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韓国レストラン

2001年にドーサンに手坂と出張で一ヶ月ぐらいきたときに、韓国レストランを見つけた。当時、韓国雑貨店はあっても韓国レストランの存在までは知られていなかった。ある休日の昼に韓国雑貨店に買出しに行くと、ブレアという職場の同僚とばったり会った。ブレアは奥さんが韓国人なので雑貨店にきていたのだ。たまには中華でもアメリカンでもないレストランに行きたいと思っていた私と手坂は、ダメ元で聞いてみるとなんと韓国レストランを知っているという。それで、地図を描いてもらって見つけたのが最初に知った韓国レストランである(これはかなり山奥だったが、その後、もっと近くに2軒でき、韓国雑貨店にも併設されたので、今では合計4軒が知られている)。

そこには焼肉、ビビンパなどがあるのだが、なんといっても美味しいのがキムチチゲだ。日本で出されるものと違って酸っぱいところがよい。酸っぱくて熱くて(なにしろ沸騰しながらやってくるのだ!)辛いので最初は抵抗があるのだが、慣れると食べずにはいられなくなる。手坂は汗だくになってこの激辛のキムチチゲをハナをかみかみ食べたのだった。

夕飯は生牡蠣がとっても美味しく、おそらくドーサンでもっとも人気の高いレストラン『ハンツ』に行った。私はもともと生牡蠣は嫌いで食べなかったのだが、赴任者に勧められて食べたところ、日本のと違って生臭くなく、とても美味しいのだ。日本で牡蠣が好きな人は逆にこちらのは味がしないといってイマイチらしい。道理に合っているところが嬉しい。

その夜、手坂を激しい下痢が襲った。心当たりは二つある。激辛キムチチゲと生牡蠣だ。それで次の週、私は手坂に対照実験を命じた。キムチチゲを食べて生牡蠣を食べないのと、キムチチゲを食べずに生牡蠣を食べるのとをやらせてみたのだ。出張のつらさを紛らわす、ささかやな遊びである。その結果、手坂は生牡蠣を食べると腹を壊すことがわかった。その後も手坂はハンツの生牡蠣の美味さに見せられ、出張にくるたびに下痢を覚悟で食べ続けている。手坂家の絶滅が心配である。

占いの話

世の中には、公然と人をだます大人がいるとういことを知ったのは小学校高学年のときだ。それまでは、まさか本にウソが書いてあるとは思いもしないし、大人が売っているものにウソがあるとは思ったことがなかった(もちろんウルトラマンなどのフィクションとしてやっているものは別だ)。

あるとき、家族の誰かに連れられてデパートの食堂でラーメンを食べたのだが、そのテーブルの上にメロンほどの大きさの球形の占いの機械が置いてあった。100円硬貨の投入口が12箇所あり、自分の星座のところに入れてレバーを引くと、下から運勢を書いた巻物が落ちてくる仕組みだ。こんな小さな機械でどうやって星座ごとに別の巻物が落ちてくるのだろうかと、硬貨の投入口をのぞいて驚いた。すべての投入口が中で繋がっているのだ。どこから硬貨が入ったか検知するような部品もない。つまり、どの星座から硬貨を入れようとも、出てくる巻物は同じなのだ。それまで、こんな占いにも何か原理があるんだろうと思っていた私には、大変なショックであった。

親に買ってもらった『占い入門』を熱心に読んだが、だんだんとおかしい所が目につくようになった。手相の見方のところで、手に青いアザがあると水難の相、赤いアザがあると火難の相だというのを見て私はブチ切れた。水が青いのはたまたま光の関係でそう見えることが多いだけだ。水道の水は透明ではないか。ガスの火は青い。そもそも手に青や赤のアザがあることと、人が水や火をどう見えるかの関係があまりにもないではないか
同じ本で、コイン5枚を投げて表と裏がどういう順番に出たかで運勢を占うやり方が紹介されていた。投げたコインの結果によって、32通りもの運勢の表が書いてあった。ところがやり方のどこを見ても、「最初の1回だけが有効」とか「複数回やったときは平均をとること」などという条件が書いていない。では、続けて何回もこの占いをやったらどうなるのか。もし占いが正しいなら、何回やっても同じ結果が出るか、または、どの回を運勢として採用すべきなのかの注意書きが書いていなくてはおかしいではないか。だからこれはデタラメなのだ。

大人が小学生向けにまじめぶって書いている本にこんなにデタラメなことが書いてあるのはショックだった。しかしそれでも不思議なことが好きだった私は、その後も、ウソだとはっきりとわかる物以外は、だいたいの事は信じ続けていったのだった。

デパートの食堂の占いの機械や小学生向けの本だからデタラメだったのだろうか。残念ながらそうではない。街の易者はもっとひどいインチキであることが後で分かることになる。それは後日、書くことにしよう。

心霊写真

妻の知人が、子供の手が一部欠けたり消えたりしている写真があるので「事故の前触れか」と心配し、お祓いをしてもらおうとしているという。

私は小さい頃からオカルトが大好きである。世界の七不思議とかの挿絵に興奮したし、『占い入門』という本を買って占いを身につけようと思ったりした。

中学に入ると『恐怖の心霊写真集』やら『うしろの百太郎』、矢追純一の木曜スペシャルなどでオカルト好きは一気に加速された。超常現象を認めない既存の科学に反感を抱き、俺こそ霊魂の存在を実証してやるとばかり、夜中に友達とひい爺さんとひい婆さんが眠る墓地に行って心霊写真を撮ろうとしたり、幽霊の声を録音しようとラジカセを持って行って墓の前で回したりした。ちゃんと本に書いてあった通り、カメラは一週間前から仏壇に上げておいたが、幽霊は写らなかった。
コックリさんもクラスで大流行したが、そんなに簡単に霊など来てたまるかと思い、霊を呼びよせていると称するやつら全員を目隠ししてみたら、案の定コインは動かなくなった。霊が来ているならどうして人間を目隠ししただけで動かなくなるのか。誰かがインチキをしていたからだ。その後で、絶対に信用できる友人だけをつれて誰もいない静かな教室に行って心から真剣にコックリさんの儀式をしたが、コインはピクリとも動かなかった。私は軽々しく超常現象を信じている誰よりも強くその存在を望んでいる。だから偽者は絶対に許せないのだ。

オカルト好きは今も同じだが、これまで分かったことは、心霊写真などというものはすべてカメラのいたずらであり、幽霊が写っているものなどないということだ。

お祓いをして無駄金を使おうとしている、妻の知人が気の毒なので、カメラのいたずらであることを説明するために、心霊写真のようなものが写るメカニズムを実験で確かめた。

体の一部が消えてたり透けたりする写真は偶然に以下の条件が重なったときに起こる。

・体が動いている
・背景が明るい(白い)
・シャッタースピードが遅い(露光時間が長い)
・フラッシュを焚いた

シャッタースピードが遅いときに動くと、動いたものがぶれて薄く写ることは誰でも知っていると思う。そのときに背景が明るいと、そのぶれて薄い部分が明るい背景に負けて消えてしまうのだ。また、フラッシュを焚くと、手前で動いているものはフラッシュが光った瞬間だけ光が強いので止まって写り、フラッシュが光っていなかった間の映像と重なるので、結果的に背景が透けて写るのだ。
下の写真は、カメラをマニュアルで上のような条件にセットして、息子に卓球の素振りをさせて撮影したものだ。このように、消えたり透けたりする写真が100%確実に撮れる。利き腕が消えることが多いのも、よく動かすためだ。

以上のように、カメラの特性で説明がつくものなのだが、妻の知人の写真が本当に霊ではないことまでは証明はできない。例えどんなにそっくりの写真が簡単に再現できたとしても、その写真も同じ原理で撮影されたかどうかまでは誰も100%証明できないからだ。あとは常識で判断してもらうしかない。どのみち、人は自分が信じたいものしか信じないのだ。

それにしても祈祷師は良い商売である。試しに手の欠けた写真を持って行って見てもらうのもよかろう。その祈祷師の「程度」がわかって面白いではないか。「これはなんでもない写真です。祓う必要はありませんよ」と言ったらたいしたものだ。

謎の卓球集団

昨夜、会社の日本人赴任者の飲み会があった。インチキ日本料理店MIKATAで寿司やら炒め物などを食べた。店を出てからブログのネタにと店構えを撮影していると、赴任者たちが「我々のことはいつブログに載せてくれるのか」と言う。いつと言われても、卓球に関係もなく、面白いネタもなしにただ知人を載せるなどということはできない。「いつもどうでもいい個人的な写真を載せてるくせに」と言われそうだが、いちおう私としては第三者が見て面白いだろうと思うことを選んで書いているつもりなのだ。

どうも彼らにはそう思えていないようで、「載せろ載せろ」と酔った勢いで言う。そこで私は一考を案じて「全員で卓球の素振りをしてくれるなら載せてもいい」と言った。そこまでして卓球王国のブログに載りたい奴らがこんなにいるということなら、それはそれで少しは面白いだろう。

かくして卓球など知らない彼らは、各々が思い描く卓球のテイクバックとフォロースルーを嬉々としてやったのだった。左利きの宏之さんがちゃんと左で振っているところが律儀である。また、中央奥の上関さんはさすがに中学で卓球部だっただけあり、左足のつま先の向きが他のメンバーとは一線を画している。横シマ模様の大場さんはひざの曲がり具合が完璧で、左つま先の向きもいい線いっている。右端のアキラ君も中学のときに卓球部だったはずだが、左つま先の向きが違うのは極めて遺憾である。そのうち指導せねばなるまい。

左端の藤原くんは9月に赴任してきたばかりで、私が卓球を誘うと「卓球は医者に止められています」とわけのわからない言い訳をして拒否をする。どこにそんな病気があるのか知らないが、少なくともフォームは治療の必要がありそうだ。

ハロウィン

10月31日はハロウィンであった。日本でも、かぼちゃをくり抜いた人形などで有名であるが、実際に行事を見るのははじめてだった。

由来を聞くと、死者の霊だか悪霊だかが帰ってくるので、それに備えて仮面を被ったりして扮装するのだという。なんだか日本のお盆とナマハゲの混じったようなものなんだろう(そういえば、8月頃「アメリカにはお盆はないのか」と聞いてきた知人がいた)。死者の霊に備えるにしては、店で売っている扮装が魔女、怪物、13日の金曜日のジェイソンなどで、どちらが悪霊かわからない。そもそも悪霊が何かを怖がるとも思えない。仲間のふりをして油断させようということか。

当日は、扮装をした子供たちが家々に押しかけて「trick or treated(お菓子をくれないといたずらするぞ)」と言ってお菓子をもらうらしい。玄関にハロウィンの人形が置いてあるとお菓子を用意している印だそうだ。もしお菓子をあげないと生卵をぶつけられるのだという(これが「いたずら」だ)。まあ、いやなら玄関を開けなければいいだけのことなので別に強制ではない。我が家の子供達もあちこち回ってお菓子をもらってきたようだ。

ハロウィンの飾りつけは何週間か前から家々でやられていたのだが、中には単なる人形だけではなくて、妙に凝ったものがある。家の庭に墓地を作ってみたり、幽霊どうしが手をつないで踊っているようすを飾ったりだ。もう元の由来などどうでもよくて、とにかく不気味な物ならなんでもいいとばかりに飾りつけているようである。

大食いの手坂

痩せの大食いというのがいる。たくさん食べているのに痩せているということは、エネルギー保存の法則から考えれば、二つの原因が考えられる。異常に熱を外部に発しているか、多量に排泄しているか、つまり大便を大量に出しているかだ。通常、こんなことは人に聞けないのだが、誰もが抱いている疑問だと思う。

元の職場の後輩に手坂という奴がいる。これが典型的な痩せの大食いで、よく食べるのだが、太らないどころか最近では少しづつやせてきているという。それで聞いてみると、やはり大量に出すのだそうだ。特に下痢をしているわけでもないのに日に2、3回、しかもたっぷりと出すのだそうだ。当然、最初のころは奥さんから「どうしてそんなに出るのか」と聞かれたそうである。それほど極端なのだ。
手坂という名字は本人の希望があって仮名だが、本名も聞きなれない名字で、全国にも50件もないという。名字博士という興味深いサイトを見つけた。そこに名字のランキングがあるのだが、彼の本名は1万位までは載っていなかった。http://www.alles.or.jp/~tsuyama/name.htm

食べても太らないというのは、現代では良さそうだが、生物としては効率が悪いのだから当然、良くないことだ。飢饉にでもなったら真っ先に飢え死にするだろう。食っても食っても出るのだから当然だ。おそらく手坂の先祖たちは、飢饉のたびに絶滅していたものと思われる。「それでお前の名字が少ないんだろう」とからかっていたものだ。しかし、現代の日本の名字など、明治維新のときに皆で勝手に名乗ったものらしいし、明治以降は飢饉はないので、真偽のほどは不明である。しかし話としては、そういうことにしておいたほうが面白かろう。

このブログのこと

このブログがどれくらいアクセスされているのか興味のある人もいるだろう。編集部から教えられたURLにアクセスしてパスワードを入れると、アクセス数がわかり、日ごとに棒グラフで出てくる。それによると、一日の平均アクセス数は次のようになっている。

8月 181件
9月 196件
10月 203件

最高は10月中ごろの295件である。2番目の記録が249件なので、その日に何か特別な理由があったのだと思われるが、見当がつかない。誰かがリンクを貼ったのだろう。

特にアクセスが多い曜日は決まっていないが、総じて土日は少ない。また、3連休になるともっと少なくなる。多くの人が会社や学校からアクセスしているものと思われる。

卓球王国自体の一日のアクセス数がだいたい2000~3000件であることを考えると、このブログを読む人は10人に1人もいないことになる。日に200件も読んでくれる人がいることは嬉しいような気もするが、卓球王国という大きな媒体を使っているのにこの程度だと思うと、やはり寂しい。

200件といっても、おそらく編集部の20人が2回づつ見て40件、元の職場や今の職場の連中がだいぶ見ているらしいので50件ぐらい(卓球にぜんぜん興味がない人のアクセスなので卓球王国にとっては無意味だ)、さらに2番弟子の田村が日に5回はアクセスしているらしいので、だいたい100件ぐらいは内輪のアクセスということになる。

正味100件が本当の一般の人のアクセスなのだ。やはり寂しいが、書くことは楽しいので続けていこうと思う。卓球王国のサイトなのに卓球ネタが少ないのは、限られた卓球ネタを雑誌連載のためにとっておきたいからだ。まさか卓球王国でハゲや小便やビートルズのことを書くわけにもいかないからである。

ドーサンのパトカー

ここドーサンは、遊ぶものや歴史などはないが、こと安全に暮らすことにかけてはとても快適なところである。市民に対する病院の収容力も高いし犯罪も極端に少ないらしい。

犯罪が少ない理由として考えられるのが、人の良さとか貧困層の少なさとともに、パトカーの多さがある。とにかく町中にパトカーが多いのだ。いったい市民の何割が警官なんだ?と言いたくなるほどである。

レストランにパトカーがとまっているのを見て、最初の頃は何か事件でも起きたのかと思っていたのだが、何のことはない、警官が制服のまま飯を食っているのだ。レストランでそれを見つけたうちの息子たちは「ピストルだピストルだ」と大騒ぎだ。「それは英語だから聞こえるように言うなバカ!」と叱りつけてやった。

住宅地にも警官が昼飯などを食べにパトカーで自宅に戻るので、あちこちの家にパトカーが停まっている。日本なら職権乱用だと問題になりそうだが、こちらでは堅いことは言わないのだ。それに、住民にしてみれば安心感があるだろう。パトカーにカメラをなど向けていると撃たれそうなのでこっそりと撮影して逃げるようにその場を立ち去った。

ドーサンならではの実に興味深い光景である。

スタン夫妻、日本へ行く

こちらで知り合った卓球仲間のスタン夫妻が、月末から日本へ行く。奥さんが郁美さんという日本人で、北九州の実家に一ヶ月の里帰りをするためだ。

最初の5日ぐらいは東京に滞在して郁美さんの旧友などと会い、その後北九州市に行くのだという。里帰りの目的は、郁美さんのお母さんの具合がよろしくないためとのことだが、スタンは生れて初めての日本で、隙あらば東京や九州で卓球をしたいと意気込んでいる。

そこで、東京在住の卓球仲間に相談したところ、「中央区総合スポーツセンター」というところを紹介してもらったので、教えておいた。また、卓球王国のインフォメーションで紹介されている『ストリートピンポン』のイベントも紹介しておいた。

次に九州である。郁美さんの実家に近いところで練習に入れてくれそうなところをネットで探した。なにしろスタンはヘタをすると毎日でも練習しかねないので、週1回の社会人のクラブでは物足りないかもしれない。高校の卓球部は管理が厳しい。そこで、大学の卓球部をあたることにした。

そして「北九州市立大学卓球部」のサイトhttp://kitakyu-fight.com/blog/が見つかった。郁美さんの実家にも近い。さっそく主将の小川裕司さんという方にメールで事情を説明すると、嬉しいことに「部員たちもスタンを歓迎する」という返事がきた。大学生の実力からすると、おそらく年配のスタンでは相手にならないだろうと思われるにもかかわらず、受け入れてくれるとは本当にありがたいことである。これを機会に親交を深めてもらいたいものだ。スタンも一生の思い出になることだろう。

こうして、日本全国どこでも卓球クラブがあるのだから、やはり日本は卓球大国である。
ちなみに、郁美さんは中学のときにたまたま卓球部だったが、卓球には特別な思いはない。スタンを初めて知人から紹介されたとき「ええ~?アメリカ人でたっきゅう~?」と思ったそうである。アメリカ人で卓球を競技としてやる人はきわめて希である。しかし、2時間車を運転しないと練習相手がいないという、その環境の中で続ける人というのは、逆に手のつけられないのめり込みようなのだ。家でも目を離すと卓球のビデオを見ているという。

ちなみに私の妻も中学のとき卓球部であるが、これもたまたまである。私の卓球へののめりこみ方に辟易し、今では「卓球の話はいっさい聞きたくない」と言われるまでに至っている。スタンと私の人徳の差であろう。

弁当の話

昨夜、職場の上司であるジョンの家に招かれて、家族で夕飯をいただいてきた。大変おいしいステーキを出されてとても幸福なひと時を過ごした。

そこでジョンが日本に出張したときの話をきいた。パン屋に行って自分でパンをトレイに入れて買うのがとても楽しかったとのこと。匂いも良いしどれもこれも美味しそうで、喜んでホテルに帰ってかぶりついたら、中にアンコが入っていて吐き出したそうだ。「やっぱりアンコは食べられないんだな」と思ったら、ちょっと事情が違うようだ。彼が言うには、チョコレートだと思って食べたのがアンコだったからまずかったのであり、最初からアンコだと知っていれば食べられるという。奥さんも問題ないそうだ。もしかすると、アメリカ人がアンコがダメだというのは、こういう「不意打ち」に限った話なのであり、イチゴジャムの瓶に入っていた筋子をイチゴジャムだと思ってパンに塗って食ったのと同じ種類の不快さというだけのことなのかもしれない。

ジョンの奥さんが新聞を持ってきて「ここに書いてあることは本当なのか」と聞いてきた。そこには、日本の母親は弁当でさまざまなデコレーションをして人の顔を描いたりすると書いてあった。私は「ある程度はそういう傾向はあるが、こんな写真は普通ではない」と答えた。そして、タイミングのよいことに、ちょうど昨日、私の弁当を写真に収めていたので、それを見せてやった。

私は毎日妻に弁当を作ってもらっており、それを食べながら昼休みにこのブログを書いているのだが、昨日の弁当はなんと、パンケーキが数枚だけであった。何もはさんでいないし他におかずもない。写真の通りなのだ。アメリカ人の弁当が非常に簡素なのをいいことに、妻はアメリカに来てから弁当をここぞとばかりに簡素にしだした。その簡素さぶりに、これまでも度々驚かされたことはあったが、さすがに昨日のは新記録である。これ以上の簡素化はちょっと思いつかないのだが、これより上が今後あるのだろうか。楽しみなような怖いような。