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N線事件

科学の歴史の汚点のひとつにN線事件がある。

ある科学者が新しい放射線としてN線を発見したのだ。これをある条件で火花に当てると輝きが増すのだという。当時はその輝きを測定する方法がなかったので、人間が目で見て判断をしていた。それが発表されると「自分も確認した」という科学者が続出し、300もの論文が書かれたが、ある科学者がどうしても再現できず、N線の発見者のところに出向いて実験をしてもらった。そこで実験者に内緒でN線の通り道に障害物を置いたり外したりしたところ、実験者が感じる火花の輝きは、まったくの思い込みによるものであることがわかったのだという。その公表によってN線は存在しないことがわかり、人間の思い込みの危険さが記憶されることになった。しかし当の発見者だけは生涯N線の存在を信じ続けたという。

現代でも、新薬を評価するときには患者の半数に偽の薬を与え、患者にも診断をする医者にもどの患者が偽の薬が与えられたかがわからないようにする二重盲検法によって薬の効果を判断する。思い込みによる影響を排除するためだ。

科学者や医者でさえそうなのだから、オカルトがかった芸術家たちが思い込みの影響を受けないわけがない。受けるに決まっているのだ。その思い込みは300年以上という時間と高額な金をも費やすほどだ。ブランドテストによって差がないと証明された後でもなおストラデイバリウスの価値が揺らいでいないことがそれを証明している。論理的思考をする科学者ならこういう証明をされたら考えを変えるが、芸術家は論理よりは思い込みの方が勝って、信念が変わらないのだろう。また、それほどの思い込みがなくては一流になどなれないのだ。スポーツ選手も同じである。

なので、我々外野は、社会や自分自身に無害な思い込みは放っておいて、害が及ぶときだけ「それは思い込みだから違う」と指摘するしかないのだろう。

卓球部の飲み会

昨夜は、会社を辞める人を卓球部として送る送別会だった。

当然、卓球の話ばかりだったのだが、例によって3番弟子の小室が卓球狂ぶりを発揮していた。一人暮らしをしている後輩を気遣って「飯はどうしてるの?」と質問をしたのだが、その時の彼の手はしっかりとペンのバックショートの形をしており、話の内容とまったく一致していないのであった。あまりに面白かったので、その場で再現をしてもらった。とても食事の用意について質問をしているようには見えない。

他に面白かった話題は、他のチームの選手で、サービスの時に奇妙な儀式をする人がいるという話だ。私もその人は見たことがないのだが、聞いたところによるとその儀式はざっと次のようなものだ。

まずボールを拾ってくるのだが、一度そのボールは短パンの左ポケットに入れるらしい。そしてコートにつくとまず左手を台の表面にこすって汗をぬぐう。このためにボールはポケットに入れてあるのだ。それでボールをポケットから取り出して構えに入るのだが、ボールを手に乗せたままなぜか手を体に近づけたり遠ざけたりを何往復かするのだという。次に手を顔の高さまで上げていよいよトスするのかと思いきや、また台の高さにまで下げてそこからトスをしてやっと打球するのだという。これを一度や二度ではなく1ゲームに10回、それを5ゲームも続けられた日にはたまらなくイライラして、それだけで精神が乱されて負けてしまうこともしばしばだという。最初は「奇妙だな」と思うだけなのだが、試合が進行するにつれてその動作は念入りに遅くなっていくように感じられ、とても我慢できるものではないそうだ。しかもレシーブの構えの時にはお尻をクイックイッと左右に振るのだそうだから、その不愉快さたるや想像するに余りある。

あまりに面白い話なので、今度試合を見に行こうと思っている。

ちなみにその人はわざと相手をイライラさせようとしてそんな儀式をやっているのではないそうだ。そんなことをしなさそうな、とっても良い人なのだそうな。卓球界は広い。

子供たちの驚き

この春、大学生になった子供たちが朝から「お父さん、すごい!」と歓声を上げた。

「こんなに髪が短いのに寝ぐせがついてる!」

余計なお世話である。他に驚くことはないのだろうか。こっちはあと2週間ちょっとに迫った世界選手権の取材の準備態勢に入っているのだ(気持ちだけだが)。

「わっかりました」

私は他人の話し方の癖が気になるので、なるべく自分は癖を持たないように努力しているのだが、そのせいか、いつも話し方に抑揚がないと言われる。その抑揚がないところが癖になってしまっているという皮肉な結果だ。自分ではどこがそうなのかさっぱりわからないが「面白いですね」と言うときも全然面白くなさそうだというのだ。とくに今野編集長からはいつも「無感動な感じで話していても暖簾に腕押し、糠に釘」と言われる。まあ、今野さんのギャグは本当に面白くない場合もしばしばなので仕方がないのだが、ともかくそのように聞こえるらしい。

癖を持たないようにするだけではなく、流行りの言葉や言い回しも身に着けないようにしている。軽薄に聞こえるからだ。そんな私もかつて一度だけ、知らぬ間に流行りの影響を受けてしまっていたことがある。仕事で返事をするときの「わっかりました」だ。若干の心の迷い、逡巡を持ちながらもそれらを飲み込んでとりあえず承諾するニュアンスをもつ言い方で、難しい判断をしたふりというか何かを犠牲にして承諾している雰囲気を醸し出すというか、まあ、要するにカッコつけた言い方なのだ。私は世の中にはびこっているこの流行りに気づかずに使っていて、あるとき会社の先輩に返事をしたとき「何その”わっかりました”っていうの。どういうつもりでそんな言い方してるの?」と問い詰められたのだ。その先輩も流行りの影響を受けるのが嫌いな人で、周りの誰もが私のことを条太と呼ぶのに一人だけ何年も伊藤と呼び続けるつわものだったから、その道では秘かに尊敬をしていたのだった。

その先輩に指摘されたことを私は深く恥じ、それ以来、一度も使ったことはないが、他人の「わっかりました」が気になって仕方がなくなったことは言うまでもない。このブログの読者にもその気持ちをおすそ分けというか道連れにしてやろうと思う。

しょっぱなから聞き返す人

そんな人がいると言っても信じてもらえないかもしれないが、こちらが何か話しかけると、最初の1、2音で「えっ?」と聞き返す人がいるのだ。そのタイミングでは聞こえていても意味がわからないはずである。なんたる反射神経と判断の速さだろうか。

たとえば「小林さん、この前の件ですけど・・」と話しかけたとすると「こば」ぐらいで「えっ?」と言われるのだ。

「話聞けよ」と内心カリカリしてしまうのは言うまでもない。

聞き返す人

ロダンの「考える人」ではなく「聞き返す人」である(彫刻にもならない)。

以前、アメリカにいたときに銀行の日本語の電話案内で、こちらが何を言っても「はいっ?」と返事をする人のことを書いた。英語と日本語の混乱と無駄なヤル気が入り混じって、結果的に奇妙なアクセントが身についてしまった人である(最初はそれがわからず、名前から要件からすべて3回づつくらい説明をする羽目になった)。

この人よりはマシだが、日本に帰ってからも、何を話しかけても第一声は必ず「えっ?」「んっ?」「はいっ?」などと聞き返す知人を二人発見した。最初は耳が聞こえないのかと思ったが、その後の会話の様子から、どう考えても正常に聞こえている。それがわかってからは私は聞き返されても言い直さずに黙ることにしているのだが、会話に支障が出たことは一度もない。こちらが言ったことは聞こえていて待っているとちゃんと正しく答えるのだ。つまり、誰かに話しかけられたらとりあえず聞き返すことが癖になっているだけなのだ。

私は「聞こえているくせに聞き返す」という行為を見るのが嫌で仕方がないので、最近ではこの二人に話しかける際には細心の注意を払い、絶対に聞き返されないように、極めて明瞭にゆーっくりと話しかけることで、聞き返されることを逃れている。この技術については私の右に出る者はいないと思う(それでも会話中に聞き返されるので油断は禁物である)。というか、他の人たちは気にならないらしく、何度も何度も聞き返されては言い直している。

さて、みなさんの周りにもこういう人はいないだろうか。

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