住宅地内でなかなか粋な光景を見た。
こんなことをするのは青少年に決まっているが、なかなかセンスがあると言わざるを得まい。
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「何でもありません」
1ヶ月ほど前に献血をしたのだが、その血液検査の結果で糖尿病の可能性が示唆され、病院での検査を勧めるとの通知が来ていた。そうこうしているうちに地震になってしまいすっかり忘れていたのだが、今日やっと病院に行ってきた。
検査は明日で、今日はその予約だけになってしまったのだが、そこで可笑しいことがあった。
受付で事情を話して診察券と保険証を出し、待合室で待っていたのだが、15分ほどすると受付の人が私の名前を呼んだ。私が「はい」と返事をして受付に行くと、その人は「何でもありません」と言ったのだ。何をどう間違ったのか知らないが、謝るでもなく笑うでもなく、すました顔で「何でもありません」とだけ言ったのだ。
すごすごと長椅子に戻った私は「人を呼びつけておいて“何でもない”かよ」と思うと可笑しくてたまらず、週刊誌の続きを読みながら堪えきれずに吹き出してしまった。
これがこんなに可笑しいのは私だけだろうか。
地震のグラフ
東日本では未だに余震が続いていて、その震源地もバラバラなのでいかにも日本列島に大異変が起こっているような嫌な気持ちになるが、余震の回数が確実に減っているグラフを見ると安心する。
http://www.chizumaru.com/earthquake/
これは、3/11の巨大地震で出た歪を取るためにあちこちが微調整をしている結果なのだ。そのうち、通常通りに戻るだろう。そう思うしかない。
卓球台の残骸
災害と戦争
通勤路の両側には瓦礫が散乱していて、まるで映画などで見る戦争直後のような雰囲気だ。ところどころ、バツ印がしてある車がある。何の印かはわからないが、もしかして遺体が発見された場所だろうか。
今回の災害では行方不明者を合わせて2万人近くが亡くなっているが、あらためて思うのが、戦争の恐ろしさだ。
第二次世界大戦の東京大空襲で10万人も亡くなったということの意味を今さらながら思い知らされる。しかも戦争は、何の意図もない自然災害とは違い、人間が人間をわざと狙って殺すのだから、その恐ろしさ、無念さは到底理解不可能だろう。そして戦争では時には拷問すらあるのだ。
南洋の戦地で、飢えとマラリアに悩まされながら死んでいった兵士たちが味わった恐怖と絶望は想像すらできないが、そういう人たちがいたことは紛れもない現実なのだ。
本当にこの世には神も仏もない。
巨大電磁石
机のカギ
地震で避難するとき、パソコンなどの貴重品をカギのかかる引き出しに入れて避難したのだが、その後、妻の実家に行ったりしているうちにカギをどこかに失くしてしまった。
パソコンを取り出すためには、どこからか合鍵を手に入れるか、引き出しを壊すしかないと覚悟を決めたのだが、今日、カギのかからない一番上の薄い引き出しを開けると手前の小物入れスペースにスペアキーらしき物が入っていた。「あれえ?」と思って例の引き出しの鍵穴に差し込んでみると開いた。
ガクッ。嬉しいけど「意味ねー」。
初めての風呂
地震以来、初めてまともなお風呂に入った。
我が家はガスも電気も水も来ているのだが、地震直後の停電で凍結防止機能が失われたときに給湯器が凍結して壊れたのだ。台所で湯を沸かして少量を風呂に入れるインチキ風呂は2回入ったが、まともな湯量の風呂は今日が初めてである。
隣の家にはこれまで、玄関から上がったことすらなかったのだが、わざわざ誘いに来て風呂を勧められたので、ありがたく使わせてもらった。毎日ドブさらいのようなことをしていて自分でも臭いほどだったので助かった。
ただ、風呂に入らない生活をして思ったことは、慣れればなんでもないということだ(毎日ドブさらいさえしていなければだが)。余震に備えていつもジーパンにセーターを着て寝ているのだが、これも慣れると非常に心地よい。なにしろ起きている状態の服装で布団に入るのだからポッカポカに温かいのだ。起きたときにはもう手足の先が快感で痺れるほどぬくいのだ(ちょっと大げさかな)。これまで思い込んだようにパジャマを着て寝て、ときどき布団がずれて寒いなんて言っていたのがバカバカしい。すべてはパジャマ屋(そんな職業があるかどうか知らんが)の策略だったのだっ!
ゴワゴワして寝にくいのではないかと思う人もいるかもしれないが、これもすぐに慣れる。私は財布、デジカメ、携帯電話、車のキー、メモ帖とペン、これらを起きているときと同じ定位置のポケットに入れたまま寝ているのだが、気にもならず大変に快適である。携帯電話がいつもポケットから出て変なところにあるが。
今後、一生このスタイルで行こうかと思っている。
なお、妻は風呂に入らないことに体がすっかり慣れてしまい、例のインチキ風呂に入ったら目まいがして具合が悪くなったという。まあ、こういう特殊な人はあまり参考にはならない。
気が狂うCM
地震があって以来、テレビのCMの種類が限定され、公共広告機構の同じCMが異常な頻度で流されている。
初めはどうということはなかったのだが、こうも高頻度に流されると流石に苦痛になってくる。仁科明子親子の乳癌健診のCMは、あまりにも多くの批判が視聴者から寄せられ、そのためか数日前からすっぱりとやらなくなった。
我が家でもっとも評判が悪いのが「楽しい仲間がぽぽぽぽーん」という挨拶奨励のヤツだ。これが始まるたびに「ひーっ」「気ィ狂うーっ」「許してくれーっ」と言っているが、容赦なく2連発も3連発もかまされる。
妻は「魔法のことばで」という音程が上昇するフレーズと、「楽しい仲間が」というところのスキップの最後にちょっと飛び上がるところを見るのが一番つらいという。
要するに、もう何もかもが気に入らなくなっているのだ。同じことをこれほど繰り返されれば嫌になるのも当然だ。いっそのこと、無理にCMを流さずにカラーバーなどの無機的な画面にしたらよいのではないだろうか。それはそれで「ピンクと黄色の境目が気に入らない」などと言いかねないが。
初めての申し出
瓦礫撤去作業には朝8時から息子たちもつき合わせたのだが、作業を始めて2時間したら「俺たち、もうそろそろ勉強しないといけない」と言った。初めて聞く台詞だ。今日は勉強しなくていいと言って作業を続けさせたが、昼頃になると「2時から友達と遊ぶ約束がある」と言うので、午後は自由にしてやった。
妻の話だと、家に帰ってきてあわてて何人かと連絡を取り、むりやり遊ぶことにしていたようで、どうも「約束がある」というのはウソのようである。
まあ、そんなもんだろうな。