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壮絶!マニア合戦

全日本の最中、会場の近くの居酒屋で、特別濃い卓球マニアの方々と会合を持った。

左から、今大会副委員長だった日本卓球協会常務理事の沖さん、私、膨大な試合結果が頭に入っていてしばしば卓球王国に間違いを指摘する岡本さん、そして昨夏、マニアにもほどがある大著『卓球アンソロジー』を出版された田辺さんだ。

大会運営の苦労、インパクトでボールを見ることの真偽、卓球の起源など、話はバカみたいにあちこちに飛び、あっという間に4時間が過ぎ去った。

中でも印象深かったのは、田辺氏の深読み能力だ。女子シングルス決勝で伊藤美誠が10-0からサービスミスをした直後、平野美宇がネットインでボールを入れたのは、サービスミスへの返礼として、わざとネットミスをしてこのゲームを終わらせようとして間違って入った結果ではないかと言うのだ。これは思いつかなかった。

他にも映画『ミックス。』の話で、私が「主人公カップルが工事現場に来たときに、建設作業員がいきなり放水車で二人に水をかけるのはあまりにも不自然だし、ましてその場面を写真に撮っているわけがないのに、後でその写真が出てくるのはおかしい、脚本の辻褄合わせの手抜きだ」と言うと、田辺さんは「私はごく自然に思いました」と言う。

田辺さんの解釈では、新垣結衣があまりにいい女なので、水をかけてびしょ濡れにしてその場面を写真に撮るは当然で、建設作業員はそれを楽しんだのに違いないと言う。ホントかよ。そんな恐ろしい脚本だったのか。深読みと言おうかパンクと言おうか、私の想像力の未熟さを感じさせられた一件であった。

なお、隣のテーブルには、男子シングルス決勝で主審を務めた今野啓さんが偶然入ってきて別メンバーとともに陣取ってジャッジ論について唾を飛ばしており、狭い部屋が卓球一色に染まったことをつけ加えておく。

壮絶!フェアプレー合戦

フェアプレーのことを書いていたら、以前思いついて原稿を書くのを忘れていたネタを思い出した。その名も「壮絶!フェアプレー合戦」だ。

フェアプレーで名高いサムソノフとボルが、メダル獲得の可能性が消えたあと、どうせならと密かにフェアプレー賞を狙って対峙した。

思った通り、ボルのボールがエッジかサイドか微妙な判定となったが、互いに一歩も譲らす「自分のミスだ」と主張し、ついにはサービスミスをし合うという話だ。

当然制限時間の10分を越えて促進ルールが適用されても無力だ。なにしろお互いに延々とサービスミスをするものだからジュースの繰り返しとなり、促進ルールなど屁のつっぱりにもならない。

最後に、サムソノフが奥の手を思いつく。バッドマナーでレッドカードをもらって失格になることでボルに勝ちを譲るのだ。突然、口ぎたない言葉で罵りそこら中に唾を吐きかけてレッドカードを狙うサムソノフ。サムソノフの悪だくみに気がついて負けじと短パンを脱ぎ始めるボル。

しかしとき遅く、一足先にマナーを悪くしたサムソノフが見事レッドカードを食らい失格となり、ボルの勝利となった。

フェアプレー賞どころか、両者とも6ヶ月の国際試合停止の謹慎処分を受けたことは言うまでもない。

「フェアプレーとは何か」という根源的なことを問いかけるふりをした単なるバカ話だ。そのうち雑誌に書くのでお楽しみに。

人間能力の限界のフェアプレー

卓球界には語り継がれるべきフェアプレーがいくつもある。

私を文筆業に導いてくれた恩人でもある藤井基男さんの『元気が湧く43の話』(日本卓球株式会社刊)から紹介する。

それは1979年世界選手権ピョンヤン大会でのことだった。男子団体で準決勝進出をかけて日本とスウェーデンが激突した。力は互角だった。

勝負を分けたのは、前原正浩vsステラン・ベンクソン。第1ゲームで前原が19-17とリードした場面で、前原の強打がオーバーミスとなり、19-18となった。すると、ベンクソンは前原のボールがエッジで入ったことを審判にアピールし、スコアは20-17となり、ベンクソンは敗れ、結果、スウェーデンは3-5で日本に敗れたのだった。

後年の1998年に、藤井さんはベンクソンにそのときの話をすると「15歳のとき、大会でシェル・ヨハンソンを見て感動した。そこで私はフェアプレーがどれほど大切なものであるかを学んだ。前原と対戦したときも、学んだとおりにやった」と語った。

そのヨハンソンのフェアプレーとは次のようなものだ。

1967世界選手権ストックホルム大会で、ヨハンソンは男子シングルス1回戦でソ連のゴモスコフと対戦した。ゲームカウントが2-0でゴモスコフのリードとなり、3ゲームめも20-19でゴモスコフがマッチポイントを握った。

次のボールがエッジなのか微妙なボールとなったが、審判はヨハンソンの得点として20-20となった。ところがヨハンソンは「今のは自分の得点ではない」とアピールし、握手を求めてゴモスコフに歩み寄った。敗れたヨハンソンにはスタンドから割れんばかりの拍手が沸き起こり、ユネスコから国際フェアプレー賞が贈られた。

これが、荻村伊智朗が朝日新聞の世界選手権観戦手記に「人間能力の限界の風格を持つ」と紹介されたシェル・ヨハンソンである。この大げさな比喩も素晴らしいがたしかにこれは人間能力の限界と言えるフェアプレーだろうと思う。

指導している選手がそういう試合をしたら「せっかく得点したのにバカッ!」と怒らずに「立派だ」と褒めることができるだろうか。たぶん私はできないだろう。

同じく1967年にモントリオールで開かれた国際大会のとき、優勝争いのリーグで、高橋浩、福島萬治、エバハルト・シェラー(西ドイツ)の首位争いとなった。高橋と福島の試合が最後に残ったが、高橋はすでに優勝の見込みはない一方、福島は高橋から1ゲームとれば優勝が決まる。高橋は2-0で勝っても0-2で負けてもどのみち3位だ。おまけに高橋と福島は同じシチズンの同僚なのだ。

誰もが福島の優勝を確信したが、高橋は全力でプレーして福島を2-0で破り、シェラーの優勝が決まった。高橋のプレーに感動したのはシェラーだけではなかった。

「読み返しているうちに、なぜか涙が出てしばし止まらなくなった」と藤井さんは結んでいる。私も書いてて目頭が熱くなった。

不要なマナー

昨日終わった全日本の女子シングルスの決勝の3ゲーム目で、非常に奇妙なマナーが見られた。

伊藤が大量にリードして、スコアが10-0になって、あわやラブゲームになりそうなところで伊藤のサービスになった。ここで私は、最近テレビで取り上げられる卓球のトリビア「ラブゲームで勝ってはいけないという暗黙のルール」を思い出し、やるんだろうなあと思った。隣にいた佐藤祐も「さあどうする」とつぶやいたので同じことを思ったのだろう。

直後、伊藤はサービスミスをして、会場に拍手が沸き起こった。

なんだろうこれは。そもそも卓球界にそんな「暗黙のルール」はない。暗黙であるかぎりルールではあり得ないから、言うとすれば「暗黙のマナー」だろう。

しかしこれのどこがマナーだろうか。もちろんこんなマナーは前からあるものではない。スポーツである以上は、どんな状況であっても全力で点を取りに行くことこそが相手を尊重することでありマナーであるに決まっている。

それをいつの間にか中国選手がやるようになっただけのことだ。0点で勝って相手の面子を潰さないようにとの配慮らしい。しかし誰にでも故意とわかるサービスミスをしてもらって、ほんの少しでも面子が保たれるだろうか。

文化の違う中国人はそう考えるのかもしれないが、日本人の感覚ではそうではあるまい。むしろ絶対に逆転されないという慢心の表れとも言えるから話は逆のはずだ。もしも、10-0になった途端、勝っている方がレシーブからロビングを上げたら、相手はバカにされていると思うだろう。故意のサービスミスやレシーブミスは問答無用で相手に点を与えるのだからそれより酷いのだ。

記録に残るスコアが11-0では可哀そうだというなら、中国国内リーグだけ1-1から試合を始めればよいだけだ。

世界一強い中国選手がやるからといって、不合理なマナーに日本人が付き合う理由はどこにもない。

ましてそれをトリビアだなどといって「タオルで汗を拭くのが6本毎」と同じレベルで「0点で勝ってはいけない」とテレビで宣伝するなどとんでもないことだ。

おかげで観客は拍手をして伊藤のサービスミスを讃えた。しかし、讃える理由などない。10-0から1点を与えても伊藤には何のリスクもないし、暗黙のルールだと思っているから機械的にやっただけだ。

逆に、男子シングルス決勝の4ゲームめ、10-1からのラリーで張本のサービスがレットとなった。このとき張本は、ボールが自分の顔に当たったことを自ら審判にアピールし、審判はこれを受け入れてスコアを10-2に訂正した。フェアだ。しかし、ここで観客はまったくの無反応だったのだ。

静まり返った会場で、審判の声「レット、10-1・・・・・10-2」という声も聞こえていて完全に状況はわかっているはずなのにだ。これこそ賞賛されるべきなのに。

恐らく観客の伊藤への拍手は、マナーを讃えたのではなく、テレビで見たトリビアの実演を目撃できたことが嬉しかったことの表れなのだろう。

卓球界のマナーとして昔からあるのは、審判のミスによって自分に点が入り、それを審判にアピールしても受け入れられなかったとき、次のボールをわざとミスするというものだ。やる人もいればやらない人もいるが、勝負を決する大事な場面でこれをやる者は、万雷の拍手を受ける。

誰だった忘れたが(ボルだったかサムソノフだったか)、マッチポイントを握られている状態で、相手のボールがオーバーし、審判はその選手に点を入れた。しかしその選手だけは相手のボールがエッジで入ったことがわかっており、静かに相手に歩み寄り握手を求めたのだった。

どんなことをしても勝ちたい勝負がかかった場面でのこのような行動こそが讃えられるべきなのだ。ほとんどの選手はこんなことはできないだろう。しかし、だからこそ人を感動させるしいつまでも讃えられるのだ。

そのわりに名前を忘れたが。

ナマコをかじった男

DVD『ザ・ファイナル2018』の撮影に今週から東京に来ている。

ついでに、前に勤めていた会社の同僚と食事をした。

嫌いな食べ物の話になり、私がナマコが嫌いであることを話すと、釣りが趣味だというTさんは、なんと海で釣りのついでにナマコをつかまえてかじってみたことがあるという。

「あまり旨くなかったね」

とTさんは語るが、泳いでいるところをいきなりかじっておいて「旨くない」とはなんと失礼な話だろうか。食べるなら切るとか味をつけるとかにしてからにしてほしいものだ。

それをいきなりかじって「旨くない」だ。

この話には、さんざん食い散らかした料理の残骸の写真がふさわしいだろう(本当は撮影を思いついたのが遅かっただけだが)。

誰もインパクトを見ていなかった

それは『天下の達人!4本勝負』というテレビ番組だった。日付ははっきりしないが、調べてみると、1992年4月4日から1993年3月27日まで放送された番組(ウィキペディアは便利だ)のようなので、TSPトピックスでの論争からさほど時間が経っていないと思われる。

その番組で、元世界チャンピオンの長谷川信彦が卓球の達人として取り上げられたのだ。長谷川のロビングや3球目ドライブなど、まさに達人といえる技が紹介されたのだが、その中で、ラリー中の長谷川の顔がアップになる場面があった。

当然私は録画をしてあったので、その場面を使って、長谷川がインパクトを見ているかどうかを、その視線で確かめることを思いついた。

1コマずつ送りながら、私はテレビの前で「あーっ!」と声を上げた。

本当に声を上げた。

長谷川は、ボールがネットを超える当たりまでは確かに顔の正面でボールを見ているようだが、その後は、顔だけがボールを追い、視線はネット付近に固定されたままだったのだ。

長谷川は、卓球界では自他ともに認める基本に忠実な選手であった。「私は咳をするときでもゴホンゴホンではなくキホンキホンと咳をすると揶揄される」と自分で言うほど基本に忠実であることを自認していた。当然、顔の正面でインパクトを見ることの必要性を誰よりも強く主張していた。ほとんど後ろを見ているほどの首の動きにその意識が明瞭に表れている。

その長谷川がボールを見ていないのだ。しかもこれは実戦ではない。ワンコースのピッチ60回/分の緩いフォア打ちで連続して何本もこの目の動きなのだ。

それは、私がそれまで漠然と感じていた不安が現実のものになった瞬間だった。

実は私はそれまでも、卓球選手がインパクトを見ている写真がないことには気がついていた。にもかかわらず、なぜインパクトを見ることが正しいと思えたかといえば、撮影タイミングの問題があったのだ。

静止画で撮影する場合、ちょうどインパクトをとらえることはかなり難しい。しかもそれがわかるのは現像しプリントしてからなのだ。そのため、インパクトの瞬間をとらえた写真はほとんどなく、インパクト直前か直後であることがほとんどだったのだ。

よって、それらの写真の視線が前方を見ていたとしても、旧来の常識を信じたい私は「これはインパクトではないからだ、インパクトの瞬間にはきちんとインパクトを見ていたはずだ」と考え、常識を疑うことを避けていたのだ。

「人は自分が見たいことだけを見る」心理が働いていたわけだ。

動画をコマ送りして、長谷川がインパクトを見ていないことがわかると私はすぐさま200冊を超える蔵書のインパクト付近で視線がわかる写真をかたっぱしから調べた。

当の荻村伊智朗を始め、インパクトを見ている写真は皆無だった。

そう、卓球界では大昔から、インパクトを見ている選手はいなかったのだ。

そこで私は、自分がどうなのかを撮影してみて愕然とした。私はインパクトを完全に見ていた。これは自慢ではない。才能がないということなのだ。

一流選手たちは「インパクトを見よう」という意識さえも裏切って「インパクトを見ていては卓球などできない」ことを体が判断し、現代と同じ実用的な目の使い方をしていたのだ。

それを言葉通りに真に受け、愚直にも実行していたということが才能がないということなのだ。

この顛末を私はかなり前の『奇天烈逆も~ション』に書いた。さして話題にもならなかったが、これが「卓球選手は大昔からインパクトを見ていない」と活字にした日本で最初である。

2回目はそれを書籍化した『ようこそ卓球地獄へ』だから、ほとんどの卓球人は未だに間違った伝説を信じているものと思われる。

「インパクトを見る」ということを論じるのなら、最低でもこれくらいのことは調査してからにしてほしいものだ。そりゃ無理か。

荻村伊智朗の反論

それは1992年5月号に『目の技』という特集で、1月号に対する「より深い考察」と「軌道修正」として荻村伊智朗の文責で掲載された。

荻村は、現代卓球ではインパクトを見るのは無理であることを認めつつも、インパクトまで顔の正面で見ることのメリットとして

①アゴを引くことにより姿勢がよくなる

②体の前で打球するようになる

③初心者がミスをしたときにラケット角度の調節がしやすい

④イレギュラーバウンドに対応しやすい

を上げて、その必要性を説いている。このような理由で、インパクトは見なくてはならない、しかし極端に予測能力が高い人や熟練者は見ない場合もあるとした。

あくまで原則としては「見るべし」というスタンスで、その実例の写真をちりばめ、あとはあらぬ方向を見て相手にフェイントをかける技術など、議論の焦点を外したことを紹介して特集は終わっている。

師匠の荻村伊智朗に押し切られた形だ。

世界選手権で12個の金メダルを獲り、国際卓球連盟会長(それにしてもなんという肩書きだ)の男にこれ以上逆らえるはずもない。

しかし、荻村の主張はいずれもかなり苦しいと言わざるを得ない。

①姿勢をよくするためにボールを見るのなら、姿勢が良ければ見る必要はないことになるし、そもそもアゴを引くことが万人の卓球にとって有利かどうかもわからない。劉南圭はほとんど斜め上を見ながら恐らく史上最速のドライブを打って初代五輪チャンピオンになっている。

②は本末転倒だろう。体の前で打ちたいなら打てばよいのであり、インパクトを見たいがために前で打つのではない。その証拠に、80年代までの日本選手は思いっきり首を回してインパクトを見てなおかつ体の横、ときには斜め後ろで打球していたため、顔が斜め後ろを見ている選手さえ普通に見られた。インパクトを見ても打点は変わらないのだ。

③も無理だろう。飛んできたボールを目で追ってきて、突然それと逆方向に動いて衝突するラケットの角度を視認できると思う方がおかしい。初心者であっても、途中までのボールの軌道と手の感覚から角度は調整できるし、その方がラケットの角度を視認するよりはるかに簡単だろう。実際、そうだから現代、誰もそれで困っていないのだ。

④これは統計はないが、もしかするとインパクトまで見た方が有利かもしれない。もっともそれは「本当にボールを見ていれば」の話だ。

かくいう私も、1月号で目から鱗が落ちて初めてこのような感想を持てたのであり、その前までは完全に旧来の理屈を信じていたので、後輩にもインパクトを見ろと教えていたし、インパクトを見ないで弱い選手がいると「だからダメなんだ」と思っていた。

この特集から少し後、旧来の選手たちも、インパクトを見ているようでいて実はほとんど見ていなかったことが判明する。もともと見ていなかったのだから、いくら見た方が良い理屈を並べても、それらはすべて無意味だったのだ。

ボールを見るということ

1980年代までの日本の卓球界では、インパクトまで顔の正面でボールを見ることが正しい基本とされていた。インパクトまでボールを見るのはもちろんのこと、横目で見ると遠近感が狂うので、顔の正面でボールを見なくてはならないという理屈だった。

そのため、正統派の指導を受けた選手たちは中学生も高校生も例外なく首を回して顔の正面でインパクトを見ていた。

ところが1990年代になると、あまりにラリーが速くなり、そのラリーを実行している中国やヨーロッパの選手たちがさっぱりインパクトを見ていないことが目立ってきて、次第に日本選手もインパクトを見なくなり、今では美誠パンチに限らず、ほとんどの打法で、インパクトを見なくてもよいことが常識となっている。

「首を回してインパクトを見る必要はない」ということを日本で初めて活字にしたのは、かつてヤマト卓球株式会社(現ヴィクタス)が発行していた「TSPトピックス」という雑誌だった。現卓球王国編集長、今野さんが編集していたものだ。

それは1992年1月号に掲載された「ボールを見て打つのウソとホント」という特集だった。

 

これは、現代卓球ではインパクトを見る必要がないことを数々の写真でこれでもかというほど実証するものだった。トップ選手の誰もインパクトを見ていないことの動かぬ証拠が写真に写っているので、その説得力は絶大だった。

この記事の衝撃は大きく、まさに当時の読者の目から鱗を落としたものだった。実際の全国の読者の反応は知るよしもなかったわけだが、私の周りの2、3人がそうだったので間違いない(笑)。

これが旧来の卓球人にとって、いかにセンセーショナルな記事だったかを物語るのが、次のエピソードだ。

この号が出るやいなや、今野さんは、今野さんの卓球の師匠かつ当時国際卓球連盟会長だった荻村伊智朗に自宅に呼びつけられ「何を考えてるんだ!」とものすごい剣幕で怒られたというのだ。

そして荻村は、その年の5月号に大々的な反論の記事を寄せることになる。

美誠パンチの秘密

NHKスペシャルで東京五輪での活躍が期待される若手選手の技術を解析していた。

卓球からは伊藤美誠の「美誠パンチ」が取り上げられていた。こういう番組で卓球が取り上げられるようになったのだから大したものだ。

吉田和人さん(ITTFスポーツ医科学委員)の解説がやたらと知的で格調高くカッコよかった。素晴らしい。

さて、NHKが高速度カメラを使って分析して明らかとなった美誠パンチの秘密は、以下の3つだった。

1.ドライブに比べて回転量が少ない

2.台の近くで打球しているので相手に与える時間が少ない

3.インパクトでボールを見ていない

なるほど。完全に正しい。正しすぎる。さすが高速度カメラだ。

全日本も始まることだし余計なことは言うまい(笑)。

美誠パンチの威力はよいとして、私としてはそれのどこが難しいかも知りたかった。

たとえば、回転が少ないとボールは直線的に飛ぶので入る確率が小さく、美誠パンチを成功させるためにはラケットの角度のブレが許されるのが何度くらいなのかだ。当然、それはドライブよりはるかに狭い範囲となるはずだ。

他の選手より台の近くに立ち、少ない持ち時間で相手のボールに適した正確なラケットの角度を出して強く振ることができるところが伊藤の凄いところなのだから。

なお、番組では「美誠パンチの少ない回転量が独特の軌道を生むため相手が反応しずらくなる」としていたが、そうではなくて単にボールが速いから反応しずらいのだ。

あの程度のゆるい回転量のボールは、練習でもっとも多く使われる普通のボールであって「独特の軌道」とは程遠い。少ない回転量に威力があるとしても、それはラケットに当たった後の反射角度に影響を与える点あり、間違っても軌道ではない。

卓球選手にとって軌道の変化は対応できるのでさほど問題ではないのだが、テレビはなぜかいつも回転の威力を軌道に結び付けたがる。他の競技よりもボールがぐにゃぐにゃ曲がるのでそこに目を奪われることと、画面で表現しやすいためだろう。

結果、「水谷のナックルドライブは軌道が跳ね上がるために相手がネットミスする」などというものの見事にわけのわからない解説となる(2010/9/27参照)。

やっぱり余計なことを言ってしまった(笑)。

それにしても、毎日のように卓球がテレビで取り上げられるので、ネタに困らない。なんと楽しいことだろうか。

どちらが卓球エリートなのか

早田ひなの人気が凄い。

特に、卓球をあまり知らない一般の方からの評判が良く、立て続けに3回ぐらいお褒めをいただいた(卓球選手が褒められると自分のことのように嬉しいのでこういう表現になる)。

行きつけの居酒屋のマスターなど、とうに60を過ぎているにもかかわらず女子高生に対して「彼女はいいねえ、女優でも十分やっていける」などと何の眼力があってか断言していたほどだ。

早田と言えば、同学年の伊藤美誠と平野美宇と比べられることが多いが、早田にはこの二人と大きく違う点がある。両親が卓球経験者ではないことだ。伊藤、平野は小さい頃から特に母親から熱心に卓球を教えられて強くなったが、早田はそういう環境ではなかった。

ある方にこのようなことを言うと「卓球エリートばかりが活躍していてはつまらない、早田のような異色の選手にも活躍してほしい」と言われた。

実際には早田も両親こそ卓球人ではないが、4歳から名門石田卓球に通っているのだから、似たようなものではある。

しかし、この意見には考えさせられた。仮に早田が伊藤や平野と違い、小学5年生から卓球を始めて今の実力になったとしよう。あり得ないことだが仮にの話だ。

すると、早田は明らかに少ない練習量でトップレベルになったということになり、とんでもない天才だということになる。

逆に、伊藤、平野こそ、天才どころか努力の人であって、本来、日本人はそういう人こそ好ましいと思うはずなのだ。

そういう文化的下地があるにもかかわらず、うっかりすると後者の方が、雑草魂というか逆境を努力で跳ね返した人のような印象を持ってしまうことが、我ながら不思議だ。

その錯覚の原因を考えると、幼少時から卓球漬けという環境が、財産や家柄、能力や形態の遺伝といった「生まれながらのアドバンテージ」と重なってしまうためだと思われる。

実際には、スポーツは生まれながらのエリートはあり得ず(素質があっても最初からトップレベルではない)、誰でも必ずゼロからのスタートなので、幼少からやっている者こそ努力の人なのだ。

酔った頭でそんなどうでもよいことをぐるぐると考えさせられた(勝手に)ほどの早田の人気ぶりである。

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