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手術の麻酔

今回の手術では全身麻酔で眠らされた。麻酔に逆らうことは無理だと分かっているが、精神力でどこまで持ちこたえられるかを挑戦してみたが、まったく無力だった。

ベッドに寝かされて天井を見たまま廊下を移動する楽しい旅のあと、手術室に到着した。腕につけられていた注射針からなにやら冷たいものが入ってくるのが分かった。多分これが麻酔だろう。看護士たちが「バイクでどうやって転んだんだ?」とか「また行きたいか?」などと手術に似つかわしくない質問をしてくる。それが最後の記憶だ。全然勝負にならず。気がつくと手術は終わっていてもとの部屋のベッドに寝かされていた。麻酔が半分効いているので眠くて最高に気持ちがよかった。

18歳のときに自然気胸という肺に穴があく病気(病気というよりはもともと薄いところがあったのが弾みで破れるという、よくある病気らしい)で手術をしたが、そのときも麻酔に抵抗してみた。足から麻酔の注射をされると同時に「10まで数えて」と言われた。「なにを無意味なことを」と思いながら声に出して「1,2,3」と3まで数えたところまでは覚えている。その後、ずっと遠くから「伊藤条太くん」と呼ばれたのが聞こえて、ハッと気がついてかなり遅れて「はい」と返事をしたのが最後の記憶だ。多分、私が寝るまで何度も呼んでいたのに違いない。麻酔からさめたときは、とても苦しかった。というのも、口から食道まで長い管が通っていて、それが痛かったからだ。それがとれるまでの数時間が長かった。

これは初めて親元を離れた大学1年の6月のことだった。地元の中学の同級生の間では「条太は大学に行って急にタバコを吸いまくったために肺ガンになって、もうすぐ死ぬらしい」という噂になっていたと後で知った。だいぶ喜ばせてしまったようだが、あいにく今もアラバマで元気にしている。

王皓が暴行

ヤフーを見ると、なんと卓球の金メダリスト、世界ランク1位の王皓が、立小便を注意されたのに腹を立ててガードマンを暴行したという。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081012-00000020-rcdc-cn

王皓にそんな激しい感情があったのが不思議だ。おとなしくて言いたいこともいえない男という印象だったのだが。この記事につけられている写真、いかにもワルそうな表情の写真を注意深く選んでいるのが面白い。こういうところが記者の腕の見せどころなのだろう。(写真はリンク先の記事で確認してもらいたい)

それにしても王皓、小便しながら暴行したんじゃないだろうな。ひかかったりチャックにはさんだりしながら。ダメだこりゃ。もっとも、馬琳あたりだと「用を足そうとした」といっても小便じゃすまなさそうだが(その場合もちろんその遺留物は馬○と呼ぶべきだろうな)。王励勤はやるとしても屁ぐらいだろう。

刺青

怪我をしてすぐに近くの救急病院に行ってみてもらったのだが、担当医が二週間前に自転車レースで転んで鎖骨を折った人で「もうすっかり元気に仕事をしている」と言われ、とても勇気づけられた。骨が皮膚を突き破っていないので、処置は後日で良いらしく、その日は痛み止めの薬を出されただけだった。

骨折といっても、実はほとんど痛みは無い。鎖骨は骨折しても痛くないので有名らしく、「一ヶ所骨折を選ぶとすればそれは鎖骨だ」といわれるほどだという。たしかに動かさない限りはほとんど全然痛くない。だからもらった痛み止めは念のため仕事中は飲んだが、寝るときは飲まなくても平気だった。

翌日あらためて外科に行って、その翌日、つまり火曜に手術をすることに決めた。手術の担当医は普通にみえる白人だったが、右腕に日本語の刺青をしていた。どうせサインペンで書いたんだろうと思っていたら、なんと針を使って彫った本物の刺青だという。つまり一生消えないのだ。しかも彫ってあるのが「娘」「息子」「明快」「射手座」「天使」「心の友」である。ネットで意味を調べて日本語で刺青をしたのだという。わ、わからない。

星座など彫るくらいなら事故のときに備えて氏名、生年月日、血液型でも彫ったほうがよかったのではないだろうか。あと薬の量を決めるために体重。ついでに身分証明として運転免許証のコピーも彫ったれ。

怪我の顛末

オフロードのバイク乗りというのは初めてだったが、さらにクラッチ付のバイクに乗ったことは過去にほとんどなかったのがまずかった。コースにはジャンプ台がいくつもあってみんな軽々と5,6メール飛んでいるのですぐにできるもんだと思ったが甘かった。ジャンプ台の後が平らなら着地も楽なんだろうが、実際にはジャンプ台の前と同じくらい低く、うまくジャンプしないとつんのめるように前輪から着地し、あわや前転しそうになるのだ。それで、ジャンプをするのは諦めてそろりそろりとジャンプ台をやり過ごして、どうでもよい平地のカーブで間違って急ブレーキをかけて転んでしまった。

転んだ直後は特別痛くも無く、すぐにバイクを起こしてスタート地点まで運転して帰った。転んだのを見ていたカイルが「腕は上がるか」というので右腕を上げて見せた。しかし私は嫌な予感がしていて、あえて肩を触るのを避けていたのだった。覚悟を決めて触ってみると、案の定、折れた鎖骨が皮膚を内側から突き上げていた。

鎖骨が折れていることが分かった途端にショックで貧血になり文字通り目の前が暗くなってしゃがみこんだ。吐き気と便意が襲い、まともに話もできなくなってしまった。命に別状のない骨折ぐらい何でもないことだが、不注意で無駄な費用と時間をかけることになってしまったショックだ。

カイルが「これでお前も本当の男(リアル・マン)になったな」とか「保険料をいつも払ってばかりだと損だから、たまにはこうやって使う方がいいんだ」などと言うのを聞いているうちにだんだんと気が楽になり、やがて平常心をとりもどした。

一緒に行った子供たちが「お母さんが聞いたら何て言うかな」としきりに言うのが可笑しかった。私がこっぴどく怒られると思って心配しているのだ。そのくせ「もう帰らないとダメ?」などという。当たり前だ。

骨折

日曜に、オフロードのバイク乗りに行って転んで右の鎖骨を骨折した。せっかく四十肩が治りかかって卓球ができるかと思ったらそれどころではなくなってしまった。ポクポクと骨が折れたのだ。明日、ネジをつかってプレートで骨を固定する手術だ。なんとも情けなや。

家から職場までの道のり

よく他人の生活を写真で見ると、細部の様子は分かっても、なかなか全体像が分からないことが多い。いったい、普段どんなところでどんな景色を見て暮しているのか、家から街に行く過程はどうなっているのか、ということを知りたいと思ったりする。

このブログを読んでそう感じている人もいるかもしれないと思い、家から職場までの道のりを紹介してみることにした。

まず、団地を出てすぐの道路だ。ご覧の通りの田舎道だ。

一度右に曲がってしばらく走ると、片側1.5車線のちょっと広い道路に出る。中央の車線はなんと両者共通で、各自が左折したいときに相手の車を見ながらどっちが使ってもいいのだ。

このまま直進すると国道84号線という大きな通りにぶつかり、左に曲がって直進すれば職場だ。この84号線はご覧の通り信号もあり、中央分離帯はとても広い。しかし歩道はない。

私の職場はこの84号線沿いにあるので、正門を入ればおしまいだ。

家からここまでだいたい15分である。このような毎日を送っている。

人形俳句写真『円盤』『白梅』

とにかく次々と送られてくるのだから仕方がない。
今回のは意味が分かりやすく、情感もたっぷり出ていると思うがどうだろうか。

そうだ、今度、卓球のでも作ってもらおう!
誰のどんなシーンが絵になるだろうか。でも卓球台とか難しいので、プレー中は無理だろうな。馬琳とか王皓がベンチで考えているところとか落ち込んでいるところかな。

人形俳句写真『電源』『楽団員』

電源の俳句の意味がさっぱりわからないが、ともかく部屋に電源のひとつぐらいはあるのだろうから、写真とまったく関係がないとはいえまい。どうせもともとの俳句自体に意味はないらしいので、解説はこれくらいでいいだろう。楽団員の方は、バックに戦艦が見える。そう、義姉は広島在住なのだ。いずれの写真も何か訴えるものがある。

ときどき「写真の文字が小さくて俳句が読めない」という人がいるが、写真をクリックしてくれれば画面いっぱいに大きくなるのでやってみてください。

ウンコの脅威

今日は特別に汚い話なので、好みではない人は読むのをご遠慮願おう。

私は小さい頃からウンコというものの身も蓋もない汚さに脅威を感じていた。恐怖さえ感じていたといっていい。この汚さに自分の気持ちが乱れるのが悔しいのだ。世の中に当たり前に存在して、医者や汲み取り業者ならなんでもないこの程度のものに対して、平然としていられないことが悔しいのだ。

用具マニアの杉浦くんも、ウンコについてはなみなみならぬ恐怖をもっているようで、何度も不愉快な夢を見ると言う。トイレでウンコをした後、水を流したはいいが配管がつまり、どんどん水位が増してきてしまいには便器からあふれ出す夢だ。この話を聞いて以来、私もその最悪の状況を思い描いては不愉快な気持ちと戦っていたのだが、ドーサンにきてから現実に経験してしまった。アトランタのホテルで、部屋のトイレが詰まったのだ。詳しくは書かないが、すぐに部屋を替わってもらったとだけ書いておこう。

私もウンコに関連する不愉快な夢をよく見る。会社の洋式便座でウンコをしていると、突然、個室の戸が開いて、当時同僚の阿部さん(2007/8/9参照)が狭い個室にむりむり入ってきて、あろうことかズボンを下ろしてそのまま私の膝の上をまたいだのだ。隣の便器に行くためだと言う。いかにも夢らしいつじつまの合わない話だ。しばらくは阿部さんを見ると、この不快な夢を思い出して「またぐなよ」と思ったものだ。

夢ではなくて実際に体験した最悪ケースは、学生時代に遡る。休日に研究室にいたのだが、その日は研究所全体が断水だった。ところがそれを忘れた私はトイレでウンコをしてしまったのだ。当然、水が流れないので、トイレ中が大変な臭いに包まれた。幸い休日だから学生も職員もほとんどいないとはいえ、何人かはいるわけで、とても申し訳なく恥ずかしい思いをした。断水は数時間で解除されるはずだから、それまでの間、気が気ではなかった。やっと断水が解除されたことを知って、大急ぎでトイレに向かってほっとしながらレバーを押した。すると、断水後の初めての使用だっため、水が出る前に空気がプシューッと勢いよく吹き出し、その風圧で粉々に飛び散った自分のウンコを、頭から足まで全身に浴びてしまったのだった。あんなに恐ろしい思いをしたことはない。ミスがミスを呼んだ最悪の事態であった。とはいえ、別に死ぬわけでもなし、珍しい経験をしたことでちょっと得意な気持ちにもなったものだった。それにしても他人にかけてしまわなくてよかったとつくづく思う。皆さんも断水中のウンコにご用心。

愛と平和の人

下の記事にある『ジョンの魂』を発表した頃のジョンのインタビュー集から発言を抜粋してみよう。

「私のような人間は、自分が持っている天才的な才能に、10歳とか8歳、9歳ころに気づくのですが・・天才である自分をなぜ誰も発見してくれないのだろうと、私はいつも不思議に思っていました。学校では、この学校で誰よりもかしこいのは自分なのに、みんなそのことがわかっていないのだろうか、と考えていました。先生は馬鹿だということもわかっていないのだろうか、自分には知識など必要ないのだが、その不必要な知識だけしか持ち合わせていないのが先生なのだが、それに気づく人はいないのだろうか、と私は考えていました。」
「私は自分がアーティストであることに憤慨していますし、そういう意味では、なにも知らない馬鹿な人たちのためにパフォームすることに憤りを覚えます。そういう人たちはなにも感じることができないのですよ。感じているのは、私です。」
「いざアメリカへ来てみると、みんな馬鹿みたいなバミューダ・ショーツをはいて歩いていて、髪はボストン・クルー・カットで、歯にはブレースをはめていたのですよ。(中略)女の子たちは、1940年代の馬みたいで、ドレスに対するコンセプションとか、そういうものがまったくなくて、なんという醜悪な人種だろうかと、私たちはただそう思ったのです。」

これは何だろうか。虫の居どころが悪かったとはいえ、ジョン・レノンとはこういう人なのだ。完全にイカれていると言っていいだろう。では歌はどうか。愛と平和の象徴とされているアルバム「イマジン」の『真実が欲しい』という曲の歌詞は次のようなものだ。

「視野も心も狭いケチの偽善者の言うことは聞き飽きてうんざりだ/ぼくの欲しいのは真実だけだ/すこし真実をくれないか/神経症で分裂症でブタみたいに馬鹿な政治家の書くことは読み飽きたんだ/ぼくの欲しいのは真実だけだ/すこし真実をくれないか」

といった調子だ。他にもポールマッカートニーをさんざんこき下ろした歌「ハウ・ドゥ・ユー・スリープ?」というのも入っている。一面的な『愛と平和のジョン・レノン』という宣伝だけを鵜呑みにしてCDを買った人は「なにこれ?」と思うに違いない。ジョン・レノンってそんなに良い人でも聖者でもないのだからデタラメを書くのは本当にいい加減にしてほしい。ソロアルバム「トゥー・バージンズ」では、ヨーコと二人そろって股間丸出しの全裸写真をジャケットに使って顰蹙を買ったり、愛もへったくれもない異常者なのだ。バカバカしい偉人扱いするのはやめよう。彼はただ音楽の天才だっただけのことで、そのことだけが十分に素晴らしいのだ。