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被災4

王国編集部には初日の夜から電話を掛け続けていたのだがつながらず、心配をかけた。海から2kmしかない私の住所から考えて、かなり心配をされていると思っていた。

地震から3日め、公衆電話に1時間並んでやっと編集部に電話をし「私の追悼号は不要です」と無事を知らせた。

公衆電話の列に並んでいるときに見ていると、電話をしながら泣き崩れる人が何人かいた。次が私の番というときに、電話をしている人が話し終わって別のところにかけようとしたら後の方に並んでいたオバさんが「ひとり1件までですよ!」と怒鳴った。私は「そんなことありませんよ。複数のところに掛けたい人だっているんですから、手短かにすればいいじゃないですか」と言い、何人かがそれにうなづいたが「他にかけたいんだったらもう1回並んだらいいんですよ」とゆずらない。自分が1ヶ所しかかけたいところがないものだから、他人にはもう1回、1時間並んで掛けろと言うのだ。「みんな待ってるんですからね」とさもそれが公平なように言う。自分が早くかけたいだけなのだ。

無視して私は2ヶ所にかけた(本当は4ヶ所にかけるつもりだったが気まずくなってやめた)。

近所の八百屋でも、普段から自分勝手で有名だというおばさんがレジに横入りしようとして店員に拒否されていた。外国ならこういう人が多いのだろうが、日本ではごく少数だ。

被災3

翌朝、脱出方法について紆余曲折を経た後、昼頃、水の中を徒歩で脱出する方針となり、無事に水のないところにたどり着いた。

会社の前の道路は信じられないような光景で、製油所はまだ燃えていた。

3kmほど歩くと、自宅に水の来ていない同僚の家につき、彼の車で妻の実家に送ってもらい、すでにそこに避難していた妻子と会った。義母が泣いた。

被災2

夕方、近くの製油所が爆発音を立てながら燃え出した。信じられない光景で恐怖に身がすくんだ。爆発音は一晩中断続的に続いた。

他にも町の3ヶ所から火の手が上がり、逃げ出したいが逃げ出せない状況になった。そもそも、逃げるところがあるのかどうかも分からない。

ともかく、地震と津波に関しては比較的新しく大きな今いるビルより安全なところはないと自分に言い聞かせ、机の下に入って一夜を過ごした。途中、どこかから煎餅が支給されて数枚食べたが、緊張で食欲はなく、万が一のときの体力維持のために喉を通した。

このときキャラメルを2個確保し、何日か後にここを脱出して、15kmほどある妻の実家に歩いて向かうときのエネルギー源として取っておこうと決めた(結局その前に食べたが)。

被災1

私の職場は海から最短距離で1.5kmほどのところにある。これは被災後に地図で確認してわかったことであり、普段は直接見えないので意識をしていなかった。

防災班の指示で6階建ての建物に移動をして間もなく、構内にゆっくりと水が流れてきた。ゆっくりではあるが水かさの増し方が見て分かるほどのもので、そのうち、車が流されてきた。上流には社員の駐車場があったので(右の写真)、大半はその車が流れてきたのだが、市道から人が乗ったままの車があったかどうかはわからない。

構内での水位は1.5mぐらいのところで落ち着いた。

とにかく記録するしかないと思い、写真を撮ったのだが、無事に避難してから、その中の一枚に、沈みかけた車にしがみついている老人が映っているのがわかった。位置からして、翌朝、遺体となって発見された方だ。

胸が痛むとしか言えない。

無事でした

運よく死なずに済みました。

会社で地震に会い、社内防災班の指示に従って6階建ての建物に移って間もなく津波が来て1階の8割ぐらいいまで水が来ました。社員は全員が3階以上に避難していて無事でしたが、構内に駐車場から車が流されてきました。

流れが止まっても水は引かず、車の屋根などで助けを呼ぶ人がいて、社員が交代で0℃の水の中を泳いで助けに行き、3人は助けましたが、翌朝、一人が車の屋根の上で亡くなっていました。

家は海岸から1.5kmほど内陸にあるのですが、堤防の効果があって水は玄関の手前で止まりました。川の反対側は1階の半分くらいまで浸水したそうです。

現在はかなり内陸にある妻の実家に身を寄せています。

亡くなった方々のご冥福をお祈りいたします。

素行調査をするそうだ

出張先で見かけた趣きある広告だ。やけにひなびていて広告の内容も内容だけに心に訴えかけるものがある。なんだか懐かしい昭和の臭いがする。なぜか写真が外人なのがキュート(謎だ)。

あんまりこういうのは見たことがないけど、この辺りでは多いのだろうか。

一瞬「盗聴」や「盗撮」によって調査するのかと思ったが、そうではなくて誰かに盗聴や盗撮をされているのを調査するということだろうな。でも、探偵って調査のためには盗撮することもあるなあ。うーん、微妙。

「徹底対抗布告」するそうな

近所のドン・キホーテが、これまた近所にある「イエローハット店様」やら「カインズホーム様」やらに徹底対抗布告するそうだ。対抗するのは勝手なのでわざわざ「布告」するようなもんでもないように思うがどうだろうか。しかも布告すると言っているわりには自分の店に貼っているだけだし(当たり前だがな)。

まあ、「対抗」することを布告されても先方もどうしようもないわな。

そういうことを考えさせられるユーモアあるディスプレイであった。こういうのは面白ければ何でもいいわけでな。

「目が死んでる」

息子たちの高校受験が今日終わったので、ご苦労さん会に回転寿司に行った(長男と次男は双子である)。

食べ終わって店を出ようとすると、入り口にいかにも新鮮そうに魚が飾ってあるのに気がついた。

長男「あ、目が死んでる」
次男「いや、全身死んでるでしょ」

勉強で疲れた頭を休めて欲しいものだが、休めすぎが心配だ。

ウオッシュレットの悲劇

アメリカではウオッシュレットがあまり普及してないが、日本に来てウオッシュレットを使ったアメリカ人の多くがその便利さに驚嘆の声を上げる。中にはどうしても欲しくて、わざわざ取り寄せて設置する人もいると聞く。

数年前に死んだ祖母も「便利なもんだ」と喜んでいたのを思い出す。

私が初めてウオッシュレットなるものを知ったのは、たしか80年代末だったと思う。東京に遊びに行ったときに新宿駅の近くの公衆トイレにあったのだ。適当に入ったらなんとそこは有料トイレで、多少損した気分になっていたら、そういう装置がついているトイレだったので使ってみたのだ。初めての体験だったので、何かとてもくすぐったくて落ち着かなかったことを覚えている。我が家には今もウオッシュレットはないが、会社や公衆トイレなど慣れているのでそのときの感覚はもう思い出せない。

ウオッシュレットといえば失敗談がある。息子がまだ5歳くらいの頃、実家に行ったときに、息子をトイレに連れて行ってウンチをさせた後、ウオッシュレットを使って驚かせてやれと思い、スイッチを押したのだ。すると、息子の尻があまりに細くて小さいため、勢いよく噴出されたお湯は息子の尻をかすめて上空に跳ね上がり、私の顔にかかったのだ。考えれば容易に予想できたアクシデントだが、こういう、失敗しても致命的ではない程度に危険なことは、あえてやってみたくなるのであった。

おかげで息子の尻に湯を当てて驚かすつもりが、自分が「うわっぷ」と驚くハメになったのだった。