平野、52年ぶりの中国越えならず

48年ぶりではない。52年ぶりなのだ。もしも平野が丁寧に勝って優勝すれば。

それは、日本選手が「中国選手を破って」優勝するのが52年ぶりと言う意味だ。

たしかに日本人の優勝は48年ぶりだが、48年前に小和田敏子がミュンヘンで優勝した1969年は実は中国は文化大革命のため世界選手権に参加していない。その前の1967年ストックホルム大会も同様だ。

日本選手が世界選手権で中国選手を倒して優勝したのは、1965年リュブリアナ大会の深津尚子が決勝であの林慧卿を3-2でぶっ倒したのが最後なのだ。ゆえに52年ぶりとなる。ちなみにリュブリアナで深津が倒した林慧卿と鄭敏之は、それから6年後の1971年名古屋大会の女子シングルスで決勝を争っている(林慧卿の勝ち)。文化大革命によるブランクがあってもこの実力なのだ。深津の偉大さがわかろうというものだ。もっとも1971年名古屋大会の団体では小和田、大関、大場の3人で上記両名を屠って優勝しているわけだが。

それにしても丁寧は徹底していた。女子では世界で平野が最高であろうライジングカウンターバックドライブ(男子ではボルが世界一だろう)を、バックサイドから打たせなかった。徹底的にミドルにボールを集めた。平野がそれをやろうとすると、ミドルからのバッククロスはわずかにコースが短いためオーバーミスとなったし、入っても鋭角さが足りないため得点にならなかった。

また、丁寧のドライブの回転量が平野の想定をわずかに上回り、オーバーミスにつながった。

よって、丁寧の平野対策は、

・絶対に平野のバックサイドにドライブを打たないこと

・ドライブの回転量を増すこと

の2点だったと思われる。

もともとアジア選手権でも逆転で最終ゲームのギリギリで勝ったわけだから、今回、平野が勝っても負けても何も不思議なことはないわけだが、それにしても惜しかった。事実上の決勝戦だっただろう。

今後の平野の強化方針は、男子とやって回転量の多いボールを打つことと、ミドルに来たボールを「はいそうですか」とフォアハンドで打ち抜けるよう球威を増すことだろう(打法、用具を問わずだ)。まあ、当たり前のことではあるが。

惜しい解説

·同じく『直撃LIVE グッディ!』で、非常に惜しい解説があった。

ネット際に高く上がった水谷のロビングを張本が打ちこんで得点した場面だ。

解説では「張本が打ちこんでくると思って警戒して構えていた水谷に対して、張本は空いているコースに打ちこんで得点した」というのだ。

ところが実は張本がやったのはもっと高度なことなのだ。

張本は、一度ストップ、つまりネット際に落とすかのようなフェイントをかけているのだ。それが上の写真の場面だ。ラケットが完全に静止している。

これを見て前に突っ込んできた水谷に対して、そのままラケットを引かずに押し込むようにして打ちこんだからこそ、水谷は逆を突かれて反応できなかったのだ。

つまり張本がやったことは、スマッシュをするふりをしてストップするふりをして実はスマッシュをするという二段回のフェイントなのだ。こんなことまで身につけている恐るべき13歳だ。

こんなに解説しがいのある場面をなんともったいないことだろうか。

野球やサッカーのように観戦する文化が根付いていれば誰かが気がついたはずだが、卓球は急にバブルのように取り上げられているので、卓球を見る眼が追いついていないのだ。それにしてももったいない。

正しく解説すれば卓球ぐらい見て面白いスポーツもないのに。

言い過ぎか。

張本のチキータ

張本が水谷に勝ったことがいろいろな番組で取り上げられている。水谷の気持ちを思うといたたまれないが、水谷のコメントは王者の風格があったし、ともかく男子の卓球が取り上げられることは、卓球ファンとしては嬉しい限りだ。

数年前までのことを思えば本当に夢のようだ。

中には、卓球の技術的な解説をしようと頑張る番組もあって微笑ましいが、残念ながらまともな解説はほとんど見られない。

昨日のフジテレビの『直撃LIVE グッディ!』という番組では、張本のチキータと水谷のチキータの差を解説していたのだが、なんとも面白い放送だった。

張本と水谷のチキータの映像を並べて比べて画面に赤丸を表示して、その打点の違いに注目してほしいなどと言っている。「張本のチキータの方がネットの近くで打つ」というのだ。

ところがだ。その赤丸の位置は水谷の方がネットに近いではないか(笑)。

打球点も写真からはどちがネットに近いかは判断しがたい。

そもそも、テニスやバドミントンじゃあるまいし、卓球は台に弾んでからしか打てないのだし、チキータはその性質上、頂点付近でしか打ち得ないので、実質的に打球点は相手のボールで決まるのだ(バウンド直後にチキータ打てる奴がいたら連れてこい!)。

そして、そして、そもそもこの映像で張本がやっているのは、チキータではなく、普通のバックハンドなのだ!

以上、二重三重の間違いが凝縮された、非の打ちどころのない間違った解説であった。

卓球は確かに難しいが、これは・・・誰かに聞けばよかったのではないだろうか。

いや、そもそも打点の違いなどという発想がマニアックな卓球人の発想だから、恐らくこれは、卓球人から聞いた話を参考に、映像から該当しそうな部分を見つけて解説したものだろう。

したがって、聞かなかったのではなく「中途半端に聞いた」のが敗因とみた。

美宇の世界選手権優勝はあるか

当然ある。

今回のアジア優勝で特筆すべきは、平野のプレースタイルが、ドライブによるローリスクな卓球だったことだ。これまでも希に日本選手が中国選手といい勝負をしたり勝ったりしたことはあったが、それらは往々にして、低いボールでも強引にスマッシュしたり、間違いとしか思えないようなカウンターによるハイリスクな卓球によってだった。だから勝ち続けることはできなかった。

そういう無理な卓球でなければチャンスがないほど実力差があったのだ。

ファインプレーというのは、その場では素晴らしいことだが、長期的観点からは実は褒められたことではない。ファインプレーをしなくても勝てるほどのローリスクの卓球を身につけるのが理想なのだ。それを実行しているのが中国だ。中国は昔から一貫して弧線を重視するローリスク卓球だ。低いボールをフラットにスマッシュするような選手は建国以来いない。前陣速攻の荘則棟、江加良でさえそうだった。

これは世界的にも同じで、低いボールをフラットでスマッシュを連発して世界チャンピオンになったのは、93年の玄静和(韓国)だけであり、1960年以降の近代卓球では、そういう卓球は成立しないことを示している。

今回の平野の卓球は、打球点が早いというリスクはあるが、基本、ボールに強いドライブをかけて安定を図るローリスクな卓球だ。これで中国選手3人を破ったということは、これが一時的なものではない「本物」だということを意味している。戦術とか意外性によってではなく、純然たる力比べで勝ったということなのだ。

平野がデュッセルドルフで世界チャンピオンになったとしても少しも不思議ではない。

ちなみにこれまで、アジアと世界の両方で優勝した選手は、丁寧、張怡寧、喬紅、鄧亞萍、何智麗、曹燕華、小和田敏子、松崎キミ代という、卓球史に燦然と輝く錚々たる面々である。

一方、世界でだけ優勝したのは、李暁霞、王楠、郭躍、玄静和、童玲、葛新愛、パク・ヨンスン、胡玉蘭、林慧卿、森沢幸子、深津尚子、邸鐘恵、江口冨士枝、大川とみとなり、超名選手が含まれてはいるが、総じて知名度が落ちることは否めない。荻村伊智朗が言うところの「強い世界チャンピオンもあるかと思えば弱い世界チャンピオンもあります」(『笑いを忘れた日』)というところか(それにしてもなんたる言い草だ)。

さらに、アジアでだけ優勝した選手となると、朱雨玲、劉詩雯、郭焱、林菱、牛剣鋒、李菊、唐薇依、斎宝香、張立、枝野とみえ、李莉、大関行江、尹基淑、関正子、伊藤和子、崔京子となり、さらに知名度が落ちる。

やはり大会のステイタスの違いから、アジア大会への準備が世界選手権よりは若干おろそかになるためだろう。大会への準備はそれだけ重要であり、それによって勝敗は逆転しうることを意味している。

それにしてもデュッセルドルフの結果が楽しみである。私は今回は行かないが、日本から手に汗握ろうと思う。

平野美宇の偉業

平野がアジア選手権の女子シングルスで優勝した。

報道では、日本女子として21年ぶりの優勝とあるが、21年前に優勝した「小山ちれ」とは、中国名「何智麗」であり、アジア選手権を1984年から3連覇しかつ1987年世界チャンピオンになったバケモノであり、中国で現役引退後は日本に帰化して「小山ちれ」となり、30歳でアジア競技大会で中国の不動のエース鄧亞萍をいてこまして優勝し、あげくに31歳でアジア選手権を制したという「やっぱりバケモノだった」というとんでもない選手なのだ。

よって、それはこの際カウントしてはならない。小山ちれを除くと、その前に日本人がアジア選手権に優勝したのは1974年の枝野とみえまで遡る。

ふふふ・・・43年ぶりだ。2倍以上の43年ぶりなのだ。わかるかこの意味が。

ちなみにその時の男子シングルスのチャンピオンは長谷川信彦だ。あの長谷川信彦がまだ現役のときなのだ! とんでもない昔だ。

卓球女子のアジアチャンピオンといったらあんた、世界チャンピオンと同じである。なぜそう言えるのかって?それはだなあ・・・現在は世界の女子卓球界は圧倒的にアジア勢優位なのであり、1955年世界チャンピオンのロゼアヌ(ルーマニア)が1956年世界選手権東京大会で田坂清子に負けて以来、62年もの間、世界チャンピオンはひとり残らずアジア人(日本、中国、韓国、北朝鮮)なのだ。

もっとも、アジア選手権で優勝してかつ世界選手権でも優勝するのは、これまたごく限られた選手だけなので(それだけ競争が激しい)、世界チャンピオンになる実力があるとは言えても、実際になるかどうかは別問題だ。

ちなみに、今のところ日本女子最後の世界チャンピオンは、1969年の小和田敏子だから、平野がデュッセルドルフで優勝したりすると48年ぶりのとーんでもない快挙となる。

ただし、史上最年少優勝にはならない。

1936年にアメリカのアーロンズが16歳で優勝しているし、1937年にはそのアーロンズとオーストリアのプリッツィが、ともに17歳で優勝しているからだ(制限時間内に勝負がつかず両者優勝)。さらに1975年には北朝鮮のパク・ヨンスンも17歳で優勝している。

ちなみに、女子世界チャンピオンの最年長は、1955年のロゼアヌの33歳だ。偉大なりロゼアヌ。

これは、私が歴代の世界選手権の開催日と全個人種目の優勝者全員の生年月日を調べ上げて作ったオリジナル資料だ。

 

ともかくだ。凄い。凄すぎるぞ平野美宇。

ああ、どんな言葉でも足りない。どう書いても今回の偉業を表現できないことがもどかしい。

卓球を始めて以来、こういう瞬間をいつかいつかと夢見て、結局生きている間に見ることなく亡くなっていった日本の卓球人がどれだけいたことか。1990年代前半に日本チームの監督だった野平孝雄が、インタビューで「世界選手権で日本人同士の決勝を見れたらその瞬間に俺は死んでもいい」と言っていたのが忘れられない。その野平も2013年に亡くなった。

43年とはそういう時間だ。

甚だしい間違い

卓球関連の知人から面白い話を聞いた。

息子がこの春、高校に入ったのだが、その入学式で校長が卓球に触れたという。

そこで語られたことが素晴らしい。

「リオ五輪に出られなかった平野早矢香選手が、その悔しさをバネにして世界チャンピオンになった」

と言ったのだという。なんと面白い間違いだろうか。

いっそのこと、リオ五輪ではなくてサラエボ五輪とか言ってくれると最高だった。卓球がまだ五輪に参加する前の、しかも冬季五輪なのだから、もう非の打ちどころのない間違いだったといえよう。

デイル・カーネギー『人を動かす』

久保さんは徹底的に自らの存在を隠してきた人だったが、実は久保さんがそうしてきたのは、持って生まれた性格ではなくて、明確な理由があった。

久保さんは東京生まれだが、戦争のため、小学校5年生の時に大阪に疎開をした。そこで東京弁を使ったものだから、文字通り何度も袋叩きに合うほど嫌われたそうだ。

そんなとき、ある本に出合った。デイル・カーネギー著『人を動かす』だ。その本はさまざまなエピソードの寄せ集めからなり、一貫して主張していることは、「主張するな、人を説得しようとするな、それこそがもっとも効果的に人の心を動かす」ということだった。

そこで久保さんは意識的に、自分のことを言わない、自慢話をしないと言ったことを徹底した。最初は意識してそうしていたが、次第にそれが自然に身につき、人格になった。それ以来、他人からの評価が劇的に変わり「話せば話すほど損だ」ということがわかり、その生き方を徹底するようになったという。

私にはとても実践できそうにないが、ともかく私もすぐに『人を動かす』を読んでみようと考えた。読むと言っても、昭和五年生まれの久保さんが十代の頃に読んだ本だ。今も売っているのだろうかと思って本屋に行くと、なんとショーウインドウに通りに向けて10冊以上も並べられているではないか。80年も前に出版されたのに、とんでもないベストセラーである。

直ぐに買ったことは言うまでもない。

ヨネックスの卓球ユニフォーム?

ヤフーニュースを見ていたら、夏目三久というアナウンサーがCMのために卓球をする姿を撮影したとあった。

https://videotopics.yahoo.co.jp/videolist/official/others/p81024ea6ec01bdf18337c80eb61bf71b

説明書きを見ると「卓球のユニホームに身を包んだ夏目三久アナ」とあった。

「どれどれ」とよく見ると、なんと胸にはヨネックスのマークが。卓球のユニフォームじゃない(泣)。短パンはちゃんとバタフライだったので、これはスポンサー料を反映してのことと思われる。

ヨネックスの店舗に行って卓球のユニフォームを探す人がいそうだが、それはないのだ。

 

 

現代卓球を創った男

今月の卓球王国に追悼原稿を書いたが、偉大な卓球人が亡くなった。

久保彰太郎、86歳。

卓球マニアでさえこの名を知る人はほとんどいないだろう。私も2003年にお会いするまでまったく知らなかった。

荻村伊智朗著『卓球・勉強・卓球』の77ページに、

「夜中まで練習をして、万年浪人の久保という人を自転車に乗せて帰ると、途中で沖縄ソバにありつける」

というフレーズがあるのを後で見つけたぐらいだ。

また、1990年代に、新しいラケットのアイディアを卓球メーカー各社に送ったところ、タマスからだけ返事があり、試作品まで送られてきて「試作しましたが効果が見られないので製品化はしない判断となりました」と丁寧な手紙が添えてあった。

どこの馬の骨とも知れない私のアイディアを、無視するどころか試作までして返事をくれたタマスの姿勢に感服したものだったが、久保さんとお会いした後で、10年ほど前にいただいたその手紙のことを思い出し、引っ張り出してみたところ、差出人の欄には案の定、久保彰太郎と書いてあった。

よく映画などで「裏で世界を動かす陰の実力者」などが出てくるが、久保さんとお会いしたときに思ったことは「そんなこと、本当にあるんだ」ということだった。

久保さんは、1960年代から1990年代までのタマスの製品のほとんどの開発を手掛けた人物なのだ。世界一のシェアを持つバタフライの歴代製品を開発したということは・・・卓球が用具の影響が大きいスポーツだということを考えれば、それはある意味、現代卓球を創ったいうことだ。しかもその会社生活の後半はタマスの実質的な経営者であり、重要な事業判断を次々と下していた。

そんなとんでもない重要人物が「万年浪人」(ひどい扱いだ)としてしか本に載っていなかったのは、久保さんが徹底的に自らの存在を隠し続けてきたからだった。それは自己顕示欲、自己陶酔といったものを、それが自分の中にもあることを認めるからこそ極端に嫌悪したためだった。

晩年は、ブースター問題の解決に情熱を傾けた。

東京・吉祥寺にある久保さんの自宅で、卓球界の裏話や用具の真髄を聞く至福の時間が、もう二度とないと思うと寂しくてならない。

卓球王国で連載を始めたおかげで久保さんとお会いすることができたのだから、その幸運だけでも感謝しなくてはならないとは思うのだが、やはり失ったものの大きさを実感している。

意地でも「ショット」を使いたいようだ

敵もさるもの、平野早矢香が言ってもいないのに「ショット」を付け加えてる。くうーっ(泣)。勝負あったか。

しかし、卓球を始めて1年半の小学生に卓球を教える企画なのだから、安定してないといえば打球に決まっている(まさか精神的に不安定とか生活が不安定とかと誤解する人はいないだろう)。

平野のセリフそのままで何が不足なのだろか。

と、「ショット」が嫌いな私は思うのであった。

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