先日、ある友人と電話で話していたら、何かのきっかけで韓国ドラマの話になり、急に冬のソナタを思い出し、アマゾンで見たらなんと撮影風景を延々と記録したDVDが売っていたので2セットも買ってしまった。
映画『世界一美しい本を作る男』
DVD『アウト・オブ・コントロール』の監督であるヨルグ・アドルフの最新作「世界一美しい本を作る男」が日本でも公開されている。
その公式ウェブサイトで、監督のヨルグが紹介されているのだが(http://steidl-movie.com/production.html)経歴のところに『アウト・オブ・コントロール(卓球王国)』と書いてなーい!怪しからん!そんなことだと『世界一美しい本を作る男』の宣伝しないよ!
もう書いちゃってるけどな。
卓球小説
来月の逆も~ションの原稿として、卓球小説を書いている。あまりにもネタがないので、とうとうフィクションに手を染めようというハラだ。フィクションならどうせウソなのでネタのあるなしに関係なくいくらでも書けるのではないかと思っているのだが、甘いだろうか。
小説といっても、普通のストーリーを追う小説だとどうにもならないことはわかっているので、あくまで小説調の体裁を整えた卓球のパロディのようなものだ。以前書いたことのある妄想の世界選手権観戦記などと同系統のものだ。
とはいえ、こちらもアイディアが尽きて「ノンフィクションの方が事実を書くだけでよいので楽だ」と思うことになりそうだ。
卓球理論
先日今野編集長と電話をしているときに、常々考えていたフットワーク練習の間違いについて力説をした。あまりにも自信があったので、卓球王国の技術ページで取り上げて欲しいと言ったところ、次のようなコメントを頂いた。
「条太さんは友だちだから話聞いてあげてるけど、それって、卓球王国にときどき送られてくる自分の卓球理論を載せてくれっていう手紙と同じですよ。そういう人たちは共通して、日本の卓球界はダメだと怒りに燃えてるわけですよ。それでいて書いてることは、ええっ?そこっ?っていうようなことなわけですよ。もし条太さんが連載してもらってる人じゃなかったら、完全にそういう人たちと区別がつきませんね」
とのことだ。失礼な話だ。つい2年前、私なりの視点で日本の卓球を斬るような技術特集をやってみないかと持ちかけてきたことをすっかり忘れているようだ(私も今思い出した)。どうやら、その後にいろいろ提案した打倒中国の秘策などがあまりにもハズしていたために、評価が急激に下落したようである。
ううむ。ショック!
流行の名前
五輪男という名前について書いたら、コメント欄にやはり1964年生まれで美輪子(みわこ)さんと五輝(いつき)さんといういずれもオリンピックにちなんだ名前の知人がいるとご連絡を頂いた。私にはそういう知人は一人もいないので地域性があるのだろうか。
私の中学校で流行していた名前と言えば「みゆき」と読む名前だ。私の学年の女子54人中「みゆき」と読む女子が7人もいたのだ。ならべてみると、美由紀、美幸、美幸、美由季、みゆき、美幸、ミユキとなる。平仮名と片仮名まで混じっているところが念入りで楽しい。うまくしたもので、狭い村社会にもかかわらず名字は全員違っていたから、全員が名字で呼ばれており、「みゆき」と呼ばれていた人はいなかった。おそらく家の中だけで呼ばれていたことだろう。一学年下には「みゆき」という名前の男子もいた。
あの当時あの地域で一体何が起きたというのだろうか。
「ザ・ファイナル」のBGM募集
今年度の全日本でもダイジェスト版DVDを作りたいと思っている。そこで、卓球の映像に合うかっこいいBGMを探しているのだが、私の知っている音楽は、だいたいパンク系なのでさっぱり卓球に合わない。そこで、お勧めの曲を募集します。コメント欄かメールで送ってください。ただし、国内のアーティストに限ります。国外だと使用許諾をとる手続きが面倒なため。できればボーカルが入らず、ムラムラとやる気が出てくるようなのがいいです。よろしくお願いします。
五輪男
私は東京オリンピックのあった1964年生まれだが、職場の同僚も同じ年の生まれだ。彼の話によると、中学校のとき、「五輪男」と書いて「いわお」と読む同級生がいたという。
なんとも盛り上がりの激しい親ごさんもいたものである。これで部活が文化部だったら面白いな。写真部とか新聞部だとオリンピックに関係があるのであまり意外ではないが、生物部とか化学部だったら面白い。実際は何部だったのだろうか。そして今、何をやっているのだろか。
地名の訛り
「あまちゃん」に関して東京を「どうぎょう」とは言わないと書いたが、それでは他の地名はと思い、書き出してみた。
岩手 いわて
秋田 あきた
青森 あおもり
福島 ふぐしま(実際にはふぐすま)
新潟 にいがだ
宮城 みやぎ
山形 やまがだ
ううむ、規則性は・・・ない。規則性はないが、人によって違ったりはしない。確信をもって必ずこうなのである。これを常に正しく訛れというのは無理なことだろうな。それにしても東京はしょっちゅう出てくるのだから正しく「とうきょう」と言ってほしい。
DVD『アウト・オブ・コントロール』入荷
あまちゃんの方言
あまちゃんをときどき見ているが、話の面白さとは別に、どうしても方言のことを意識せずには見ていられない。東京を「どうぎょう」、回復を「がいふぐ」などと有り得ない言い方をされると、気にしないではいられない。現場に東北出身の渡辺えりなどがいながらどうして共演者たちに注意できない?と思ってしまう。あれなら訛っていない方がまだ自然だ。東北人だって状況によっては訛らない場合もあるのだから。
方言の巧拙とは別に、主人公の天野アキが東京であれほどまでに訛るということにも違和感を覚える。現代の若者は誰でも標準語を知っているので、意識をすれば言葉としての標準語を話せないということはない。言葉は訛らないが、微妙な母音のズレとアクセントを強制することこそが至難の業であり、それが残るのだ。ところがアキの方言はあまりにも言葉そのものが訛っていて、明らかに相手に一泡ふかせてやろうとか目にもの見せてくれようと「わざと」訛っている者の訛り方である(実際そうなわけだが)。ましてもともと東京に住んでいてちょっと岩手に住んであっというまに東北弁を身に着けたほどの音感の持ち主が、なぜ東京に戻ってかつての標準語を思い出せないのかも謎だ。これではまるで東北弁が一度かかったら一生治らない不治の病かなにかのようではないか。実際はあっというまに標準語になってしまって、岩手に戻っても方言が話せずにみんなから白い目で見られる、というのがあるべき姿である。
さて、役者たちの方言だが、ゆいちゃんのお兄さん役をやっている若者が、なかなか上手い。本物ではないことがわかるだけに、あそこまで上手に訛るのはかなり研究をしているのだろう。
一方で、役者の中にときどき「本物」がいるから面白い。渡辺えりはもちろんだが、今朝見た話では、突然「明らかな本物」が出てきて吹き出してしまった。役名は知らないが、母音の一音一音とアクセントが細部に渡って完璧であり、完全に本物で地元民と区別がつかない状態である。「うわ、本物が混じってる」と大笑いすると、家人によるとこれは役者だという。それでは東北出身の役者なのだろう。もしあれが演技なら天才である。