歴史は死者で満ちている

呉智英が、マンガ家・水木しげるについて書いた文章がある。

「自分はラバウルへ行って初めてわかったんです。自分はあの戦争で生き残った。日本へ還ってこられた。でも、戦友たちは食料も薬もなく、ここで死んでいった。そして、自分だけ、今では何でも食べられて生きている。そう思うとですなあ・・・・」
戦争体験者は、誰でも自責の念を語る。シベリア抑留体験のある詩人石原吉郎は、それをあえて逆転させ「死者におれたちがとむらわれるときだ」(『礼節』)と詩った。今、水木しげるは戦後初めてラバウルを再訪した日のことを私に語っている。死んでいった戦友たち、生きのびた自分。
「戦友たちは、うまいものも食えずに若くして死んでいったんですよ。その戦地に立って、ああ、自分はこうして生きていると思うとですなぁ」
水木しげるは確信を込めて言った。
「そう思うとですなぁ、愉快になるんですよ」
私は遠慮なく笑い転げた。目から涙がほとばしった。笑いは止まらないままであった。
「ええ、あんた、愉快になるんですよ。生きとるんですよ、ええ。ラバウルに行ってみて、初めてわかりました」
これほど力強い生命賛歌を私は知らない。生きていることほど愉快なことがこの世にあろうか。歴史は死者で満ちている。しかし、自分は生きているのだ。なんと愉快なことだろう。

可笑しく、しかも深く感動的。私もこんな文章を書きたい。生涯の手本である。

読者からの手紙

編集部を通して、読者からの手紙が届いた。夕飯を食べながら読んで吹き出してしまった。
あまりにも面白いので、本人の許可を得て紹介する。

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私の出身高の部活では、球を拾った者が「すみません」と言って台についている者に返していました。近大のようなオキテがあったわけではなく、理解に苦しみました。一学年上の部長もそう感じていたらしく「どうぞ」で良いのではないかと言っていましたが、私が部長になっても変えることは出来ませんでした。祟りがあるような気がしたからです。当然のごとく、強くなることは無理でした。
伊藤秀己
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この掛け声自体が祟りだったとしか思えないのだがどうだろうか。

悲惨な工作

『がきデカ』のことを読んだ知人から「小学校のときの冬休みの工作で、何も作るものが浮かばず、苦し紛れにタミヤのキャタピラセットで戦車の下回りを作って上に肌色の発泡スチロールのがきデカ乗せて、チンポの大砲をつけたのを出したことがある」とメールが来た。

先生には怒られなかったそうだが、その悲惨な工作を見てみたい気がする。まだあるかどうか聞いたら「あるわけねえだろ」と返事が来た。そりゃそうだ。

田村信

テーブルの上に息子たちが買った『毎度!浦安鉄筋家族』があったので何気なくめくったら、ちょうどそのページに、わかる人にだけわかるようにさりげなく田村信への敬意が表してあった。

みんな繋がっているのだなあ。

「スポーツ用品ジャーナル」

珍しい雑誌を買った。その名も「スポーツ用品ジャーナル」だ。スポーツ用品全般についての雑誌で、ネットで見つけて取り寄せた。

卓球王国の原稿に厚みを持たせるための参考資料として買ったのだ。知りたかったのは卓球の用具市場の大きさが他のスポーツと比べてどれくらいなのかだった。矢野経済研究所というところがその調査を行っていて、そこから調査結果を買うと16万円もするが、それを雑誌の記事として載せているのがこの「スポーツ用品ジャーナル」というわけだ。

それにしてもこんな雑誌、いったい誰が買うのかと思ったが、考えてみると、街のスポーツ用品店には有用なのかもしれない。当然のことながら、用具市場の小さい卓球の記事はこの雑誌には一行も載ってはいなかった。

肝心の用具市場のデータだが、一応、知的財産だと思うので、あえて読み取れないような解像度で載せておく。

マンガの名作

息子たちが大笑いをしているので何かと思ったら『がきデカ』を読んでいた。

私は何事もしつこい性質なので、昔読んだマンガを今も本棚に入れてあってときどき読んでいるので、自然と子供たちも読むようになったのだ。

むろん、子供たちは今のマンガも好きで、『ワンピース』や『カイジ』が大好きだ。その彼らから見て今なお面白い昔のマンガとはどのようなものか聞いてみると、以下のような結果となった。

がきデカ ◎
トイレット博士 ◎
おろち ◎
魔太郎がくる!! ○
キャプテン ○
マカロニほうれん荘 ×
1・2のアッホ!! ×
アストロ球団 ×

まあ、こんなものだろうと思う。それにしても山上たつひこは天才である。当時中学生だった私も笑ったが、47歳になった今見てもちゃんと可笑しいのだ。おそらく当時とは別のところが可笑しいのだと思う。ギャグマンガで20巻もぶっつづけで面白さを保った作家など他にはいない。

マンガ家のいしかわじゅんが語っていたことだが、ギャグマンガほど辛いものはないという。前と同じことは出来ないし、ネタはどんどん消費されて書くことが無くなってきて、最後には一体何が可笑しいのか分からなくなってきて頭がオカしくなってくるのだという。毎週10も20もオチを考えていたらそうなるだろう。

しかしトップを走っているときの快感は格別で、自分は今世界の最先端にいる、自分より前には誰もいない、と感じたときの快感は比較するものがないという。同じくマンガ家の江口寿史は、連載中、ライバル視していた鴨川つばめと田村信しか目に入っていなかったという。世界にこの3人しかいないと感じていたそうだ。

私は映画でも音楽でもマンガでも、こういう裏話が大好きなのだ。ヘタすると作品そのものより好きかもしれない。
卓球もそうなんじゃないかって?ギクリ。

名作

三谷幸喜の新作『ステキな金縛り』を見てきた。

映画の中の登場人物が好きな映画として、フランク・キャプラの名作『スミス都へ行く』のDVDが出てきた。私はたまたま最近このDVDを買ったばかりだったので「さすが三谷幸喜」と嬉しくなってしまった。

昔の映画の方が面白いとは少しも思わないが、歴史に残っている映画を見る方が面白い確率が高いのは確かだ。

伊丹十三が著書の中で、キューブリックの『バリー・リンドン』を評して「簡潔にして深く、しかも映画的冒険の塊である。こんな映画があるのに更に映画を作る必要があるのだろうかと思う」と書いている。

これらの映画のDVDが今や中古屋に行くとヘタすると200円ぐらいで売られている。見ない手はない。

高校の先生

息子達から家で毎日のように学校の先生についての笑い話を聞かされる。

先日は、全校集会で美術の先生が「津波はアートだ」と言って物議を醸したそうな。さすがに他の先生も黙っているわけにはいかず「先生、それはちょっと違いと思いますが・・」と止めに入ったそうだが、引かなかったという。当然のように父兄の間で問題になり、後日、謝罪スピーチを行う羽目になった。

また、音楽の先生は、合唱の時間に生徒が真面目に歌わないのにブチ切れてしまい、「もういい!」と言いながら用意したカセットテープの電源コードをものすごい勢いで巻き取ろうとして手が自分の顔に当たって眼鏡を吹っ飛ばしたという。なんとも気の毒なような可笑しいような、ご苦労さんな話である。

スポーツ狂のご婦人

毎週やっている町内の卓球クラブに、スポーツ狂のご婦人が小学生のお子さんを連れてやってくる。

先週、珍しく本人が来ず子供だけが来て「お母さんは今日はテレビでバレーボールを見るので忙しいので来れないそうです」と言った。意味は分かるが、テレビを見るので「忙しい」というところがなんとも可笑しかった。いったいどんなに「忙しく」テレビを見るのだろうか。こんなことを言って嫌味に取られるのも困るので、ひとしきり笑った後は、しつこくは言わなかった。無論、忙しいというのは言葉のあやで、ただ都合が悪いと言いたいだけであることは分かっている。分かっているけど、そういう言葉尻を捉えて笑うのが私は大好きなのだ。

クラブが終わる頃、ご婦人が子供を迎えにやってきた。バレーボールでは無事に日本が勝ったそうで上機嫌だった。話を聞いてみると、その人は日本が得点するたびにテレビの前でご主人とハイタッチをしていたという。面倒くさがるご主人に「これだけはやらせて」とお願いをしながらのハイタッチだったそうだ。してみると、この人は本当にテレビの前で忙しくしていたわけで、子供の説明そのままだったわけだ。

これはこれで可笑しく、あらためて笑い直したことは言うまでもない。

問題意識

高校生の息子たちが、英語検定の試験を受けてきた。

帰ってきてから言うには、面接で「最近はコンビニが台頭してきていて地域のスーパーマーケットが押されていることをどう思うか」と聞かれ、何も答えることができなかったという。

それを聞いた妻が「英語検定では英語力だけではなくて、そういう普段からの問題意識も問われるんだね」と言った。

すると息子「だって俺、そんなの問題だと思ったことねえし」と言ったのを聞いて吹き出してしまった。なんと身も蓋もない話。そうだよな、こいつらにそんなこと問題だと思えって方が無理だよな、と思うと可笑しくて仕方がなかった。

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