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ガレージセール

休日に市内を車で走っていると、「ガレージセール」とか「ヤードセール」という手製の立て札を見かけない日はない。一般の人が、自分の家のガレージ(車庫)で処分したいものを売るのだ。日本のフリーマーケットを自宅でやるようなものである。立て札の矢印の方にいくと要所に立て札が立っていて、民家に行き着くというわけだ。
良い物はたいてい、すぐに売れてしまうので、前日から立て札に目をつけておいて朝一番に行かないといけないのだが、開催日などのガイドラインがあるわけではなく、まったく各自が勝手にやるので、なかなかそういうわけにもいかない。

先日、ダメもとで昼食後に見つけたヤードセールに初めて行って見た。案の定、ほしいものは何もなかったが、子供たちが欲しがったガラクタを3つで1ドルくらいで買ってきた。

車に吊るすと意外にも、店の駐車場などで自分の車を見分けるのに役に立つことがわかった。今度こそは前もって見つけて朝一番に行って良いものを買いたいと思う。

キング牧師

6月にアトランタに行ったとき、キング牧師の記念館に行ってきた。キング牧師とは、黒人の公民権運動に尽力して、最後は反対派に暗殺された人だ。

当然のように、記念館には黒人が多かった。7割ぐらいは黒人だったと思う。そこでポスターなど買ってきて家に飾っている。I have a dream..で始まる有名な演説のポスターだ。

妻が子供たちの学校の先生と話したとき、キング牧師の話をすると、露骨に嫌な顔をされたという。その先生は白人の女性であり、キング牧師のことを嫌いなのだという。その理由は、キング牧師のおかげで黒人が自分達の権利を過剰に主張するようになり、かえって黒人と白人の溝が深まったので、彼は悪い人だと小さい頃から教えられてきたからだという。

学校の先生という知的職業であるにもかかわらず、このようなことを言うことに驚いた。内心、差別心があったとしても建前でそれを隠しそうなものだが、なんと率直なのだろうか。そう表明してもよいだけの土壌がこの辺りには定着しているということなのだろう。

サービスルールの提案

かねてから考えていた、新しいサービスのルールについて国際卓球連盟のシャララ会長にメールを出した。

今のルールは、インパクトを相手に見せるように、トス後のフリーハンドの位置などを規定するものだが、選手達は一様に不自然な格好でサービスを出している上に、それでも直前までインパクトが肩などで隠れぎみであり、依然としてインパクトが相手にはっきりと見えているとは言いがたい。

私は、これはプレーヤーがわざと隠そうとしているのではなくて、彼らのクローズドスタンスが原因だと考えている。なぜなら、クローズドスタンスは、80年代前半にまさにボディハイドサービスの目的で定着したものだからだ。それ以前は選手はみんなオープンスタンスで十分な回転量のサービスを出していたのである(もちろん中国を含めた一流選手たちの話だ)。

そこで私の提案する新ルールは、現在のルールに加えて、明白なオープンスタンスの提案である。具体的には、トスをしてから打球するまでの間、右足が左足より右側にあり、左右の足裏の位置が左右方向で重なってはならないというものだ(足裏が空中にあろうがどこにあろうがだ)。これは、ほとんど構えたときに決まるので、静止した状態で容易に審判が判断できるうえ、不自然な格好でフリーハンドをよける必要がないし、インパクトが良く見える。

今の選手はクローズドスタンスに慣れているので、急にオープンスタンスにすると難しく感じて、あたかもクローズドスタンスは自然なスタンスだと思うだろうが、それは違う。単なる慣れなのだ。実際、私は80年代後半にボディハイドサービスをマスターするためにオープンスタンスからクローズドスタンスに変えたが、「なんとやりにくいんだろう」と思ったものである(ほどなく慣れた)。

オープンスタンスをルールにしてしまえば、意識しなくてもインパクトは隠れないようになるのだ。

我が家のイルミネーション

我が家ではイルミネーションなどやらないだろうと思っていたら、なんと昨夜帰宅すると、庭が光り輝いていていて驚いた。

妻が知人からもらったのだという。一見綺麗だが、よく見ると何の意味もなく庭木にデタラメにかけているだけだ。子供たちが私に「どうして家のはこんなに雑なの?」なんて聞いてくるが、そういう質問には私は答えないことになっている。

クリスマス

クリスマスが近づいているため、あちこちの家でクリスマスにちなんだ装飾が始まっている。あまりに綺麗なので、夜、家族で回って見物をしてきた。中にはかなりダイレクトにイエス様の誕生日を祝っているものもあり、なかなか味わい深い。まったく、普通の民家の庭先とは思えない見事さだ。

私のビートルズ体験

ビートルズを知ったのは中二のとき、1977年だった。新聞のテレビ欄で「今世紀最初で最後の日本公演再放送」という宣伝を見たのだ。1966年の日本公演をなぜだか今世紀中にはたったの一度しか再放送できない、それが今夜だというのだ。当時の私にとって「今世紀」という言葉は「永遠」と同じ長さだった。私は音楽といえばテレビドラマ『赤いシリーズ』のピアノ曲から影響を受けてラジオのクラシックを録音して聞たりしていたがロックは興味がなかった。
新聞の宣伝につられて、とにかく凄いんだろうということで、テレビの前にモノラルラジカセをおいて録音をした。そのときは特に良いとも思えなかったが、後々聞いているうちに段々とよくなってきた。

それで、隣町に一軒だけあったレコード屋にレコードを買いに行ったが、ビートルズのレコードがなかなか見つからない。店員が「何を探しているのか」と聞くので「ビートルズです」と答えると、店員はクラシックのピアニストがビートルズの曲を演奏したレコードをいくつか紹介した。そこはクラシックのコーナーだったので、店員は当然私がそういうものを探していると思ったのだろう。
あきれたことに私はそのうちのひとつを買ってしまい、家に帰って解説を読んで初めてそれがビートルズのレコードではないことに気がついたのである。なんという不注意。私は自分の情けなさの腹いせに、その間違って買ってしまったピアニスト「フランソワ・グロリュー」へ腹を立てたものだった。

中学生の卓球の指導をしたときに、「自分で考えてみな」とか「これくらいのことは気づかないといけない」などと言ったりしたが、私自身の中学生時代を思うと、本当に何か夢を見ているようなわけの分からない状態だったと思う。どこをどう間違えればピアニストのレコードを買ってしまうんだろう。情けない。

何日か後に「今度こそ本物のビートルズを買う」とレベルの低い決意をしてレコード屋に行った。ビートルズが置いてあるコーナーを店員に聞いて、やっとビートルズのレコードを見つけたが、アルバムどころか実は曲名さえ知らない。やみくもにレコードを見ていると「ペイパーバック・ライター」という聞き覚えのある単語が目に入った。これだ!あれはPaperback Writerと歌っているのだ!と狂喜した。それでこのシングル盤を買ったのだが、その解説を書いていたのが、誰あろう日本のロック評論史を変えたカリスマ、渋谷陽一だったのだ。その短い解説の中には名盤『ラバー・ソウル』のことが意味深に紹介されていた。
それで『ラバー・ソウル』を買ってみると、そこでも渋谷陽一が解説をぶちかましていた。そこにはメンバーの個性、舞台裏とともに、『リボルバー』だの『サージェントペパー』だのという目くるめく名作の単語が踊り、ビートルズというものが単なる音楽にとどまらず、のめり込むにふさわしい深遠な世界がこの先に広がっていることが暗示されていたのだった。私がビートルズにのめり込むことはもう決まったようなものだった。

それから30年が経ち、永遠に感じられた20世紀も終わったが、信じがたいことにまだビートルズに飽きていない。それどころか当時は見れなかったビデオが当たり前になり、CDが出てDVDが出てインターネットができて、未発表曲やら未公開映像やら研究本やらが次々と出てきて、ますますその楽しみは増すばかりだ。楽しい人生である。

アーバン・オレンジ

クリーンスーツに着替えていると、現場のオジサンが私のオレンジの靴下を見て「お前はアーバンのファンか?」と聞いてきた。単に安物の派手な色の靴下を妻が買ってきただけなのだが。彼によるとオレンジは『アーバン・オレンジ』といって、アーバン大学のフットボールチーム色なのだという。そういうと彼はロッカーからオレンジの帽子を出して見せてくれた。アーバン大学の色はオレンジとブルーの2色で、アラバマ大学のチームカラーは深紅(Crimson)と白だという。どうでもいいんだが。

もしオレンジのジャンパーなど着てきた日には、いったいどういうことになるのだろう。ファンは喜び、アンチは敵意をむき出しにするんだろうな。オレンジとクリムゾンの2色のジャンパーなどあったら買ってみたいものだ。

デイブの独白

ポーラさんの夫であるデイブさんは今は高校で聖書の先生をしているが(あるのだ、そういう授業が)、かつて宣教師として合計7年も日本に住んでいたという。日本語も片言で話し、自己紹介のとき「デブじゃなくてデイブです」という台詞を2回も言っていた。得意のジョークなのだろう。
家の中は日本人と同じように靴を脱いでいる。家族で日本食がとても好きで、昨日もお好み焼きを作って食べたと言う。日本にいるときは一度もアメリカ料理を恋しく思ったことがないそうで、今は日本食が食べたくて仕方がないという。日本食をほめられて嬉しい気持ちになった。

どうして日本に行ったのか聞いたところ、とても興味深い話をしてくれた。
もともと彼は両親といっしょに教会に行ってはいたが、両親とも神様は信じておらず、彼も次第に教会には行かなくなっていた。10代にはロックに夢中になり(好きなバンドはオールマンプラザーズ)、20代半ばにしてプロのロックミュージシャンとして大きな成功を収めたという(バンドではキーボードを担当していたそうだ)。その結果、好きなものは何でも買えてやりたいことはなんでもできる身分になり、夜毎乱痴気パーティーに明け暮れていたのだという。

ところがそういう楽しいはずの生活をづつけるほど心の中は空虚になり、次第に「こんなもの何の意味もない」と思うようになっていった。その虚しさを埋めるかのように更に酒の量は増していき、ある時本当に死にそうになった。そのときに初めて心の中で「神様、本当にあなたがいるなら、私を助けてください」と祈ったのだという。そうすると姿こそ見えなかったが、神様が手を差し伸べてくれて助けてくれたのがはっきりとわかったという。

それ以来、教会に行くようになった。デイブは「神様の存在を世に知らしめるのが自分の使命」と悟り、8年かけて宣教師のライセンス(のようなもの)を取得し、キリスト教があまり広まっていない日本に行くことにしたのだという。
なんか一見いい話のようだが、神様となるとそうでもないような、なんとも複雑な感じだ。

彼によると、アメリカのクリスチャンで本当にイエスを神の子だと信じているのはたぶん30%ぐらいだろうという。その他の70%は日本人が仏教徒だというのと同じで単なる文化としてそう答えるだけだという。彼いわく、ほとんどのクリスチャンは「ただのクラブ活動ですよ」とのことだ。しかしその根拠を聞くと「聖書のことをよく理解していない」などと言っているので、どうも彼の要求が高すぎるための判断のようにも思える。

職場のアメリカ人にそのあたりをじっくりと聞いてみよう。

サンクスギビング

11月22日はサンクスギビング(Thanks Giving)という休日であった。サンクスギビングとは1620年に上陸したイギリスの清教徒にまつわる休日だ。現地のインディアンが清教徒に、生きるための色々な技術を教え、清教徒がそのお礼に、夕食にインディアンを招いたのがその由来である。その時に出した夕食の主なメニュー、特に七面鳥の丸焼きが今に伝わっているそうだ。 今では本来の由来を超えて食物や、家族、その他あらゆる物に感謝する日となっていて、主に親族が集る日のようである。日本でいうとお盆か正月のようなものだろう。

さて、私の妻が知り合いのポーラにサンクスギビングがどんなものか知りたいと言ったところパーティにお招きいただくこととなった。結婚したばかりの娘夫婦も遠方より来るというのに混ぜてもらうのは心苦しいが、またとない機会なので家族で行って来た。

7kgもある大きな七面鳥の腹にパンや野菜を入れて、4時間かけて焼いたものをその場で切り出してご馳走された。七面鳥の腹に入れて蒸すことで美味しくなるのだという。これが「鍋で蒸しても同じ」ではつまらない。あくまで七面鳥の腹に詰めて七面鳥ごと蒸さなくては出ない味だ、ということであってほしいものだ。

写真に写っているのは末っ子のジョーダン君8歳。ぜんぜん笑わない子なのに、カメラを向けると突然、笑顔を作ったのに驚いた。日本人でこういう子供はいないような気がする。口だけで無理やり笑っていることが写真からもわかると思う。

娘の夫のカールは軍隊に入ったばかりで、7kg痩せたという。どっかの山奥に連れて行かれて、食料も与えられずとにかく一週間だか二週間だか「生きろ」という訓練があったりするのだそうだ。私が「映画の『フルメタルジャケット』みたいですか」と聞くと、さすがにあんなのはないという。逆に「『ラストサムライ』の日本人は本当なんですか」と聞かれたので、「いくら日本人でもあんなに簡単に切腹しないと思う」と答えた。カールはイラクに行くかもしれないのだと言っていた。

食事の時間になるとデイブが、ひとりづつ自分の感謝するものに声を出して感謝を述べなさいと言う。さらにサンクスギビングにまつわる話や、クイズなどが出されて、なんかやけに熱心な人だなあと思っていたら、彼の職業は宣教師なのだという。プロだったのだ。これで話はいっきに面白くなってきたわけだった(山際淳司風)。

アーバン大学とアラバマ大学

ここいらでもっともファンに人気のあるスポーツはアメリカンフットボールである。各大学がチームを持っており、中でもアラバマ州のファンを二分するのがアラバマ大学とアーバン大学だ。人々はこの二つの大学のどちらかのファンであり、いたるところでそれを競っている。ゲイリーはアラバマのファンなものだから「アーバンのファンは昼から酒を飲んで暴れるようなやつばかりだ」などという。

道路を走っていると、ときどき車の後ろにしっぽをつけている車が目につく。流行しているアクセサリーなんだろうと思っていたら、実はこれが『アーバン・タイガー』といわれる、アーバン大学のフットボールチームのマスコットを模しているのだそうだ。自分がアーバンのファンだということを誇示しているわけだ。アラバマ大学のマスコットは象なのだが、牙や耳をつけるわけではないようだ。どちらのファンも、車の屋根に旗を2本立てて走っているのだが、しっぽをつけるのはアーバンのファンだけだそうだ。とはいえ、さすがに車にしっぽをつけてまでファンを誇示する人はそう多くはなく、そういう車はときどき見かける程度である。

それとは関係ない話だが、日曜に文房具屋に行った。そこの駐車場で、みすぼらしい車がトナカイのアクセサリーをつけていた。クリスマスが近いからだろう。子供を喜ばせようと、このさえない車を飾った貧しい父親(勝手に貧しいことにした)の気持ちを思って、少し切ない気持ちになった。