レーティングを日本に入れよう

今月発売の卓球王国でも書いたが、アメリカ卓球界には選手の強さを数値で表すレーティングというものがある。カナダやオーストラリアなど、他にも導入しているところはあるのだが、日本では誰がやるのかということを含めて、導入は難しいと考えられていた。

ところがスティガのサイトhttp://www.ratingscentral.com/で、世界中の誰でも勝手に選手と試合結果を登録するとレーティングが計算されるサイトがあるのだ。実際、すでに彼らは手に入る試合結果を片っ端から入力しており、すでに世界中の一流選手に勝手に独自のレーティングをつけてしまっているのだ。システムを作ったデビッド・マーカスに「これはITTFや選手は知っているのか」と聞くと、「彼らは我々の存在さえ知らないだろう」とのことだ。ヒマなひとがこれにどんどん日本中の試合結果を入力していけば、理論的には世界基準と統一のとれたレーティングが日本全国の選手に与えられることになる。なんだかネズミ講のようだが、選手としての大成は期待できないが卓球への情熱があってヒマで英語のできる大学生あたりにぜひともトライしてほしい。

誰でも入力できるというのは実はウソで、まず事務局と連絡をとってその資格を得ることが必要だ(それを含めてサイトに説明が書いてある)。じゃないと、中にはいたずらでデタラメを入れる人だっているかもしれないからだ。さらに、もしレーティングがない人だけの試合の結果を入れる場合には、どれくらいのレベルがどれくらいのレーティングなのかおおよその見当をつけて入れる必要があるので、その眼力が必要である。若干ずれていたとしても、それはその後の試合の入力でどんどん修正されていくので最後にはかなり正確なレーティングになるはずだ。

このサイトには丁寧にも見本としてレーティング別に選手のプレーの動画がアップされている。その動画を見て、選手のレベルの違いが皆目検討がつかないような人は、入力はあきらめたほうが良い。レーティングが1500ぐらいの人たちが一見派手なプレーをしているのを見て「こりゃあ、馬琳ともいい勝負かもな」なんて考えていきなり3000とか入れられても困るのだ。

インターネットなくしては絶対に不可能な素晴らしい試みだ。レーティングができれば楽しい。知らない人と卓球の話をするとき「あなたのレーティングは?」という挨拶から話が始まるだろう。素晴らしい。

映画館での卓球デモ

ドーサンから車で2時間半のペンサコーラという町に、卓球好きのLAジョンストンという人がいる。彼のクラブに練習しに行ったこともあるし(帰りにスピード違反で捕まった)、彼が主催する大会にも出たことがあるので、親しくしている。

先日、彼から宛先多数でメールが来た。それは公開中の卓球コメディ映画『Balls of Fury』(9/6参照)に合わせて、映画館で彼のクラブが卓球のデモンストレーションをして大盛況だったとの報告だった。映画館からも感謝されて好きな映画を見られるチケットをもらったし、地元の人にも卓球クラブがあることを知ってもらってよかったと書いてある。

それで、下の3枚の写真が添付されてきたのだが、困ったことに(笑)、全然盛況に見えないのだ。写真を見れば見るほどいたたまれない気持ちになってくる(だいたい映画館自体に人がいない)。昔、私が卓球雑誌にいろいろと送りつけたりしているのを見て妻が「いたたまれない」と言っていたが、こういう気持ちだったのだろうか。
しかし彼らは全然気にしないでこんなメールを送ってくるのだ。卓球の大会でも、少ない人数しか集らなくても、めげずにどんどん次の大会を企画する。本当に楽観的なのだ。

「皆さんのクラブでも卓球クラブがあることを市民に知らせるためにやったらどうでしょう」とも書いてあったが、なにしろこっちはウォレンとチャックだからなあ(笑)。ウォレンはともかく、チャックなんか素人に回転をかけてイジワルをしたりしかねない奴なのだ(実際にクラブで弱い人にはそういうことをするのだ)。

メールはウォレンとチャックにも配信されていたのだが、案の定、彼らの反応はなかった。

ビートルズ9

今回はアメリカ盤『アーリー・ビートルズ』である。曲はイギリス盤の既存曲の寄せ集めで、ジャケットは『ビートルズ・フォー・セール』の裏ジャケットをそのまま流用しているというお手軽さだ。

どうしてこれを真似したかというと、バックの黄色の落ち葉の色が、家の馬屋(現代は馬がいないのだが、わたしの実家あたりでは昔のなごりで今でもこう呼んでいる)に、牛の食料として蓄えられたワラの束で再現できそうなことに気がついたからだ。

かくして、黒っぽい服を用意して、高校の卓球部のメンバーだけで撮影をしたのだった。これは大学1年か2年に帰省したときのものだ。なんだかまともすぎて可笑しい要素が何もない。こんな写真を撮ってどうしようというのか。あらゆる意味で救いようのない写真である。何かをしようという意欲はあるのだが、空回りばかりして本当に空虚な時期だった。

その頃、祖母に「何をやっても面白くない」と不満を漏らしたところ「バカいうんじゃない。20歳なんて一番楽しいときじゃないか。60まであっという間だぞ」と言われたことを覚えている。

それから20年。その祖母も昨年死んだ。たしかに40歳まであっという間だった。一般的には20代は楽しいものなのだろうが、こんな写真を撮ることしかやることがなかった20歳の頃には戻りたくない。今のほうがずっと面白い。
車マニアの大宮からメールが来た。「洗車場は6時からしか開いてないので5時からではなくて6時からです」だそうだ。同じようなもんだろ。

車マニア

私もかなりの卓球マニアだと思うが、車のマニアには敵わないと思う。元の職場の後輩に大宮と言う奴がいるのだが、これがすごいのだ。

休日になると、朝5時から洗車場に行って車を磨くのが楽しみなのだという。週に何回どころではない。とにかく車を洗えるときは洗うのだそうだ。その洗車場には同じような車マニアが集っており、埃ひとつないような車を持ってきて、さらにそれを磨いて輝きを競い合っているらしい。「自分なんて全然ですよ」と大宮は謙遜する(謙遜になってないような・・)。彼らは自動の洗車機など細かい傷がつくので絶対に使わないそうである。何種類もの洗剤やスポンジを使ってすべて手磨きをするのだという。2年に1回の車検の時しか車を洗わない私からすれば信じられない話だ(しかも洗ってもらうわけだが)。

なんでも宮城県のどこかに、車磨きのプロがいて、その人のところに日本中、いや世界中から客が来るのだという。その人は、塗装の厚み以内の精度で塗装を削ることで、傷の修復や光沢を取り戻す技術がある達人なのだそうだ。当然、失敗は絶対に許されない作業だ。とても高額なのだが、何ヶ月先まで予約が詰まっているという。大宮は、そこに行ってその人の話を聞いて感動して帰ってきたそうだ。いや、なんとも・・。

大宮はそれだけ凝っているせいか、あるときアパートの駐車場から夜中に車を盗まれたという。普通、そんな目に会う奴などいないわけだが、大宮の車の価値がわかる同好の奴が盗んだのだろう。怖ろしい世界だ。
何年かしていつものように車屋をまわっていた大宮は、盗まれた車のホイールが売られているのを見つけた。どうして自分のホイールだとわかったかというと、そのホイールには彼が自分で傷を修復した跡があって、その形を覚えていたからなのだ。それどころか写真まで撮っていたので、警察を呼んでそれを示し、そのホイールを返してもらったという。それをきっかけにして犯人もつかまったそうだが、盗んだ相手が悪かったとしか言いようがない。

今回、この話をブログに載せるので写真を送るよう頼んだら、「車全体は恥ずかしいので部分写真を送ります」とのことだ。顔写真じゃあるまいし、車の写真が恥ずかしいとは驚くべき感覚である。車をすっかり人間扱いしてるのだ。

一度、今の車を売ろうとしたらしいのだが、廃車にすると聞かされ、「そんな奴に売ることはできない」と、売ることを止めたそうだ。ずっと家に飾っておく気らしい。ちなみに、奥さんは特に車に興味のないノーマルな人なのだが、大宮のような夫といっしょに普通に車に乗っていられるのかどうかが心配である。

幽霊の話

幽霊が怖いと言う人がいるが、私は幽霊がいてくれたらどんなにいいだろうかと思う。普通、人が一番いやなのは死ぬことだ。だから世界中の宗教が死後の世界、霊魂というものを前提としている。自分というものが無くなるなど考えたくもない怖ろしいことだからだ。

もし幽霊というものが実在するのなら、霊魂の存在が確定することになる。つまり自分が死んでも魂が残るということだ。これは嬉しい。自分がなくならないのなら、たとえ幽霊にたたられて、最悪、死んだとしても、自分もまた幽霊になって好きなように人生(霊生?)を謳歌すればいいのだからどうってことないではないか。

そう考えると、幽霊が怖いどころか、愛しささえ感じてくる。もし幽霊に出くわしたら「よくぞ来てくれました」と諸手を上げて出迎えるだろう。幽霊だってもとは人間、話せばわかるはずだ。英語も要らないのでアメリカ人よりよっぽど楽である。霊界が未知の世界だと言っても、もとはみんな人間なのだから、卓球部を卒業したOBみたいなもんだろう。ときどき頼まれもしないのにしつこく部活に来て説教をしたり、これ見よがしにスーツにネクタイを締めて社会人風をふかしに来たりする鼻持ちならないOBと同じことだ。そんなやつらを怖がるヒマがあったら練習しろってことだ。

完全に話がそれた。言いたいことは、「幽霊」よりも「幽霊がいないこと」の方がよっぽど怖ろしいということだ。

赴任直前に学生時代の友人および後輩と久しぶりに飲んだ。そこでこの話をしたのだがその後輩は「僕、死ぬのは全然いやじゃないですよ。むしろ生きるのがつらくて仕方がないですよ。」と言う。彼は人を悲しませず迷惑もかけずに楽に死ねるならいつでも死にたいと言う。一流企業に勤めて奥さんももらい、最近家を建て、そんなにハードに働いているわけでもないのにだ。こういう本能が欠けたような特殊な奴と話してもさっぱり話が噛み合わない。さらにもう一人の友人は宗教にどっぷりと浸かっていて、「条太、進化論は間違っているって知ってるか」と主張し始め、私の送別飲み会はいよいよわけのわからない議論で白熱していったのであった。

来客のおみやげ

先週、会社に日本の材料メーカーが訪ねてきた。

お土産のお菓子を何箱か持って来てくれたのだが、アメリカ人たちが「臭い臭い」といって面白がって他人に食わせてみたりして喜んでいる。ジョンは「早くどっか他のところにもって行って日本人だけで食ってくれ」と言う。

どれどれ、とお菓子の置いてあるところに行ってみると、包装にまで凝った、とても高級そうなせんべいで、開けてみると海老の香りがした。どんなに高級であっても海老せんべいはやっぱり臭くて食えないようである。

妻が、私のブログは長すぎて読む気がしないという。話がくどくて短ければ短いほどよいらしいので、今日のところはこれぐらいで勘弁しておいてやる。

アトランタ食い倒れツアー3

9時頃ホテルに帰ると子供たちがまたプールに入りたいと言う。夜にプールに入るという非日常的なことがやりたいのだろう。翌朝の朝食のこともあるので、それもよかろうと思い、1時間ぐらい遊ばせた。
翌朝、バイキング形式の朝食をたっぷり食べると、子供たちがまたプールに入りたいという。昼食のこともあるので、また1時間ぐらい遊ばせることにした。人一倍暴れまわった次男が「膝がガクガクする」という。よしよし。それでいい。

チェックアウト後、貨幣博物館を見てから昼食のためインド料理店ZYKAへ向かった。着いてみると、あまりに外見がさびれているので「これはダメかも」と思ったのだが、そうではなかった。値段が安い上、カレー、ナン、タンドリーチキンなど、とても美味しいのだ。本場のインド料理がどんなものかは知らないが、少なくとも仙台で本格的とされている何軒かのインド料理店と遜色ない味であった。また行きたいと思う。

その後、マイクに紹介された「世界中の食材が集っている」というYour Dekalb Farmers Marketへ移動。なぜか入り口に「写真・ビデオ撮影禁止」と書いてあるがこっそりと撮影した。

ブドウの袋に切れ目が入って開いているものがあるので、試食してみると確かに美味しい。あれもこれもと全種類のブドウを家族全員で試食していると、よく見るとすべての袋に切れ目が入っており、試食品ではないことに気づき愕然とする。これでは泥棒だ。マイクによれば、試食品があちこちにおいてあるはずだったが、試食品など全然ないではないか。

ビーフジャーキーのコーナーに「バイソンジャーキー」なんかおいてあり、興味があったのだが、もし変な味がしたら後悔すると考えて普通のビーフジャーキーを買った。他にもチーズやパンを買い込んで車の中で食べ始めた。

その後、テレビ局CNNセンターの見学ツアーに参加した。腹をすかしてから夕方に広東ハウスに行く予定だったのだが、ぜんぜん食欲が戻らず、ドーサンに帰ることにした。

家についたのは9時頃だったが、まだ夕飯を食べる気にならず、そのまま寝ることにした。今回のツアーがかなり不本意だった妻は、もう次の食い倒れツアーのためネットで店探しを始めていた。

アトランタ食い倒れツアー2

FUNEに着いたが、なんと寿司が廻ってない。廻ってないどころか、コンベアの上に何一つ乗っていないしコンベアも止まっている。客は2人だけ。壁面に映画など上映しているのが虚しい。明らかに余計なことに金がかかっている。

気を取り直してテーブル席に案内された。カウンターの内側には東洋人が二人、なにやら忙しそうに働いているが、会話を聞いていると中国人らしい。

黒人のウエイターがオーダーを取りに来た。妻が「寿司はいつ廻るのか」と聞く。もはや正常な判断力を失っているようだ。客が2人しかいないのに廻すはずがないではないか。やっとあきらめてマグロ、鯖、ウニ、ネギ巻き、味噌汁、FUNEロールを注文した。ところが「マグロと鯖を切らしている」という。鯖はともかく、マグロを切らしている寿司屋かい!

しばらくすると、次々と注文の品が運ばれてきたのだが、どれもこれもカウンターとは反対の奥の方からさきほどのウエイターが運んでくる。カウンターの中の東洋人が何のために働いているのか不明。味噌汁が凝った竹細工の上に置かれて出てきたのだが、飲めないほどしょっぱい。具は乾燥ワカメだけだ。しかも戻しが足りず、ところどころ堅い。コップの水を入れて飲める濃度にしてなんとか飲んだ。切らしているはずのマグロが出てきたが、めんどうなのでもう余計なことは聞かずに食べる。意外にもウニが美味しかった。日本の回転寿司屋の普通グレードのウニより明らかに美味しい。よかった。

チャーハンをぎっちりと詰め込んだはずの子供たちがなぜかどんどん食べて、チップを入れると100ドルを超えてしまった。チャーハンを食わせていなかったら大変なことになっていた。

それにしてもいくら火曜とはいえ、この客の少なさは異常である。次に行くときにはもうなくなっているに違いない。ジョージア州初の回転寿司体験をみんなに報告するんだとがんばっていた妻は落胆の色を隠せなかった。

アトランタ食い倒れツアー1

アトランタ一泊二日食い倒れツアーを敢行して帰ってきた。「食べることだけが楽しみ」と言い切る妻がネットでいろいろと調べて、以下のような計画を立てて臨んだ。

《1日め》
朝食 抜き 4時間かけて一路アトランタへ
昼食 Hong Kong Harborでラーメンを食べる
夕食 アトランタ唯一の回転寿司屋、FUNE(舟)で寿司
《2日め》
朝食 ホテルの朝食で食い放題(バイキングのこと)
昼食 インド料理屋ZYKA
午後 食品市場 Your Dekalb Farmers Marketで試食三昧
夕食 Canton Houseにてラーメンを食べる
ドーサンへ帰る

と、このような計画であった。

まずはHong Kong Harborでラーメンだ。確実に日本のラーメンを食べられる店は他にあるのだが、今回の目的はあくまで新規開拓であるので、リスクは覚悟の上だ。

出てきたラーメンは外見は日本のラーメンと同じなのだが、麺が焼きそばのように揚げてあり、噛んだときに焼きそばのような臭いがする。とはいえ美味しくなくもなく、まあまあであった。タコやホタテの入ったシーフードマーボー豆腐は最高に美味しかった。

チャーハンを二人前頼んだのだが思ったより大量で、一人分がまるまる余ってしまった。妻はこれを「持ち帰ろう」と言う。「そんなもの持ち帰っていつ食べるんだ?」と聞くと「いいからいいから」などと言って目配せをしてくる。さらに妻は何を考えてか、マーボー豆腐についてきたオヒツの白飯まで持ち帰る気らしく、塩を振って食べてみて「やっぱり食えないか」なんて言っている。完全におかしい。

後で理由がわかった。回転寿司屋に行く直前に子供達の腹に飯をたっぷりと詰め込もうという作戦だったのだ。ホテルの部屋には図らずも電子レンジがあり、プールで3時間も暴れまわった子供達は何も知らずに、暖めたチャーハンを喜んで腹いっぱい詰め込んだのだった。

いざ、回転寿司屋FUNEに出発である。

『ピンポンさん』

戦後間もない東京。
吉祥寺にできたばかりの武蔵野卓球場をひとりの無口で色白のやせっぽちの高校生が訪ねた。
「この卓球場には、誰か強い人がくるんですか」
少年は、母親の古本を内緒で売った金で練習相手を探して卓球場を回る変わり者だった。
卓球場の主人上原久枝は、いつしか少年の食事から洗濯の世話までするようになる。
「おばさん、孔雀ってどこに卵を産むか知ってる?」
「知らないわよ」
「木の上だよ。おばさん、僕はいつも井の頭公園の木の上にいたんです。井の頭公園にある木はぜんぶ登ったんだよ」
2歳で父を亡くし、働く母が帰宅するまでの時間、公園の片隅で孤独をかみしめていた少年。
少年がもっとも嫌いなのは時間を無駄にすることだった。少年の日記。
《天才はごろごろしているぞ。天才中の天才になるんだぞ。》
《俺が死ぬとき何と思うだろう。それを思う時、一刻も無駄な真似はできない。誰にも影響されるな。》
自分の実力を確認して卓球をやめるつもりで参加した全日本選手権。東京予選で負け、はじめて人前で声を出して泣いた。
《9月7日 笑いを忘れた日》
もう卓球をやめられない。少年の卓球にかける情熱はいよいよ狂気を帯び、おばさん以外の者は怖くて声もかけられない。
翌年、全日本選手権で優勝。世界選手権ではコーチ陣の反対を無視した独創的な『51%理論』を実行し優勝。
たゆまぬ自己研鑽で、32歳で引退するまで世界選手権で12個の金メダル。
引退後は現役選手や中国、スウェーデンに指導を請われ幾多の世界チャンピオンを育成。
天才はいるのだろうか。いる。それは君だ。それは、ぼくだ。天才はいないのだろうか。いない。
みんなが天才であっていけないのなら天才はいない。
やれないが“知っている”のは評論家だ。きみよ、評論家になるな、プレーヤーになれ。
プレーヤーとしての若さを失った後、プレーヤーの苦しみを知っている評論家になれ。
並外れた頭脳と行動力で役員としても頭角を現し、54才で「あと一年やったら会長を譲る」という前会長の申し出を断り、選挙にて国際卓球連盟会長に就任。欧米発祥のスポーツで史上初のアジア人会長となる。
2年間で80ヶ国を卓球の普及に奔走。
朝鮮半島に30回数回も足を運び、91年世界卓球選手権女子団体で統一コリアチームを実現。コリアは中国の9連覇を阻んで優勝。
サマランチIOC会長とホットラインを持ち、98年の長野冬季五輪招致に尽力。
彼が久枝に贈った詩
天界からこの蒼い惑星の
いちばんあたたかく緑なる点を探すと
武蔵野卓球場がみつかるかもしれない
94年永眠。NHKがトップニュースで訃報を伝え、全国紙は一面でその死を悼んだ。
「日本スポーツ界は天才的才能の偉大なリーダーを失った」毎日新聞

彼の名は 荻村伊智朗

異端の自己研鑽のDNA 荻村伊智朗伝 『ピンポンさん』 城島充著 講談社より発売中。

本作のもととなった『武蔵野のローレライ』で第7回文藝春秋Numberスポーツノンフィクション新人賞を受賞した城島充が、構想7年、執筆に3年をかけた渾身のノンフィクション。化け物のような強烈な自我をもった孤独な天才と、それを支えた卓球場主人の厳しく、深く、温かい物語。
生きているうちにこんな本に出合えてよかった。本当に凄い本だ。