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卓球の神様に選ばれし男

下で紹介したリフレックス・スポーツの映像だが、なんだか異常なプレーに見えた人も多いだろうと思う。

それもそのはず、映っているのはスウェーデンの天才、卓球の神様に選ばれし男、ヤン・オベ・ワルドナーの特集だからだ。世界選手権に初めて登場した1983年以来、実に20年以上も世界のトップにい続けて5世代の中国選手と戦い、現代卓球を変えてしまった男。100年に一人の天才。つまりこれは普通の卓球選手の映像ではないのだ。

この男の卓球は他の誰とも違う。似た選手がいない。あれほど速いボールを打ち合っているというのに、まるで歩いているかにみえる予測能力と完全にリラックスしたフォーム。何もかもが違う。

もしワルドナーがビデオもフィルムもない時代に活躍した選手だったら、そのプレーを見た人がいくら説明しても「そんなプレーありえないだろ」と信じてもらえなかっただろう。我々は彼のプレーを映像でみることができるだけでなく、生で見ることさえできたのだ。こんな選手と同じ時代に生きられたことを本当に幸せに思う。

カメラ位置

ゲストブックに北京オリンピックの日本男子の香港戦を見た感想をいただいた。カメラ位置はまだ高いが十分に迫力があったとのこと。

カメラ位置については、何度かテレビ局にアドバイスしたのだが、聞き入れてくれなかった。私が考える理想的なカメラ位置は、できるだけコートに近く(台の両サイドが放射状に見えるくらい)、ネットの上部と向こう側コートのエンドラインが重なって見えるくらい低い位置だ。アメリカのリフレックス・スポーツの映像を見ればわかる。
http://jp.youtube.com/watch?v=cWGVoT4L9DA
これはリフレックス・スポーツのDVD『More From Wonderful World of Table Tennis』の一部分だが、リフレックス・スポーツのGary Ruderman自身が撮影したものと、テレビ局から買ったものが混在して編集されている。Rudermanが撮影したものは、カメラ位置がコートに近くて低いのでひと目でわかる。そして、それらの映像の迫力が段違いなのは明らかだ。それに対してテレビ局の映像のひどいこと。高くて遠くから撮影しているので、ぜんぜん迫力がなく、選手も小さく、ボールの上下の軌道もわからない。その上、フロアからアップで撮影しているカメラはボールをいちいち追うので、スローが見づらいことこの上ない。卓球ではカメラは決してボールを追ってはいけないことも分かっていないのだ。よいスロー再生を見せたかったら、ボールを追わず、ボールが来そうなところにフレームを固定して待つしかないのだ。

日本男子の試合をリフレックス・スポーツのように撮影して放送してくれたらどれだけ凄いことになるんだろう。

それにしても、日本男子、香港に勝つとは凄い。しかも3-0。凄すぎる。

日本女子0-3韓国

昨夜、家に帰ってからオリンピックのタイムテーブルを見ると、日本女子対スペイン戦をやってる時間だった。さっそくITTFのライブスコアリングを見ると、とんでもない試合になっている。4番の福岡なんて最終ゲームでジュースが5回も続き、17-15で敗れる大接戦だ。緊張で具合が悪くなる。広州のとき、私の速報を読んでいた人たちの気持ちがよくわかった。

ずっとパソコンに張り付いてせわしなくクリックするのもいい加減つかれるので(定期的な自動更新を待てないのでほぼ5秒おきにクリックするのだ)、ついには途中から見るのを止めた。後で見ると、5番の福原も最終ゲームまでもつれてやっと勝っていた。参考までに卓球王国速報ページの結果を載せておく。

日本 3-2 スペイン
福原 -7、6、-3、8、-3 ション・イェンフェイ○
○平野 8、11、-8、4 朱芳
○福岡/平野 5、1、4 ドボラク/朱芳
福岡 10、7、-7、-9、-15 ション・イェンフェイ○
○福原 6、6、-6、-7、7 ドボラク

勝ってくれる分には、見るている方は競れば競るほど面白い。なんてスリリングなのだろうか卓球は(見てもいないんだけど)。

今朝起きてみると、その後に行われた韓国戦は終わっていて、0-3で負けていた。この後、同メダル獲得トーナメントに回る。がんばってほしい。

古語

北京オリンピックの話を少し書きたかったがさすがにアメリカにいたままでは何も思いつかないのであきらめた。

そこで古語の話だ。奈良時代には「はひふへほ」と書いて現代の「ぱぴぷぺぽ」と発音していたことをご存知だろうか。

私が不思議だったのは、研究者はいったいどうやってそんなことを知ったのかということだ。いくら当時の文献を見ても「はひふへほ」としか書いていないわけだから、直接当時の音を聞かない以上、そんなことは知りようがないはずではないか。

ところがその方法があったのだ。キリシタンなどの西洋人によってアルファベットで書かれた文献を研究したのだ。なんと巧妙なのだろう。

当時、「はひふへほ」を「papipupepo」と発音していたのは分かったとして、それでは「hahihuheho」はどう書いていたのだろう。当時の日本の言語体系にそういう音はなかったのかもしれない。そしてもちろん「ぱぴぷぺぽ」という文字もなかったんだろう。

ちなみにその後、平安時代には「はひふへほ」はfafifufefoに変わり、江戸時代に現在のhahihuhuhehoになったそうな。キリシタンも良いことをしてくれたものだ。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E8%AA%9E#.E6.AF.8D.E9.9F.B3.E3.83.BB.E5.AD.90.E9.9F.B3

北京オリンピックと遠く離れた話でした。

人形俳句写真『さくら』『団地』

肝心の俳句がないが、一応、同じシリーズということで。題は私が勝手につけてます。

「今の時代は閉塞感がある」という言い方がよくあるが、どうも私はこれが嫌いだ。昔の人が閉塞感が本当になかったのかもわからないし、「閉塞感」という言葉があるからそういえばそうだと思っているだけのような気もする。

また、以前は閉塞感よりも大変なことがあって、そんなことを問題にする必要がなかったのかもしれない。

そう思う理由は、今の方がなんでも好きにできる自由な時代だからだ。それでもなお、今の時代の方が閉塞感があると人々が感じるのが事実なら、それは、人は自由に耐えられないということだろう。自由であるがゆえにすべての結果の責任が自分にかかってきて、それがかえって窮屈なのだろう。昔なら身分のせいだとか、家のせいだとか言えたものが、今は基本的に機会は平等だから、結果はすべて自分のせいになる。自由がかえって窮屈だとは面白い理屈ではないか。

以上、人形俳句写真とは関係ありません。

北京五輪

卓球王国発行人の高橋さんがいよいよ北京入りしたようだ。http://blog.goo.ne.jp/paco-kaz/いろいろな写真を見ていると、2月の広州世界選手権がまざまざと思い出される。

今回はオリンピックでしかも北京だ。その会場の興奮たるやものすごいだろう。卓球は中国の国技だ。3-0で11-2で圧勝でも観客は中国コールで騒然となる。やはり行くべきだったか・・。日本のメディアは日本選手が負けてもこの卓球競技のすさまじさをテレビで伝えてくれるだろうか。

生きているうちに二度とないかもしれない中国でのオリンピック。もしかして私は取り返しのつかない失敗をしたのではないだろうか。

悔しいので、このブログで細々と五輪に関係のあることを書いていこう。

北杜夫

北杜夫の『どくとるマンボウ航海記』を読んだ。さすがに感覚がちょっと古いとは思うが、そでも十分に面白く、何度か声を出して笑った。

北杜夫は感心なことに卓球でインターハイに出たことがあるという。しかも大学は私と同窓だ。これで親近感がわかないはずがない。

本の中で壊血病についてのくだりがあった。興味深く思ってネットで調べてみるといろいろなことがわかった。http://ja.wikipedia.org/wiki/壊血病 壊血病とはビタミンCの欠乏によって引き起こされる病気だが、ビタミンCというものが発見される前は、多くの船乗りがこれで命を落とした。バスコ・ダ・ガマの航海のときには実に180人中100人が壊血病で死に、海賊よりも恐れられたという。

そのうち、塩漬け醗酵キャベツ(ザウアークラウト)やライムで壊血病の予防をするようになるが、その名残でアメリカ人はイギリス人のことをライム野郎(limey)、ドイツ人のことをキャベツ野郎(kraut)と言うのだそうだ。

ちょうど映画『燃えよ!ピンポン』のDVDが届いたのだが、見ているとアメリカ人がドイツ代表の選手に対して「このキャベツ野郎!」と言っているシーンに出食わして嬉しくなった(周りのアメリカ人に聞くと、やはりlimeyもkrautも知っていたが、なぜそういうかは誰も知らなかった)。

今では誰でも知っているビタミンCだが、それにはこのような発見の歴史があったのだ。先人が多くの命と引き換えに手に入れた英知によって我々はこんなにも楽しく暮していける。しかもインターネットによって図書館や本屋に行く必要もなく一瞬でこんなに面白いことを知ることができる。

天国とはここのことだ。それにしてもザウアークラウトを食べてみたくてしょうがなくなった。

ミッドナイト

今日、ふと思ってグレッグに「英語では午前零時のことをゼロ・オ・クロックっていうのか」と聞いた。すると、それは言わないという。じゃ、なんていうのかと思ったら「ミッドナイト」というのだそうだ。でもミッドナイトだと深夜全般を言うのではないだろうかというと、そういう意味もあるが、午前零時を表す言い方はこれしかないので、文脈によって深夜なのか午前零時なのか判断するそうだ。

「このロットの生産は何時からだ?」「ミッドナイトからです」というように、明確に時刻として使うのだという。考えてみればミッドとは真ん中という意味だから、ちょうど午前零時でもおかしくないのだろう。ちなみに、零時二十分なら20minutes after midnightのように言うそうだ。

「これはアメリカ全体で共通だ」とグレッグは言った。今日の小さな発見であった。

なお、日本では午後1時のことをよく13時などと24時間で表現することがよくあるが、こちらではこういう表現を見ることはほとんどない。大抵は8am-9pmなどと必ずamかpmをつけて書く。唯一、軍隊関係者だけは24時間表現をするとグレッグが教えてくれた。

マイクご難

昨日、同僚のマイク(いつも書いているのとは別のマイクだ)が打ち合わせで発表をしなくてはならないのに突然早退してしまった。なんでも、強風で家の後の木が折れて家を直撃したのだという。

その様子がさっそく地元のニュースのウエブサイトに載り、今やマイクは有名人らしい。http://www.rickystokesnews.com/cgi-bin/MyWeb/article_proc.pl?object=14857&category=26 幸いけが人はいなかったようだが、家の内部は衝撃で天井が落ちたりしてメチャクチャだそうだ。

それにしてもこの職場、マイクが多い。近くに3人もマイクがいる。一方、グレッグ、ゲイリー、トニー、ロバートは2人づついる。不思議なことにお互いにマイク、グレッグなどと名前で呼びあって別に不都合もないらしい。

ところがこの職場、もっともポピュラーと思われる名前、「ジョン」が一人しかいない。「同じ名前の奴が入ってこないように採用のときに細工したんだろう」とジョンに言ったが、彼いわく、小さい頃から学校などで自分以外にジョンという知人がいたことがなく、不思議に思っているそうだ。「太郎」みたいにあまりにポピュラーでつける人が少ないのだろうか。あるいは南部の特徴なのだろうか。

まあ、単なる偶然だとは思うが。

タバスコ

昨日、帰任するOさんを見送りに日本人みんなで空港に行ってきた。

ふと売店をのぞくと、なぜかタバスコを売っていたのだが、そのビンに描いてある絵が素晴らしく、写真に撮った。面白いけど、こういうので食欲わくのだろうか。