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トマトはどした

茄子を植えたはずのところから、一つだけ芽らしいものが出てきていたので、半信半疑ながらも放置しておいたが、これはいったい茄子なのだろうか。どうみても雑草にしか見えない(写真左)。もう少し様子をみよう。

一方、トマトを植えたところからもたくさん芽が出ているのだが、本当にこれがトマトなのかどうかがわからない(写真中央)。たぶんトマトだと思う。理由は、種を植えたところに目印として立てた棒のところからだけ生えているからだ。しかしその形たるや、雑草にそっくりの双葉なので、トマトが生るまでは油断がならないのだ(写真右が雑草)。

コットン・キャンディー

スーパーマーケットの駐車場に出店が出ていた。Shaved Iceがカキ氷で、Cotton Candyは綿菓子だ。そのまんまだ。他にもFunnel CakeやLemonadeなどがあるようだ。

Lemonadeといえば、日本のラムネはこのLemonadeが訛ったものだ。Lemonadeというつづりを先に見れば「レモネード」と言いたくなるが、音だけ聞けば「ラムネ」としか聞こえなかったと言うわけだ。

似たような外来語は無数にある。ミシンはSawing MachineのMachineの訛ったものだし(つまりマシンなのだ)、小麦粉を指すメリケン粉はAmerican Flourだ。ゴムとガムはgumという同じ単語だし、トラックとトロッコも同じtruckだ。導入した日本人が、聞いたか読んだかの違いなのだ。もっと極端なケースでは、ヘボン式ローマ字を考案したヘボン神父のヘボンと、映画女優オードリー・ヘップバーンのヘップバーンは同じHepburnだ。

久しぶりに卓球のことを書く。90年代に、衛星放送でオリンピックの卓球の試合結果を放送したことがあった。そこでアナウンサーは「スウェーデンのイエルゲン・ペシェンは・・」と言った。一瞬、誰だろうと思ったのだが、次の瞬間、これがヨルゲン・パーソンのことだと分かり、可笑しいより腹が立ったことを思い出す。イエルゲン・ペシェン、人生でただ一度だけ聞いた単語だが、生涯忘れることはないだろう。

中国人?朝鮮人?

いつだったか、出社するといきなり、リックという同僚に「お前、中国人だろ」と言われた。どういうことかというと、前夜に帰るときに電気を消したのは誰かという話をしたとき、掃除のおばさんが「チャイニーズが消したのを見た」と言ったというのだ。時間からいってそれは私なので、リックはふざけて私をチャイニーズと言ったというわけだ。リックが中国人のことをどう思っているのかわからないが、掃除のおばさんが私をチャイニーズと思ったことがとても可笑しいらしく、しばらくこのネタを使われた(だいたい、日本の会社なんだから東洋人がいたら日本人だと思うのが普通だろう。たぶんその人は、ここが日本の会社だということを知らなかったんだろう。リックはそのことも含めて可笑しかったのかもしれない)。

私はいつも職場の自動販売機のお菓子を食べるのだが、その中でもよく食べるのがスニッカーズというチョコバーだ。初めは甘すぎて食べられなかったのだが、だんだんと慣れてきて、最近では2日に一回ぐらいは食べている。それを見たデビッドが「日本人はそんな甘いものを食べないはずだ。お前は日本人じゃないな?北朝鮮のスパイだろ!」などと言う。その後もことあるごとに「条太はスパイだからダメだ」と、わけのわからないジョークを言われる。

何とも思わないが、無視するわけにもいかないので反応するのが面倒である(日本人にもこういう人はいると思うが)。

畑づくり 進捗(しんちょく)

畑作りの進捗報告だ。

「進捗」といえば、何年か前、ある新入社員が「”しんちょく”って何ですか」と聞いてきた。進捗という単語をまるっきり知らないと言うのだ。たしかに学生時代に進捗などと言う機会はないだろうから、もしかすると私も知らず、自然に覚えたのだったかもしれない。私も会社に入って「朝一番」とか「朝一」と言われて「何のことだろう」と思ったのを覚えている。

逆に、2年ぐらい前、会社で会議中に、ある雑誌の記事が紹介されたのだが、「力量」という言葉を複数の出席者が知らず「”りきりょう”って読むんですかこれ。こんな言葉があるんですね」と言ったのには驚いた。私は日常からよく使う当たり前の単語だと思っていたが、理系のエンジニアの集団では意外となじみがないのだ。お互いに得意分野が違うものだと思った(おっと私もエンジニアだった・・)。

ところで畑の進捗だ。ごらんのように、大根は雑草に囲まれながらもスクスクと育っている。土の中はどうなっているか分からないが、とりあえずは順調のようだ。トマトの種も買ったが、説明書を見ると、芽を出すまでは屋内で育てろとある。生意気な。そんな面倒なことはしたくない。植物である以上、たくさん撒けば一つぐらい芽が出るだろうと思い、外に撒いてやった。今のところ芽は出ていない。出ているようにも見えるが、私に雑草とトマトの芽の区別をつけろというのは無理な注文だ。出ている芽がトマトなのかどうかが分かるのは、すっかり育って取り返しがつかなくなった頃だろう。

アルマジロ

今週帰任する予定のEさんの送別会が行われた。
赴任者が家族ごと集まってスピーチやらゲームをするのだが、今回のゲームは面白かった。

チームから代表を出して、画用紙に問題の絵を描いて、どれが似ているかを子供たちが判定するのだ。

問題に出たのは『ドラミちゃん』『ファインディング・ニモ』『レレレのおじさん』そして『アルマジロ』だ。私はそもそも『ファインディング・ニモ』など聞いたこともなかったが、答えを見ると見覚えがあった。

中でも傑作だったのがアルマジロだ。下の写真を見て欲しい。いくら絵が苦手だといっても、これほど面白いアルマジロは描けるものではない。古賀慎一か諸星大二郎のマンガに出てくるようなおどろおどろしさだ。すばらしい。

『ウィー・アー・ザ・ワールド』

80年代中頃、ロックによるチャリティーイベントが大流行した。もともとロックによるチャリティーはあったが、80年代の流行は、ボブ・ゲルドフというロック・ミュージシャンがアフリカの飢餓を救おうということでヨーロッパのミュージシャンを集めて『バンド・エイド』というプロジェクトを結成したのがきっかけだ。その後、アメリカにも飛び火してUSAフォーアフリカというプロジェクトができ、「ウィー・アー・ザ・ワールド」という曲を発表してヒットさせたり、「ライブ・エイド」という、イギリスとアメリカで同時チャリティーライブ中継をやったりした。私もポールマッカートニーが出るのを待って徹夜をしたものだ。ザ・フーの出番で、せっかく伝説的なカリスマ、ピート・タウンゼントが出てきてギターのチューニングをしているのに「まだ曲が始まらないようです」などといってカメラが切り替えられ、スタジオの南こうせつの解説を延々と映されたときには本当に腹が立った。当時は、ロック・ファンのニーズを日本のテレビ局はまったくわかっていなかったのだ。

まあ、どっちにしても私はこういうロックによるチャリティーもそれに参加している大半のミュージシャンにも発表された曲にも興味がなく、極めて否定的なのだが、イベントの大きさには感心し、例によって物まね写真を撮った。

場所は、大学の授業が終わった後の教室だ。いかにも楽しそうに歌ったり踊ったりしているように見えるが、すべて写真のための演技だ。何も歌ってなどいない。そして問題は、ここに写っている人たちの大半と私は特に親しくもないということだ。日ごろから「色が黒くてライオネルリッチーに似てるな」(右端の助教授)とか、「あごが長くてスプリングスティーンに似てるな」などと思って目をつけていた奴らをあちこちからひっぱってきて、適当なことを言って撮影をしただけなのだ。もちろん、その写真をどうにかするわけではない。ただ私のアルバムに貼っただけだ。

当時は今にもまして分別のつかない無駄きわまりない情熱があり、今ならとてもやる気になれない勝手な振る舞いをしていた。思い出すのも恥ずかしい。

目、光りすぎ

よくカメラでフラッシュを焚くと、目が赤く光ることがあるが、Tくんの光り具合は少し異常だ。その光量といい、頻度といい、鮮やかさといい、赴任者の中では随一だ。色も赤だけではなくて黄色とか緑のこともある。特別目が大きいわけでもないしカメラのほうを向いているわけでもないのに、いつも明らかに他の人より異様に光るのだ。

瞳孔が開きっぱなしなのか、網膜の反射率が他の人と違うんだと思う。この特殊な能力を活かせることはないものだろうか(どうみてもなさそうだが)。

どこがアメリカだ?

2,3日前、隣町のエンタープライズというところにある、韓国人が経営する農園に行ってきた妻が興奮して帰ってきた。「条太の実家そっくりだったよ!」とのこと。

いくら農園だといってもここはアメリカだ。岩手の農家と同じわけがないと思ったが、写真を見るとたしかにそっくりだ。農機具、ビニールハウスなどそっくりで、あきれたことに作業している人の服装まで私の母と瓜ふたつではないか。
妻が興奮して帰ってきたのもわかる。

そこでは、セリ、ニラ、葱、トマト、春菊、大根、日本風のきゅうりや茄子、しそ、生で食べられる卵(アメリカでは珍しい)、秋には甘柿、栗などが直売されているとのこと。
ドーサンから車で一時間近くもかかるのだけが残念だ。

新旧交代

先週、また新しい赴任者が日本から来た。Kくんといって、まだ20代の若者だ。さっそくみんなで空港に迎えにいって、その足で「ホワイトハウス」と呼んでいる会社の宿泊所で宴会を開いた。このホワイトハスス、幽霊が出るので近所の人も知っているほど有名なのだが、その話はおいておく。

立って挨拶をしているのがKくんで、その左隣が、5年の勤めを終えて来週帰任することになっているEさんだ。Eさんは以前も7年もここに赴任したことがあり、合計で12年もドーサンに住んだつわものである。どうしても顔を写して欲しいといって不自然にこちらを見ているのがビートルズ(ビーチボーイズも)狂の宮根さんだ。

宴会の様子を見るとまるで運動部の合宿のようだが、まさに赴任とはそういう感じだ。ぞれぞれに日本から使命を与えられて来ているのだが、仕事がいつも上手くいくわけもなく、さまざまな辛酸をなめながら互いに励ましあう、いわば戦友のようなものだ。もちろん日本も恋しいがドーサンにも愛着がわく。みんな帰任するときには嬉しいような悲しいような複雑な気持ちになるのだ。

宴会では、何の話からか忘れたが、納豆の話になった。納豆など話にも何もならないと思うとそうでもない。実にいろいろな考えがあった。
まず、岩手県花巻出身で家中で納豆を食べていたのになぜか自分だけは納豆が嫌いだという人がいた。一方で、宮根さんは関西出身だが、入社して東京に住んでから納豆を食べられるようになったという。またある人は、納豆を食べるときにご飯茶わんが汚れるのが嫌で、ご飯の中央にだけ納豆をのせて決して納豆が茶碗に触れないように巧妙な箸使いをして食べるのだという。別に洗う都合を考えてのことではなく、ただ嫌なだけだという。かと思うと、納豆を決してご飯と混ぜず、器から直接食べるという人もいた。口の中でご飯と混ぜるのだという。理由は、納豆を使った箸が他の食物に触れるのが嫌なためだという。さすがに、ご飯を食べずに納豆だけ食べるという人はいなかった。
私はそんなこだわりは何もないが、ただ納豆が口のまわりについて痒くなるのが嫌だと思うくらいだ。

学生時代、研究室の先輩に変なこだわりのある人がいた(9/15の耳クソ鼻クソを食う先輩とは別)。いろんな味が口の中で混じるのが嫌で、おかずは必ず順番にひとつづつ食べ切ってから次のおかずを食べるのだと言って、しきりにそれを主張していた。さらに、ご飯と比較しておかずを多く採ることを推奨していたのだが、その理由が「ご飯なんか食ったってクソが出るだけだ」と言うものだった。「どういう意味ですか」と聞く気にはとてもなれなかったこの名セリフが今でも心に残っている。

レット・イット・ビー

今日は、日本でもっとも売れたビートルズのアルバム『レット・イット・ビ』を紹介しよう。録音は『アビイ・ロード』より先なのだが、あまりに出来が悪くて一度ボツになって後から発売されたためにラストアルバムとなった。

ビートルズファンの間では、企画アルバムを除いてもっとも評価の低いアルバムだが、日本では「レット・イット・ビー」が入っているためにもっとも売れたアルバムとなった。「レット・イット・ビー」「ゲット・バック」「アクロス・ザ・ユニバース」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」といった名曲が4曲も入っているのにもっとも評価が低いアルバムなのだから、考えてみれば贅沢な話だ。

アルバムジャケットも一般にはかっこよくないとされているが、私はこれをかっこいいと思い、高校時代にノートの端にボールペンと色鉛筆を使って描いた。例によって、リンゴ・スターだけはクラスメートの似顔絵にしてある。どれもこれもふにゃふにゃに構図が歪んでいるところに、我ながら味がある。

せっかく描いたのに、あるとき電車の中におき忘れて失くしてしまい、たまたま白黒フィルムで撮影してあったこの写真だけが残された(日本盤レコードの帯まで作ったのに・・)。