アメリカのオレンジジュース

取っ手がついていたりしてどう見ても洗剤だが、これでオレンジジュースなのだ。3.8リットルのストレートジュースだ。こんなのをガバガバとアメリカ人は飲んでいるのだから太るわけだ(もちろん日本と同じような小さいのも売ってるけどね)。

スポーツ医・科学委員会の研究報告

阪大名誉教授の辻さんから、平成20年度の研究報告書が送られてきた。

昨日は海水浴に行ったのだが、出掛けにこんな面白そうなものが届いたのだから読まないわけにはいかない。海に持っていって子供たちに砂遊びをさせつつ読了した。フロリダは暴風雨だったので、冊子が濡れてしまったが、こういうものは実用品であって読めればよいものなので気にしない。『ラケット質量が卓球のフォアハンドドライブ動作に与える影響』なんて題名を見ただけで小躍りしたくなる。

よく、仕事と遊びの切り替えのメリハリがはっきりしていることが良いこととされるが、それが良いという根拠はない。良いかどうかはわからないが、わたしは全然メリハリはない。いつでもどこでも卓球やら仕事やら家族やら人生やらをダラダラと考えている。このようにしかできないのだから仕方がない。

社内卓球大会

その後も社内の卓球熱は続いている。
昼休みになると、毎日誰かは卓球をしている。自分専用のラケットを買った者も3,4人いる。先日はそのなかの何人かにドライブを教え、みんな成長著しい。

先週はデリルが卓球大会を催すということで、部屋の出入り口のドアにトーナメント表が貼りだされ、よく見ると私の名前が勝手に書いてある。例によってJODAなどと間違えて書いてある。そういえばあいつら、私のことを「ジョーラ」とか「ジョーダ」とか言うと思っていたらやっぱりろくにわかっていなかったようだ。

だいたい、私の社員証からしてJotoと書かれているくらいだ。そういえば、今年の1月に参加した大会の組み合わせ表にもJotoと書かれていた。ジョータというのがよっぽど発音しにくいと見える。

社内卓球大会は毎日昼休みに行われ、どの試合がいつ行われるのか、ちゃんとタイムテーブルまで決まっていた。参加者は8人だった。日本のように一度負けたら終わりの方式はこちらでは「シングル・エリミネーション」といい、それに対して、一見トーナメントのようだが、負けると敗者用のトーナメントにうつり、そこで負けるとお終いになる方式をダブル・エリミネーションと言い、けっこうよく使われる。勝者のトーナメントで負けた人はその負けた位置に応じて敗者のトーナメントの後半の方に配置されるようになっていて、なかなかうまくできている。最終的に敗者のトーナメントの優勝者は勝者のトーナメントの優勝者と決勝をやるので、誰にも二回負けるまでは優勝のチャンスがあるのだ。

私は左手で参加したが、無事に優勝することができた。最初、慣れていないので2回戦でスティーブに負けて敗者トーナメントの2回戦に回り、その後だんだんと上手になって優勝し、勝者トーナメントで優勝したデリルと決勝をした。そこで3-0で勝ったのだが、デリルはこの時点で初めて負けたので、続けてもう一度私と「本当の決勝戦」をやった。よく見るとトーナメント表にもちゃんとそういういうケースの分岐が点線で書いてあって、本当によくできている試合方式だった。やはり物事を楽しむことにかけてはアメリカ人は進んでいると思った。

「本当の決勝戦」では、その試合を計算に入れていなかった私は疲れてしまって結構接戦で、3-1でやっと勝ち、現場のガラクタを集めて作ったトロフィーを授与された。

来週はダブルスだそうだ。私は出ないつもりだが、卓球経験者の日本人赴任者が二人参戦することになっていて、さっそく金曜の夜に練習をしていた。

英語の話になるが、こちらでは試合形式によらず大会自体のことをトーナメントという。日本でいう、アミダくじのようないわゆるトーナメント方式のことはこちらではシングル・エリミネーションと言う。ちなみに、総当り戦はラウンド・ロビンだ。最初、このトーナメントという言葉の意味のズレと、ダブル・エリミネーションという言葉のダブルという言葉をダブルスのことだと思って、かなりトンチンカンなやりとりをした。トーナメントだと聞いて試合に行ったら総当りだし、パートナーもいないのにダブルスかよと思っているとシングルスだったり、という具合だ。へたに共通の単語を使っているだけに誤解を招く。

素振り

卓球人なら誰でも、日常生活で卓球の素振りをしてしまうことだろう。私も歩くときなどほとんど無意識で素振りをする。素振りといっても、実技向上のための素振りではなくて、ただ、インパクトの感じを想像して楽しむだけのものだ。

私はシェークの両面表なので実戦ではドライブなどしないのだが、やはり素振りとなるとドライブをしたくなる。ペンのバックハンドとかフリックもやる。自分の戦型とちがう素振りをしたくなるのはよくあることで、学生時代の仲間も、ペンのやつにかぎってシェークに持ち替えて奇妙な素振りをしていたし、シェークのやつもペンに持ち替えてあらぬ素振りをしていた。

そういうわけで私も、ここ最近は高島さんの切り下ろすカットに凝っていて、カットマンでもないのにときどきズバッと切り下ろしている。先日これを仕事中にやってしまったところ、私が何か重要なものを見つけて床を指差したと思われ、注目されてしまった。あらためてそのときの格好を検証してみると、たしかにこれはまずい。どう考えても床を指差しているようにしか見えない。しかもカットとしても中途半端でダメだ。だいたい、グリップが誤解のもとだ。もっとも、ペンだとOKサインか金銭、あるいは大仏様と誤解されるだろうから、それよりはマシだ。

どうせなら膝が床につくくらいにすれば誤解を生むこともなく良かったかも知れない。

カットマンの風貌

ペンサコーラで試合に出たときに見た選手の写真だ。

神経質そうな痩せ型で、ヒゲは濃く銀縁メガネをかけている。試合中はほとんど声を発せず、表情も変えない。私も実際に対戦したが、ついに彼の肉声を聞くことはできなかった。彼はカットマンである。私はこういうタイプのカットマンをこれまで数え切れないくらい見てきたが、これでペン表ソフトとかドライブマンという人は見たことがない。いったいどうしてカットマンにはこういう人が多いのだろうか。

もともとこういう人はカットマンになりたがるのか、あるいはカットマンという職業柄こういう人になってしまうのかどちらだろう。たぶん前者だろうな。

卓球は面白い。

別の似顔絵

昨日は水族館に行ったが、またそこで下の息子と似顔絵を描いてもらった。なんだか全然似ていないし面白くもない。昔テレビでよく見た個性派俳優みたいで、いったいどこのオヤジよという感じだ。

息子は似ているような気がする。

ベリーピストル

セントオーガスティンでは、古い牢屋も見学した。
牢屋の中にはいろんな銃が飾ってあったのだが、そのうちの一つにVery Pistolと書いてあるものがあった。veryといえば「とても」という意味と「まさに」という意味があるから、これはピストルの中のピストルなのかと思い、辞書を調べて驚いた。ベリーという人が開発した「ベリー式信号ピストル」とちゃんと書いてあった。こんなもん、いくら頭をひねって考えたって知らなければわかるわけがない。辞書は見るものだ。

リプリー博物館4

博物館の最後の見世物は、実は人間である。マジックミラーごしに、展示物を見ている観客を観察できるようになっているのだ。観客はマジックミラーの向こうで、あごを外すことのできるいわゆるクシャおじさんの映像を見ているので、中には顔マネをする人もいるのだろう。それをこちらから見て楽しむわけである。なかなかよく考えられていると思う。

せっかくセントオーガスティンに行ったので町並みも載せておこう。スペイン風の楽しげな町だった。

リプリー博物館3

次は世界一小さい男。なんと、鳥篭に入っている(笑)。これはもちろん蝋人形だが、本当にいたのかこんな奴。

あと、頭に蝋燭が生えているオヤジ。なんでも、頭蓋骨が削ってあって蝋燭が立つようになっていたのだという。蝋燭よりもこのオヤジの表情が可笑しい。

あと、頭で階段を降りることができる紳士。この写真がその証拠のようだ。想像しただけで痛そうだ。頭蓋骨骨折に頚椎骨折、死ぬだけでは済まなそうな荒業だ。