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紛らわしいマーク

日曜に、昼食を食べに隣町の中華レストランに行ってきた。レストランの名前は忘れたが、普通に美味しかった。いつも6皿食べる妻が調子が悪いといって4皿ぐらいで止めていたのが少し心配だ。

帰りの道を走っていると、道端に卓球のラケットのマークの看板が目に入った。卓球大会の開催にともない、ちょうどラケットを買おうと思っていたところだった。やはり私ぐらいの世代だと、好きなラケット選ばせるとペンを選ぶ人が多いのだが、我が家にはまともなペンがない。それで通販で日本から買おうと思っていたのだ。

卓球選手が6人しかいない町に卓球専門店があるはずがないのだが、どうみても卓球のラケットのマークだ。それで車をUターンし、看板のところまで戻って書いてある字を読むと、どうやら住宅関係の業者のようだ。どうして住宅関係の業者が卓球のラケットなど看板に描いているのかと思ってよく見て愕然とした。

木の絵だったのだ。家より大きく描くなよ。

他の人はこれは木に見えるのだろうか。卓球のラケットに見えた私は病気なのだろうか。

日本にいるときは、卓球関係のテレビ番組を絶対に見逃すまいと、毎朝テレビ欄を速読していた。いつも目が止まって紛らわしいのが江川卓の「卓」という字と森本卓郎の「卓」だ。卓越、などという単語にもいつもトラップされる。こんなことで困っているのは私だけなのだろうか。

もっとも、何の予告もなしに貴重な映像が流れることもときどきある。それで、いつ卓球が始まっても良いように録画の準備は怠らないのだが、あるバラエティー番組を見ていたときのことだ。ガウンを着た東洋人が出てきて、その人の素性を当てるというクイズだった。なんとその男が史上最強とも言われる伝説の卓球選手、郭躍華だったのには驚いた。つい昨年の話だ。さらに陳新華まで出てきてラリーを始めるにいたっては私はもうとんでもなく興奮してテレビの前で「ウオーッ」と大声を上げていた。彼らはロビング対スマッシュで台を入れ替わるお馴染みの芸をスタジオの卓球台でこともなげに成功させたのだった。すばらしい。現在の郭躍華の映像を日本のバラエティーで見れるとは思わなかった。なんという日だろうか。

それを録画したHDを翌日、妻に消されたときはショックでしばらく立ち直ることができなかった。なんとか入手しようと、テレビ局のサイトなどを当たったが、局も番組名も時間も覚えておらず、未だにどういう番組だったのかわからない。

ゴルフをやってみた

日本人赴任者のほとんどはゴルフをやっている。15人中、やっていないのは私と宮根さんだけだ。ドーサンは娯楽が少なく、しかもゴルフは安いので(日本に比べればだ)ほとんどの人がやっている。

卓球との対抗意識上、私は野球やゴルフなどというメジャーなスポーツには敵意を抱いているのだが、やれば面白いことは頭では理解している。当然、面白いからみんながやるのだろう。
赴任してから、2回だけコースをみんなと回っていたが、確かに面白かった。これで少しづつ上達でもした日には、どれだけ面白いか分からないだろう。卓球に通じる魅力もある。

しかし残念ながら今のところやはりやる気にはならない。それは時間配分の問題だ。もし今と同じように他の余暇を楽しみつつゴルフもやるくらい時間があるなら喜んでやる。なにしろコースを回ると4時間半もかかるのだ。これでは残念ながらやれない。
そこで、打ちっ放しなら短時間で好きなようにできるので面白いだろうと思い、子供たちを連れて行ったらとても面白かった。ボールにはなかなか当たらないが、徐々に当たるようにもなってきた。金も時間もあまりかからない。これならやれる。今後もちょくちょく行こうと思う。

第1回ドーサンオープン開催

金曜に、我が家のガレージで第1回ドーサンオープン卓球大会を開催した。会社の日本人赴任者15人にメールで案内を出したのだが、「医者に止められている」藤原君はともかく、奥さんを含め総勢5名の参加があり(私と妻も含めてだ)、まずまずの出だしであった。もし誰も来なかったらひとりで大会をやって写真を撮るつもりだったので望外の喜びである。

最初ということもあり、きちんとした大会形式はとらず、適当に交代で乱打やゲームを楽しんだ。「小学校のクラブで卓球をやっていた」という大場さんの実力はかなりのもので、さすがMIKATAの前でフォームが良かっただけのことはあった。驚いたのは、素人なのに、フォアハンド横回転サービスはもちろん、なんとYGサービス(Young Generation Service)まで操ることだった(上回転系だけではあるが)。さすが学生時代、バドミントンで全国大会に行っただけのことはある(高専なので最初から全国大会だが)。

夫妻で参加の田口家は、試合をすると奥さんが圧倒的に強かったのだが、その原因はブツ切りの下回転サービスであった。彼女は試合中に夫に「変な回転をかけないでちょうだい」と注文をつけるのだが、自分はブツ切りの下回転サービス。私は冗談を言っているのかと思っていたのだが、しばらくし話していると、なんと無意識だったことが判明。そのメカニズムはこうだ。ラリーと違い、サービスは第1バウンドを自分のコートに落とさなくてはならない。このことが彼女にラケットの上から下への激しい動きをさせていたのだ。加えて、中学のときに軟式テニスの経験があるので、そのセカンドサービスのスライスの癖があり、それらが偶然作用してブツ切り下回転サービスとなっているのである。これを夫の田口君はほぼ100%ネットにかけるので奥さんが勝つのだった。卓球は面白い。

私の妻もやったのだが、なんかヤジりながら試合をするバッドマナーであった。性格が出るなあ。

最後のほうには私自慢の卓球マシンを出したところ大場さんがこれを気に入って、体力の限界に挑戦するかのような連続強打を続けていた(そういえば昨年の今頃、2番弟子の田村に海外赴任が決まったことをメールで伝えたら、その返事は「卓球マシンは持って行くのですか。持っていかないなら貸してください」だった。他に言うことはないのだろうか)。

結局、7時半くらいから始めて、止めたのは11時だった。ちょっとやりすぎたか。

SAKURAオープン!

先週、ドーサンに新しい日本食レストランが開店した。その名もSAKURAだ。店名が日本の都市名ではないだけでも期待させるものがある(アトランタの回転寿司FUNEの例もあるので油断はできないが)。さっそく日曜に家族で行ってみたが、寿司は美味しいし、とんかつ、焼きソバなどもあり、間違いなくドーサンで一番の日本食レストランである(比較対象がMIKATAとKYOTOだが)。

奥さんと子供が日本に帰ってしまって単身赴任状態の遠藤さんなど、月曜から水曜までに4回も食べに行ったという。私も昨日、2回目を行ってきたが、店員の格好が面白いので写真を撮らせてもらった。

なにしろいきなり「神風」の鉢巻である。意味を聞くと「Wind of God」だと言う。その背景までわかっていまいと思って聞くと、「第二次世界大戦のときに日本軍が特攻をしたりするときに使った言葉だ」と完璧な知識があるのに驚いた。聞くと、日本から来た女性に教えられたのだという。そこまで分かっていて寿司屋でこの格好かよ。アメリカ生れのフィリピン人だという。

このサクラは、料理が美味しいだけではなくて、内装もいかにも日本の居酒屋風で凝っている。そのくせ外にはジャパニーズ・カフェと書いているのが楽しい。写真に写っている暖簾もいい感じだが、何かがおかしいのにお気づきだろうか。そう、わざわざ「日本料理」と書いてある暖簾など日本にはあり得ないのだ。アメリカにはこういう、アメリカ人に売るための日本製もどきの商品が売っているんだろう。

噂によると、そのうち、KYOTOのすぐ近くにKOBEというもうひとつの日本食レストランができるという。こちらも楽しみであるが、店名からはあまり期待できなさそうだ。

一晃さんからさっそくサンドペーパーラケットを売っているサイトが報告されてきた。http://www.amazon.com/Economy-Sand-Paper-Face-Paddle/dp/B0000BYRYU/ref=pd_sim_sg
まさかこんなものを今も平気で売っているとは。いや、オモチャなんだから何でもいいと言えばなんでもいいのだが、それなら他にも材料があるはずである。わざわざ100年以上も前にスタンダードだったものを延々と売っているところが面白いのだ。もしかすると思わぬ製造ノウハウがあって大変な工芸品なのかもしれない(ルール違反だがな)。絶対に買わなくては。

サンドペーパーラケット

たまには卓球のことでも書こう。

職場の同僚にゲイリーという50代のオジサンがいる。彼は私が卓球が好きだと知っているのでときどき
卓球の話をしてくれる。彼が言うには、スポーツはなんでも得意で卓球も大好きでよくやっていたという。

それでラケットの話になったのだが、彼はサンドペーパーラケットがもっともコントロールがよくお気に入りだという。紙ヤスリである。

なんと。サンドペーパーラケットとは、卓球界にラバーというものが登場する前に使われていたものだ。ラバーが発明される前は、木地のままだったり、コルクだったり、それらの表面に皮を貼ったり羅紗を貼ったりサンドペーパーを貼ったりしたラケットが主流だったのだ。ところが1902年のある日、イギリスのグッドという人が、薬局でつり銭の入っている表面にイボイボのある皿を見てそれを譲り受け、ラケットに貼ったのがラバーの始まりである。その後、日本人が、これを裏返しに貼ってさらに回転のかかるラバーを発明した。だから日本卓球界では今でもイボが表面にあるラバーを「表ラバー」と呼び、イボのないラバーを「裏ラバー」と呼んでいる。今では世界中のほとんどの選手が裏ラバーを使用している。

さて、サンドペーパーラケットだが、いくらゲイリーが年寄りだといっても、彼が卓球をしたといっている少年時代はせいぜい1960年である。サンドペーパーラケットなどとっくの昔にルールで禁止されているので、使用している人もいなければ、そもそも売っているはずもないのだ(使って有利でもないが、おそらくボールが壊れやすくてしょうがなかっただろう)。

ところがゲイリーは、このあたりではポピュラーで、店で売っていたものを買ったという。色はベージュで当たり前のように売っていたらしい。さすがアメリカだ。国際卓球連盟のルールなど知ったことではないのだ。
もちろん、これはゲイリーのようなホビープレーヤーだけが買っていたのであって、当然、競技者はそれくらいのことは知っていただろう。そんなラケットでは出場もできないんだから。

それにしても、卓球研究者の私としては、そのサンドペーパーラケット、どうしても見てみたいものだ。ゲイリーに見つけてくるようにお願いしている。

ミウラ折り(会社の三浦じゃねえぞ)

紙製の大きな地図を買ったことがあるだろうか。私も仙台市のや、ドーサン市の地図を持っているが、いつもストレスを感じるのがその畳み方だ。地図を見るときは見たいところだけを表に出してあとは適当に折るので、いざもとの形にしまおうとすると、元々どう畳まれていたか覚えていないので、変に膨らんだりして非常に不愉快なのだ。それでも別にどうでもいいことなので、長い間、考えることもしていなかった。

先日、『折紙の神様といわれる男』の話をふと思い出してネットで調べていたら、そこに「ミウラ折り」という折り方が載っていた。どんなものかと見てみると、なんとそれは東大の教授が発明した地図の折り方として世界中に広まっている由緒正しい折り方なのであった。

どこが優れているのかというと、開閉がワンタッチでできるのだ。詳しくはサイトを見てほしい。

http://www.miura-ori.com/usage.htm

「こんなの俺だって考えつく」と思う人もいるかもしれないが、発明とはそういうものだ。「もとの大きさの数分の一の大きさに畳んで、それをたった二箇所を持ってワンタッチで開閉できる折り方を考えてみろ」と言われたら、ちょっと考えて「不可能です」と答えてしまうのが普通の人間だろう。学校の問題のように答えがあることがわかっていればまた違うと思うが、答えがあるかどうかもわからない時点で考えつくところが偉いのだ。

そんなに便利な折り方だと知っていれば私も地図をそのように使ったのに、いつも「なんかわけのわからない折り方されてるなあ」と思ってすっかり膨らんだ地図を無理やりしまったりしていたわけで、とても損をした気分だ。

ミウラ折りの極意は、横方向にジグザグに奇数回折った後で縦方向にジグザグに偶数回折ること、これだけだ。人類の英知はすばらしい。後に生れた方が得だと思う。

ミウラ折りの説明の中に、同じような構造の羽をもつ昆虫がいると書いてあった。遺伝子の複製ミスと自然淘汰だけでそんな生物が出てくるとは驚きだ。もっとも、人間の精巧さは「ミウラ折り」どころではないことは分かっているんだが、人体の構造よりも分かりやすい分だけ、不思議さがつのる。

インチキ占い師

仙台駅前に『中央通り』というアーケード街がある。休日になるとこの一角に、有名な「○○易断」と書いた垂れ幕が設置され、占い師が興行を始めるのだ。

学生時代のあるとき「どんなことが行われているのかじっくりと見てやろう」と考えた。私が足を止めると、なにやら地面に干支が書いてある紙を広げて演説を始めた。そのうち客がだんだんと増えていき、5分ばかりの間に10人以上の客が「何が始まるのか」と集った。

占い師が言うには、ここにいる客の干支を当てて見せるという。それはすごい。いくら外見で歳の見当がつくといっても、せいぜい5歳くらいの幅までだろう。これが100%当たる方法などこの世にあるのだろうか。そんな方法はとても思いつかない。もしすべて的中したらどうしよう、と内心かなり焦った。占い師は続けて「他の人にも当たったかどうかがわかるように、自分が後を向いているので、当てて欲しい人は皆に見えるように自分の干支を指してほしい」と言った。なんだ、そういうことか。
それで、3人ばかりが干支を指し終わると、占い師は向き直り、その客の手を握って、いろんな理屈を言いながらすべて言い当てた。

こんなもの、客の中にサクラがいてサインを送っているに決まっている。どいつがサクラだろうと考えてみると、私より先に足を止めていた客は一人しかいない。黒いコートの若い女性だ。それで、占い師が干支を当てている最中、彼女の顔をみると、なんとこいつ、占い師の方を見ていない。客の全員が興味津々で食い入るように占い師を見ているのに(わざわざ足を止めて見ているのだから当然だ)、彼女だけは退屈そうに他の客の顔など見ているのだ。こいつに間違いない。それにしてもプロ意識の低いやつだ。そして、占い師が占う段になると、右手の人差し指を鼻に当てた。やっぱり。二人目のときは、人差し指をあごに持っていき、その姿勢のまま私と目が合ってしまった。向こうも気まずかっただろうが、こちらもかなり気まずい。

これで占い師は自分の能力について客を信用させることにまんまと成功したわけだ。占い師は続けた。「この中に、お金のことで悩んでいる人がいる。プライバシーの問題があるので誰とは言えないが先ほど皆さんの手を握ったときに、その人だけ特別強く握ったのでわかるはずだ。」という。「お子さんのことで悩んでいる人もいるぞ」などと適当なことを言っている。それらの悩みを今日は無料で見てあげるという。無料なら私も見てもらおうと思い(もちろん、どんなデタラメを言うのか確認するためだ)、すっかりその気になっていると「ただし真剣な人に限る。冷やかしだけはお断りしたい。それで、冷やかし防止のために1000円だけ負担してほしい。今日はあちらの幕の中に東京から偉い先生がいらっしゃっているが忙しいので早い者勝ちで数名にさせてほしい」と言って棒を客に突き出した。すると客のほとんどが本当に争ってその早い者勝ちの棒を手に取ったのだった(もちろん黒いコートの女性は真っ先に取った。見てなかったくせに)。こうして彼らは15分ばかりの間にまんまと一万円近くをせしめたのであった。見事だ。多分これを一日に10回ぐらいやるんだろう。

占い師が話をしている間に、幕の中の「東京から来た偉い先生」をこっそりのぞいてみた。そこには、パンチパーマに薄いサングラスをかけた男が、革ジャンパーを着て寒そうに背中を丸めて、小さな折りたたみ椅子に座っていた。うーん、わびしい。これも人生だなあ。

韓国レストラン

2001年にドーサンに手坂と出張で一ヶ月ぐらいきたときに、韓国レストランを見つけた。当時、韓国雑貨店はあっても韓国レストランの存在までは知られていなかった。ある休日の昼に韓国雑貨店に買出しに行くと、ブレアという職場の同僚とばったり会った。ブレアは奥さんが韓国人なので雑貨店にきていたのだ。たまには中華でもアメリカンでもないレストランに行きたいと思っていた私と手坂は、ダメ元で聞いてみるとなんと韓国レストランを知っているという。それで、地図を描いてもらって見つけたのが最初に知った韓国レストランである(これはかなり山奥だったが、その後、もっと近くに2軒でき、韓国雑貨店にも併設されたので、今では合計4軒が知られている)。

そこには焼肉、ビビンパなどがあるのだが、なんといっても美味しいのがキムチチゲだ。日本で出されるものと違って酸っぱいところがよい。酸っぱくて熱くて(なにしろ沸騰しながらやってくるのだ!)辛いので最初は抵抗があるのだが、慣れると食べずにはいられなくなる。手坂は汗だくになってこの激辛のキムチチゲをハナをかみかみ食べたのだった。

夕飯は生牡蠣がとっても美味しく、おそらくドーサンでもっとも人気の高いレストラン『ハンツ』に行った。私はもともと生牡蠣は嫌いで食べなかったのだが、赴任者に勧められて食べたところ、日本のと違って生臭くなく、とても美味しいのだ。日本で牡蠣が好きな人は逆にこちらのは味がしないといってイマイチらしい。道理に合っているところが嬉しい。

その夜、手坂を激しい下痢が襲った。心当たりは二つある。激辛キムチチゲと生牡蠣だ。それで次の週、私は手坂に対照実験を命じた。キムチチゲを食べて生牡蠣を食べないのと、キムチチゲを食べずに生牡蠣を食べるのとをやらせてみたのだ。出張のつらさを紛らわす、ささかやな遊びである。その結果、手坂は生牡蠣を食べると腹を壊すことがわかった。その後も手坂はハンツの生牡蠣の美味さに見せられ、出張にくるたびに下痢を覚悟で食べ続けている。手坂家の絶滅が心配である。

占いの話

世の中には、公然と人をだます大人がいるとういことを知ったのは小学校高学年のときだ。それまでは、まさか本にウソが書いてあるとは思いもしないし、大人が売っているものにウソがあるとは思ったことがなかった(もちろんウルトラマンなどのフィクションとしてやっているものは別だ)。

あるとき、家族の誰かに連れられてデパートの食堂でラーメンを食べたのだが、そのテーブルの上にメロンほどの大きさの球形の占いの機械が置いてあった。100円硬貨の投入口が12箇所あり、自分の星座のところに入れてレバーを引くと、下から運勢を書いた巻物が落ちてくる仕組みだ。こんな小さな機械でどうやって星座ごとに別の巻物が落ちてくるのだろうかと、硬貨の投入口をのぞいて驚いた。すべての投入口が中で繋がっているのだ。どこから硬貨が入ったか検知するような部品もない。つまり、どの星座から硬貨を入れようとも、出てくる巻物は同じなのだ。それまで、こんな占いにも何か原理があるんだろうと思っていた私には、大変なショックであった。

親に買ってもらった『占い入門』を熱心に読んだが、だんだんとおかしい所が目につくようになった。手相の見方のところで、手に青いアザがあると水難の相、赤いアザがあると火難の相だというのを見て私はブチ切れた。水が青いのはたまたま光の関係でそう見えることが多いだけだ。水道の水は透明ではないか。ガスの火は青い。そもそも手に青や赤のアザがあることと、人が水や火をどう見えるかの関係があまりにもないではないか
同じ本で、コイン5枚を投げて表と裏がどういう順番に出たかで運勢を占うやり方が紹介されていた。投げたコインの結果によって、32通りもの運勢の表が書いてあった。ところがやり方のどこを見ても、「最初の1回だけが有効」とか「複数回やったときは平均をとること」などという条件が書いていない。では、続けて何回もこの占いをやったらどうなるのか。もし占いが正しいなら、何回やっても同じ結果が出るか、または、どの回を運勢として採用すべきなのかの注意書きが書いていなくてはおかしいではないか。だからこれはデタラメなのだ。

大人が小学生向けにまじめぶって書いている本にこんなにデタラメなことが書いてあるのはショックだった。しかしそれでも不思議なことが好きだった私は、その後も、ウソだとはっきりとわかる物以外は、だいたいの事は信じ続けていったのだった。

デパートの食堂の占いの機械や小学生向けの本だからデタラメだったのだろうか。残念ながらそうではない。街の易者はもっとひどいインチキであることが後で分かることになる。それは後日、書くことにしよう。

UFOの話

もちろんUFOも大好きである。矢追純一の木曜スペシャルなど録画して台詞を暗記するほど見たものだ。大学どころか社会人になってからもすっかり信じており、会社にNASAの人が来たときに「日本のテレビではNASAが宇宙人を隠していると言っているが本当ですか」と質問して呆れられたりした。

真実を知ったのは、だんだんと本当のことが書いてある本が日本でも売られるようになってからだ。
皆さんはUFOと言えば宇宙人の乗り物のことだと思うだろうが、そうではない。UFOとはUnidentified Flying Objectつまり『未確認飛行物体』という意味の軍事用語である。だからアメリカ軍がUFOに関する文書を持っていても当たり前だし研究をしているのも当然なのだ。もちろんそれは国防のためであって、他国の兵器などを想定してのことである。
それを矢追純一を始めとする多くのマスコミは意図的にUFOという単語を大衆に誤解させて「政府も宇宙人の存在を認めている」かのように宣伝するわけだ。なにしろ正体不明の飛行物体ならみんなUFOなんだから存在するのは当たり前なのだ。
というわけで、UFOとは「なんだかわからないもの」と言う意味なので、仮に宇宙人の乗り物だとわかったらその時点でそれはUFOではなくてIFO(Identified Flying Object)となる。

宇宙人の乗り物を指す場合には、研究者の間では「エイリアン・クラフト」と言うことになっている。では、エイリアン・クラフトは確認されたことがあるのかというと、それがないのだ。

http://homepage3.nifty.com/hirorin/ufofakes.htm

ジョージ・アダムスキーという世界のUFO史に残る有名な人がいる。彼は今のUFOの形を有名にした張本人であり、金星人のUFOに乗って太陽系の惑星を回ったという体験記を発表して有名になった。ところが彼の書いた体験記は、彼がUFOに会う前に発表していたSF小説とそっくりなのだ。これだけでも普通の人なら彼が単なる詐欺師であることが分かると思うが、彼を信じている人が今でも大勢いるのだ(日本にも1600人も会員がいるhttp://www.adamski.jp/gap-japan/index.htm)。信者たちは「アダムスキーには予知能力があり、彼が円盤に乗って経験することをあらかじめ予知したのだ」というのだ。また、アダムスキーの体験記には科学的におかしい所がたくさんあるが、信者たち(もうおわかりだろう。これは宗教なのだ)は「現代の科学の方が間違っているのだ」と譲らない。「もし彼がウソをつくつもりならわざわざ科学的に間違ったことを書くはずがない。堂々とそれを書いていることこそ、それが真実である証拠だ」と、間違っていることさえも正しいことの証拠にしてしまうのだ。こんな理屈にはもはや反証は不可能である。

どんなに強固な証拠があっても結局人は「自分の信じたいことしか信じない」という良い例である。

なお、アダムスキーが有名になる前は、今、UFOとして定着している円盤型の飛行物体の目撃例自体もほとんどなかったという。人は先入観によって、見ていないものまで見たような錯覚をすることが、わざと全然違う形のものを飛ばして大衆に目撃させた実験で確認されている。現代のUFOの形自体が、アダムスキーのたわ言から始まったデタラメであり、そういう形のUFO自体、存在しない可能性が高いのである。