『コーチはステラン・ベンクソン』

USA卓球協会から送られてくる会報を見ていたら、「ステラン・ベンクソン」の文字が目に飛び込んできた。ベンクソンといえば、私が卓球を始めた中学生の頃に読んだ卓球の本に載っていた、史上最年少の18歳で世界チャンピオンになったスウェーデンの英雄だ(今もその記録は破られていないと思う)。

なんとも気難しそうな、さえない顔をして写っているこの男が、あのステラン・ベンクソンなのだろうか。現役時代に「ミニ・ステラン」と言われていただけあって相変わらず小柄のようだ。

読んでみると、ベンクソンは今、アメリカのサンディエゴでプロコーチをしながら奥さんと暮しているという。記事は、ためらいながらも「あの世界チャンピオンのベンクソン」にコーチをしてもらい、さまざまな指導を受けて、地元のレーティング別大会で見事優勝した54歳の男性の手記だ。

記事の最後には、「この優勝がベンクソンのコーチのおかげかどうかは読者のご判断におまかせしますが、私は誰かに聞かれたら”ええ、私にはコーチがいます。ステラン・ベンクソンがね”と言いたいと思います。」と締めくくられていた。

サンディエゴか・・。なんと、関連会社があるので仕事で行く可能性がある。同じ町にあのステラン・ベンクソンがいると知りながら、会いに行かずにいるなどということができるだろうか。「ベンクソンと酒を飲んで、荻村伊智朗の特訓の話や、伊藤繁雄との決勝の話を聞いた」などと言ったら2番弟子の田村がうるさいことになるので黙っていようと思う。

水遊び

子供たちはブラックベリー摘みの後、暑い中、隣家の兄妹と野球や卓球をして遊んだが、夕方の5時くらいになると湖で水浴びを始めた。スタンの家は湖畔にあるので、歩いて一分で湖なのだ。

湖はボートで遊ぶ若者たちでにぎわっていた。私はヒマなのでみんなと離れたところでブランコに乗って時間をつぶしていると、スタンがやってきたのであれこれ話した。スタンによると、この湖には野生の生き物がたくさんいて、向こう岸にはワニもたくさんいるという。しかし監視員が夜な夜なチェックしていて、こちら側には来ないようにしているから心配ないそうだ。ワニの獲物は鴨、魚、蛇、蛙、亀などらしい。亀の硬い甲羅をワニが噛み砕く様子を想像し「美味いんだろうか」などと、ワニの気持ちになってみたりした。

私とスタンが二人でブランコにならんで話し込んでいるのを遠くから見ていた妻と郁美さんが「誤解を生むよね」と言い合っていたらしい。

湖から帰った後、子供たちはブラックベリーケーキとおはぎを腹にぎっちりと詰め込んで、再び隣家の兄妹と暗くなるまで野球。帰りの車中では即寝であった。

卓球できるところに引っ越す?

スタンの家には昼ごろに着いて、近くの中華バッフェで昼食をご馳走になった。

このあたりは競技として卓球をする人はスタン以外にはいない。練習をするのにも車で1時間半は走らないと相手がいないのだ。この店の店員の中国人にも「卓球はしますか?」と聞いたくらいだそうだ。「中国人になら誰にでもそれを聞くんですか」と聞くと「ハイ。ドイツ人にも聞きます」と言った。

卓球相手がいないことはとても寂しいらしく、そのうち、卓球人口が多いところに引っ越したいそうだ。日本人ではとても思いつかないことだが、そもそも日本では「卓球できないところ」がない。私ももし卓球人口がゼロの町に行ったら確かに引っ越したくなるかもしれない。

背中にButteflyの文字をつけながらレストランで腕相撲をするスタンの卓球狂ぶりがおかしい。

ブラックベリー摘み

フロララのスタン・郁美さん夫妻の家に招かれ、ブラクベリー摘みをしてきた。写真左の遠景に見えているのがスタンの家で、ブラックベリーが群生しているところがすぐ家の裏にあるのだ。6月にはブルーベリーが生るそうだ。

ブラックベリーというだけあって真っ黒な実で、とても甘い味を想像するがそうでもない。ときどき甘いのがあるが、だいたいは少し甘くて酸っぱい程度だ。

中学生の頃、どっかの山奥に木苺が生っているという情報を得て、自転車で10kmくらい走ってわざわざそれを食べに行ったものだった。そう書くと「そんなに食べるものがなかったのか」という印象になるが、そうではない。その当時はすでに今と変わらない食生活だったし、お菓子も好きなだけ買って食べていて、別にひもじかったわけではない。ただ、アケビとか木苺とか、自然に生っているものは特別価値があるような気がしたし、なんといっても野生になっているものを採るところが楽しかったのだ。

30℃を超える猛暑の中(例年通り)、目に汗を沁みらせながらブラックベリーを摘んでいてそんなことを考えていた。

ブラックベリー摘みの後は、スタン家の卓球場で卓球をした。室内は冷房がないので、家側の戸を開けっ放しにして冷気を入れたがそれでも暑く、40℃近くになった。

トマトはどした

茄子を植えたはずのところから、一つだけ芽らしいものが出てきていたので、半信半疑ながらも放置しておいたが、これはいったい茄子なのだろうか。どうみても雑草にしか見えない(写真左)。もう少し様子をみよう。

一方、トマトを植えたところからもたくさん芽が出ているのだが、本当にこれがトマトなのかどうかがわからない(写真中央)。たぶんトマトだと思う。理由は、種を植えたところに目印として立てた棒のところからだけ生えているからだ。しかしその形たるや、雑草にそっくりの双葉なので、トマトが生るまでは油断がならないのだ(写真右が雑草)。

コットン・キャンディー

スーパーマーケットの駐車場に出店が出ていた。Shaved Iceがカキ氷で、Cotton Candyは綿菓子だ。そのまんまだ。他にもFunnel CakeやLemonadeなどがあるようだ。

Lemonadeといえば、日本のラムネはこのLemonadeが訛ったものだ。Lemonadeというつづりを先に見れば「レモネード」と言いたくなるが、音だけ聞けば「ラムネ」としか聞こえなかったと言うわけだ。

似たような外来語は無数にある。ミシンはSawing MachineのMachineの訛ったものだし(つまりマシンなのだ)、小麦粉を指すメリケン粉はAmerican Flourだ。ゴムとガムはgumという同じ単語だし、トラックとトロッコも同じtruckだ。導入した日本人が、聞いたか読んだかの違いなのだ。もっと極端なケースでは、ヘボン式ローマ字を考案したヘボン神父のヘボンと、映画女優オードリー・ヘップバーンのヘップバーンは同じHepburnだ。

久しぶりに卓球のことを書く。90年代に、衛星放送でオリンピックの卓球の試合結果を放送したことがあった。そこでアナウンサーは「スウェーデンのイエルゲン・ペシェンは・・」と言った。一瞬、誰だろうと思ったのだが、次の瞬間、これがヨルゲン・パーソンのことだと分かり、可笑しいより腹が立ったことを思い出す。イエルゲン・ペシェン、人生でただ一度だけ聞いた単語だが、生涯忘れることはないだろう。

中国人?朝鮮人?

いつだったか、出社するといきなり、リックという同僚に「お前、中国人だろ」と言われた。どういうことかというと、前夜に帰るときに電気を消したのは誰かという話をしたとき、掃除のおばさんが「チャイニーズが消したのを見た」と言ったというのだ。時間からいってそれは私なので、リックはふざけて私をチャイニーズと言ったというわけだ。リックが中国人のことをどう思っているのかわからないが、掃除のおばさんが私をチャイニーズと思ったことがとても可笑しいらしく、しばらくこのネタを使われた(だいたい、日本の会社なんだから東洋人がいたら日本人だと思うのが普通だろう。たぶんその人は、ここが日本の会社だということを知らなかったんだろう。リックはそのことも含めて可笑しかったのかもしれない)。

私はいつも職場の自動販売機のお菓子を食べるのだが、その中でもよく食べるのがスニッカーズというチョコバーだ。初めは甘すぎて食べられなかったのだが、だんだんと慣れてきて、最近では2日に一回ぐらいは食べている。それを見たデビッドが「日本人はそんな甘いものを食べないはずだ。お前は日本人じゃないな?北朝鮮のスパイだろ!」などと言う。その後もことあるごとに「条太はスパイだからダメだ」と、わけのわからないジョークを言われる。

何とも思わないが、無視するわけにもいかないので反応するのが面倒である(日本人にもこういう人はいると思うが)。

畑づくり 進捗(しんちょく)

畑作りの進捗報告だ。

「進捗」といえば、何年か前、ある新入社員が「”しんちょく”って何ですか」と聞いてきた。進捗という単語をまるっきり知らないと言うのだ。たしかに学生時代に進捗などと言う機会はないだろうから、もしかすると私も知らず、自然に覚えたのだったかもしれない。私も会社に入って「朝一番」とか「朝一」と言われて「何のことだろう」と思ったのを覚えている。

逆に、2年ぐらい前、会社で会議中に、ある雑誌の記事が紹介されたのだが、「力量」という言葉を複数の出席者が知らず「”りきりょう”って読むんですかこれ。こんな言葉があるんですね」と言ったのには驚いた。私は日常からよく使う当たり前の単語だと思っていたが、理系のエンジニアの集団では意外となじみがないのだ。お互いに得意分野が違うものだと思った(おっと私もエンジニアだった・・)。

ところで畑の進捗だ。ごらんのように、大根は雑草に囲まれながらもスクスクと育っている。土の中はどうなっているか分からないが、とりあえずは順調のようだ。トマトの種も買ったが、説明書を見ると、芽を出すまでは屋内で育てろとある。生意気な。そんな面倒なことはしたくない。植物である以上、たくさん撒けば一つぐらい芽が出るだろうと思い、外に撒いてやった。今のところ芽は出ていない。出ているようにも見えるが、私に雑草とトマトの芽の区別をつけろというのは無理な注文だ。出ている芽がトマトなのかどうかが分かるのは、すっかり育って取り返しがつかなくなった頃だろう。

アルマジロ

今週帰任する予定のEさんの送別会が行われた。
赴任者が家族ごと集まってスピーチやらゲームをするのだが、今回のゲームは面白かった。

チームから代表を出して、画用紙に問題の絵を描いて、どれが似ているかを子供たちが判定するのだ。

問題に出たのは『ドラミちゃん』『ファインディング・ニモ』『レレレのおじさん』そして『アルマジロ』だ。私はそもそも『ファインディング・ニモ』など聞いたこともなかったが、答えを見ると見覚えがあった。

中でも傑作だったのがアルマジロだ。下の写真を見て欲しい。いくら絵が苦手だといっても、これほど面白いアルマジロは描けるものではない。古賀慎一か諸星大二郎のマンガに出てくるようなおどろおどろしさだ。すばらしい。

『ウィー・アー・ザ・ワールド』

80年代中頃、ロックによるチャリティーイベントが大流行した。もともとロックによるチャリティーはあったが、80年代の流行は、ボブ・ゲルドフというロック・ミュージシャンがアフリカの飢餓を救おうということでヨーロッパのミュージシャンを集めて『バンド・エイド』というプロジェクトを結成したのがきっかけだ。その後、アメリカにも飛び火してUSAフォーアフリカというプロジェクトができ、「ウィー・アー・ザ・ワールド」という曲を発表してヒットさせたり、「ライブ・エイド」という、イギリスとアメリカで同時チャリティーライブ中継をやったりした。私もポールマッカートニーが出るのを待って徹夜をしたものだ。ザ・フーの出番で、せっかく伝説的なカリスマ、ピート・タウンゼントが出てきてギターのチューニングをしているのに「まだ曲が始まらないようです」などといってカメラが切り替えられ、スタジオの南こうせつの解説を延々と映されたときには本当に腹が立った。当時は、ロック・ファンのニーズを日本のテレビ局はまったくわかっていなかったのだ。

まあ、どっちにしても私はこういうロックによるチャリティーもそれに参加している大半のミュージシャンにも発表された曲にも興味がなく、極めて否定的なのだが、イベントの大きさには感心し、例によって物まね写真を撮った。

場所は、大学の授業が終わった後の教室だ。いかにも楽しそうに歌ったり踊ったりしているように見えるが、すべて写真のための演技だ。何も歌ってなどいない。そして問題は、ここに写っている人たちの大半と私は特に親しくもないということだ。日ごろから「色が黒くてライオネルリッチーに似てるな」(右端の助教授)とか、「あごが長くてスプリングスティーンに似てるな」などと思って目をつけていた奴らをあちこちからひっぱってきて、適当なことを言って撮影をしただけなのだ。もちろん、その写真をどうにかするわけではない。ただ私のアルバムに貼っただけだ。

当時は今にもまして分別のつかない無駄きわまりない情熱があり、今ならとてもやる気になれない勝手な振る舞いをしていた。思い出すのも恥ずかしい。