シェークのグリップのコツ2

もうひとつのポイントは手首の曲げだ。

シェークハンドを普通に握ると、柄が前腕に対して60度ほど立った状態になる(写真費左)。これではドライブのときに手首を使ったとしてもボールを上に持ち上げる方向ではなくてシュート回転を書ける方向にしか使えないし、リーチも短くなる。

実はもともとシェークの人たちは、無意識に手首を下に折り曲げることで柄が前腕に平行に近くなるように持っているのだ(写真中央)。ところが卓球の指導書などにはこれは書かれていない。「自然に持てばラケットは前腕と平行になる」などと書かれている。それどころか「手首は曲げないように」とも書かれている。これを守って手首を曲げずにラケットを前腕と一直線になるようにするにはどうするか。写真右のように、手のひらの中でグリップをずらし、一本差しのように握るしかない。

以上のプロセスを経て、ペンからシェークに転向した人は異様にラケットヘッドが立ったグリップか、または「バックハンドグリップの一本差し」という、一目でそれとわかる、まるでフライパンを持ったようなグリップになるのだ。

ひとこと「シェークは手首を下に曲げてラケットが前腕に対してまっすぐになるようにする」と言われれば、どれだけ沢山の人がスムーズにシェークに転向できることか。
もっともこれはあくまで、普通のシェークのドライブをしやすいグリップにするための話である。結局はボールが入って勝てればそれで良い、いや、同じ入るならむしろ奇異なグリップの方が相手はやりにくいわけだから、こうしなくてはならないということではない。

ちなみに、もともとシェークであっても、カット型やブロック型の選手にはラケットヘッドが立っている選手が多い。言うまでもなく、フォアドライブの使用頻度が少なく、ラケットヘッドが立っていても支障がないためだ。むしろカット型はテイクバックで手首を上に曲げるのが基本だし、ブロック型はミドルをカバーする必要から、ラケットヘッドが立つのが自然なのだ。だからこそ両者ともに攻撃はぎこちない打ち方になり、それはそれで相手が反応しにくいという副産物を生み出している。

これだから卓球は面白い。

シェークグリップのコツ

今度はグリップ談義だ。年末のヒマなときに一日家で好きなことを書くのは楽しい。よく年末は忙しいと聞くが、私は年賀状も出さないし大掃除もしないのでヒマであり、大変に楽しい。

今回の話は、シェークハンドのグリップの話だが、もともとシェークだった人には関係がなくて、ペンホルダーからシェークハンドに転向した人にだけ当てはまる話だ。私は約20年前にペンからシェークに転向したとき、とても多くの発見があったのだ。

重要なことが2つある。ひとつは、前腕に対する面の角度だ。ご覧のように、ペンは親指と人差し指の作る面がラケット面になる(写真左)のに対して、シェークは手のひらの面がラケット面になるので90度ズレているのだ。だからもしペンのときの前腕のままシェークを持つと、当然ラケット面は真下を向いてしまう(写真中央)。だから前腕を90度ひねらないといけないのだが、長年ペンをやっていた人が急にシェークに持ち返るとこの前腕の角度になじみがないため、手のひらの中でラケットを回して無理やりペンのときに近い前腕のままボールを打ちがちなのだ。

つまり、右の写真のように、ブレードの端が人差し指の方に寄った、いわゆる「バックハンドグリップ」になるのだ。

斎藤清と岩崎清信のフットワーク

ここまでやれば当然、昔の日本選手のフットワークはどうだったのか知りたくなるのが人情というものだ。

そこで、1991年の全日本選手権決勝の最後の2ゲームのフットワークを分析した。
当時は21本制なので、2ゲームで75ポイントあった。そのうち、交差歩を使った回数は次のようになった。

斎藤清  23回(全スコアの31%)
岩崎清信 18回(全スコアの24%)

柳承敏の8%と比較してやはり格段に多い使用頻度である。特に斎藤は、フォアサイドに来るボールは半分以上を交差歩で打っていた印象だ。

岩崎にいたっては、左ひざの異様な高さと、ときにはバックサイドで打つときでさえ足が交差することから、交差歩が移動のためだけではなく、フォアハンドスイングの一部になっていることが伺われる。つい80年代まで、飛びつきのときにはひざを高く上げることが重要だとされていたくらいだから当然のことだろう。

当時は日本の誰もがこのような卓球を指導していたし、私の推測では、実績のある指導者ほど過去の常識にとらわれて新しい卓球に目を向けないし、見たとしても理解できない人がほとんどだから、彼らがこのような卓球をしていたのは当然である。

斎藤清はこの卓球で1989年アジアカップで、すでに現代と遜色ない卓球を身につけていた馬文革と陳龍燦を破って優勝したのだから、本当に化け物である。あと5年早い卓球を身につけていたら間違いなく世界チャンピオンになっていただろう。

卓球の進化の影にはこのような悲喜劇があり、それは複雑多様なスポーツである卓球競技の厚みそのものを表している。

柳承敏のフットワーク

朝一番に、ブログの読者から「自分はペンホルダーでコーチに交差歩のフットワークを指導されています。裏面を使わないペンホルダーである柳承敏などのフットワークについてもぜひ分析をお願いします」とメールが来た。

もっともな疑問である。柳承敏ほどフォアハンド主体の選手なら当然、動く幅も大きいから交差歩を使う頻度は格段に多いことは容易に想像できる。

そこで、誰でも検証できるように、もっとも有名な試合である、2004年アテネ五輪の男子シングルス決勝の王皓戦の柳承敏のフットワークを調べて見た。そう、凄まじいフットワークで王皓を倒したあの試合である。

その結果、柳承敏がフォアへの飛びつきに交差歩フットワークを使ったのは、全6ゲーム中9回だった。その9回すべての画像が下の写真である。各画面の左下にカウントも入っているので、ご興味のある方は確認されたい。

なお、飛びついたけどまったく間に合わなくて入らなかった場合はすべて交差歩を使っていたが、それはカウントしていない。あくまで交差歩が役に立ち、入った場合だけをカウントした。また、ミスをした場合でも、間に合わないからではなくて別の理由でミスしたと思われる場合は交差歩を使った回数として数えた。

今回、柳承敏のフットワークを見ていて非常に面白いことに気がついた。移動中に足が交差している場合でも、跳躍中に右足が左足に追いつき、着地するときには両足が揃ってしまっている場合が結構あったのだ(右の写真)。また、左足が先に着地した場合でも、右足の送りが極めて小さく抑えられていることが下の写真からもわかるだろう。いったいどれだけの荷重がかかっているのだろうか。凄まじい脚力である。

6ゲーム118スコアのうち、9回の交差歩フットワーク。その比は8%だ。1スコアに平均2回フォアに飛びつくとすれば、飛びつきあたりの交差歩の使用比率は4%となる。これは多いのだろうか少ないのだろうか。9回とはいえ使っているのだから必要ともいえるし、ほとんどは交差しないフットワークを使っているのだから、交差歩の練習をするヒマがあったら交差しないフットワークを練習した方がよいとも言える。あるいはまた、交差歩フットワークは頻度は少ないけど難しいので、沢山練習しなくてはならないのかもしれない。それは読者の判断にゆだねよう。

ただひとつ認識して欲しいのは、交差歩は打球にとって決して有利に働くものではなく、大きく動くために仕方なしに選択するものだということだ。なるほど、歩くときや走るときの人間の手足の動かし方を考えると、フォアハンドを振るときには同時に左足を前に出した方が自然に思える(その起源はもちろん哺乳類の四足歩行だ)。しかし、左足を前に出すということは、その分だけ腰はフォアハンドのスイングと反対方向に回転することになり、フォアハンドの動作を妨害する方向に働くのだ(左足のつま先を打球方向に向けろというのも、腰をスウィングの方向に回転させたいという思想の現れである)。加えて右足の送りがあるために戻りも遅くなる。だから、使わないに越したことはないフットワークなのだ。

先輩からの指摘

先日来の私の「分析」について、大学の先輩からメールが来た。

まず、ダブルスのコース取りについて。その先輩は左ききで、私の書いたコース取りのノウハウは、右と左のペアではあまりにも当然のこととして昔からやっていたので「日本の卓球界でこれを明確に言っていた人は誰もいなかった」というのは違和感があり、声高に言うほどのものではないとのこと。そういわれてみれば、私の周りに左ききの選手がいなかったために私が知らなかっただけのように思えてきた。力んで書いたのがちょっと恥ずかしいが、分析そのものの価値は認めてもらったので良しとしよう。

交差歩については、先輩も先週のプロツアーグランドファイナルの準決勝の水谷対サムソノフの全6ゲームを両方の選手について数えてみたとのこと(他人の話として聞くと、たしかにヒマだね~と言いたくなるものだ)。

その結果、交差歩を使った回数は

水谷6回
サムソノフ2回

これだけ。しかも、サムソノフの2本は、1本がバックに回り込んでストレートに打ってフォアクロスに打たれて慌てて飛びついてミス、もう一本も大きく飛びつくというより、バランスとるために軽く足を交差させただけなので、実質ゼロだったという。サムソノフほど大きければますます交差歩の必要はないということだろう。

これほどデータで示しても「交差歩のフットワークは要らない」という技術論を認めたくない卓球人がほとんどだろうと思う。これまでこの練習をしてみんな強くなったのだから、実戦で使ってなくても絶対に役に立っているはずだ、と感じられることだろう。役には立っていると私も思う。少なくとも卓球のコートで卓球のラケットを持って卓球のボールを打っているのだから、他のことをしているよりは卓球の役に立っているだろう。しかし、実戦で使う技術を練習した方がもっと役に立つだろうというだけのことだ。

いずれにしても、これを判定するためには、卓球を始めてこのかた交差歩の練習をしたことがない選手がどうなったかのデータが必要である。誰か試しにそういう指導をしてみる気はないだろうか。私の理論を証明するためだけに。

石川佳純あたりが「交差歩?んなもん知るか!」って言ってくれると話は早いのだが。しかしそれでも認めたくない人は「だから石川は世界チャンピオンになってないんだ、交差歩を練習してたらもっと強かったはずだ」と言い逃れるこができる。なにせ世界チャンピオンになってさえも「基本がなってない」と言われる世界なのだ。これがスポーツの技術論の難しいところであり、それ故にスポーツは進化することを止めないのだ(考えて正しい打法が分かるなら100年も前に理想的な打法に到達していたはずである)。

卓球部の歓迎会

昨日は、会社の卓球部の連中が私の歓迎会をしてくれた。帰国してすでに2ヶ月経ったので、もはや忘年会と兼ねての開催だ。

さすがに全員が卓球関係者だけあって卓球談義に花が咲き、退職者への寄せ書きラケットやら皿などを使ってのグリップ議論が白熱した。まったく卓球関係の飲み会は楽しい。もちろん、私が必要以上にくどい議論に誘い込んでいることは言うまでもない。

途中、3番弟子の小室が得意のエロ話を披露したが、そのときもなぜか手はペンホルダーのバックプッシュとなっているのであった。小室は何の話をするときでも、話の内容とは無関係に卓球に関連した動作が止まらないのだ。脳の言語をつかさどる部分と卓球をつかさどる部分(あるのかそんなの)の制御回路が壊れているものと思われる。頼もしい弟子である。

交差歩フットワークの続き

さあーて、交差歩フットワークの続きだ。

フォアへの飛びつきの交差歩のときの前の足のつま先の向きを気にするのは日本人だけかと思っていたのだが、先日、中国の卓球指導ビデオを見ていたら李富栄(3回連続世界2位)の実技指導で、まさに日本と同じようにつま先の向きについて注意を喚起していた(字幕もナレーションも中国語だけなのでわからないが、わざわざ図示しているので、このようにしろということだろうと思う)。

そして李富栄の実戦映像を見ると、確かにそのようにやっているように見えた。だから、当時としてはこれでいいのだろう。

しかし、現代卓球では実戦で誰もそのような動きをしていないので、この指導は間違っていると位置づけるべきだと思う。

仮に、トップ選手たち全員が、つま先の向きをボールの方向に向けて飛びつく(言い換えれば、それができるほど時間の余裕があるのに交差歩を使う)練習をしていたとしても、この練習が正しいことの証明にはならない。それは、トップ選手たち全員が携帯電話をもっているからといって、携帯電話をもつことが卓球の役に立つことの証明になるわけではないのと同じことだ。携帯電話を持っていない人は全員卓球が下手だというデータがあって初めてそれが言える。携帯電話を持っていない人がどうなのかのデータがなければ何ともいえないのだ。

それに対して私が言っているのは「携帯電話が卓球の役に立つかどうかはわからないが、実戦で携帯電話を持ったままプレーをしている人はいないので関係ないと考えるのが妥当である」ということだ。ちょっと論理の飛躍があったが面白いからいいだろう。

約束

先の忘年会は、私が水曜になっても会場を決めていなかったを知った「教え子」が慌てて予約をしてくれて事なきを得た。

「この忘年会シーズンにまさかまだ予約をしてないとは思いませんでしたよ。『伊藤先生、勉強だけできてもこういうことはできないのかしらね』と母が言ってました。」と言われた。私が苦笑していると田村が調子に乗って「だいたい条太さんは今まで時間なんか守ったことねえもん。話になんないよ。俺はいつも5分前には行くね。」などと言う。5分前どころか、田村は約束もしていないのにいきなり休日の朝7時に私の家の玄関に現れるのだ。
思えば今から19年前、田村は私の結婚披露宴を1日間違えて来なかったのだ。披露宴の当日に、一緒に出席する予定だった友人宅に「明日の行き方」について電話をして母親に「もう行きましたけど」と言われて青くなったのだ。このときの24時間の遅れを取り戻すために、田村は未だに早朝に玄関に現れ続けるのかもしれない。迷惑なことだ。

基本とは何か

ある人から聞いた話だが、ある年配の卓球指導者が、フォア前フリックは左足前でするべきだと今でも言っているらしい。若い人が「でも、王皓は右足前でやってますよ」と言うと「それは基本ができてないんだ」と言ったという。

基本ができてなくても世界チャンピオンになれるんなら、基本なんか要らないということである。

基本という概念について以前から思っていたことを後ほどじっくりと書きたい。

交差歩のフットワーク

田村に誉められたので、引き続きジャパン・オープンの分析をしよう。

今度は、シングルスのフットワークだ。

日本卓球界では昔から、交差歩がフットワークの基本のように言われてきた。
そして、フォア側にとびつくときには、交差して前に出す方の足のつま先をボールを打つ方向に向けるのが基本とされてきた。卓球雑誌や本にもそう書いているし、指導ビデオでも一流選手がそういう手本を示すし、私もそのように教えられた。

ところが、実戦の映像を見ると、ほとんどの選手がこれを守っていないことに気づくだろう。馬琳だろうが柳承敏だろうが、飛びつくときのつま先の向きは、動く方向を向いているのであり、ボールの方向など向いていない。

第一、現代卓球では、交差歩の頻度自体が極めて少ない。

試しに男子シングルス決勝のボル対水谷の試合のフットワークを分析して見た。試合は4-2でボルの勝ちだったので、全部で6ゲームだ。ただし、向こう側のコートだと足の形が見えない場合があるので、分析対象は各ゲームとも手前側の選手だけとし、したがって選手あたりの分析ゲーム数は3ゲームづつとした。

その結果、それぞれの選手が交差歩を使った回数は次のようになった(ただし、打ち抜かれて諦めたような場面や、飛びついたはいいけど相手のボールが入らず、打つ必要がなかったときに足が交差していたような場合まではカウントしていない)。

ボル 6回
水谷 4回

すべてのラリーの足を見続けたが、たったこれしか交差歩を使ってはいない。そして、そのときのつま先の向きはどうだったか。ボルが2回だけ斜め前方を向いていた(左の写真)が、それ以外の4回はすべて真横を向いていて、打ったボールの方向を向いていた場合はなかった。斜め前方を向いていたときも、ボールの打った方向に対しては90度もずれている。水谷は4回すべてが真横を向いていた。

つまり、つま先を打つ方向に向けることができるような時間的余裕がある場合にはそもそも交差歩を使わないのだ。腰の回転をあきらめ、腕と上半身のひねりだけでかろうじて打球するようなケースでだけ交差歩を使うのだ。

であるならば、練習もそのようにして、その体勢でのボールの威力と安定性を増すべきだというのが私の考えである。実戦で絶対にやらないような打ち方が何の練習になろうか。たとえ一流選手がそういう練習をしていたとしても、彼らの練習がベストである保証はない。その練習が間接的に役に立っている可能性は否定できないが、支持する証拠もない。せいぜいが、「否定はできない」という程度のものだ。練習を進化させるためには、そのような根拠のない定説から解き放たれることが必要なのだ。むしろそこにこそ改善のタネが転がっていると考えるべきだろう。

根拠の示せない定説をとるか、100%の事実をとるかだ。私は事実をとる。これが先月号の原稿に書いた「実戦の動きをとことん観察し、分析していく」ということの意味である。何も難しいことではない。先入観を取り払ってビデオを見れば誰でもわかることである。「現在手本だけを追っていたら新しい卓球を生み出せないのではないか」という批判が聞こえてきそうだが、現在手本すら正しく認識できていないのでは新しい卓球もクソもないではないか。