

もっともこの風間、当時としてもかなり時代遅れの極端なフォアハンドグリップ、ヘタすると一本差かと思うようなグリップなので、何をやらかしたとしても不思議ではない奴なわけだが。

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それにしてもこのマンガを見て思うのは、つくづく自分には全身に卓球が回ってしまっているということだ。おそらく一般人が気づかないようなことがいちいち目に飛び込んでくるのだ。

たとえばラケットの形だ。卓球人はラケットの形に敏感である。ペンの角型とペンの角丸、そしてシェークハンドは、少しでも面が見えれば明確に違うものとして認識される。横に並んだ二つの点を見ると人間の視線に見えるのと同じだ。

このマンガでは、シェークの選手のラケットがコマによってしょっちゅうペンの角型に変化してしまい、おかげでときどき誰なのかわからなくなってしまうのだ。

顔よりラケットを見ているわけだから我ながら重症だ。1484447876011

これがシェークのカットマンである主人公だ。床にぶつけてラケットが削れたわけでもなく、気分次第でこういう形になるのだ。おそらく一般人はこの変形に気がつかないのだろう。

さらに下のコマが、同じ選手を後から描いたコマだ。

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こ、これは・・・左利きペンドラのバックショート!(笑)。

思わずゼッケンを見直したが、これは間違いなく主人公である右利きのカットマン「月本」なのだ。

後姿の重心のかけ具合を見ただけで、利き腕とグリップと戦型と打法がわかってしまうのだから我ながら偉い。どこかにこの能力を活かせる仕事がないものだろうか。あるわけないが。

当時、私は松本大洋に、卓球を取り上げてくれたことに感謝しつつ、ラケットの形とこのコマについて手紙を出したが返事はなかった。変な奴に絡まれたと思われたかもしれない。

最後はラケット交換の様子だ。卓球人はラケットを相手に差し出すときはグリップを相手に向けるわけだが、これは相手が持ちやすいようにと気を遣っているだけではない。

「俺のラバー触るなよ!」という意志が入っているのだ。指の油がついて摩擦が落ちるかもしれないからだ。そのわりにときどき手で自分のラバーを拭く人もいるので矛盾するわけだが、人間のやることだから矛盾することはある。

これは何年か前の全日本の女子ダブルス決勝でのラケット交換の様子だ。自分のラケットを相手に手渡すときの典型的な動作だ。図1両者ともにラバーへの接触を最小限にしていることがわかるだろう。特に左側の選手は、周到にラバーへの接触を避けており、このまま相手にグリップを突き出している。ラバーを触るとしても右側の選手のようにできるだけ端をつまんで相手に渡す。全員ではないが、かなりの割合の人がこうした動作をするのだ。

ところが『ピンポン』では、全員が大胆にラバーを触る。このコマは、相手からラケットを受け取った後に自分のラケットを渡そうとしている場面だ。1484447890557ストーリーはさておいて「ああっ、そんなにベタベタとラバーに触って!」と思ってしまうのは私だけではないはずだ。上の写真のようにラケットを持つ選手なら誰だってそう思うだろう。

そんなこんなを思い出した番組であった。

こんなことばかり書いてると「うるさいから卓球人には関わらないようにしよう」と思われるだろうか。

でも仕方がないのだ。卓球ってそういうスポーツなんだから。

応援の話

私が通った中学校の卓球部では、選手が得点をしたときに「ナイス!」というかけ声に続けて「チャチャチャッチャ」と拍手をし、その後に「よし!」と言う応援が定番だった。

そのうち、先輩が拍手をやたらと長く複雑にした応援を開発した。それは5パターンもあり、あろうことかその先輩が試合をしながらベンチにサインを出すのだ。

ベンチが選手にサインを出すのではなく、選手がベンチにサインを出すのだ。なんとバカバカしい光景だろうか。

応援の本来の目的を忘れた好例と言えよう。

なお、その変拍子ともいえる複雑な拍手は、鈍い1年生はなかなかマスターできず、先輩のイジメの格好のネタとなっていたことを付け加えておく。そのための応援だったのかもしれぬ。

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